② 創作義塾の偽りの平穏

「鳥波田……。お前、やる気あんのか?」

 教師の溝渕に、面と向かって言われた。


 俺は相手のはげあがった額に目線を奪われながら訊ねる。

「……っていうと?」


「っていうと、じゃないよ」

 溝渕は原稿を丸め、すぱこんと俺の頭を叩いた。


「痛ッ……、なにすんですか溝渕先生! せっかく書いた傑作を棒にして振らないでくださいよ!」

「傑作? これが? 私が棒に振ったのは、この原稿に割いた時間だよ!」

「う、上手いこと言うじゃないですか。普段の授業は――」

「つまらないくせに、か?」

「あ、いや……」

「ふん、それはお前が私の授業をちゃんと聞いていないだけだ。この原稿を読めばすぐに分かるんだからな」


 溝渕は四十前半、かなり後退した髪の毛を七三分けにしたおっさんだ。丸メガネ、シャツにじじくさい深緑色のベストを合わせている。かなり神経質な性格で、俺の作品を評価してくれたことなんてただの一度もない。


 ここは俺の通う創作義塾学園の面談室。

 生徒がつくった創作物に対し、教師が一対一の面談形式でダメ出しする部屋だ。


「まず、この作品のジャンルはなんだ?」

「パニックホ……えーっと」

「今、パニックホラーって言おうとしただろ」

「してないです。『命の素晴らしさ』をテーマにした人間ドラマですよ、これは」


 溝渕は、呆れたようにため息をつく。

「ホラーも、人が死ぬのもダメだって教えただろ! 教師以外の目に触れたら、発禁法違反で捕まるぞこれ!」

「いやいや。病死は例外のはずでしょ? こないだ政府から配信されてた『君との最後の二週間』でも、最後にヒロインが病気で死んでるじゃないですか!」

「怪物が人を噛み殺すこの作品と、感動的なあの作品をなぜ一緒にした!」

「ちゃんと読んでないですね、先生」

 俺はフッと笑う。


「確かにモンスターは出てきますが、血は一滴も流れてません。ただ『甘噛み』された人が病気にかかってしまうだけ。死因は全員、病気ですよ。法律的にはセーフ!」


「そんな屁理屈が通ると思うなら、今すぐこの創作義塾を出て行くんだな。ここは『どうすれば発禁法にひっかからずに面白いものを書けるか』を学ぶ場だぞ!」


 溝渕が『不合格』のハンコに手をかける。その評価を覆そうと俺は慌てる。

「で、でも、面白かったでしょう?」


「問題外! 次はきちんと、法律に違反しない作品を持ってくるように!」


 溝渕は原稿にハンコを無駄になんべんも押し付け、俺に突き返した。

 ……また再提出かよ、ちくしょう。



 計画都市・白日市の一角にある、真新しい五階建て二棟のビル。

 体育館と校庭。音楽堂。創作記念館。

 よじのぼれば越えられる高さの壁にぐるっと囲まれた、小振りな敷地の内側が、創作義塾学園の全体だ。


 面談室を出て、自分のクラス1-Dに戻るべく階段を上る。

 この学園、下級生ほど上の階に教室があって、階段上るのが大変なんだよな。

 体育会系じゃない俺としては、早く進級してしまいたいところだ。

 ってこれ、ゴールデンウィーク明けたばっかりの五月に考えることじゃないか。


 二時間目の終わりを告げるチャイムが鳴ったあとで、廊下や階段には移動教室のためか生徒が多く出てきている。


「――もう、キリカさんてば、おっちょこちょいなんですから」

「そうかしら。ブックカバーのせいで持ってくる本を間違えるなんて、誰でも一度はすることじゃない?」

「大体、今どき紙の本を読んでいるのなんて、キリカさんくらいですわ。重たいし、汚れるし、両手を使わなければ読めないじゃありませんの」

「フフフ。それもそうね」


「あ……」

 俺は取り巻きを連れ、会話しながら階段を下りてくる女性に目を奪われた。

 織原キリカ先輩。


 歩き方ひとつとっても美しい。非の打ち所がない優雅さ。

 一段一段、階段を降りるたび、彼女の黒髪はふわりと揺れ、青い果実のような、甘く、それでいて控えめな香りをあたりにふりまく。

 紺のブレザーは豊満なバストで膨らみ、胸に縫いつけられた学園のエンブレムはパンパンに引っ張られてる。チェックのプリーツスカートからのぞく黒タイツも大人っぽくていい。


 昨日の秘密結社じみたコスチュームも悪くなかったけど、やっぱ制服姿は最高だ。

 何度見ても見飽きない。


「ごきげんよう」

 キリカ先輩は俺をちらりと見ると、声をかけてくれる。

「こ、こんにちは」

 先輩はこうやって、すれ違う全員に挨拶する。わけへだてなく。

 昨夜、助けてくれたことが夢だったみたいに、先輩の行動はいつも通りだった。

 俺に対する特別な感情なんて持ち合わせていない。そんな風に見えた。


 まあ……、そりゃそうか。

『無料コンテンツ撲滅委員会編集長』

 そんな裏の肩書き、先輩のまわりを歩くいかにも優等生らしい編集者志望のお嬢様たちが知っているとも思えない。


 でも俺は知っているんだ。先輩の素顔を。

 その事実が、俺の頬をにやけさせる。


 *


 この学園には、三種類の生徒が在籍している。


 一、創作者を志す者。

 小説、エッセイ、短歌、漫画、イラスト、映画、アニメ、音楽、絵画……。

 表現方法は様々だが、自分の世界を持った、俺の好きな部類の連中。


 二、編集者を志す者。いかにも優等生って感じながら、社交性もある。

 創作者を下に見てる雰囲気を感じることもあるけど、まだ話せる範疇だ。


 三、検閲官を志す者。発禁法になんの疑問も抱いていないバカども。

 ギャルとチャラ男が目につく。俺はこいつらが死ぬほど嫌いだ。


 こんな相いれない人種をいっしょくたにするんだから、この学校はイカれている。


 お互いの立場や価値観を理解すれば、より素晴らしいエンタメが生まれる?


 ふざけるなと言いたい。


 発禁法がある限り、検閲官がいる限り、そんなの無理だ。

 編集者は検閲官の顔色を窺って、創作者を守ろうなんて気概もない。

 創作者は創作者で、牙を抜かれ、丸まったものしか書けなくなってる。


 中等部から数えて早三年以上、俺は創作義塾にいる計算になる。

 入学する前は、トキワ荘みたいな場所を想像してたのに……。

 切磋琢磨するどころか、ここでは足の引っ張り合いばかりだ。


 個別面談日は、教師にダメ出しされる時間以外はほぼ自習。

 といっても、検閲官志望のやつらは特にやることもなさそうに談笑している。

 真面目に勉強したり、創作したりしているヤツは少数派だ。


「不器用だなあ、モゲルは」

 真っ赤な原稿を持って自席に戻ってくると、前の席のメアに笑われた。


「そういうお前はどうなんだよ」

 メアは俺より先に、溝渕の面談を受けていたはずだ。


「ふふーん。よく聞いてくれました」

 鼻高々に取り出された漫画原稿には『合格』のハンコとともに、大きく花丸が描かれている。


「マジか……」

 溝渕って花丸なんてつけるのかよ。

 一ヶ月間、ひたすら不合格を言い渡されている俺にとっては、UMAが発見されたくらいの衝撃。

 男女差別じゃねーのこれ。


「ボクってば要領いいからね。アナタとは違うんですよ、アナタとは」

 ドヤ顔で原稿をピラピラと見せびらかす彼女は、新堂メア。

 漫画家を目指している、腐れ縁の幼馴染だ。


 ショートカットの赤毛が特徴の、ボクッ娘。八重歯だし、少年みたいな外見をしているから『三大美少女』枠に入ることはなかったが、メアもクラスではめっちゃ人気がある。


 親しみやすいというか、身近な感じがするしな。

 しかし残念なことに、眉が太いんだよなー、眉が。

 作中で殺したくなるタイプかっていうと、ちょっと違う。

 なんだかんだ、地味に最後まで生き残っちゃうやつ。

 それに俺とこいつは創作に関する価値観がびっくりするほど合わないし。


「『タローの日常に次ぐ日常』……なんだ、このタイトル」

「日常嫌いの主人公が、日常すぎる日常にツッコミを入れる、ギャグ漫画さ!」

「で、どのタイミングで非日常なことが起きるんだ?」

「? 起きないよ?」

「タイトルの裏をかいたり」

「してない。まんま日常モノ」

「はあ……。日常ギャグなんて、書いててなにが楽しいんだよ。ぶっ飛んだ設定があるならともかくさあ」


 しかも主人公の名前がタローって。

 いくらキラキラネームの作品内使用が禁止されてるからって、ないわー。


「残酷描写が信条のモゲルからすれば、刺激が足りない?」

 幼なじみだから、俺の趣味嗜好もすでにご承知だ。


「刺激っていうかさ……、最近のエンタメって、どっかで見たことあるような内容ばっかじゃね? プロも自分の書きたいものを書けてないと思うんだけど」

「プロって言っても、今じゃ創作者は公務員の一種だからなぁ」

 メアはそう言って、俺の机に頬杖をつく。


「毎日決まった時間に職場に行って、決まった枚数を書き終え、決まった時間に帰宅して、決まった給料をもらう。昔みたいに、売れる売れないを気にしたり、冒険する必要なんてない」


「安定した、楽な仕事だよな」

 割り切りさえすれば。


「そうだよ。もう書きたいものを書きたいように書ける時代じゃないんだ」

 メアはうんざりした様子で頬杖をつく。

「いや、そんな時代、本当にあったのか怪しいよ。いつの時代も、ああ書けこう書けっていう編集者はいたんだからさ」

「それでも、検閲官がいなかったんだから、まだ天国だろ」


 クラスの反対側、通路のほうから笑い声が聞こえてきた。

 うるさいのは検閲官志望の女たち。その中心には道明寺シイナがいる。相変わらず、薄っぺらい笑顔を浮かべる女だと俺は思った。


「なあ……、お前、シイナの仕事について知ってたか?」

「ん、仕事って? バイトでもしてるの?」

 クラス全員と親しくて、キリカ先輩の連絡先まで入手してくれたメアが知らないってことは――シイナの裏の顔を知っているやつはそう多くなさそうだ。


 と、俺の視線に気づいたシイナと目が合う。


 ふいに昨日の恐怖がよみがえり、胸が激しい動悸する。

 創作できなくなることは、俺にとって死よりも恐ろしい。

 そして、あの女は俺の作家性を殺す術を持っているんだ。


 恐怖で目を逸らせない俺に、シイナはべーっと舌を出すと、そっぽを向く。

 ……もう俺に興味はないみたいだな。

 俺を逮捕する権利だって、あいつにはもうないんだから。


「ちょっとモゲル。シイナさんとなにかあったの?」

 シイナの行動を目の当りにしたメアは、驚きの声をあげる。

「いや、別に」

「ふーん。……本当に?」

「……なんでお前、ジト目になってるんだよ」

「いや、別にぃ?」

「なんだよそれ。俺の真似か?」

「まっさかぁ。発禁法と真っ向から戦おうとしてるモゲルの真似なんて、とてもじゃないけどできないよーだ」


 シイナが武装検閲官ってことは、黙っておいたほうがよさそうだな。

 メアは机にだらしなく突っ伏す。


「はぁ。自由に書けるんだったらさ、ボクだってホモ書きたいよホモ……」


 俺は改めて思った。

 やっぱりこいつとは、創作の価値観がまったく合わない。

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