7. 恋い焦がれ

 地獄に戻っても、閻魔大王は心此処に在らずーの態であった。判じ場の玉座に座って亡者の列を眺めているが、浄瑠璃鏡じょうるりかがみの判じ事は、閻魔大王の隣に仁王立ちした赤鬼が引き続き執り行っていた。

 赤鬼が畏まって御璽ぎょじと軍配扇子を閻魔大王に奉還しようとした時には、

「未だ良い。しばらく汝に頼みたい」

 と言って、御璽と軍配扇子を受け取ろうとはしなかった。

 今も玉座の肘当てに寄り掛かって頬杖を突き、ボンヤリとした目付きで亡者の列を眺めていた。時々は、ホウっと溜息もく。

 心配した怠鬼が「退屈蟲が群れを成して発生しているのかしら?」と、閻魔大王の剛髪を探ってみるが、退屈蟲は1匹も湧いていない。

 人間の女性ならば、恋患いの症状だと直ぐに見抜くのだが、生憎、怠鬼には恋愛経験が無い。病を患うはずのない閻魔大王の元気の無さに、怠鬼は小首を傾げるばかりであった。


 そんな状態の閻魔大王の処に現世から学鬼が戻って来た。

「閻魔大王。只今、戻って参りました」

「うむ。大儀であった。ところで、猛は無事、科挙に合格したのか?」

「はい。猛君が希望した東京大学とか申す学府から無事、勉学の許しを受けました」

「そうか。いよいよ大儀であった。余計な役務を申し付けてしまったな。ワシを許せよ」

「いえいえ、とんでもありません」

「これからは動物の亡者相手の役務だけに専念しておれば良い。以前に比べれば忙しくなったが、まあ、本来の役務だけの状態に戻り、楽にしてくれ」

 学鬼は閻魔大王の言葉には答えず、少しだけモジモジした。

「あのう・・・・・・、閻魔様」

「何じゃ?」

「もうしばらく、現世での経験を積む御許しを頂けませんか?」

「何と!?」

「地獄での役務を疎かには致しません。黄泉よみの泉を潜った直後の瞬間に戻って来れば、今回の様に差し障りは有りませんから」

「苦痛ではないのか?」

「全く」

「ワシなんぞ、人間共の睡眠と呼ぶ無駄な時間に耐え切れなんだが、汝は苦痛に感じなかったのか?」

「いいえ。猛君が睡眠に落ちた間、私は幽体離脱して、気儘に現世の社会を見学しておりましたから。

 人間共、夜は睡眠する時間帯だと言いながら、寝ずに夜も活動する人間はたくさん居ます。

 猛君の住いからは少し離れた場所なのですが、幽体離脱した私でも移動できる距離でしたから。夜な夜な見学に訪れておりました。結構、刺激的でございました」

「幽体離脱かぁ。流石さすがは学鬼。汝も考えたのう。

 ワシは猛の身体の中でジンマリしておったので、監獄に閉じ込められた様な閉塞感を感じておった。そうか、そうか。其の様な過ごし方が有ったか」

 咎人とがにん達が大挙して暴動を起こした場合に備えて、地獄にも監獄が有る。各刑場よりも更に遥か彼方の辺境地に有った。

 暴動を抑え込んでしまえば、拘留された咎人達は即座に刑場に戻されるのだが、監獄を必要とする事態に陥った事は人間社会に文明が根付く以前の遥か昔の事であった。

 黒鬼の役務は咎人達の暴動鎮圧であった。だから、亡者の増加に伴い忙しくなる一方の地獄であったが、黒鬼だけは暇を持て余していた。手持無沙汰に判じ場で閻魔大王の右横に控えている。

 赤鬼は閻魔大王の左横に同じく控えているが、地獄運営の諸事全般を取り仕切っているので、ああ見えて、結構忙しい。

 それに、赤鬼は見掛けに寄らず、世話好きで面倒見の良い鬼であった。

 今は閻魔大王が浄瑠璃鏡を赤鬼に押し付けているので、本来の赤鬼の役務は黒鬼が代行している。実は、慣れぬ雑事にクールな顔がっている最近の黒鬼であった。

「其の様な次第でありまして、閻魔様の御許しが頂けるならば、再び現世を訪ねたいのです」

「ウム。それでな、学鬼。汝は、現世での見聞を通じて、興味深い話題を仕入れて参ったか?」

 許すも許さないも言う前に奇妙な反応を示し始めた閻魔大王に、学鬼は少々戸惑った。

――回答次第では御許しが出ないのだろうか?

「百聞は一見に如かず、とは金言です。

 これまでは耳学問でしか有りませんでしたが、実際に見聞してみると、私の誤解であった処も有るし、考えていた通りであった処も有りと、其れは様々です。

 ですから、更なる見聞の必要を感じております」

「学鬼よ。天女が関心を抱きそうな話が、現世には転がっていると思うか?」

――はっ?

 学鬼は思わず、キョトンと虚を突かれた顔付きをする。閻魔大王の真意が読めない。

「天女様の御顔を拝顔した事が有りませぬ故、私には分かりません」

「ウム。無理も無い問いであった。

 だが、ワシは現世を変化に富んだ世界だと感じた。変化の無い処に住む天女ならば、是非にと聴きたがるのではないか?――と、ふっと、そう考えたのじゃ」

「極楽は変化の無い処なのですか? 私は訪れた事が無いものですから・・・・・・」

「いやいや。極楽ではない。係昆山じゃ」

「係昆山?」

 現世から引き揚げた黄帝が極楽や地獄を創造して以降に、釈迦や閻魔大王は生まれて来た。

 当然、学鬼を初めとする鬼達や、極楽で黄帝に仕える仙女や産女もそうだ。

 それまでは黄帝と天女達しか居らず、蚩尤しゆうとの大戦も黄帝と天女達が戦ったのだ。

 地獄しか知らなかった学鬼は、つい最近、現世を見たばかりで、判じ場の金色門より向こうの世界は見た事が無い。極楽の世界を知っているのは閻魔大王、唯独りである。

「極楽の係昆山に、黄帝様の娘である旱魃姫が庵を結んでおる。

 ワシは、黄帝様から直々に、旱魃姫の話し相手をして欲しいと、強く頼まれておるのじゃ」

 正確には、「地獄に戻る道すがら一度だけで構わないので、旱魃姫を訪ねてくれ」と軽く言われただけだ。「何度も訪問せよ」とは指示されていない。閻魔大王は黄帝の指示と自分の恋感情を完全に混同していた。

 だが、そんな事だと学鬼は夢にも思わない。学鬼も寝ないので此の表現は不適切なのだが・・・・・・。

「そうですか。其れは大変な事でございますねえ~」

「学鬼よ」

「はい」

「ワシの供として、ワシと一緒に係昆山に参ろう。

 汝は会話も巧みであるからして、旱魃姫も御喜びになるであろう」

 学鬼が現世に戻る御許しの件は何処かに飛んでしまい、独り陽気になる閻魔大王であった。


 思い付いたが吉日と言わんばかりに、閻魔大王は学鬼を伴って旱魃姫の庵を再訪した。

 来訪者の姿を見ると、旱魃姫の表情が少しだけ明るくなった。話し相手が出現した事を旱魃姫は単純に喜んだだけなのだが、閻魔大王は自分と会う事を旱魃姫が喜んでくれた――と早合点し、気分を高揚させた。

 横に控える学鬼は、天女の1人と初めて会う経験に緊張していた。

 しかも、天女に会うのに、腰布1枚だけの裸姿で許されるのか?――と言う不安も有った。閻魔大王は「気にする事はない」と気軽に言うが、閻魔大王が社交辞令に長けているとは思えず、学鬼の不安は解けなかった。

 学鬼は、直立すれば閻魔大王よりも少しだけ背が高いのだが、オズオズと猫背になっているので、痩せている分だけ閻魔大王よりも貧相な感じがする。

 2回目の訪問で威風堂々とした閻魔大王の後ろを追って、学鬼が庵の戸口を潜る。

 表情に微かな笑みを浮かべて中に案内した旱魃姫であったが、早くも困り顔で思案する。

「どうなさった? 旱魃姫。お顔が少し陰られましたぞ」

 聴覚に限らず、そうした変化を察知する閻魔大王の五感は鋭敏だ。だが、察知するばかりで、其の後のアクションまでは気が回らない。

「ええ。此の庵に御客様が御見えになる事は滅多に有りません。来られるにしろ、御客様は1人でした。だから、椅子も2脚のみ。

 今日は御客様が2人ですからね・・・・・・。如何どうしたものかしら?」

 右手の細い人差し指を頬に突き、旱魃姫は「困ったわ」と小声で呟いた。

「そう言う事ですか。別に構いません。此の学鬼には立っておくように言いましょう」

「そう言うわけには参りませんわ。御客様ですもの」

 尚も思案する旱魃姫に向かい、閻魔大王の背中越しに、学鬼が「少々端はしたない振る舞いですが・・・・・・」と提案をする。

 学鬼は庵の外に出ると、椅子の座ほどの大きさに千切った金斗雲の欠片を手にして戻って来た。

「私は此れに腰掛けます故、御二人は椅子に御座りください」

 学鬼は戸口付近に金斗雲の欠片を浮かべ、其の上に腰掛けた。旱魃姫もニッコリする。


 前回同様、まずは旱魃姫の淹れる茶を楽しむ。

 旱魃姫が茶を淹れる準備をする間、2人は黙ったまま、旱魃姫の姿を目で追っている。閻魔大王はトロンとした眼付きで、学鬼は緊張の余り警戒した眼付きで。

 茶の香りを嗅ぎ、口に少し含む。小さな茶碗を握った大きな掌を膝の上に降ろし、閻魔大王はおもむろに口を開いた。

「今日、お訪ねした目的は、ですな。旱魃姫」

「はい」

「つい先立って、ワシと此の学鬼は現世を見聞して来たのです。

 現世での体験談を話して差し上げれば、旱魃姫を少しでも慰められるのではないか?――と思いまして・・・・・・」

「まあ! 有り難い事でございます。此の旱魃、大変嬉しゅうございます」

 旱魃姫は、今度は晴れやかな笑顔を浮かべ、胸の前で両手を開いて喜びを表現した。閻魔大王はコホンと咳払いする。

「旱魃姫は以前に現世に行った事が有るのですよね?」

「はい。でも、私が現世に行った時は蚩尤とのいくさの為でございましたし、人間達も未だ生まれておりませんでした。

 今の現世がどうなっているのやら、皆目見当が付きません」

「ワシも初めて現世に行って来たのですが、色々と動きの有る世界です。

 さて、何から話せば宜しいかな・・・・・・」

 ギョロリと目の玉を回転させ、閻魔大王は一瞬だけ考え込んだ。

「ワシらと人間共の一番の違いは何だと思いますか?」

 人間を見た事の無い旱魃姫は小首を傾げた。

 旱魃姫が遠目に見た事が有るのは、輝きとなって大河の様に集まり、極楽に向かう魂の光の群れだけである。

「人間共の口は、話す為の道具だけでなく、食べる為でもあるのです」

「食べる?」

然様さよう。食べると言うのは、他の生き物を口から体内に取り込む行為ですな。

 そうしないと、命を紡いでいられない。故に、殺生がごうになっておるのです」

「恐ろしい事ですね」

「そうですな。ただ、殺生がごうとなっておるのは人間共に限らんのです。動物もまたしかり」

「動物?」

然様さよう。旱魃姫が退治された魑魅魍魎に似た処があります。

 ただ、魑魅魍魎が邪な衝動で行動するのに対し、動物は生きる為に他の生き物を殺生しております。此処が違う処ですな」

「人間や動物は、殺生を行ってまで命を紡ごうとするのに、私達の様な永遠の命ではないんでしょ?」

「旱魃姫のおっしゃる通りですな。奴らの命は不完全です。

 ですが、輪廻転生を経る性根しょうねならば、永遠と言う事も出来ます。だから、命が不完全なのではなく、肉体が不完全と言う事です」

「でも、輪廻転生すると、前世での記憶は消えてしまうのでしょう? それなのに、命が永遠なんて言えるのかしら?」

「そうですな。ですが、だからこそ人間共は必死に生きておりますよ。故に、見ていて非常に面白い。そう感じました」

「例えば?」

「先程の“食べる”と言う行為ですが、口の中に味覚と言う感覚が広がるのです。口に入れる物が違えば、味覚も違う。此れは面白い体験でした」

「他には?」

「“食べる”行為の後の事です。体内に取り込む為に口に入れたのに、糞と申す物を尻から捻り出すんですな。一体、何の為に食べておるのやら」

「不思議な話ですわね」

然様さよう。まあ、糞を捻り出す時に感じる尻の感覚もまた、面白いのですがね。

 人間共は感覚を楽しむ為に食べて、糞を捻り出しておるのかなあ。

 のう、学鬼よ。汝はどう思うか?」

「はあ。其れは栄養と言う物を体内に取り込む為の作業です。

 私達は咎人の阿鼻叫喚を聴く事で精気を養いますが、人間共にとっては“食べる”行為が必要なのです。ですから、“食べる”行為を止めると、身体は動かなくなります」

「そうなんですか。でも、私達だって、仙桃を食する事で精気を養います。同じ事なのかもしれませんね」

「仙桃と申す物は何ですか?」

「あら。閻魔大王は仙桃をお食べになった事が無いのですか?」

「いや、全く」

「生憎、今は有りませんが、次に崑崙山より届けられましたら、閻魔大王の為に残しておきましょう」

「かたじけない。色々と自分の違う世界を見聞するのは、楽しい事ですな」

「本当に」

 閻魔大王と旱魃姫は笑い合った。

 円卓で歓談しているのは閻魔大王と旱魃姫の2人だけなので、二人切りの世界が出来ても不自然ではない。

 でも、歓談の様子を引き下がった場所から眺めていた学鬼には、閻魔大王の恋愛感情が手に取るように分かった。強面の閻魔大王だけに、僭越ながら、寧ろ微笑ましく感じた。

 学鬼は2人の会話に過度な介入をせぬよう、其れで居て、歓談が途切れたら新たな話題を後ろから提供して閻魔大王を助太刀した。

 そんな学鬼の気配りに助けられ、閻魔大王と旱魃姫は庵の中で楽しく過ごした。


 旱魃姫の庵を辞した後の帰路。

 往路は別々の金斗雲に乗った2人だが、復路は一塊ひとかたまりの金斗雲に仕立てて一緒に乗った。学鬼が自発的に金斗雲を一つに合わせ、閻魔大王も学鬼の動きを止めなかった。

「楽しい刻限を楽しまれたようですね」

 楽しまれた主語は敢えて言わず、学鬼は閻魔大王に声を掛けた。

「ウム。汝も大儀であった。汝が居てくれた御陰で、会話が途切れて気詰りな思いをせなんだ」

「そう言って頂くと、私も来た甲斐が有ったと言うものです」

 しばらく無言で金斗雲に乗っていたが、学鬼がボソリと閻魔大王に質問した。

「閻魔様は、あの旱魃姫に恋心を抱いておられるのではないですか?」

 閻魔大王はゴッフォン、ゴッフォンと大きく咳き込んだ。

「何を藪から棒に! 其の様な事が有るわけなかろう。一体、何を根拠に其の様な?」

 慌てて否定する閻魔大王だが、怒りとは別の感情で頬が赤らんでいる。

「いえ。何処がどうとは・・・・・・。ただ、はたから見ていると、其の様な事は分かるものです」

 一瞬だけ言い淀んだが、いつもの冷静な雰囲気に戻り、学鬼は澄ました顔付きで答えた。

 閻魔大王はウウ~ムと言った切り、黙り込んだ。

 2人は無言で金斗雲に乗り続ける。今度は閻魔大王がボソリと学鬼に質問した。

如何どうしたら良いと思う?」

如何どうしたら、とは? 旱魃姫も満更ではないように感じました。是非、御心のままに」

「そうか?」

 今度は閻魔大王が満更でもない様な顔付きで反応した。

「それで、如何どうしたら良いと思う?」

「はっ?」

如何どうしたら旱魃姫との仲を深められると思うかと、そう聞いておるのじゃ」

 閻魔大王は気恥かしそうに、そして、れったそうに言葉を継いだ。

「はっ。御下問の趣旨を理解致しました。ですが、閻魔様」

「んっ?」

「私にも女子おなごと交際した経験がございません。

 閻魔様に何か良い助言をしたいとは思いますが、妙案を思い付きそうにありません」

「そうか・・・・・・」

 少し落胆した様子で閻魔大王が応じる。

「残念です。・・・・・・ですが、閻魔様。女子おなごの心は女子おなごに聞くのが宜しいでしょう。

 地獄にお戻りになったら、冷鬼に相談してみては如何いかがでしょう?

 冷鬼は現世に行った折、男と恋仲になったようですから。詳しくは私も存じませんが・・・・・・」

「冷鬼かぁ・・・・・・。汝の申す通りだな。男同士で相談しても埒が開くまい」

 もう、閻魔大王は上の空である。

 学鬼は、係昆山からの帰り路に自分の現世行きの御許しを改めて願い出るつもりだったが、自分の目論見を諦めざるを得ないと観念した。


 地獄に戻るや否や、閻魔大王は「極寒の刑場を視て参る」と宣言した。

 学鬼は係昆山での経緯に関して口をつぐんだままである。まぁ、普通は言わないだろう。

 だから、判じ場に居た赤鬼・黒鬼・怠鬼の3鬼は、

「お忙しい方じゃのう。

 極楽から戻って以来、閻魔様は玉座を温める暇も無く動き回っているが、如何どうしたんだろう?

 これまで刑場の巡廻なんぞ、った事はないが・・・・・・。しかも、何故、極寒の刑場だけなんだ?」

 と呆れ、そして怪訝に思った。

 だが、経緯を知っていそうな学鬼は、

「私も三途の川沿いに戻りますから、途中まで御供致しましょう」

 と随行を願い出たので、学鬼から聴き出す事も叶わない。

 一方の学鬼は、今度こそ現世行きの御許しをもらおうと身構えていた。


 極寒の刑場までは二つの金斗雲に乗って行った。

 学鬼が少し大き目の声で閻魔大王に呼び掛けた。

「閻魔様。御願がございます」

「何じゃ?」

「先立って御相談致しました、私の現世行きの件でございます。御許し頂けないでしょうか?」

「未だ許しておらなんだか? ああ、良いぞ。学鬼の好きに振る舞え」

「有り難うございます。役務には支障を来さぬようにしますので・・・・・・」

「ウム。頼んだぞ。あっ、そうそう。学鬼や」

「はっ。何でしょう?」

「地獄に戻って来た折には、必ず判じ場に顔を出せ。汝には色々と相談したいのでな」

「畏まりました」

 学鬼の思惑は成就した。

「ところで、冷鬼とは2人切りで御相談されますよね?

 私はそばに居ない方が宜しいかと思いますが・・・・・・」

 学鬼の確認に対し、閻魔大王はしばしモジャモジャの顎鬚あごひげに手を当てて考え込んだ。

「学鬼がった方が心強いが、風鬼に鬼払いを命じるのが難しくなるのう。

 ワシとしても、冷鬼だけに相談したいからな・・・・・・。仕方あるまい。学鬼は引き揚げても構わぬぞ」

 恋の相談となると、意気地の無い閻魔大王であった。


 極寒の刑場に到着した閻魔大王は、鬼畜に乗った風鬼と冷鬼の近くまで金斗雲を寄せた。

 金斗雲の接近には気付いていた2鬼だが、乗っているのが閻魔大王だと知ると驚いた。

 風神の様な風鬼と澄まし顔の冷鬼の表情から驚いた感情を伺い知る事は出来ないが、閻魔大王が刑場を視察するのは前代未聞なのだ。

 思わず2鬼の手が止まってしまう。雲の下ではひょうの嵐が止み、咎人達は雲を見上げた。

「汝らの役務、大儀である」

 閻魔大王の言葉に、2鬼は鬼畜の馬上で軽く答礼する。

「実はな、冷鬼に用事が有るのだ。改めて聞きたい事が有る」

 風鬼は冷鬼の顔を見る。冷鬼の表情には変化が無い。

 此の遣り取りだけを聴くと、犯罪者を問い質す様な不穏な雰囲気を感じてしまう。

「2人で話をしたいのだ。風鬼よ、しばらく外しては貰えないか?」

 閻魔大王が手下の鬼に対して丁寧に頼むのも尋常ではない。

 風鬼は鬼畜の脇腹を蹴って走らせたが、遠ざかる最中も何度か心配そうに後ろを振り返った。

 自分の地獄耳でさえ会話の中身を聴く事は叶わぬ程に、風鬼が遠ざかった事を確認すると、閻魔大王は冷鬼に近付いた。

「話と言うのはなあ・・・・・・」

 閻魔大王は足下の雲を見たまま、モジモジする。冷鬼は無表情に黙ったまま、閻魔大王の次の言葉を待っている。

 閻魔大王は深呼吸すると、自分に気合を入れた。

女子おなごと話すにはどうすれば良いか――を、冷鬼に指南して貰いたいんだ」

 閻魔大王の単刀直入な物言いに、冷鬼は「現に女子おなごの自分と話しているではないか」と少し戸惑った。

 言葉の意味は分かるが、趣旨が分からない。

 尚もダンマリを続ける冷鬼の顔を見て、閻魔大王は自分の失態に慌てた。

「いや。正しくは、冷鬼以外の女子おなごとだ。怠鬼や臭鬼とも違う女子おなごだ。相手は天女なんだ。

 ワシは汝らとは役務の話しかした事が無い。だから、役務以外には、どんな話をしたら良いか、サッパリ分からぬのじゃ。

 どう言う話をすれば、女子おなごは喜ぶのであろうか?」

 冷鬼が初めて見る、ソワソワした閻魔大王であった。

 冷鬼は口元を綻ばせた。此れまた珍しい見物みものであった。

「閻魔様が喜ばせたいと思う天女様は、何を趣味にしていらっしゃるのですか?」

「趣味?」

「役務とは違って、自分が好きで行う事です」

――旱魃姫の趣味は何だろう? あの庵で遣れる事は限られる。茶と胡弓。

「茶を楽しむ事と、胡弓を奏でる事だ」

「そうであれば、閻魔様は何か、楽器をたしなむと宜しいでしょう。

 女子おなごは、殿方と一緒に同じ事をすれば、心が騒ぐものでございます」

「ワシも何かの楽器を奏でると言う事か?」

 冷鬼は、今度はニッコリと笑みを浮かべて、頷いた。

「はて。如何どうしたものかな。

 ワシは楽器を奏でた事は無いし、此の地獄でワシに楽器の扱いを教えてくれそうな者もらん。

 冷鬼よ、何か妙案は無いものかのう?」

「亡者の中に楽器を奏でる記憶を持つ者が居ませんでしょうか? 判じ事をする時に、其の様な者を探してみては如何いかがでしょう?」

「なるほど。其れは妙案だ」

 閻魔大王は右の拳で左の掌を打った。だが、新たな問題を思い付いた。

「じゃが、冷鬼。楽器は如何どうしよう?」

「そうですわね。楽器は現世に取りに行くしか有りませんわね。

 そうであれば、いっそ。閻魔様が現世に赴き、楽器の奏者に憑依すれば良いのではありませんか?」

「楽器の奏者に憑依する?」

「はい。憑依した者の持つ才覚は閻魔様の物になります。合わせて、楽器を地獄に持ち帰れば、閻魔様の願い事は成就します」

「確かに。後は、楽器の奏者を探せば良いのだな。

 それは学鬼に相談してみよう。もう一度、現世に行くと言っていたから。

 ところで、冷鬼も現世に行った事が有るのだったな?」

「はい。遥か昔・・・・・・」

「どうであった?」

「幸せな想い出でございます」

「少し聴いても良いか? 勿論、冷鬼が嫌であれば、話す必要は無いぞ」

 冷鬼の表情は少し陰り、三途の川の方向に顔を向けると、遥か彼方に視線を這わせた。

「現世の人間に連れ添っておりました」

如何どうやって? 鬼のままでか? 鬼のままであれば、汝の能力は人間との共存を許さんだろう」

「おっしゃる通りです。ですから、現世に行った当初は、雪山の奥深く隠れておりました」

「隠れておっては、人間と会う事も無かったのではないか?」

「雪山で行き倒れていた男を助けた事があり、其れが縁で・・・・・・」

「だが、鬼のままでは一緒に暮らす事は出来まい?」

「はい。だから、現世の人間に憑依して、人間として連れ添っておりました」

「でも、如何どうやって憑依する人間を探したのだ? 相手の同意が無ければ、ワシらは憑依できぬだろう?」

「冬の寒さで凍え死んだ若い女子おなごの身体を借りました。

 死んだ直後でございましたので、憑依に抵抗する事も無く・・・・・・」

「それでも・・・・・・、最後は別れたのか?」

「仕方ありません。人間には寿命が有ります故。連れの男が死んだのを機に、地獄に戻って参りました」

「既にもう、冷鬼の連れ添った男は輪廻転生してしまったのか?」

 冷鬼は黙って頷いた。

 判じ場の向こうに渡ってしまった後の事は、地獄の鬼には分からない事であった。

 閻魔大王は冷鬼が現世から地獄に帰って来たばかりの頃を思い起こした。冷鬼には珍しく「長らく留守にした挨拶をしたい」と参上して来たが、特段の用事も無いのにしばらく判じ場に止まっていたはずだ。

 其の時は事情を知るよしも無かったが、冷鬼は亡者の列に並んだ連れの男を視ていたのかもしれない。たとえ事情を知っていたとしても、輪廻転生を妨げる事は出来ないが・・・・・・。

 だが、最終的には金色門を潜らせるにしても、少しでも長く地獄に足止めするくらいは出来ただろう。何も言わなかった冷鬼の事を、閻魔大王は少し不憫に思った。

――好き合った相手とは少しでも長く一緒に居たい。

 その気持ちが、今の閻魔大王には痛い程に理解できたから。


 冷鬼と別れた後、閻魔大王は学鬼の後を追った。楽器奏者の捜索を命じる為である。

 一方の学鬼は、自分の役務場に戻ってから直ぐ、閻魔大王が自分を追って来た事にビックリした。別れたばかりなので、当然である。

 だが、閻魔大王の新たな指示を聴いて合点した。そして、閻魔大王が本気だと言う事を承知した。

 閻魔大王の恋路が叶うならば、成就させてやりたい――と学鬼は思った。だから、現世に行ったら、恋の成就に役立ちそうな知識も一緒に仕入れて来ようと心得た。

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