4. 地獄の役割

 三途の川沿いの森の中では、動物達を相手に教鞭を取っている人物が居た。学鬼である。

 これまで猛が会った鬼達の中では、閻魔大王が最も大柄な体躯をしていた。学鬼の体躯は閻魔大王よりも未だ少し大きい。一方で、ほっそりとした肉付きで、学者然としている。

 中肉の身に馬鹿の皮の腰布だけを着けているので、装束の袖口から筋骨隆々の腕が覗く閻魔大王に比べると、暑苦しい迫力は微塵も感じない。

 濃い褐色肌をしており、インド人風の顔付きだ。学鬼の外見は暑鬼しょきに似ているが、髭も無いし、ターバンも巻いていない。黒い髪の毛は切り揃えられており、理知的な雰囲気を漂わせている。

 学鬼は森の中の開けた空間の端に立つと、眼前に居並ぶ動物達を前に何やら講義をしていた。机も何もないが、雰囲気は大学の大講義室に似ている。動物達は鳴き声を上げる事もなく、神妙に学鬼の講義に耳を傾けていた。

 そんな学鬼の側に近付いて行き、怠鬼は猛を紹介した。これまでの鬼達とは違い、学鬼は、猛が現世から召喚された――と聴くと、大いに驚いた。そして、動物達に猛を大声で紹介した。

『お前達! お前達が現世に生まれ変わった時、此の男の様な格好になっている。く見ておけ!』

 学鬼の紹介の仕方を聴いた猛は驚き、早速、質問を開始する。

「此の動物達は人間に生まれ変わるのですか?」

『そうだよ。輪廻転生と言う言葉を聴いた事は無いですかね?』

「有ります、有ります。本当に、人間に生まれ変わったり、人間以外に生まれ変わったりするんですねえ」

 猛が感心していると、知識に関しては神経質な学鬼が釘を差す。

『念の為、説明しておきますがね。全ての動物が人間に生まれ変わるわけではないのですよ。

 それに、人間が動物に生まれ変わる事は確かに有るんですが、其れは事故の様なもので、滅多に無い事なんです』

「どう言う事ですか?」

『君は閻魔様の判じ場から来たんですよね?』

 猛が頷く。

『閻魔様の判じ場に、金色に輝く門が有ったでしょう?』

 また、猛が頷く。

『あの門は極楽に通じる門で、人間に生まれ変わる為の道標みちしるべです』

「人間以外に生まれ変わる場合は?」

『三途の川に流される』

 猛は目をパチクリさせた。

 猛が理解不能に陥っている事に気付いた学鬼は、詳しい説明を加えた。

『全ての生き物は、天命を全うすると、三途の川の向こう側に現れます。

 そして、こちら岸に渡って来るのですが、人間は渡し船を使って渡って来ます。船で川を渡ると言う知恵が有るからです。

 船の存在を理解できない動物達は、自らの力で泳いで三途の川を渡ろうとします。ところが、途中で力尽きたり、泳ぐ意欲を無くした動物は三途の川に流されるのです。

 三途の川に流されると言う事は、判じ場の金色門を潜れないので、動物にしか転生できないと言う事を意味します。

 水流に逆らって泳ぐ習性を持つ魚なんて岸に上がる事がない。生まれた川に戻って来る鮭の様に力尽きるまで泳ぎ続け、産卵を終えて海に流される鮭の様に三途の川に押し流されて行く。

 余談ながら、さっき、動物に生まれ変わる人間が稀に出ると言いましたが、其れは渡し船から落ちて三途の川に流される者の事です』

「へえ~。そう言うカラクリなんですね。

 そうすると、人間は人間に生まれ変わり、一部の動物もまた人間に生まれ変わるから、人間の数はどんどん増えていきますね」

『其れは因果関係が逆です。

 現世で生まれる人間の数に対して、地獄は何ら影響力を持っていません。人間達が勝手に繁殖活動を繰り広げるだけです。だが、生まれて来る限り、我々は魂の準備をしなくてはいけません。

 魂を吹き込む役務は極楽の領域ですが、浄化した魂の準備は地獄の役割なんですよ』

「これまで怠鬼さんから「最近の地獄は忙しい」って聴いていたんですが、現世の人口が増えたからなんですか?」

『其の通り』

「そうすると、もし、もし、ですよ。現世で人口が増えず、逆に減少し始めたら如何どうするんですか? 戦争とか疫病で。

 今のペースで地獄を運営していたら、魂の数が余っちゃいますよねえ?」

『其の通り。

 其の時は、極楽での魂の在庫が積み上がってしまう。まあ、別に魂なんて実体は無いから、在庫が増えても置場に困る羽目にはならないんですが・・・・・・、兎に角、魂の在庫が増える。

 そうすると、三途の川の流れが速くなるんですよ。水流が荒くなる。

 其の結果、自力で三途の川を渡り切る動物の数が減る。或いは、渡し船が転覆して、三途の川の濁流に飲み込まれる人間の数が増える。つまり、判じ場の金色門を潜る亡者の数が減る。そう言う調整が働くんです。

 そうなると、我々、地獄の鬼達は楽になるでしょう』

「そうすれば、現世に旅行に行く事も出来る?」

『まあ、行きたい者は、ですね』

 猛は「へえ~」と感嘆の声を上げた。

 輪廻転生とは、単純だが、極めて合理的に働く仕組みなのだ。

「そうそう。さっき、冷鬼れいきさんにお会いしたんですが、冷鬼れいきさんって、現世に行った時に「雪女」って呼ばれていませんでしたか? 学鬼さんは知りませんか?」

『ああ、知っていますよ。現世に行った鬼は必ず此処を通って地獄に帰りますからね。

 確かに「雪女」と呼ばれていたそうです。冷鬼れいきさんも現世で辛い目に遭ったようで、以前から無口な女でしたが、いよいよ口を利かないようになってしまいましたね。詳しくは私も知らないが・・・・・・』

「他には、どなたが現世に行ったんですか?」

『風鬼さんと雷鬼らいきさんには会いましたか?』

「風鬼さんには会いましたけど、雷鬼らいきさんとは未だです」

『未だ重度の刑場には行っていないんじゃよ。其の内、雷鬼らいきにも会うがな』

『風鬼さんと雷鬼らいきさんは、現世の人間から「風神・雷神」と呼ばれて神様扱いを受けたんだ、と自慢していましたよ』

「神様って言う御方は、本当にいらっしゃるんですか?」

『ああ。此の地獄を造ったのは神様だし、極楽や現世を造ったのも神様です』

「へえ、居るんだ! 学鬼さんは神様に会った事が有りますか?」

『鬼なんぞが会える方ではありません』

「閻魔様でも、お会い出来ない?」

『そうです。閻魔様でさえ、極楽に出向いて、黄帝様に奏上をお願いするしかないのです』

「黄帝様って言う御方は?」

『極楽で最も上位の方です』

 どうやら、地獄よりは極楽の方が高い位置付けの様である。

「他には誰が、現世に行った経験が有るんですか?」

『赤鬼さんと青鬼さんもそうだな。赤鬼さんが現世の人間社会に溶け込みたがって、青鬼さんが芝居を打ったと聴いていますよ。

 青鬼さんは刑場と咎人とがにんの工程管理が役務だから、赤鬼さんよりも早く復帰する必要が有ったのです。そんな事まで人間共に説明する必要は無いし、説明しても理解して貰えなかったでしょうから、適当に誤魔化したと聴いています』

「皆さん、日本の昔話で登場する鬼ばかりですよ。現世の中でも日本は地獄に近いんですか?」

『近いと言えば、近いのかなあ。

 でも、黒鬼こっきさんはヨーロッパに行ったはずです。ヨーロッパは日本とは反対側の地域でしょう?』

 猛は「ええ」と頷いた。改めて黒鬼こっきの姿を思い浮かべると、ハリウッド映画に出て来るサタンやドラキュラ伯爵の姿に似ていると感じた。

 怠鬼が猛を小突き、「お前さんとワシらの間で話が通じる理由を、学鬼に質問するんじゃろ?」と、水を向けた。

『相手の意思を聴く時にはね、声を聞いていると錯覚するでしょうが、実は意思そのものを心で聴いているんですよ。

 確かに口から声を発している。でも、声は心の中で意思を想念する為の合図みたいなものなんです。掛け声と言うのかな。

 でも、あっ、おっ、みたいな単純な掛け声だけだと、考え事にもならないでしょう? だから、自分なりの言葉を口にするんです。

 彼らの事を考えてみてください』

 学鬼は、眼前に居並ぶ動物達の方に向き、右腕をグルリと水平に回した。

『掛け声だけで、言葉を発しないでしょう? ああ、君らは鳴き声と言うのかな。

 彼らが想念できる意思は単純なものばかりで、深く考える事は出来ない。

 意思を想念する技を、私は此処で教え込んでいるんです。そうしないと、来世で人間に転生した時に困るからね』

 学鬼は両腕を腰に当て、「どうだ?」と言う顔をした。猛が腑に落ちたと言う顔付きをして、学鬼を見る。

『そう言えば、君はバベルの塔と言う神話を知っているかい?』

「ギリシャ神話でしたっけ?」

『いや、キリスト教の旧約聖書の創世記に登場する神話だ。

 天まで届きそうな高い建物を建て、神様と対等になったと自惚うぬぼれた傲慢な人間共が、神様の逆鱗に触れ、言葉が通じなくなったと言う神話です』

「旧約聖書とは不勉強でしたが、話の内容は知っています」

『あれは、神様が人間共から相手の意思を心で聴く技を奪ったからだよ。

 君らは誤解しているみたいだが、或る日、突然、人間共の話す言葉の種類が変化し、テンデンバラバラに分裂するはずがない。

 もし、そう言う仮説を立てると、人間共は瞬時に新たな言葉を習得した事になる。そんなに賢いはずがない。

 真実は、最初からテンデンバラバラの言葉を口にしていたけれど、お互いに心で聴いていたから、それまでは意思疎通に困らなかっただけなんです。

 でも、あの日以降、人間共は言葉でしか意思疎通できなくなってしまった。自業自得と言う奴だね。

 今となっては、心で聴くと言う技に関しては、動物達の方が上だものな・・・・・・』

「他に面白い話は有りますか? 失礼な質問ですけれど・・・・・・」

『学問的に面白い話と言う意味かい?』

 ウンウンと頷いた猛は、学鬼に催促の眼差しを向けた。

黄鬼こうきさんの処には行ったかい?』

『いやいや、未だなんじゃ。全部の刑場をグルっと廻って、最後に見学に行こうと思うちょる。最終工程じゃからのう』

『それでは、黄鬼こうきさんの処に行ったら、泉の事を思い出すが良い。

 君が口にしたギリシャ神話には黄泉よみの国と言う冥府が登場する。亡者の世界と言う意味だね。

 黄泉よみとは黄鬼こうきさんの役務場に湧く泉の事だよ。現世に行った誰かが黄泉よみの事を伝えたんだろう』

 古今東西を問わず、こうして神話の類はつながっていたのである。

『もう少し時代が下るなら、釈迦様だな。

 現世で信仰されている仏教の中では最高位に位置付けられている方だ。釈迦様は極楽にいらっしゃる』

「へえ、極楽には御釈迦様が本当に居るんだ!」

『ああ。釈迦様だけではない。

 現世で信仰されているキリスト教の中で、神のしもべとして登場するイエス・キリスト様も極楽にいらっしゃる』

「ええっ!? 極楽に? 極楽って言うのは、仏教の中だけの話だと思っていたよ」

 驚きの余り、猛の丁寧語は剥げ落ちてしまった。

『菩薩の1人として、極楽にいらっしゃる。

 菩薩の中では最も遅くに菩薩となった新参者ですがね。其の分、御苦労をされているようです。

 そう言えば、イエス・キリスト様も日本と縁が有るんですよ』

「どんな?」

『聖徳太子と言う方を知っているかい?』

「うん。ずっと昔、1万円札に印刷されていた人物でしょ?」

『イエス・キリスト様が仏教を勉強する為に、現世に舞い戻られた時の人間が、聖徳太子様です』

「キリスト教の教祖が、なんでまた、仏教を勉強し直すの?」

『地獄、極楽、現世のつながりを相対的には最も正確に表現している宗教が仏教だから。

 イエス・キリスト様は、仏教の教えが広まっていなかったエルサレムで御生まれになった。まあ、神様が、現世の地球に遍く調和を施そうと、お考えになった故の御判断なのでしょう。

 でも、当のイエス・キリスト様は、仏教とは馴染まないままに現世を過ごし、初心うぶな状態で極楽に行かれたからね。釈迦様が現世を再体験する留学の必要を認められたのでしょう』

「でも、何故、日本なの?」

『仏教がインドから中国に伝わり、更には日本に伝わり始めていた黎明期だったからです。

 既に体制が出来上がった地域に行くよりも、混沌状態の地域に行って、自らが体制を作り上げていく方が学習効果も高いからね』

 古今東西を問わず、こうして宗教の類もつながっていたのである。

「学鬼さんは、どうして、そんなに色々な事を知っているの?」

『皆さん、現世から戻って来る時には此処を通るからね。現世からの戻り口は三途の川の向こう側にしか有りません。そして、極楽に行くには判じ場の金色門を潜るしかないのです。

 だから、皆さん。休憩がてらに私の処に立ち寄り、色んな事を話してくれたんだよ。

 此の地獄で、こう言う事に興味を持つ者は私くらいしか居ないからね。それに当時は、動物達を教育する役務も忙しくなかったし・・・・・・』


 学鬼と別れてから、怠鬼は猛を連れて重度の刑場を見て回った。重度の刑場は、猛が幼少の頃に「良い子にしないと地獄に落とされるよ」と脅されつつ教えて貰った刑場そのまんまであった。

 まず、中央に大きな血の池が有る。

 実際に血の池なのかは判然としない。地獄は火星表面の様に赤茶けている。空だって赤茶けている。だから、単純に三途の川の水を張っているだけで、空の赤が映えているのかもしれない。三途の川の水自体が赤いのかもしれないが、一々確かめようとは思わなかった。

 広大な血の池は、刑の執行を待つ咎人の待合室の如き場所だった。

 血の池の周辺では様々な刑が執行されていた。重度の刑場の特徴の一つは、マン・ツー・マンに近い感じで念入りに刑が執行される点だ。

 灼鬼しゃっきが受け持つ火炙りの刑場。

 三途の川沿いの森から伐採した大木で造った磔に咎人達を括り付け、業火ごうかで炙っている。身体の表面が炭化した咎人は、苦悩の表情を浮かべ、虚ろな目で上空を見上げている。不思議な事に、磔自体は燃えていない。

 痛鬼つうきが受け持つ鞭打ちの刑場。

 火炙りの刑場と同じ様な磔に括り付けられた咎人に、痛鬼つうきが力任せに鞭を打っている。筋肉の盛り上がった肉体が繰り出すエネルギーが咎人の身体に叩き付けられ、鞭が当たるたびに咎人の皮膚は裂け飛んでいる。

 刺鬼しきが受け持つ針山の刑場。

 生け花に使う剣山の様に鋭い針が無数に上空を向いており、上空から落とされた咎人達の身体を串刺しに突き刺していた。此の刑場では落鬼も一緒に働いており、咎人を上空まで運ぶのが彼の役務だ。バンジーロープの先端から猛をかすめ取った天狗だ。

 裂鬼れっきが受け持つ引き裂きの刑場。

 此処では、邪鬼達が咎人の両腕と両脚を綱で縛り、綱の先端を2匹の鬼畜につなげている。繋ぎ終えると、鬼畜の尻を叩く。尻を叩かれた鬼畜は、互いに反対方向に走り出すので、咎人達の身体は真っ二つに引き裂かれてしまう。

 それでも、咎人達は意識を失っていないようで、猛には理解できない光景だった。上半身と下半身に引き裂かれた咎人達の身体は、邪鬼達によって血の池に投げ捨てられていた。

 息鬼そっきの受け持つ窒息の刑場。

 見た目は、咎人達がディスコで踊り狂っているだけで、地獄の中では違和感の有る刑場だ。だけど、怠鬼に依ると、呼吸が出来なくて窒息している状態なのだそうだ。亡者なので此処では呼吸していないのだけれど、咎人達はそう感じているらしい。

 雷鬼らいきの受け持つ落雷の刑場。

 文字通り、雷鬼らいきが指の先から白い龍の如き稲妻を迸らせ、咎人達の身体を焼け焦がせていた。黒焦げになった咎人達もまた、邪鬼達に依って血の池に投げ捨てられていた。

 軋鬼あっき)受け持つ軋轢あつれきの刑場。

 此処には巨大な石臼の如き刑具が幾つも置かれ、咎人達が石臼で身体を磨り潰されていた。石臼を回すのも咎人達の役務。グルーピングされた咎人達が順番に自ら刑を執行していた。磨り潰された咎人もまた、邪鬼達に依って血の池に投げ捨てられていた。

 投げ捨てられる度に、新たな咎人が石臼を回す役務に投入される。邪鬼達は鬼畜に股がったまま、先端を丸く結んだ綱を上空から咎人の首に引っ掛け、血の池から引き抜くと各刑場に運んでいた。

 つまり、血の池は、刑の執行を待つ咎人達と、刑を終えてズタズタになった咎人達で溢れていた。

 バンジーで跳び下りた猛は、此の血の池に浮かぶ咎人達の頭上に現れたのだ。目先の艱難辛苦から逃れたい一心の咎人達の目を引くのは無理も無かった。

 あまりに悲惨な惨状に、猛は怠鬼に質問した。

「此の咎人達の刑は1回で終わりだよね? だって、もう身体がズタズタだから」

 ところが、怠鬼はアッサリと猛の指摘を否定した。

『いいや、何度でもるぞ。性根が真っ直ぐな状態に回復するまでな』

「でも、如何どうやって? もうズタズタだよ」

『閻魔様がまばたきをすると、皆、元の状態に戻る。だから、何度でも刑を執行できるんじゃ』

「閻魔様が瞬きをすると?」

『そうじゃ。お前さん達の現世じゃあ、太陽が昇って、沈むと1日なんじゃろ?』

「うん。まあ」

『此の地獄で、お前さん達の1日に近い概念は、閻魔様の瞬きなんじゃ。

 閻魔様が瞬きなさると、咎人達の身体は元に戻る。新たな刑の始まりじゃな。中度や軽度の刑場でも同じじゃ。閻魔様の瞬きは地獄全体に行き渡る』

「それじゃあ、閻魔様は定期的に瞬きをするの?」

『いつ閻魔様が瞬きをするかなんて、誰にも分からん。御自身だって意識しては瞬きをしておらんじゃろう』

「それじゃあ、ズタズタになった咎人達は、いつ自分の痛みが終わるのか?――分からない状態で、血の池に浮かんでいるわけ?」

『そうじゃのう。どうせ元に戻っても、直ぐに刑場に引っ張り出されるがのう』


 怠鬼が最後に案内してくれたのが、黄鬼こうきの役務場だ。

 黄鬼こうきの役務場は魔山の中腹に掛かる雲の上、山頂付近に在る。閻魔大王の鎮座する判じ場を挟んで、青鬼の役務場とは反対側に有った。

 黄鬼こうきの役務場もまた広大な広場を保有し、其処では刑を終えた咎人達が行列を作っていた。青鬼の役務場との違いは、ビフォー・アフターの関係に相当する。

 亡者なので顔の表情に精気が感じられない点は同じだが、青鬼の役務場で並んでいた受刑前の咎人達に比べると、何となく善人面をしている気がした。様々な刑場を見学した故の猛の気の所為せいかもしれない。

 咎人達の行列の先頭では、黄鬼こうきの他に、抜鬼ばっき熱鬼ねっきが働いていた。3鬼の共同作業で、此の役務場は成り立っているようだ。一言で表現すると、地獄の鍛冶場である。

 まず、邪鬼達が刺股で咎人を抑え、口を開かせる。抜鬼ばっきが咎人の開いた口の中に大きな鉄鋏てつばさみを突っ込み、紫色に変色した舌をムンズと引き抜く。

 引き抜かれた舌の根元に緑色の性根がつながっていた。サザエの身を貝殻からクリクリと取り出した最後に緑や黒が混ざった先端部分が姿を現すが、舌と性根も、そんな感じだった。

 抜鬼ばっきの姿は、蟲鬼と同じ様に、黒い縮れ毛の頭に1本角を生やしている。顔付きはアフリカ系。ただ、蟲鬼と違って、口髭も生やしていないし、太ってもいない。寧ろ痩せ型で、身長が高い。服装も馬鹿の皮の腰布を巻いただけだ。

 長い槍を持たせれば、サバンナの草原でシマウマを追い求める原住民とソックリに見えるだろう。

 抜鬼ばっきが引き抜いた性根は、邪鬼に依って熱鬼ねっきの元に運ばれる。

 熱鬼ねっきの処には赤い岩を何段も積み上げて造った大きな窯が有って、窯の中では業火が燃え盛っている。何人かの咎人達が窯の焚き口からフイゴで風を送っている。

 抜鬼ばっきの処から熱鬼ねっきの処まで、せっせと邪鬼達が性根を運ぶ。咎人達が、山積みされた性根の山に大きなピザピールの如き道具を突き刺し、先端平坦部に性根を乗せては業火に放り込んでいる。

 業火の中には熱を加えられて真っ赤になった性根が幾つも有り、熱鬼ねっきが咎人達を指図しては、加熱された性根を窯から出させ、焼き具合を吟味していた。

 熱鬼ねっき辛鬼しんきと同じく赤い肌をしている。だが、東洋人風の辛鬼しんきと違って、熱鬼ねっきの顔はインド人っぽい。服装は抜鬼ばっきと同じく馬鹿の皮の腰布を巻いただけだ。

 業火を前にして、余計な衣類を着ようとは思わない。だが、熱鬼ねっきは汗も掻いてなかった。恐らく、臭鬼しゅうきの腐臭などと同じ様に、業火の熱さは鬼達には大して伝わらないのだろう。

 熱鬼ねっきがOKを出した性根は一つずつ最後の黄鬼こうきの処に運ばれる。

 黄鬼こうきの目の前には大きな金床が据えられている。邪鬼が鉄鋏で挟んだ性根を金床の上に置くと、真っ赤に熱せられた性根を目指して、黄鬼こうきが大きなハンマーを振り降ろすのだ。ガチーンと言う大きな音が鳴り響く。

 山男が薪割りをしている風である。黄鬼こうきの力強い一撃で大半の性根は真っ直ぐに矯正された。曲がりの激しい性根でも、2回目の打撃で真っ直ぐに矯正されてしまう。

 ハンマーを脇に置いた黄鬼こうきは、真っ直ぐになった性根を鉄鋏で摘まむと、直ぐにそばの池の中に放り込む。空いた金床の上には次なる性根が添えられ、ハンマーをつかんだ黄鬼こうきがまた強烈な一撃を加える。鍛冶屋職人としての動作をひたすら繰り返していた。

 実は黄鬼こうきが最も重労働なのでは?――と、猛は思った。

 黄鬼こうきは顔付きも肌の色も東洋人風。筋肉は剥き出ていないが、腕や腿は太く、モンゴル力士の如き体躯をしていた。大柄の身体には馬鹿の皮の腰布を巻いただけだ。

 抜鬼ばっき熱鬼ねっきの角は1本だが、黄鬼こうきの角は2本あった。赤鬼や青鬼、黒鬼と同じである。鬼達の中でも中核メンバーなのだろう。

 池に放り込まれる性根は未だ熱い状態なので、水面に飛沫が上がる時にはジューっと言う激しい沸騰音と共に、水蒸気の雲が盛大に湧く。此の池が学鬼の教えた黄泉よみであった。

 黄泉よみに冷やされた性根は邪鬼に依って採り上げられる。邪鬼は抜鬼ばっきの処に戻り、舌を抜かれて放心状態の咎人達の群れに戻る。

 自分の性根は分かるようで、持ち主の咎人は自発的に群れの中から抜け出て来る。抜け出て来た咎人の口の中に性根を差し込んで、一連の作業は終了する。

 ちなみに、舌の部分は熱鬼ねっきの窯の中で焼け落ちており、咎人は舌無しの状態だった。

 黄鬼こうき抜鬼ばっき熱鬼ねっきの3鬼は忙しく、猛としては、自分の質問で役務の邪魔をする事がはばかられた。怠鬼も3鬼の邪魔をするつもりはないようだ。猛が作業を十分に見学したと納得すると、怠鬼は鬼畜の首を巡らせた。

『性根を矯正された咎人達は、一旦、此の広場で待つ事になる。人数がまとまれば、邪鬼が先導して判じ場の金色門まで連れて行く。そして、極楽に旅立っていくわけじゃな。

 其の時ばかりは、閻魔様も浄瑠璃鏡じょうるりかがみを判ずる役務は小休止じゃ』


 怠鬼は借りた場所に鬼畜を返すと、階段を登って行く。

 青鬼の役務場は素通りした。でも、通過しなに手を上げて青鬼に挨拶をする。猛と怠鬼を目敏く見付けた青鬼も、笑顔で頷いて返事した。

 更に階段を登る。そして、猛と怠鬼は判じ場に戻って来た。

 2人を認めた閻魔大王は、「大儀であったな」とねぎらった。

『さて、汝らが地獄の検分をしている間に、亡者の行列も大分捌けたわい』

 それでも亡者達の行列は遥か彼方まで続いている。

鬼頭きとうたけるであったか。約束通り、汝を現世に送り返してやらねばならんな』

 閻魔大王の申し出に、猛は「有り難うございます」と頭を下げた。

『さて、誰が汝を連れて行くか、じゃが・・・・・・。誰に命じたものかな・・・・・・?』

 モジャモジャした顎鬚あごひげを触りながら、閻魔大王は考え込んだ。

『怠鬼! 汝には現世に行った経験が有ったか? もし、汝が行きたいのであれば、其の様に命じるが・・・・・・?』

『ワシは現世に行った事は無いがのう。じゃが、考えるに、閻魔様も行った事は無いのと違いますか?』

『ウム。行った事は無い』

『ワシが思うに、閻魔様も現世とやらに行ってみては如何いかがですか?

 現世にる状態の亡者を見聞するのは、閻魔様にとっても良い事じゃと思いますぞ。

 それに、閻魔様はずっと働き詰めじゃあ。ここいらで一度、羽根を伸ばしてもバチは当らんと思いますがのう』

 怠鬼の逆提案を聴いた閻魔大王は、またモジャモジャした顎鬚を触りながら考え込んだ。

 しばらく悩んだ末に、左に控えた赤鬼の方を向き、

『赤鬼! どうじゃ? ワシの替わりに浄瑠璃鏡の判じ事を引き受けてくれるか?』

 と、尋ねた。畏まった赤鬼が「御意」と答える。

 次に閻魔大王は、右に控えた黒鬼こっきの方を見る、黒鬼こっきもまた無言で頷く事で、了解した事を伝えた。

 閻魔大王は左手を右袖の袂に突っ込むと、其処から御璽ぎょじを取り出した。

『此の御璽と軍配扇子を持っていれば、浄瑠璃鏡の判じ事は可能となる。浮き出た性根が曲がっているか否かは、赤鬼の目にも明らかであろう。

 此の御璽と軍配扇子を赤鬼に預けるぞ』

 右手に握った軍配扇子と共に、御璽を赤鬼に差し出す。

 赤鬼は左手でつかんだ金棒を手放すと、閻魔大王の御前に移動し、其の場にひざまずいた。そして、うやうやしく両手を閻魔大王に差し出す。閻魔大王は赤鬼の両の掌の上に御璽と軍配扇子をそっと置いた。

 赤鬼が「ははっ」と言って、御璽と軍配扇子の載った両の掌を自分の頭より高い処に捧げた。

 赤鬼は所定の場所で仁王立ちに戻ると、右手には御璽、左手には軍配扇子をつかみ直した。赤鬼の金棒は、自らの長剣を鞘に収めた黒鬼こっきが握った。

 閻魔大王はゆっくりと玉座から立ち上がり、木靴を履いた足を前に踏み出した。猛は初めて閻魔大王の立ち姿を拝見したが、彼の身長は250㎝位になる。威風堂々たる姿であった。

『猛とやら。それでは黄鬼こうき黄泉よみまで参ろう。彼奴あやつの事も久しぶりに褒めてやらねば』

黄泉よみ?」

 オウム返しに猛が独り言を呟く。怠鬼が猛の足下からささやいた。

黄泉よみが現世に通じる扉なんじゃよ』

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