2. 地獄の1丁目

 閻魔大王の『再開!』と言う大声で、猛の出現で停止していた流れが動き始めた。

 小悪魔は、行列の先頭に並んでいた中年男性を刺股で小突いて、浄瑠璃鏡じょうるりかがみの前まで急き立てた。

 日本人ではなかった。国籍は不明だが、黒人だった。中年太りとは縁遠い引き締まった身体のあちこちに切り傷の痕が有った。浄瑠璃鏡の中に浮かび上がった緑色の羊羹は“く”の字に曲がっている。

 其れを認めた閻魔大王は、『中!』と大声で宣告した。

 宣告された黒人男性は、小悪魔に小突かれながら閻魔大王の前を通り過ぎ、広間の隅から続く階段を降りて行った。

 続いて浄瑠璃鏡の前に立たされたのは、同じく黒人の赤ん坊だった。

 グッタリしていて泣き声一つ上げない。赤ん坊は次の順番の白人女性に抱かれていたが、小悪魔が譲り受け、浄瑠璃鏡の前の地面にそっと置いた。浄瑠璃鏡に今度は真っ直ぐな緑色の羊羹が浮かび上がる。

 其れを認めた閻魔大王は、『成仏!』と大声で宣告した。

 小悪魔は赤ん坊を抱き上げると、先程の黒人男性とは違った方向の広場の端に向かった。其処には金色に光り輝くアーチ門があった。アーチ門の内側は真っ白に輝き、先を見通す事は出来なかった。

 小悪魔は両手で捧げ持った赤ん坊を真っ白な輝きの中にそうっと推し込んだ。小悪魔が輝きの中から両腕を引き抜いた時には、もう赤ん坊の姿は消えていた。

 次に、赤ん坊を抱いていた若い白人女性が浄瑠璃鏡の前に引き立てられた。

 グラマーな体型に猛は赤面した。彼らが死んでいる事は既に理解していたが、それでも金髪の白人女性の裸体を見れば、下半身がムズムズした。猛は未だ17歳である。

 浄瑠璃鏡の中に浮かび上がった緑色の羊羹は“く”の字に曲がっている。黒人男性の時に比べて、羊羹の曲がり方は浅かった。

 其れを認めた閻魔大王は、『軽!』と大声で宣告した。

 宣告された白人女性は小悪魔に小突かれながら、閻魔大王の前を通り過ぎ、黒人男性と同じ様に階段を降りて行った。

 4番目の死者は、左脚を失い、右脚だけとなったアジア系のお爺さんだった。

 日本人でない事は直ぐに分かった。左脚が無いにも関らず、不思議と両脚で歩いているように前に進んだ。背筋も真っ直ぐに伸び、如何どうやってバランスを取るのか、猛は不思議に思った。

 浄瑠璃鏡の中に浮かび上がった緑色の羊羹は、赤ん坊の時と同じ様に真っ直ぐだった。

 其れを認めた閻魔大王は、『成仏!』と大声で宣告した。

 宣告されたアジア人男性は力強く右脚を踏み出し、胸を張って金色に光り輝くアーチ門を潜った。

 猛は、傍らに立つ怠鬼たいきに向かって、質問をぶつけた。

「あのお爺さんは、片脚を失う様な事故で死んだのかな?」

『そうかもしれんし、そうでないのかもしれん。地獄に来た時の姿は、死んだ瞬間ではなく、死ぬ少し前の姿なんじゃ。

 だから、昔の事故で片脚を失っていたのかもしれぬ。勿論、死んだ時に片脚を失ったのかもしれんがの』

「ところで、今、俺が立っている、此の広場は地獄なの?」

『そうじゃ。閻魔様の支配する場所を地獄と呼ぶ慣わしじゃ』

「あっちで光っている門は、天国の入口だよね?」

『天国? ああっ、お前さん達は天国と呼んでいるのじゃな。正しくは、極楽じゃ』

「そうなんだ。極楽が正式名称かあ・・・・・・。

 其れは分かったけど、天国に行く人も一度は地獄を通るんだね? 一瞬だけど」

『其の通り。此の広場を判じ場と呼ぶ。

 閻魔様が判じ場で浄瑠璃鏡に写った亡者の性根しょうねを検分し、極楽行きか、地獄で鍛錬すべきかを判断する。そうせねば、先に進めないんじゃ』

「地獄で鍛錬するって、何を鍛錬するの?」

『性根じゃ。あの浄瑠璃鏡に映る緑色の棒みたいな物じゃがな。あれは人間共の性根なんじゃ』

「性根?」

『そう。性根じゃ。

 先程から浄瑠璃鏡を見ていて、お前さんも気付いたと思うが、亡者に依っては性根が曲がっておる。曲がった性根を真っ直ぐな状態に戻してから、極楽に送り込むんじゃ』

「どう遣って?」

『それは、これから順繰りに見聞していく。そうはやるでない』

「死んだ人は・・・・・・じゃあ、いずれは全員が極楽に行くの?」

『当たり前じゃ。何の為に地獄に止め置かにゃならんのだ? そんな事をすれば、地獄が亡者で溢れるぞ。

 それに、輪廻転生する魂だって、極楽で不足する事になる』

「そのう、怠鬼たいきさんって、亡者って言うよね。死者じゃ駄目なの?」

『幾つも言葉を当て嵌めたって詮無いからのう。ワシらは亡者と呼んでおる』

「其の亡者なんだけどさあ。何故、みんな裸なの?

 俺は、此の通り、洋服を着ているけれど。怠鬼たいきさんだって、和服を着ているよねえ?」

『あっちの方に大きな河が見えるじゃろ?』

 怠鬼たいきが遥か彼方の大河を指差す。猛も「うん」と頷く。

『あれを三途の川と呼ぶ。あの三途の川を亡者は渡れないんじゃ。だから、渡し船が行き来しておる。

 渡し船の渡し賃としてな、現世で身に着けていた物は全て差し出すのじゃ。どうせ、地獄に持ってきても仕方無いからのう』

「じゃあ、三途の川の向こうに並んでいる亡者は洋服を着ているの?」

『洋服とは限らんが、死んだ時に身に着けた物が有れば、そのまんまじゃ。

 ワシらは渡し船を使って三途の川を渡らんからの。着物を差し出す必要が無い。

 お前さんだって三途の川を渡らずに来ただろ。落鬼が連れて来たんじゃから。だから、着物を着たまんまなんじゃ』

「渡し船の人は受け取った洋服なんかを如何どうするの?」

『三途の川に流すんじゃ。地獄じゃ意味の無いものじゃからの』

「へっ? じゃあ、何故、身ぐるみを剥がすんだろう? どうせ捨ててしまうのに」

『其れが地獄始まって以来の決まりじゃからな』

「地獄って、いつ始まったの?」

『ワシらが生まれた時じゃ』

「其れって、いつ?」

『いつって、ワシらが生まれた時、としか答えようがないじゃろう?』

「じゃあ、怠鬼たいきさんは何歳なの?」

『それも、地獄には時間の概念が無いから、無意味な質問じゃな』

 禅問答の様になって来たので、猛は質問の矛先を変える事にした。

 それにしても、怠鬼たいきは猛の質問に辛抱強く応じてくれるものだ。思い返すと閻魔大王もそうだった。

――地獄の鬼達は、見た目と違って、良い人なのかもしれない。人でなく、鬼だけど・・・・・・。

 猛はそう思った。

「ところでさっ! 俺は、幼稚園の頃に「閻魔大王は大きな鏡で亡者の前世の行いを全て見通す」って教えられていたんだけど、実際は性根って言う緑の棒の曲がりを判定するだけなんだね」

『生まれてから死ぬまでの行状を通して性根の形は造られる。だから、性根を判定すると言う事は、亡者の前世の行いを全て見通すのと同じ事だ。

 そう言えるんじゃないかの?

 それに見ての通りの人数じゃ。どんどん判定していかねばならん。しかも、公平に、だ。其れを考えると、性根の曲がり具合で判定するのは極めて合理的だと思わんかね?』

 猛と怠鬼たいきが会話している間にも、亡者達の性根の判定作業は進んでいた。日本人と思しき亡者も何人かは通り過ぎた。

 現世に残った人間の中で唯独り、猛だけが地獄の仕組みを学ぼうとしている。そう気付くと軽い優越感を覚え、感慨深いものがあった。

 行列の進む様を黙って見詰めている猛に向かい、怠鬼たいきが猛を促す。

『もう、此処は良いかの? 良ければ、次なる場所に案内するが?』

 怠鬼たいきの催促で足を踏み出そうとした猛は質問を思い出し、「もう一つだけ」と強請ねだった。

「何故、俺と怠鬼たいきさんとは会話できるの? 怠鬼たいきさんの唇の動きを見ていると、日本語を話している風には見えないんだけど・・・・・・」

『確かに。ワシはお前さんと同じ言葉を話してはおらんよ。ワシが話しておるのは地獄の言葉じゃ。

 じゃが、何故こう遣って話が通じるのかは、ワシも知らん。後で、学鬼がっきの処にも立ち寄るでな。学鬼がっきに質問してみるが良かろう』

「ガッキって誰?」

『此処で奴の紹介をするよりは、本人を前にして紹介する方が早いじゃろう。さっ、参るぞ』

 怠鬼たいきは、背骨の曲がった背中の後ろで両手を組むと、トボトボと、最初の黒人男性が降りて行った階段の方に歩き始めた。猛も慌てて怠鬼たいきの後に続く。


 亡者達が降りて行った階段であるが、段差の高さも少し高めで、踏み面も少し奥行きがあった。大柄な鬼達に合わせたサイズの大きな階段だった。猛は1段を2歩ずつ、怠鬼たいきは飛び石を渡るようにピョンピョンと階段を降りて行った。

 閻魔大王の鎮座する場所は、丘陵の頂上に広がった平坦な場所だったようだ。

 階段を降りながら、丘陵の麓に広がる景色を見渡す事が出来た。基本は、赤い岩石と砂と土で覆われた大地だった。子供の頃に探査衛星が撮影した火星表面の写真を見た事があるが、地獄の風景は火星の景色にソックリだ――と、猛は思った。

 丘陵と言っても結構な標高らしく、眼下には雲海が丘陵を取り巻くように広がっている。火星並みに大気は乾燥しているはずだが、雲が発生している。しかも、丘陵の周囲だけ。何とも不思議な現象だ。

 猛は湿っているのか乾燥しているのかを感じられないでいた。また、暑さ寒さすらも一切感じなかった。雲海の存在は水蒸気が存在する証拠かもしれないし、或いは、雲海の正体は水蒸気ではないのかもしれなかった。

「此の山は大きいんだね」

『魔山じゃ』

「魔山?」

然様さよう。閻魔様が鎮座する山なので、魔山。地獄の中心に位置してるんじゃ』

 雲海の直ぐ上の標高地点には、閻魔大王が鎮座する頂上広場よりも更に大きな広場が広がっている。

 広場の奥では、座面と背凭れだけの飾り気の無い4本脚の椅子に座った青鬼あおおにが、大きな机の上に置いた石盤を凝視していた。本当の名前は分からないが、全身が青色なので、猛は『泣いた赤鬼』に登場する青鬼だろうと見当を付けた。

 青鬼の外観は、肌の色を除けば、赤鬼とソックリだった。顔の造りまでソックリで、もし赤鬼と同じ色だったら見分けが付かない。赤鬼と青鬼は双子かもしれなかった。

 青鬼が頬杖を突いている机は4本脚が有るだけのシンプルな造りで、青鬼の下半身が丸見えだった。だから、着衣が虎皮の腰布だけだと直ぐに分かった。机の脇に立て掛けている棘々の棍棒までもが、赤鬼と同じである。

 青鬼の前では、亡者達が3列の長い行列を作っていた。左の1列は随分と滞留しており、入口の階段付近でUターンした後、最後尾の亡者は青鬼の目の前で背中を向けていた。

 亡者達の列を横目に見ながら、猛と怠鬼たいきは青鬼の前まで進んだ。

『やあ、青鬼せいき! 役務ははかどっているか?』

 怠鬼たいきの姿は、酷い猫背のせいで机の陰になり、青鬼せいきからは見えない。怠鬼たいきの掛け声に顔を上げたは良いが、初めて顔を合わせる猛と視線を合わすのみである。

『お前は一体誰だ? 面妖な事に、怠鬼たいきと同じ声音こわねを使っているようだが・・・・・・』

 青鬼せいきは右手を伸ばし、棍棒の柄を握った。

青鬼せいき青鬼せいき! ワシは、此処じゃ!』

 ピョンと跳び上がった怠鬼たいきの姿が一瞬だけ青鬼せいきの視野に入る。青鬼せいきは棍棒から右手を放すと、今度は両手を机の上に突いて向こう場面を覗き込んだ。

 怠鬼たいき青鬼せいきを見上げ、手拭いをヒラヒラと振って挨拶する。机を回り込んで青鬼せいきの足下に近付いた怠鬼たいきは、猛を青鬼せいきに紹介する。

『そう言う事なんで、此の小童こわっぱに、お前さんの役務を説明して遣ってはくれんかのう』

 青鬼せいき怠鬼たいきの依頼にキョトンとした後、「此の忙しい時に面倒な事を!」と言いたそうな顔付きをした。

『小僧! こっちに近く寄れ』

 青鬼せいきは野太い声で命令すると手招きした。

 怠鬼たいきとは反対側の、青鬼せいきの右側に猛は立った。移動する途中にチラリと見たが、青鬼せいきの棍棒の太さは猛の太腿よりも太かった。

『此の盤上を見てみろ』

 盤上には、小さな箱が七つ、中くらいの箱が三つ、大きな箱が一つ、全部で11個の箱が有った。

『此の箱の大きさはなあ、生易しい刑場か、厳しい刑場かを表わしている』

「小さい箱が生易しい刑場ですか?」

『逆だ、馬鹿っ! 小さい方が厳しい刑場、大きい方が生易しい刑場だ。

 重度の咎人とがにんと軽度の咎人。小僧、お前はどっちの方が多いと思うんだ?』

「其の前に、咎人って、どう言う意味なんですか?」

『そんな事も知らんのか!』

『いやあ、悪い、悪い。道中、ワシが事前に教えておれば良かったんじゃが・・・・・・』

 カリカリする青鬼せいき怠鬼たいきが慌てて取り成した。

『ほれ、お前さん。曲がった性根を真っ直ぐな状態に戻してから、極楽に送り込むと説明したじゃろ?

 此の青鬼せいきの処に来る亡者はな、大なり小なり性根が曲がっておる。性根の曲がりを刑罰で矯正すべき亡者と言う意味じゃよ。分かるな?』

「うん、其れは分かったよ。

 でも、今まで亡者と言っていたのに、何故、突然、咎人って呼び始めたの?」

『最初の広場で見た通り、判じ場から直接、極楽に行く亡者もる。一方で、其の儘では極楽に行けない亡者を咎人と呼んでおるのじゃ』

 得心が行ったと言う風に頷いた猛は、青鬼せいきの方を向くと自信たっぷりに回答した。

「そりゃ、軽度の咎人の方が多いと思います。世の中、極悪人ばかりじゃないでしょうから」

 猛をにらみつけていた青鬼せいきが大きく頷いた。初めて猛の反応に満足したらしい。

『次を説明するぞ。此れらの箱の中で小さな炎が燃えているだろ?』

「はい。色が微妙に違っているみたいですけど・・・・・・」

『小僧、中々見所が有るぞ。良い処に気が付いた。

 箱の中では緑色と黄色と紅色の大きく3色の炎が揺れているだろう?』

「はい。でも、箱の外の此処には白い炎がたくさん揺れていますねえ」

『そう急くな。まずは箱の中だ。箱の中をじっと見てみろ。他に何か気付かないか?』

 青鬼せいきに新たな宿題を出された猛は、前屈みになって顔を箱に近付けると、小さな炎の群れを凝視した。

「分かりましたよ! 小さい箱の中では緑色も黄色も紅色も3色様々ですが、中くらいの箱の中には緑色と黄色、大きな箱には緑色しか有りません。それぞれ白に近い炎も一緒に揺れていますが・・・・・・」

『其の通りだ。紅色は性根が大曲りの咎人だ。逆に緑色は性根の曲がりが小さい咎人。黄色は其の中間だ。

 小さい箱の刑場で鍛錬を積むと、炎の色は紅色から緑色に変わっていく。やがて白色になるから、そうなると最終工程に送り込む』

「最終工程とは極楽の事ですか?」

『いいや。極楽に行く手前に最終工程が有るんじゃよ。其れも現場を見てみれば一目瞭然じゃからな』

 青鬼せいきの膝頭の高さから怠鬼たいきが補足説明する。

『小僧。俺の役務はなあ。それぞれの刑場に咎人を割り振る事なんだ。あの列を見てみろ』

 青鬼せいきは顔を上げると、眼前で蛇行している最も長い列を指差した。

『あの列は軽度の咎人の列だ。咎人達が刑場に連れて行かれるのを待っているのだが、見ての通り、溢れんばかりの人数だ』

 そして今度は、盤上の大きな箱を指差した。

『此の箱の中ではたくさんの炎が揺れているが、未だ未だ空きが有るだろう? 刑場に余裕が有ると言う事だから、奴らを此の刑場に連れて行く』

「でも、未だ彼らは此処で待機していますよね?」

『奴らを刑場に連れて行く邪鬼じゃきが戻って来ておらんからな』

邪鬼じゃき?」

『浄瑠璃鏡の前で亡者達を誘導していた鬼達が居たじゃろ? 黒い小柄な鬼じゃ。彼奴あやつらの事じゃよ』

 気を利かせた怠鬼たいきが再び補足説明した。

「刑場は遠いのですか?」

『此の雲海の下まで降りて行くからな。帰り路は邪鬼じゃきだけなので直ぐに戻って来られるんだが、行きは咎人を引き連れて行くからな。彼らの歩速に律則されるんだよ』

 順調に説明が進むので、心なしか青鬼せいきの気分は良くなっているようだ。

『一方で、こっちの小さな箱を見てみろ。の箱も炎が鮨詰め状態だろ?』

 そして顔を上げると、今度は軽度の咎人の列とは反対側の列を指差した。

『あの通り、重度の咎人の列も長くなりつつある。早く刑場に送らねば、此の広場が溢れ兼ねない』

如何どうするんですか?」

『其処が知恵の出し処なんだよ。小さい箱の中の緑色の炎を大きな箱か中くらいの箱に移せば、小さな箱には余裕が生まれる。そうすれば、此の目の前の咎人をさばけるわけだ』

「でも、何か直ぐに決められない理由が有るんですよね?」

 猛はワザと青鬼せいきの自尊心をくすぐる様な聞き方をした。実際、青鬼せいきは満更でもないと言う風な表情を浮かべた。

『そうなんだ。大きい箱は小さい箱に比べて鍛錬の度合いが浅いんだ。

 折角、緑色まで鍛錬したのに、白色になるのが遅れると、今度は最終工程が遊んでしまう。

 だから、如何どうしたもんだか・・・・・・と考え込んでいたのさ』

 自分の仕事の苦労を第三者に理解して貰う事は、誰にとっても嬉しい事である。猛が青鬼せいきの苦労を理解しても、青鬼せいきの悩みは全く解決されないのだが、青鬼せいきは気を良くしていた。

『まあ、そう言う事だから、お前さんの質問攻めで青鬼せいきを困らせるのは、此の位にしておこう。次に行くぞ』

 怠鬼たいきが猛を促す。猛は青鬼せいきにお礼を言った。

『良いって事よ』

 現世に残る人間達には信じられない仕草だが、青鬼せいきは軽く手を振って、広場を離れる猛と怠鬼たいきを見送った。

 道すがら、猛は怠鬼たいきに質問した。

「ところで、大きい箱は一つ、中くらいの箱は三つだったけど、小さい箱は七つも有ったよね? 箱の数にも意味があるの?」

 怠鬼たいきは背骨の曲がった背中の後ろで両手を組み、トボトボと歩きながら、猛の質問に答えた。

『箱の数だけ刑場が有るんじゃよ。これから刑場を順繰りに見て回るから、ワシが色々説明するよりも自分の目で見た方が早いじゃろうて』


 青鬼せいきの居た広場から更に階段を降り、雲海を抜けると小さ目の広場が現れた。柵を打った囲いの中には、馬の如き動物が数頭いた。動物達を1鬼の邪鬼じゃきが見張っている。

『これから先も距離が有るからの。此処からは鬼畜きちくに乗って行こう。歩けば足袋も余計に汚れるしの』

鬼畜きちく?」

『ああ、鬼畜きちくじゃ。あそこにつながれておるじゃろ?』

 怠鬼たいきは馬の如き動物を指差した。く見ると、馬達の頭には鹿の角が生えていた。馬達の身体にはシマウマの様な縞模様が有ったが、白色と黒色ではなく黄色と黒色の組合せだった。

『お前さん。さっき、青鬼せいきに馬鹿と怒鳴られていただろう。

 馬鹿の正体は、此の鬼畜きちくじゃよ。鹿の角を持った馬。役に立つものは鬼畜きちくと呼び、役に立たなくなったら馬鹿と呼ぶ。まあ、蔑称じゃな』

赤鬼せっきさんや青鬼せいきさんが履いていた腰布って、もしかして、此の鬼畜きちくの皮なの?」

『そうじゃよ。滅多に馬鹿にならんが、もし鬼畜きちくが馬鹿になったら、腰布にするんじゃ』

「鬼の腰布って虎の皮だと教えられたけど、違うんだね」

『ああ。現世に虎と言う動物が居るのは知っておるが、地獄には棲んでおらんからの。

 地獄にるのは、ワシら鬼と、鬼畜きちくと、亡者だけじゃ』

 そう解説しながら、怠鬼たいきは見張りの邪鬼じゃきに近付いていく。

『やあ。鬼畜きちくを1頭、貸して貰いたいんじゃがの』

 邪鬼じゃきはキキッと猿の様な声で返事をすると、1頭の鬼畜きちくを選んで手綱を曳いて来た。怠鬼たいきは跳躍すると、鞍の上に跨った。尻を摺り摺りして鞍の前に移動すると、猛の方に振り向く。

『此の鞍に跨れ。現世で動物に乗った事は有るのか?』

 乗馬経験は無い。猛は首を振って否定した。でも、頑張って跨らないと、先に進めなさそうだ。

 鞍の前部の突起と後部の盛り上がりに両手を掛け、エイっとジャンプした。高めの鉄棒に乗る要領である。あぶみに足を掛けて鞍の上で腹這いになると、もう片足を反対側に回した。

 猛が鞍の後ろに尻の位置を後退させると、猛の股の間に挟まる感じで怠鬼たいきが座り直す。

 怠鬼たいきが手綱をピシャリと鳴らし、鬼畜きちくの首を打つ。2人を乗せた鬼畜きちくは歩き始めた。

『しっかり座っておれよ。鬼畜きちくを駆け足で走らせるからな』

 猛が頷くと、怠鬼たいきはピシャリ、ピシャリと手綱を2回打った。鬼畜きちくの歩みが駆け足になる。ポッコン、ポッコンと、猛の尻は上下に突き上げられる。

『此の鬼畜きちくにはな、亡者達は乗れないんじゃ。何せ、鬼の家畜じゃからな。

 だから、お前さんが独りで乗ろうとしたら、振り落とされるぞ』

「地獄には、何頭くらいの鬼畜きちくが居るの?」

『何頭もじゃ。たくさんるわ。ワシら鬼達の乗り物だからの』

「さっきからさあ、蹄で階段を蹴る音が全然しないんだけど・・・・・・?」

『当たり前じゃ。鬼畜きちくは地面を蹴って走らんから。鬼畜きちくは宙を蹴って走るんじゃ』

「じゃあ、此の階段の道じゃない処でも走れるの?」

『造作もない。山裾を走らせるか? お前さんが怖がるかと思って、道の上を走らせたんじゃが』

「いや、此の儘で良い。怠鬼たいきさんの考えた通り、俺も此処まで来て、肝試ししようなんて思わないから」

 大小様々の岩でゴツゴツした赤い山肌を走らせたら、どうなるか不安だった。今以上に鞍の突き上げを食らうと、鬼畜きちくから振り落とされそうな感じだった。

 それでもしばらくすると、猛は、鞍の突き上げる衝撃を腰で吸収するコツをつかんだ。首から上の揺れは船のを漕ぐ様な感じにまで治まり、山裾の光景を見る余裕が出て来る。

 魔山の山裾は鉱山の採掘現場を彷彿させた。蟻塚を壊した直後のように無数の黒い点がうごめいている。

「あの辺りでは何をしているの?」

『あの辺は使役の刑場じゃな。軽度の咎人が服役しておる』

「地面を掘っている様な気がするけど・・・・・・。何を造っているの?」

『使役の刑場でか? 何も造ってはおらんよ』

「じゃあ、何故、地面を掘っているの? 掘っていないのかもしれないけれど・・・・・・」

『いや、確かに咎人達が地面を掘っているぞ。「何故、掘っているの?」と問われてもなあ・・・・・・。其れが刑だからな』

「多分・・・・・・人間が生まれてから、と言うか、最初の人間が死んでからずっと掘り続けているんでしょ? 地面が穴だらけになるんじゃないの?」

『ならんよ。掘ったら、埋めるしな』

「じゃあ、掘ったり、埋めたりするだけ? 何の意味も無いの?」

『いいや、意味は有るじゃろ? だって、刑を執行しているんじゃから。

 地獄の存在意義は、刑を執行して、最終的には性根を矯正する事じゃからな』

「でも、どうせなら・・・・・・住居とか造れば、刑も建設的になると思うけどなあ・・・・・・」

『住居とは何じゃ?』

「生活する場所だよ。雨が降っても良いように屋根が有ってさ。部屋も幾つか有って、プライバシーが守られるようになっていて、自分の部屋に戻れば落ち着くって言う、そう言う空間」

『人間は面白い考え方をするんじゃなあ~。

 第一に、地獄じゃ雨は降らんぞ。だから、屋根は必要無い』

「でも、食事とかはするんでしょ? 食事を摂る場所は?」

『食事?』

「生きる為には、何か食べるでしょ。

 肉とか野菜とか、何か口に入れて、身体を動かすエネルギーを取り込むでしょ」

『亡者は死んどるぞ。だから、何も食べんじゃろ?』

「でも、怠鬼たいきさん達、鬼の人は?」

『ワシら? 別に何も口に入れんぞ』

「じゃあ、口は何の為に有るの?」

『そりゃあ、話す為に決まっておる。お前さん、面白い事を言うなあ~』

 身振り手振りを交えて一生懸命に話していた猛だが、余りにも話が噛み合わないので、右手で額を抑えた。

「じゃあ、質問を変えるよ。

 怠鬼たいきさん達は、元気に身体を動かす為のエネルギーって言うか、る気って言うか、そう言うものの源を、如何どうやって身体の中に取り込んでいるの?」

『ああ、何となく、お前さんの言いたい事が分かって来たぞ。精気の事じゃな。

 それなら、咎人達の阿鼻叫喚を聴く事で精気を養うんじゃ。

 だから、咎人達を服役させて、彼奴あやつらが苦痛なり悲嘆なり懺悔の呻き声や叫び声を上げると、ワシらは元気になるんじゃ。

 鬼だけじゃない。此の鬼畜きちくも同じじゃ。定期的に刑場の近くまで連れて行って、咎人達の阿鼻叫喚を聴かせないと、馬鹿になってしまう』

 何とも悪趣味な精気の養い方ではあるが、筋は通っている。少し語感は違うが、食物連鎖のメカニズムを聴くに、「如何いかにも地獄らしいな」と猛は思った。


 そんな遣り取りをしながら鬼畜きちくの背に揺られ、猛と怠鬼たいきは最初の刑場である使役の刑場に到着した。まずは、現場責任者の元に赴く。

 此の刑場の責任者は役鬼やっきである。

 役鬼やっきは赤茶色の肌をしている。黒い髪の毛も普通の直毛、赤鬼せっき青鬼せいきの様な巻き毛ではない。巻貝の様な角も、頭頂から1本出ているだけだ。顔付きはインド人風。口元から2本の牙が上向きに出ている。

 首から下は、赤鬼せっき青鬼せいきと同じく、筋骨隆々。ただ、身長は少し小振りで2m弱か。それでも猛よりは頭半分だけ高かった。馬鹿皮の腰布だけを身に着け、足は・・・・・・やはり素足だった。

 役鬼やっき鬼畜きちくに跨り、上空から刑場を睥睨へいげいしていた。周囲に基準となる建築物が全く無いので判然としないが、役鬼やっきの居る高さは地上5m位じゃないかと思われる。

 怠鬼たいきは、役鬼やっきそばまで鬼畜きちくを進めると、横に並んだ。

『やあ、役鬼やっき

 此の小童は、閻魔様が特別に召喚した人間なんじゃがな、何と言う名前じゃったかな?』

「鬼頭猛です。初めまして」

『そうじゃ、そうじゃ。猛じゃった。

 其の猛に刑場を見学させて参れと、閻魔様から命令されて来たんじゃよ』

『そうか。御覧の通りの刑場じゃが、好きに見て行くがいい』

 役鬼やっきは気さくに応じる。

『そうだなあ・・・・・・、此の俺様が案内して回らんといかんかなあ~。

 此処に怠鬼たいきが来るのも久しぶりだから、怠鬼たいきにだけ任せていては心元無いからのう』

 役鬼やっきは気軽にサービス精神を見せた。『済まんのう』と怠鬼たいきが相好を崩す。

『それでは、見回りも兼ねて、刑場を一周りしてこよう。俺様にいて来い!』

 役鬼やっき)は鬼畜《きちくの尻に鞭を入れた。鬼畜きちくはヒヒーンと嘶(いなな》いて前脚を上げると、脱兎の如く走り始めた。

『お前さん。振り落とされんようにしておれよ』

 怠鬼たいきは猛に警告した後、自身も手綱でピシャリピシャリと鬼畜きちくの首筋を何度も叩いた。眼下の光景が猛スピードで通り過ぎていく。

 地獄に来てから時間の感覚はすっかり無くなっているが、随分な時間、2頭の鬼畜きちくは空を駆け続けた。だが、前後左右の光景は一向に変化しない。山頂に閻魔大王の居る巨大な丘陵は左手の同じ場所に見え続けている。どうやら丘陵を中心として反時計回りに疾走しているようだった。

 疾走している最中、上空を飛び回って地表を監視している邪鬼じゃきの姿を何度も見掛けた。咎人達の監視は厳重なようである。

 のくらい疾走したのだろう? 前を駆ける役鬼やっきの乗った鬼畜きちくがスピードを落とし、そして停まった。

『どうだ? 今、見て来たのが使役の刑場だ』

「今、見て来たと言われましても・・・・・・。結局、どっから何処まで移動した事になるんですか?」

『此の場所は、お前達と出会った場所だ。魔山を1周した事になるな』

 猛は唖然とした。

 鬼畜きちくで駆けている間、かなりの早送りで録画再生した様な感じだったが、ずうっと足下で咎人達が使役の刑に服役していた。相当な人数である。

 改めて足下を見る。咎人達が地面を掘っている。其の様子を見ながら、猛は或る事実に気付いた。

役鬼やっきさん。咎人達は、何故、素手で地面を掘っているのですか?」

『素手で掘らずして、何で掘る?』

「いや、スコップとかツルハシとか」

『何じゃ、スコップとかツルハシとか言う物は?』

 地獄に存在しない物の名称は相手に通じない。猛は他の言い方を考えた。

「いや、木とかの棒を使って掘れば効率的だと思うんです。でも、木も生えてないからなあ・・・・・・。兎に角、道具を使って地面を掘った方が、楽だし早いと思うんです」

『楽をしては、刑にならんではないか?』

「其れはそうですが・・・・・・でも、見てください。咎人達の爪は剥がれ、指先から出血していますよ。此れでは余りに非人道的じゃないかと思うんですけど・・・・・・」

『咎人の身体を甚振いたぶるのが刑の目的だからな。痛みを通じて、自分の性根が曲がっておる事を反省するんだろうが?』

 役鬼やっきは『当たり前の事を言うな』と言わんばかりの顔付きだ。やっぱり、此処でも話は噛み合わなかった。

『ハっ、ハっ、ハっ。此の小童は初めて地獄を見るからのう。妙な事ばかり言いよる。

 是奴こやつと話しておると、面白いじゃろ? ワシも久しぶりに退屈を紛らわせておるんじゃ』

 怠鬼たいきは愉快そうに笑った。

怠鬼たいきの笑い顔は・・・・・・俺様も初めて拝んだ様な気がする。珍しい事も有るもんだな』

『そりゃそうじゃ。ワシ自身、以前に笑った事を思い出せんわい。いつも退屈蟲を潰してばかりじゃからなあ~。

 久しぶりに精気の洗濯をした気分じゃ!』

 一頻り笑うと、怠鬼たいきは真面目な顔に戻り、役鬼やっきに次なる目的地を尋ねた。

『それでなあ、次は辛鬼しんき餓鬼がきの処に行こうかと思っているんじゃが、彼奴あやつらは何処にるかのう?』

 役鬼やっきは右腕を水平に伸ばし、魔山から少し離れる方向の1点を差した。

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