第40話 バトルクライ
「……よいしょっ!」
薄暗い地下通路を抜けた先にある、城と地下室を遮る小さな鉄格子。セイルは目の前の鉄格子を片手で掴み、力任せに外す。思いのほか簡単に外れたそれに安堵し、思わず取り落としそうになるのを後ろから出てきた腕が掴む。鉄格子が床に落ちるとばかり思っていたセイルは縮み上がっていたが、腕を見てゆっくりと肩を落とした。
「気をつけろよー」
「ご、ごめんなの」
腕の主はウィルだ。足を引き摺り引き摺り、鉄格子をそっと地面に置く。……今の咄嗟の行動が傷に響いたらしい。
「お前も気をつけろよ」
セイルの背に背負われているレインが呟く。まだ顔色が悪いが、幾分かマシになった方だ。……心の安堵が大きかったのだろう。それはウィルも同じことだった。
セイルが封印の間で彼らを見つけたとき、二人は地面に座り込んだまま、互いに互いを支えあうだけで精一杯だった。セイルがレインを右手で背負い、左手でウィルに肩を貸し、長い通路を抜けてきたのだ。
「この先はベルサリオのお城なの。……もうすぐ処刑の時間なの、だから城の中はガラガラになるはずなのよ。このまま進んでテラス伝いに屋根に降りていって、外に出ようと思ってるの。……二人とも、大丈夫なの?」
「オレは平気。レインは……まあ平気だろ?」
「もちろん。お前よりはな」
「一言多いんだよ。セイル、とにかく進もう。注意してな」
「わかったの」
レインを降ろし、格子を外した穴からセイルは這い出すと手を伸ばした。
「……ウィル?」
「ん?」
「……アークのこと、忘れないで欲しいの」
「……え?」
「『影抜き』は、忘れられたら完全に消えちゃうの。誰もが忘れたその時が、本当の消失って、ハルジオンが言ってたの。俺様、難しいことはわからないけど……でも俺様はアークのこと忘れないの」
「オレもだよ。……さ、行こうぜ?」
セイルの手にレインを預け、ウィルは笑う。セイルは何故だか無性に嬉しくなって、にへ、と笑った。
*
──ありえない。
あまりの驚きに心が固まったトアンの目の前をふんわりと黒い羽根が一枚漂っていった。それは不規則にひらひら、ひらひらと踊りながら、ベルサリオの都市に吸い込まれていく。
「……どうして」ゆっくりと首を回して振り向いたトアンは、目の前にあった青い瞳に向かって思わず呟いた。
「……チェリカ?」
「んー?」
「どうしてここに……? どうして……?」
「心配だったからね」さらりと言いのけてから、青い瞳は微笑みに細められた。彼女の──チェリカの変わらないその言い方に、トアンの瞳は唐突に潤む。
「あはは、そんな顔しないでよ」
「……酷い顔してる?」
「うん、とてもとても」
「……だって、オレ、まさか君が……。さっきまで本当に死ぬのかって思ってたのに」
「ほんと……あと少し遅かったら、君はぺったんこになってたんだよ」チェリカの言葉に、改めてトアンは眼下の世界を見下ろして寒気を覚えた。自分の心が次第に落ち着いていくのがわかる。チェリカの口調は変わっていないが声が少しだけ震えている気がした。トアンが足元を見下ろしたままでいると、チェリカが続けた。
「……間に合ってよかった。」
「チェリカ……あの」
ぎこちなく振り返ると、悲しそうな顔をしていると予想されたチェリカの表情は、微笑みを浮かべたものになっていた。それが慌ててこしらえたものであることをトアンは何となく悟り、安堵と感謝と、そして心の奥がほんのりと温まるのを感じる。
「トアン?」
「……ありがとう。それよりチェリカ、どうやってフロステルダへ? どうしてベルサリオへきたの?」
「……なんとなく、いやな予感がして」
「まさか抜け出してきたの……?」
「……国の玉座に座り続けることより大切なことがあるの。私はお兄ちゃんが……まあ、君もだけど……心配だったんだよ。テュテュリスのところへ行ってみたら『ベルサリオで大変なことが起きてる。じゃがわしら竜は動けぬ……』って話をきいたの」
「やっぱり本当だったんだ」
「え?」
「ううん、なんでも。シアングが処刑されそうなことは……」
「聞いたよ、そんなの駄目だよ。だから止めにきたの」
「ありがとう。……オレの心配もしてくれてたの……?」
「少しはね」
あまりにも自然に、いつも通りに少し意地悪そうにチェリカが笑うので、トアンは一瞬今の状況を忘れそうになった。チェリカの赤いリボンが揺れる。
「な、なんだよそれ」
「だって君が約束してくれたでしょう。私が不安にさせるようなことはさせないって。……トアン、ゼロリードを止めよう」
「……うん!」
チェリカが本当にあまりにも自然に笑うので、トアンは力強く頷いて見せた。それを確認するとチェリカは片翼で方向転換して、トアンが吹き飛ばされてきた穴の開いた壁の中へ、スイ、と飛び込んだ。
部屋の中は未だもうもうと煙が立ち込めていて、状況がよくわからなかった。──それでも時折煙の中から聞こえるヒステリックな鳴き声と物音が、ゼロリードがまだそこに居ることを教えてくれた。
トアンはチェリカに離してもらうとトトの無事を確認し、再び十六夜を構える。チェリカはその横にすとんと着地すると翼を消し、夜空のように漆黒の長い杖を取り出した。一見どこにも飾りがないただの棒に見えるそれは、どういう仕組みか時折中で星が瞬くような小さな光が浮かんでいた。
彼女の好戦的な様子にトアンは目を丸くして、つい尋ねた。
「……チェリカも戦ってくれるの?」
「もちろん。どうして?」
「え、あの……魔力をコントロールできないって……」
「じゃあ君は、私が君の後ろに隠れるためにここにきたと思ったの」チェリカが肩を竦めた。純白のマントが揺れる。
「……私がそんなにカワイイ性格じゃないってわかってるでしょ? 守られてるだけなんてやだよ。戦わせて」
「……でも、チェリカ」
トアンの脳裏に、エアスリクでのチェリカの様子が浮かび上がった。しかし今目の前にいるチェリカの瞳には強い意志が宿っており、どこかつぶされそうだった儚げな様子はない。……ふと、金髪から除く形のいい耳に、トアンがプレゼントした羽根のピアスが光っているのが見えた。
「私、君のパートナーでしょ? 大丈夫、ある程度ならいう事聞かせるから」
「聞かせるって、そんな!」
「方法があったの。私がまた魔法を使うための、魔力を屈服させるための方法」
そこで一旦言葉を区切り、チェリカは笑った。
「……無理はしないよ。トアンにも私にも、トトにも危害は加えない。大丈夫、信じて」
そういわれてしまえばトアンにできることは頷くだけだった。……チェリカの表情がほんの少し寂しそうだったのも決め手だ。……実際チェリカという心強い味方ができたのは喜ばしいことなのだから、無理はしないという部分を信じることにした。
『──なんだ、まだ生きていたのか!』
煙の向こうからゼロリードの声がした。不鮮明な視界の向こうに、時折赤いしぶきが上る。トアンが斬りおとした指と腕の傷からによる出血だろう。チェリカを庇うように左手を伸ばし、トアンは注意深く煙を見つめた。──と、唐突に煙を突き抜けて雷を圧縮した丸い球体がこちらに向かってきた! トアンは打ち返そうと剣を振り上げるが、それより早くチェリカが杖を翳す。
──トーン……。
七色の光を残光に残し、雨だれのように不思議な響きをもった音が部屋に響くと、球体は粒子となって散った。
トアンが驚いている目の前で、球体があけた煙の穴は徐々に広がっていき──怒りに目を爛々と輝かせるゼロリードの姿が露わになる。
「私の力の方が強いみたいだね」
『……空の子! 小癪なまねを!』
ギャオオオオオオン! チェリカの挑発的な言葉にゼロリードが吠えた。翼を揺らし、強風を起こす。再び大きく開いた口の中で先ほどより大きな球体を練り上げ、勢い良く吐き出してきたが、チェリカが杖を振るうと球体は跡形もなく消えうせる。
『貴様……!』
「お願い、シアングを解放して!」
切なる懇願の言葉とは裏腹に、形勢は明らかにチェリカが有利。トアンは美しいまでの力の差に思わず拍手さえ捧げそうになるが、唐突にゼロリードが上半身をあげ、勢い良く爪を振り下ろしてきた瞬間に我に返って剣を振り上げた。
しゃん……!
澄んだ音と研ぎ澄まされた刃が、硬い鱗の生えた掌に深い傷をつける。
「──うおおお!」
トアンはそのまま刃を力任せに振り払うと、ぶずぶず、と肉と鱗が裂けて血しぶきがどっと降り注いできた。と、チェリカが杖を振る。するとトアンとチェリカの頭上に黒い光が広がって、血の雨から二人を守ってくれた。
──ガアアアアッ
ゼロリードが苦痛の悲鳴をあげる。腹いせのように逞しい尾を振るが、チェリカは瞬時に翼をだすとトアンを抱えて空中へと逃げた。
「トアン」チェリカがトアンの耳元で囁く。
「私がゼロリードの気を逸らすから、その隙に攻撃して……殺さなくていいよ」
「……え?」
「ある程度ダメージを与えれば、竜からヒトの姿に戻ると思うの。……そうしたら、もう反撃する力はない。そのゼロリードをつれていって、処刑を食い止めるように脅す。ゼロリードは考えを改めてくれない。……なら、国自体を動かさなきゃもうシアングは助からないよ」
「そっか……そうだね」
……このまま行けば彼の命を奪うことでシアングを助けると考えていたトアンにとっては、それはある意味救いの言葉だった。シアングの処刑のスイッチはゼロリードが持っている。しかしこのままゼロリードを殺しても、時間になればシアングは殺されてしまうだろう。──王の生首を掲げての交渉より、命があるほうがよっぽどうまく行きそうだとトアンは思った。
「準備はいい?」
「……うん。ばっちり」
「じゃいくよ」
チェリカは急降下するとトアンを床におろし、再び空中へ躍り出た。くるくると杖を回すと、七色の光が輪になって宙に浮かび上がる。ゼロリードが首を擡げた瞬間に、チェリカは杖を引いてその輪の残像を真っ二つに切り裂いた。
「我が身に宿りし黒き光よ! 我が指先に舞い降り、従え! ──レング・エスタル!」
チェリカの澄んだ短い詠唱が終わると同時に、切り裂かれた輪から黒い炎が滲み出し、ゼロリードの翼を射抜いた。さらに炎は空中で鳥の姿になるとゼロリードの周囲をぐるりと飛ぶ。鳥の長い尾がゼロリードの首に巻き、鋭い嘴と竜の牙のぶつかり合う音が交錯した。壁が崩れ、土煙があがる。
『小賢しい真似を──!』
ゼロリードが咆哮する。鳥はゼロリードの牙をかいくぐり、しきりにその瞳を抉り取ろうとしていた。チェリカが杖を振り、黒い鳥を指揮しているのをトアンは確認すると、暴れる竜と鳥の舞い上げる煙の中に身を溶かし、ゼロリードに近づいていく。
「……最初会ったときは」
──一歩。ゼロリードの暴れる動きを見ながら、トアンは臆せずに進む。
「本当に尊敬できる王だと思っていました」
もう一歩。尻尾の一撃で、玉座が吹き飛んだ。
「あなたは可哀想なヒトだ。……でも、オレは」
トアンは一拍置いてゼロリードを見つめ、十六夜を握り締めた。
「あなたを許せそうもない!」
叫ぶと同時に絨毯を蹴る。ゼロリード自身の足を駆け上がり、トアンは剣を振り上げ、その喉へと振り下ろした。しゃらん、光の粉がゆっくりと舞い、ゼロリードの瞳が驚いたようにトアンを見る。
「うおおおおおお────!」
肉を切り裂く確かな感触が手に伝わってきたとき、ゼロリードの姿が霞んだ。竜になったときと同じように霧につつまれ、そして霧が晴れた時、荒れ放題の部屋の中央に男が一人、うつ伏せで倒れていた。
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