第38話 ブラックアウト



「う、うわ……!」

 突如、ズン、という低い地鳴りと同時に襲ってきた地震に、トアンたちは驚いた。ぞんざいに資料を突っ込まれている棚がギシギシと揺れ始め、セイルが悲鳴を上げる。

「こここ、怖いのよー!」

「だ、大丈夫だセイル。すぐに収まる……」

 ルノがなんとかセイルを宥めようとするが、セイルは逆にさらに怯え、ルノにしがみ付いてわーわー騒いでいる。トアンがメルニスを見ると、メルニスは両手を当て。耳をすませていた。……と、始まったときと同じく唐突に揺れは収まった。棚はまだ悲鳴を上げているものの、それも徐々に静まるだろう。

「い……今のは……? この地域特有のもの……?」

「いいえ、違いますわトアン様。……さきほどと同じく、十三の封印の間からの揺れに間違いはないでしょう。……何かあったのですわ。二手に分かれて、とおっしゃってましたが、封印の間にトアン様たちのお仲間がいきまして?」

「あ、うん。……そこに兄さんがいるから。兄さんを助けに、オレの親友がいったよ」

「お兄様……? レイン様のことですの?」

「知ってるの?」

「……何度かお目にかかりました。大分疲弊なさっているようでしたが、……恐らく、今の揺れはレイン様が封印から逃れたことによる地震と思われますわ……封印の間で何かあったということは、ゼロリード様が動き出すかもしれません」

「処刑まではまだ時間があるよ?」

「いや、トアン」セイルをしがみ付かせたまま、ルノが進み出た。

「お前は処刑実行までの時間、この埃の積もる部屋で過ごすつもりなのか? ……急いだほうが良さそうだ。私たちの目的は、シアングの救出だろう」

「ご、ごめん、そんなつもりじゃ」

「……わかっている。少しイジワルな言い方になってしまったな、すまない。……メルニス。処刑場、広場まで私たちを案内してもらえるか。お前がいれば、兵士たちとの衝突も少なくて済むだろう」

「……行かれるおつもりですか?」

「無論だ」

「……。」

「何だ?」

 つ、と悲しそうに目を伏せるメルニスに、ルノが不安そうに訊ねた。トアンはその間に、ルノに絡み付いていまだに怯えているセイルを引き剥がしてやる。

「……いえ、なんでもありません。ご案内いたします」

 そういって笑ったメルニスの瞳は、嘆きの色に染まっていた。トアンはそのことに気付いたが、ルノが気付いた様子はなかった。

「スノーが封印から逃れられたって言うなら」資料室の扉を半分だけ開け、メルニスが注意深く廊下の人影を確認する後ろでセイルがトアンに囁いた。

「作戦通り、俺様、スノーたちのとこにいくのよ」

 ──セイルの言う作戦とは、ベルサリオの城に突入する前、トアンが仲間たちに聞かせたものだった。……厳密に言うと少しだけ違う。トアンは全員に聞かせた後、ウィルとルノを除いてセイルとトトにもう一度話をしていた。

『ウィルと兄さんを安全なところに連れ出してあげて。……きっと二人は戦うって言うかもしれないけど、封印解くのって大変なんだろ、だから疲れてる二人には、危険すぎるから』

 親友と兄、二人の性格を考えれば、ベストな選択だとトアンは考えていた。セイルが二人を誘導し、自分はルノと地図を頼りに進もうとしていた。だからここでこの城の地理に詳しいメルニスに出会えたのは幸運だったのだ。──そしてセイルと入れ違いに、トトがトアンの元へくる手筈になっている。……それもこれも、トアンがずっと考えていたことのためだった。

(ルノさんにはまだ言えないけど……。)

 トアンはチラリとルノを見て、それからセイルに答えた。

「うん、お願いできるかな」

「任せるの。……トアン、ほんとうに、ほんとうに気をつけてなのよ」

「うん、わかってる……ルノさん!」

 ぴく、と肩を揺らして驚いたようにルノが反応する。予想通り、ルノは珍しく上の空だった。ムリもない。これからシアングを助けにいくのだから。

「な、なんだ?」

「今からセイルさんに、兄さんとウィルを安全なところに誘導してもらうことになった。……だから、オレと二人で、メルニスさんに案内してもらうけど……大丈夫?」

「そうなのか? ……わかった、セイル、気をつけろよ」

 素直に頷いたルノに、セイルがにっこり笑う。

「うんなの!」

「ルノさん、大丈夫だよね?」

「……トアン、大丈夫とはどういう意味だ? 私にシアングを助ける覚悟がないとでもいうのか?」

「……ううん、ごめん。聞くだけ野暮だね」

「あ、ああ……?」

 ルノが首を傾げるその向こうで、メルニスが手招きをした。そして小声でトアンたちを呼ぶ。

「今ですわ。こちらにいらしてくださいませ」

 メルニスに連れられてトアンたちが廊下に出ると、セイルは踵を返して一人反対方向へ走り去ってしまった。メルニスが慌てて振り向いたが、トアンが作戦通りだから、と告げると彼女はすぐさま落ち着きを取り戻し、

「……では参りましょう」と言った。




 ──同時刻、地下。

「……お二人はここにいてください」床にしゃがみ込んだまま寄り添うように互いを支えあうウィルとレインに、トトは決意をこめて言った。

「で、でもトト、お前一人じゃ危ないぞ」

「いいえ、大丈夫です……元々トアンさんから言われてたんです。このままセイル兄ちゃんを待っててください。先生とレインさんはこれ以上の負担は無理でしょう」

「無理じゃないさ!」

「レインさんは衰弱しています。……そして先生はその足で、レインさんを抱えて走れるんですか」

「……。」

「……足?」

「あ、いや」

 トトの指摘に黙り込むウィルを、漸く口を開いたレインが不安そうに見る。

「足、どうしたんだ……さっき痛いって言ってたな。まさかお前、封印に焼かれ……」

 しかしレインの言葉が全て綴られる前に、ウィルは大げさに声を上げた。

「ああ! もう! わかったわかった! オレとレインはセイルを待てばいいのか?」

「はい」

「おい、まだオレの話が」

「じゃ、トト気をつけろよ」

「分かってます」

「……ムシすんな」

「痛ぇえ!」

 自分を置いてきぼりにしたまま進んでいく会話についに耐えられなくなったのか、レインがウィルの足を思い切り掴んだ。硬いブーツ越しだったがウィルの足には深刻な問題だ。思わず涙目で身もだえするウィルにざまあみろと呟いて、レインはトトを見る。

「ウィルのことなら任せろ」

「あ、は……はい」

「頼むぞ」

「はい! レインさんが読み取った真実、必ず伝えてきますから! ……それから、レインさんの願いも聞こえてました」

「ぴゅい」

「ユーリも危ない目にあわせて悪い。……あいつらを助けてくれるな?」

「勿論です! では」

 ペコリ、と礼をすると、トトの後姿は部屋の隅の暗闇に消えていってしまった。レインは疲れたと小さく呟いて、いまだ苦痛を堪えるウィルを見つめた。

「……悪い、そんなに酷い傷だと思わなかった」

「許さない。治せよ、責任もって」

「そんなこというの珍しいな」

「……もう離さないからな。舐めて治してくれよ、もー」

「いやだね」

「許さないぞ。……トト、大丈夫かな」ふざけたような口調を引っ込め、ウィルは小声で囁く。レインも同意するように頷いた。

「トアンが何を考え付いたかわからないんだけど……」

「まあ、アイツならどっかのバカみたいなことは考えねぇよ」

「……誰のことだ」

「誰だろうな」

「おい、オレは真剣に──」

 ウィルが思わず声を荒げた時だ。ちりん、という澄んだ鈴の音が部屋に響いた。


『大丈夫、あの子は絶対に俺たちが守るから』


 ──それは、非情に曖昧にぼやけたものだったが、確かに二人の耳に届く。

「今のは──……」

 顔を見合わせる二人の横を、風と共にたんたんと足音が駆けていった。──トトの後を追って。





 ふ、と開け放った窓から風が廊下を吹きぬけた瞬間だった。突風に思わず足を止めた兵士の前にトアンが飛び出し、悲鳴を上げられる前に鞘をつけたまま剣を振るう。狙う場所はただ一つ、首の後ろだ。しかし兵士の反応は素早く、剣を抜きながら即座に身を捩ろうとする。──しかしその動きは不自然に一瞬とまり、その隙をトアンが見逃すことはなかった。

 ──メコッ。

 鈍い音がして、鞘が兵士の兜と鎧の間を強打した。兵士が膝をつくとカションという金属の音が鳴る。それは非情に些細な音だが、トアンは兵士が倒れる前にその身体を支え、ゆっくりと廊下に寝かせた。……音が気になることもあるが、気絶したヒトを廊下に倒れさせるわけにはいかなかったのだ。何しろ相手は重い鎧に身を包んでいる。衝撃で怪我をするかもしれないとトアンは考えていたからだ。

「危なかったですわね」

 背中から掛けられた声に振り返ると、隠れているように言ったはずのメルニスが姿を現していた。トアンはそこで、兵士の動きが鈍った理由を悟る。

 ──処刑場へと向かうトアンたちは、階段を降りたところで唐突に兵士に出くわしたのだった。何度か衝突はあったので、トアンは同じように動いていたのだがもう外へと続く扉が目に見えていたので油断をしていた。……メルニスが出てきてくれなかったら、トアンの首はもう胴体から離れていたかもしれない。

「メルニスさん……ありがとうございます」

「お礼を言われることはしてませんわ。その兵士が勝手にわたくしの姿に驚いただけですもの」くすくす、とメルニスは上品に笑い、物陰にいたルノを手招きする。

「ルノ様、もう大丈夫ですわよ」

「……すまない、メルニス。私に戦える力があれば、お前が姿を見せる必要はなかった。……お前は、裏切りものになってしまうぞ。侵入者を手引きしたとして」

「……構いませんわ。わたくしもシアング様を救いたい。けれどわたくしには何もできまいと、お部屋で無力に酔っていたのです。……そうしましたら、あなたたちが来てくれました。あなたたちが来なかったら、わたくしは諦めていたでしょう。……ですから、これくらいのこと、ちっとも厭いませんわ」

 メルニスがルノの手を取ってにっこりと笑った。ルノも、かつて自分の攻撃手段であった魔法を持たないという無力を痛烈に嘆いていたのだろう、メルニスの一言に俯いてしまう。

「私は……」

「ルノ様。お顔をあげてください。……わたくしは、こんなことくらいしかできません。わたくしにできることと、あなたにできることは違います。だからルノ様もルノ様にしかできないことをすればいいのですわ。……シアング様をそこまで信じることができて、お仲間と一緒にこの城に乗り込んできたことだって、ルノ様の成しえた事ですから」

「メルニス……。ありがとう。トアンも、ありがとうな」

 そういってルノは顔をあげてはにかんだ。トアンは剣をベルトにつけながら、微笑みを返す。カチリ、という音と小さな反応を確認すると、トアンは外へと続くドアを開けた。──少しだけ冷たい風が頬を撫でていく。ドアの向こうには、石の回廊が続いていた。

「この先ですわ」

「ああ」

「……ルノさん!」

 走り出そうとするルノの肩を、トアンは掴んでとめた。

「な、なんだ?」ルノが眉を寄せて聞き返した。ルノからすれば、この回廊の先にシアングがいるのだからトアンの行動が不可解であっただろう。加えて、トアンの表情は、自分でも分かるくらい強張っていたからだ。

「どうした、そんな顔をして……」

「ルノさん。オレ、ずっと考えてたんだ。落ち着いて聞いてね」

「……?」

「このままシアングを助けて、何が変わるのかって」

「……え?」

「オレ、思うんだ。……シアングは父親の都合に巻き込まれて、もう諦めてる。諦めちゃってる。そこからシアングを無理矢理連れ出したって、処刑っていう方法から、追っ手がきて殺されるか……自殺に変わるだけかもしれないって、ずっと思ってた」

「は……、何を言ってるんだ? お前は見殺しには、しないだろう?」

「うん、このまま見殺しにはしない。……だからシアングが死のうとするその原因を、なんとかしなきゃいけないって思った」

 ルノが乾いた笑いを浮かべたのを、トアンは極めて落ち着き払った態度で向かいいれた。ルノが不安で、もう切れてしまいそうなほど、可哀想なほど張り詰めているのはよくわかっている。ルノはあまり感情を激しく表さないが、ここ数日のルノの感情の揺れ幅が非情に大きくなっていることも理解している。──だからこそ、自分はしっかりしなくてはならないという意識がトアンにはあった。

(オレがしっかりしなきゃいけない。ルノさんが不安に取り憑かれているなら、オレが支えて、振り払ってあげないといけない。オレまで迷ってたら駄目だ……大丈夫、大丈夫だ)

 ごくん、と唾を飲み込んでから、トアンは真摯な瞳でルノを見据えた。

「……だから、オレは、ゼロリードさんを倒しにいく」一拍置いて、トアンは続ける。

「ルノさんはこのままシアングを助けにいって」

「……トアン……お前、ゼロリードに一人で敵うワケないだろう!?」

「竜たちがくる」

「いつだ? お前一人をそんな危険な目には合わせられない!」

 こんな状況でもトアンまでも心配してくれるルノが、トアンの瞳には儚く映る。

「でもね、ゼロリードさんをとめないと、シアングは救われないんだ」ルノの肩に手を置き、トアンは告げる。

「だからシアングのところへ行くんだ。必ずオレがとめるから。ルノさんはシアングを助けて。」

 これ以上ないくらいキッパリと言い終えると、ルノの顔が悲しそうに歪んだ。不意に、似ているようで似ていない、彼の双子の片割れの表情が浮かんだ気がした。


『……ありがとうトアン。そうだよね、未来は不確定……変わっていくものだからね』


(……そうだ。まだ決まったわけじゃない。オレの目が赤くなることも、シアングが死ぬことだって決め付けてるのは今現在だ。『未来』のことを考えれば、オレは十二年後にも存在しているわけだし、ここで死ぬことはない。けれど未来は不確定……だけど、オレは生きるし堕ちない。堕ちてたまるか。……一週間くらい後にはみんなでまた笑ってる未来がくる。勝ち取ってみせる)

 ぐ、とルノの肩に置いたままの手に力をこめる。トアンは微笑みながら、言った。

「オレのことなら心配しないでいいよ。言ったでしょう、オレはまだ生き続ける。でもみんなはわからない」

「……お前一人で、大丈夫なのか?」

「一人じゃないよ、トトさんがくる。さっきも言ったように、竜もくるんだ。信じて」

「トアン……」ルノは一度だけ目を逸らし、そうしてから再びトアンを見た。その紅い瞳は、じっと内面まで見透かすような光を宿している。トアンは怯えずに見返す。

「甘えていいのか」

「甘えじゃない。仲間なんだから、当然だよ。……ルノさんは大丈夫?」

「ああ。……信じてくれ」ふふ、とルノが笑みを浮かべた。笑うその姿からは、先ほどの消えていきそうな儚さは感じられない。ルノはメルニスに目を向ける。

「メルニス、セイルはわからないと言ったが、お前はゼロリードの居場所がわかるか?」

「わかりますわ。この城の最上階ですの……広場を見下ろしておられますわ」

「ありがとう……ならば、もうお前は逃げなければ。これ以上の関りは、本当にお前にとっても危険だろう?」

「……そうですわね。けれど、わたくしにしかできないことを、もう少しだけお手伝いをさせてくださいませ。トアン様、城の最上階への道をご案内いたします。ルノ様はシアング様を……お願いします」

 メルニスの伏せた瞳から、涙が零れた。本当はメルニスだって共に行動したいだろうに、彼女は自分の心に檻をかけることに慣れすぎている。不憫だと、トアンが声を掛けようと手を伸ばしたとき、メルニスは呟いた。


「……シアング様に必要なのは、わたくしではないのですわ」

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