第37話 影たちとの囁き
「ほらな」
だからこそ、何もかも知り尽くしたようなアークの言葉が癇に障った。振り返った自分の顔がどんなものかは見ることができないが、なんとなく理解することはできた。アークが口笛を鳴らしたからだ。
「なんだよ」
「別に? ああ、やっぱお前もそういう顔できるんだなって。あの村で毒気を抜かれたようなぼけーっとしてるお前を見たときは正直笑っちまったけどな、はは」
「……オレはお前とは違う」
「だよな。俺だったら殴りかかってる」
「……アーク、お前本当に何をしにきたんだ? ただオレを笑いにきたのか!?」
もうほとんど子供の駄々のようだと自覚しながら、ウィルは吠える。──しかし返ってきたアークの言葉はあまりにも意外なものだった。
「……手を貸しにきたんだ」
「手を……?」
「そうだ。お前と俺は違う。でも同じなんだ。……それが確認できただけよかった。もう時間もないんだ」
「なんの話だよ?」
「シアングを死なせる訳にはいかないんだそうだ。……だからお前に助けがいる。俺の力が要るんだ」アークが手を伸ばしてウィルの肩を掴む。
「ハルジオンの命令なんだよ、俺が今ここにいるのは。……でも、俺の意思でもある」
「ちょ、ちょっと待てよ? 話がみえないんだけど」
「頭悪いな」
アークは小声で呟いたつもりらしいが、ウィルにはバッチリと聞こえていた。
「聞こえてるぞ」
「耳はいいんだな……つまりだ。この根を動かすには、俺の力が必要なわけだ。わかるか?」
「あ、ああ」
「俺はお前の憎しみの『影抜き』。お前が守森人であったときの強い力を持って抜け出してきた。だから俺がまたお前の中に入れば、お前はこの感情と力を取り戻せるんだ。……ただし、お前の存在はより歪なものに変わるだろうが」
「歪って?」
「より過去の存在ってのが強調される。ひょとすると、修正されるかもしれないっていう可能性が大きくなるんだ。今はそんなに気にならないから放置されているが、タルチルクって名前だったっけか? あいつがお前を消しに来るかもしれない」
「それでもいい」
迷わずに即答するウィルにアークは目を丸くした。ウィルは負けていた勢いを取り戻すように続ける。
「レインを助けるんだ。そのためにお前の力が要るんだ。……それでオレの存在がとやかく言われても構わない」
「本当に?」
「本当さ」
きっぱりと言い切るウィルの瞳を、アークがまじまじと覗き込んできた。まるで心の内側まで見透かされるようだと錯覚する。しかしウィルは怯まずにアークの目を受け入れた。
「……わかった。なら問題ないな」
「ああ。ってか、ハルジオンの命令ってなんのことだ?」
「予言に関することだ」
「……予言?」
「今まさに、予言を遂行しようとする意志と、予言をぶち壊そうとする意思がこの城で戦ってることになるんだ。シアングを殺す理由を知りたがってたろ? これがそうさ」
「……。」
「まあ、お前にはわからないだろうけど」
「わかんねえけど……」
「余計なことは後で考えろよ。とりあえず、俺はもう準備できてるぞ。……ただ、スノーのみたいに意思を殺したりしてねえから、ハンパなく苦しいだろうな。しかも俺自身にお前に恨みや憎しみがあるし……ま、我慢しろよ」
「するさ!」
「ならいいな」
そういって笑うアークの顔はどこか寂しげで、ウィルは思わず声を上げる。……それは、以前から気になっていた疑問だ。
「『影抜き』は、本体の中に戻ったらどうなるんだ?」
「消える」
「跡形も無く……?」
「どーかな……ああ、まあ些細な意思は残ると思うぜ。小さな良心とか、悪戯心とか。そんなんかな」
「今だって良心も悪戯心もあるぞ」
「たまーに、自分の意思ではないような心の声とか思いつきとか、自分の意思では生まれないようなアイディアとかじゃん? わかんねえ」
「そうなのか……」
「……あ、そうだ。あと夢だ」
「夢?」
「そう。夢だよ。あれってウィル、お前がみようと思ってみれるものじゃないだろ? 今もそうだけど、俺はお前の夢の支配人、守り手、飼い主……色々言い方はあるけどな、それだ。夢の裏側が俺の場所になる……それからお前にとっては名前も戻るぜ、ウィルアーク」
「……アーク、お前はそれでいいのかよ」
「はん、同情なんてするない」ひょいと肩を竦めながら呆れたような顔をしてアークは言った。
「またお前になんかがあれば出てくるかもしんねえし? 元々そういうもんだから、俺たち『影抜き』は。同情なんてするだけ無駄だっつの」
「そう、か」
「気持ち悪いなァ。もういいか?」
「ああ、いいぜ」
ウィルの両肩にアークの手が置かれた。アークがにっと無邪気な笑みを浮かべて見せたかと思うと、その姿はふっと煙のように消えて、ウィルの中に溶け込んでいった。──確かに内部から切りつけられるような痛み、苦痛も感じた。一瞬意識が遠くなるほどだ。……けれどウィルはもう理解していた。これは彼の憎しみとしての感情なのだと。
『あァ、そうだ』
痛む頭の内側から、ぼんやりと曇ったアークの声が聞こえた。指すような痛みに歯を食い縛って耐えながら、ウィルは答える。
(な、なんだよ、アーク)
『……俺さ、アレックスのこと、ほら、チェリカの『影抜き』のこと……結構好きだったんだよなって……。あいつに会ったら、楽しかった、元気でなって伝えて欲しい……』
ウィルの身体に満ちていく力と反比例して、エコーがかかって霞んで消えていくアークの声。それはとても悲しそうな声だった。……『影抜き』である彼が本体を恨む理由が、しっかりとわかる。どう足掻いても、結局は本体のために生きるしかない命。そして伝わってくるアークの記憶。波紋のように広がっていき、ウィルの隅々まで染み渡る。
『どうして俺があんなやつんとこに戻らなきゃいけないんだ? 俺の名前もこの意思も、全部全部俺だけのものだ!』
『……そういうな、アーク。聞いてくれ。ウィルやスノーのためだけではない。アレックスのこともある』
『アレックスが……?』
『彼女の助けになりたいだろう』
──それは、ハルジオンに命令されただけではなかった。いつかアレックスはチェリカに還る意思があるようで、このハルジオンの命に従うことが、結果チェリカの──アレックスの本体の──助けに繋がる、ということまで聞いて、アークは決心したというものだった。
(……オレも、初恋はあいつだったよ。今の本体の方のな。変化する生活が怖くて冷たく接したりしたけど……)
『あほらし』
(オレたちの共通点、またあったな)
『そうだな……じゃあな。精々ガンバレや』
素直ではない一言を残すと、ウィルの心の中にあった小さな異物感──アークの存在は完全に粒子となって消えていった。同時に目には見えない何かが身体の中を血液の流れに沿って凄まじい勢いで駆け巡ってい。ウィルは瞳を閉じて、その衝動に逆らわず身を任せた。
そして再び瞳を開けたとき、体内の変化はとうに収まっていた。ウィルは自分の掌をじっと見つめる。握ったり開いたりしてもまったく違和感はなかった。それから先ほどまでアークが立っていた場所を見る。
「……アーク、本当に消えちまったんだな。もう、いない」
けれど、いる。彼は自分がこの世に生きている限り、まだ生きている。
「……そうか」
ウィルは壁を覆いつくす根に視線を向け、たす、と手を当てた。説得し協力を請うつもりはもうない。──ただ屈服させ従わせる。この根にこちらの意思を尊重するつもりがないのは先ほどわかったので、迷いはなかった。
「オレに道をあけろ。拒否は許さない。……いいな?」
ウィルの声に呼応するように、ゆっくりと根が動き出した。その酷く緩慢な動作はまるで、仕方ないけど動いてやっているという不満タラタラの意思のようだ。ウィルはそれ以上言葉を紡ぐことはせず、根の一部分を掴むと無言でゆっくりと力をこめた。──暗黙の脅しだ。人間相手ではなく植物相手だからこそ悲鳴はないが、並の人間だったらすぐさまに許しを請うだろう。
(オレは本気だっての。一秒も早く動かねえと容赦はしないぞ)
慌てたように根の動きが早くなり、見る見るうちに波のように引いていく。やがて赤レンガでできた小さな扉のようなものが姿を現した。──その中心に、レバーがある。何か文字が書いてあったがウィルには読めない文字だ。ウィルは気にせず、疑いもせずレバーに手を掛け、一気に引き降ろした。
*
「──よいしょっと、うえ、げほ、げほ」
「だ、大丈夫か? こほ、埃がすごいな」
「う、うん、うえっく──……!」
「しー!」
トアンの盛大なくしゃみが炸裂する前に、セイルの手がトアンの口を塞いだ。トアンだってその意図は理解している。……けれども埃が凄まじいのだ。
ウィルたちと別れて地下の迷宮を進んでいたトアンたちは、城の一階、ほとんどヒトの来ない資料室の、その隅の既に使われていない暖炉から這い出ることとなった。相当な年月の埃が雪のように積もっているためトアンとルノは咳き込んでいたのだが、トアンのくしゃみは埃が原因ではない。三人重なるように這い出してきたため、セイルの首元についたファーが鼻をくすぐったからだ。かといってくしゃみをすれば誰か来てしまうかもしれないので、トアンは必死に腕をつねってその衝動をやり過ごした。
「……っぷはあ、ああ、……あ、ありがとうセイルさん」
「いいのよ。でもまったく、気をつけるの」
「……セイルさんの服の所為なんだけど」
ぼそりと呟きながらトアンは体勢を整えるために立ち上がり、背伸びをする。抜け道は暖炉に通じていたため、長い時間窮屈な姿勢をとっていたので体中が痛い。ルノも髪についた埃を払い落としながら、肩を揺すったりしている。
「俺様の? なんで?」
「……ううん、ごめん」
「なんなのよーもう、変なトアン!」
「ご、ごめん……」
「それよりトアン。ここは城のどこら辺なんだ? 地下ではないことは確かだな」
部屋を埋め尽くす本棚の隙間から見える狭い窓を見てルノが言った。窓からは光が細く細く部屋に差し込み、舞い上がる埃を見せ付けてくる。そんな空気の中で呼吸するのが少しだけ嫌なようで、ルノは片手で口元を覆っていた。
「ええと、資料室だって」
城の見取り図を取り出してトアンは答える。長身のセイルとトアンより背の低いルノが同時に覗き込める高さにするのは実は一苦労だ。
「セイル、シアングのところへはどうやって行けばいい?」
「うんとー……そうね、ええと……」
「見える? セイルさん」
「うー、見えるけどわかんないの……」
セイルが顔をしかめ、身を屈めて顔を近づけた。しばらくうんうんと唸ってから、よし、と手を叩く。そして叩いた後にきょろきょろと周囲を見渡して、誰もいないことを今更ながら確認していた。ルノが焦れたようにセイルの服を引っ張った。
「どうなんだ?」
「ええと、あのね。とりあえずここから出て……ちょっと遠回りになっちゃうのよ。処刑場まで最短距離でいくと一番警備がすごいとこ、ほら、玉座の間に続く階段の前とか通るから、迂回してぐるーっといくの」
褐色の指が図面の上を踊った。トアンはセイルの指の動きを目で記憶する。──資料室から処刑場とは逆に廊下を抜けて、二番会議所と第三休憩所の前を通って第四階段と書かれた階段を下り、外へでる。外へでたら回廊を渡って処刑場へと向かうわけだが、この道のりが長い。──兵士との遭遇は、きっと避けきれない。
トアンはちらりとルノとセイルを窺った。二人とも表情は硬いが、どこか安堵している。しかしトアンは口元を引き締めたままセイルに訊ねる。
「……セイルさん」
「なあに?」
「ゼロリードさんはどこにいるの?」
「おとうさん……? どうして?」
「うん……えっと、ほら。やっぱり位置がわかれば、少しは安心できるし」
「なるほど……でもねトアン。俺様、おとうさんがどこにいるかわからないのよ」
「謁見室か、玉座の間ではないのか?」
「違うの。……今までだったらその二つか、後宮にいるの。でも今はわからないのよ」
「こ、後宮……」
ルノが呆れたように呟くと、セイルが大真面目に指を立てた。
「後宮っていうのはね。奥さんがたくさんいる場所なのよ」
「知っている」
「ええ? すごいの、ルノちゃん。俺様は最近意味教えてもらったんだけどー、なんかすごいのよね、たくさんって」
「……そ、それは、意味を分かっているということになるのかセイル」
珍しいルノのツッコミに、セイルが首を傾げる。その二人の様子にトアンが苦笑した──その時だった。突然セイルがピクリと耳を動かし、し、と囁く。トアンとルノが身をすくめると、ぱたぱたという足音が近づいてくるのがわかった。そして足音は資料室の前で止まる。
「……どうするの、トアン」
ルノを庇うように一歩前に出たセイルの手は、すでに双剣に掛かっていた。トアンも一瞬だけ考え、すぐに剣に手を伸ばす。それが答えだった。……しかし。
「セイル……様ですか?」
扉の前から遠慮がちに囁かれた声に、トアンは聞き覚えがあった。
「……セイルさん」
トアンの呼びかけとほぼ同時にセイルが剣から手を離す。ルノも目をパチパチと瞬かせていた。
「今の声は──」
「……うん」
セイルがこくんと頷き、ドアの方を見た。声の主はそれが了解だと感じたようで、ゆっくりとドアを開ける。半分だけあけたところで身体を滑り込ませ、手早く鍵を掛けた少女は──メルニスだった。メルニスは振り返ってトアンたちを見ると、嬉しそうに顔をほころばせる。
「セイル様! ……それに、トアン様、ルノ様もお久しぶりでございます。……先日は、その……」
「いや、いい、謝るな」
トアンより先にルノが慌ててメルニスの言葉を遮った。メルニスの謝罪は、トアンたちを以前ゼロリードが殺そうとした際にとめることができなかったというものだろう。……そんなことはもう済んだことだ。いまさら穿り返す必要はない。
「ありがとうございますわ」
「気にするな。……メルニス。お前、私たちに気付いて捕らえにきたのか?」
「いいえ、そのようなことは! ……さきほど侵入者があったと兵士たちが騒いでいたので、わたくしもお部屋を出て参りましたの。わたくし、こう見えても鼻が聞くんです。どこか懐かしいにおいを追って兵士から隠れながら廊下を歩いて、そうしましたらセイル様のお声がしたので……」
「ルノちゃん、メルニスはチクッたりしないのよ。……メルニスもね、シアングを死なせたくないっていってたから」
「そうなのか……すまない、疑ったりして」
「いいえ、わたくしの方こそ申し訳ありません」
ぺこりと頭を下げあうルノとメルニスを見て、トアンとセイルは顔を見合わせた。一拍置いてから、トアンはメルニスに問う。
「メルニスさん、あの、侵入者についての情報ってどうなってますか?」
「侵入者についてですか? ええと……地下から侵入した後二手に分かれて……ああ、そうですわ。つい先ほどですが」メルニスの声が引き締まった。トアンはツバを飲み込んで続きを待つ。
「地震がありましたの。震源は十三の封印の間から。……城内は今、大混乱していますわ」
*
ゴゴゴ、地鳴りのような音を立てて老朽化した石の壁がスライドしていく。もうもうと立ち込める煙の向こうから、良く通る声がウィルの耳に届いた。
「先生! 無事ですか!」
「おートト。オレは全然平気だよ。お前とユーリは大丈夫か?」
ぱたぱたという足音と共に煙の中に人影が浮かび、影からすぐに心配そうな顔をしたトトが飛び出してきた。肩に乗ったユーリも一緒だ。彼らの無事を確認して、ウィルは一息つく。
(アークと喋ってた時間、結構長かったと思うからなあ。よかった)
「……先生、風邪引きますよ?」
「え? あ、あー……そういやズブヌレだったわ」
「どうしたんですか、ぼうっとして」
「ん? いやー。何でもねえよ」
ちょっと過去を受け入れてましたなどと言えるはずもない。ははは、と笑って誤魔化しながら、ウィルはトトに指摘されていまさらながら寒さを感じた。すかさずトトが鞄の中からハンカチを差し出してくれる。
「小さいですけど使ってください」
「お、サンキュな」
「いいえ……あの壁が動いたのは先生のお陰ですか? 先生を危険な目に合わせるくらいだったら俺がいきますのに」
「ん? あー、まあな。そのレバーがスイッチだったみたいだよ。てかトトが先に来ても意味なかったぞ。第一、オレもトトに危ないことさせるわけには……っとと、とにかく、オレの力がないとレバーは動かせなかったしさ。気にするなよ」
トトから借りた小さなハンカチはすぐにびしょびしょに濡れてしまい、ウィルはそれを絞って少し拭き、また絞るという行動を暫く繰り返して、結局手だけ拭いて終わりにした。トトに返そうかほんの少しだけ迷い、洗濯してから返すことにしてポケットにいれる。
……一連のウィルの行動を見ていたトトが、ほっとしたような息をついた。
「……ん? どうした?」
「え!? あ、いや……さっきまで先生、すごく焦ってましたから。何か落ち着いてるなあって……それで少し安心しました」
「ああ、ごめんごめんトト。もうレインの居場所はすぐだろーし……それにちょっと色々あってさ。自分でも不思議なくらい落ち着いてるよ」
ははは、と軽く笑って、ウィルはよしと立ち上がった。先ほど操作したレバーの下にあった小さなツマミを左から右に動かした。ほとんど無意識な動作だったが、自分ではない誰かが教えてくれているのだと知っているので恐れはない。トトが不思議そうに手元を覗き込んできたので安心させるように親指を立て、さらにその下にあるカバーをスライドさせた。中にある無数のツマミを、指が勝手にいじっていく。
(これもアークの意思か? いや違うな。あいつが消えるとき、この操作のことをずーっと考えて、強く強く考えて、オレに残るようにしてくれたんだ)
ズズズ……ウィルとトトの正面の壁が左右に開いていく。ウィルは壁から手を離し、埃の立ちこめる進路を睨み付けた。ゴーグルを外し、暗い廊下を視界に映す──新たに開いた進路は今までの地下道の様子とは明らかに異なるものだった。一言で言えばさらに陰気臭い。迷宮から一転し、まるで──地下牢だ。風もないのにゆらりゆらりと揺れる、等間隔にある松明の灯りが薄気味悪い。
「この奥なんですね……あ、ユーリ!」
「ぴゅい!」
てん、とトトの肩から飛び降り、ユーリが通路の奥に一目散に駆け出していく。ウィルとトトも慌てて後を追い、暗い道をただ走り、そして──不意に視界が開けた。
「……なんだよ、これ」
ウィルはカラカラに潰れた声で呟く。まず、部屋は正方形の形をしていた。ウィルたちが出てきたところは吹き抜けになっており、部屋に満ちる不気味な青白い光が中央に吊るされた巨大な鳥かごを暗闇に照らし出していた。
「先生、あれ!」
錆びた手すりから身を乗り出してトトが指を指す。……指されなくても、ウィルももう見ている。知っている。それでもトトの隣に立って、彼の指の先──鳥かごの中を見た。鳥かごの底には不思議な魔方陣が描かれており、紋様の縁から青白い光が部屋に立ち込めていた霧の中をぼんやりと縫っている。光は空中を彷徨い、霧に紋様と同じ絵柄をゆらゆらと映し出していた。……その中央に倒れていたのは、レインだ。間違えるはずもない。足枷で魔方陣の中央に繋ぎとめられていた。
「……レ、レイン、レイン!」
うつ伏せのままいくら呼びかけてもピクリとも動かないレインに、ウィルは胸の内側がざわりと撫でられる感覚がした。鳥かごは天井から吊るされているうえウィルたちの位置からは手は届かない。ユーリが忙しなくウィルとトトの足元を走り回っている。ウィルは気にする余裕も無く、手すりから精一杯身を乗り出して叫び続けた。
──アークとの和解によって得られた安堵も、既に消え去っていた。
「ど、どうしましょう、鳥かごを落とせばレインさんにも衝撃がいきますし……」
「レイン、聞こえてんのか!? おい、生きてるんだよな!」
「先生……」
「なんか反応しろよ、頼む、してくれよ……」
「……っ、先生!」
がつん、という強い衝撃に思わずよろけ、ウィルは手すりにもたれかかる。視線を動かせば、トトがこちらを睨みつけていた。じんと痛む頬に、いまさらながら殴られたのだ、と教えられる。
「……トト」
「落ち着いてください、先生。レインさんはまだ生きています。生きているはずです……。死んでいるなら、死体はとうに処分されてるはずです。あそこ、見てください。食事が置いてあります。ということは、まだ息があることを確認するヒトがいるということです。……足枷も、死んでいるなら逃げ出さないように戒める必要もありませんし」
「……あ」
トトの言葉によって、少しずつ握りつぶされそうだった心が解されていく、と、かくりとトトが頭を落とした。
「あの、殴ったりしてすいませんでした」
「え」
「代わりに俺を殴ってください」
「……え、いいよ、顔あげろって。その……オレがまあ、取り乱したわけだしさ。ありがとなトト」
「いえ。……先生がそれだけレインさんを想っているっていうことですし」
顔を上げてトトが微笑む。すぐに揺れてしまう自分と比べて、真っ直ぐに全てを見つめようと構えるトトが少し羨ましくなった。ウィルは手すりから離れ、槍に手を伸ばす。
「まあな。あいつがオレの居場所で、オレがあいつの居場所だからさ」
「居場所……。」
「本当にありがとな、トト。お前みたいなやつが仲間にいてくれて良かったよ。……オレ、大人ぶっててもまだまだ子供っぽいとこあるからさ」仲間でよかった、と告げるとトトの顔があまりにも嬉しそうになったので、ウィルはつられて笑った。
「ちょっと待っててくれ。今レイン連れてくるから」
「駄目です!」
「あ?」
「あの青い光、すごい嫌な感じがします」
「……でも、それでもあいつを助けるためにオレは来たんだぞ」
「ですからもう少し考えないと……大体どうやってあの鳥かごまで行くんですか」
「こうやってさ!」ウィルは懐から取り出した小さな種と手すりに撒きついていた植物の蔦を右手で掴む。と、掌の中から緑の光が幾重にも重なりながらあふれ出てきた。──次の瞬間、男の腕の太さほどに爆発的に成長した蔦が勢い良く伸びて鳥かごに絡みつく。その蔦を手にし、手すりの上に立ったままウィルは言った。
「あの魔方陣、十三重の円の変な文字列が一列に並んで光ってるんだ。そこが一番光が強い。それ以外はそんなに光ってないみたいだ。だから、そこさえ気をつければなんとかなるさ」
「先生」
「いい子で待ってろ、な」
答えは聞く必要がなかった。ウィルがぐいと蔦を引くと、逆に強い力で引っ張られ、身体が宙を飛ぶ。
(よし……!)
そのまま空中で方向転換し、蔦に導かれるまま鳥かごの中へ無事に侵入する。床は一面に魔方陣が描かれているので、慎重に何もないところを渡ろうと考えていたが──もうそんな余裕は無かった。ウィルは躊躇無く魔方陣を踏み越えてレインの元へ駆け寄ろうとし……そして光を踏んだ瞬間、ジュ、とブーツが焦げる音を聞いた。
「なんだこれ!? ……ってえ!」
叫んだ直後に感じた痛みに、焦げていたのはブーツではないとウィルは悟った。
(オレの足だ……! くそ、どういう理屈か知らねえけど、ブーツを抜けて足の裏が直接焼かれた……まさかこれ、闇の魔力を持つもの以外を拒むようにできてやがんのか?)
もう間違いはない。この火傷の痛みだ。熱された鉄板の上を素足で歩いているようなものだ。ウィルの考えは推測の域を出ないが、ウィルは自身は納得した。
「先生……っ」
トトの不安そうな叫びが耳に届いた。ウィルは一度ぎゅ、と瞼を閉じると苦痛を隠し、トトの方に振り向いてニカッと笑って見せた。
(ここで怯えてちゃ意味ねえんだ!)
ウィルはぐっと親指と立て、次の瞬間に光の上を走りだす。脳天を突き抜けるような痛みが襲い掛かったが、決して立ち止まることはせず、魔方陣の中心に伏せているレインの元に向かう。すぐ傍まで駆け寄ると、ウィルは槍を振り上げ、レインの足枷を粉々に破壊した。
──ブゥン……ブン……。
不気味な虫の羽音のような音が部屋に響き、徐々に薄れていく。音と共に光が炎のように空を舐めたかと思うと、ゆっくりと明滅し、そして収まっていった。それと同時に鳥かごはゆるやかに下降を初め、音も衝撃も無く床に着いた。
「……レイン」ずしゃ、と鳥かごの床に膝をつき、ウィルは力なくレインの肩に手を置いた。足の裏の痛みが酷い。けれども残っていた力でレインの身体を仰向けにし、胸に顔を押し当てた。──コトリ、コトリという心音に、安堵の息が零れる。
「よかった……よかった、生きてる……」
──久しぶりにレインの顔を見た気がする。……酷い顔だ。唇は罅割れているうえ顔は青白い。今のレインは瞼の血管が見えるほど顔色が悪いのだ。ぐったりとして動かないレインの顔をじっと見ていると、ぴくりと瞼が痙攣した。睫毛が震える。
「……レイン」
うっすらと朱色と紫のオッドアイが見開かれていく。ガラスのような瞳に自分の顔が映ってようやく、ウィルは自分も酷い顔をしていることを知った。
「……ウィ……ル?」
レインは、声も唇のように罅割れていた。村に居た頃のレインとは全く違う……初めて出会ったときのような、おぼろげな存在感。
「大丈夫か?」
「お前こそ……大丈夫なのか……? 封印は……?」
「わからない。けど、足枷を壊したら光も消えた」
「……お前が壊したのか」
「オレ以外に誰がいるんだ……ホントに心配したんだぞ、オレは!」
思わず声を荒げたウィルを、驚いたようにレインが見つめてくる。……ウィルの瞳から涙が零れたからだ。雪のように真っ白な冷たい手を伸ばし、レインがウィルの頬に触れた。
「どこか痛いのか?」
「痛いけど! 違うよバカレイン」
「バカっていうやつがバカなんだよ……」
「お前だって普段散々……っ」
再び涙声でウィルが叫びかけたとき、レインまでもが泣きそうな顔をした。
「……悪い、ウィル。心配かけた」
「……え? う……」
「オレ、封印解いたんだ。全部、十三の封印を……」
「そ、そうなのか? ……ああ、だから文字列が並んでいたのか……」
ウィルは先ほどみた光景を思い出す。この封印は、十三重のダイヤル式の鍵のようなものなのだ。
「……封印されていたモノ、見たんだ」
「……え?」
ほろり、レインの瞳から涙が零れ、こめかみの方へ流れていく。
「ここに封印されてたのはシアングの母親だ! ……母親はもう死んでる! もうとっくに干からびてるんだ! それなのに、あいつの父親はそれに気付けない……シアングはもう真実を知っている、知っているのに……ッ」
「……ちょ、ちょっとまてよ」
まだウィルの心は晴れ渡ってはいなかったが、そこに拘り続けるほどもう子供ではない。ウィルの頭はぐるりと回転し、記憶の中からこの封印についてセイルの言っていたことを引っ張り出していた。
──おとうさんがおかあさんを喰わないように、閉じ込めたのよ。
(確かにセイルはそう言っていた。……ゼロリード自らが封印したんじゃなかったのか? もう死んでるって……どういうことだ?)
──確かなのよ。十三の封印の最後の最後に使うエネルギーをつくる為に……おとうさんはシアングを処刑するって……。
「レインがもう封印を解き終わって、しかも奥さんは死んでて……じゃあ……シアングを処刑する意味ってなんだ?」
「シアングは……知っていた」
「知ってた?」
「もう母親が……カナリヤがとうに死んでいることを。ここに封印されていたのが死体だってことを……」
「真実って……そのことか?」
こくり、とレインが頷く。ほろほろと静かに零れる涙を左手で優しく拭いながら、ウィルの右手は頬に添えられたレインの手に重ねられたままだ。……ウィルの涙も、まだ流れていたからだ。
「シアングの親父は狂っている。シアングはそれを、自分の所為だと言った……最初の食事はあいつが運んできて、その時色々話を、した。……今は、磔にされてんだろ?」
「オレはまだ見てないけど……。それもシアングが言ってたのか」
「そうだ。それでもシアングは、父親の狂気を覚ますために……。」
ふと、ウィルの視界に、砕かれた足枷の鎖が入ってきた。──もう原型を止めてはいないが、その破片には焼き焦げたような跡があるのが見えた。
「この鎖……」
「シアングが、魔法で焼き切ろうとした──ウィルの元へ帰す、まだ間に合うからって。あいつ、オレを助けようとしてくれたんだ」ひく、とレインがしゃくりあげた。ウィルは自分の涙を強引に拭って、レインを強く抱きしめた。──泣くなよ、とは言えなかった。せめて安心できるように、ただそれだけ。
「伝え……ねぇと。ゼロリードに。封印は解けた、アンタの愛したヒトは、もう、いないことを……! シアングを殺させないでくれ、あいつは死ぬ気だ。もう何を言っても、自分が死ぬことの上でしか物事を考えられてない! ……そんなの駄目だ、ルノは耐えられない……」
「……ルノ?」手に力をこめて、ウィルは続ける。
「……なあレイン、一つ、聞いていいか。どうしてレインはそんなにシアングに構うんだ? 一年前もそうだった。……こんなときに何言ってるんだ、仲間だからあたりまえだって言われたら、それまでなんだけど……」
「……、オレは……。」
涙に濡れた声で告げられた言葉に、ウィルは目を見開いた。
「オレは……ルノとシアングには、間違えて欲しくなかった……。」
「間違い……?」
「あいつらは、一緒にいるのが一番いいんだ。オレの意見の押し付けじゃなく……もうそれが『自然』になってたから……。オレは間違えたほうの人間だ。オレは、アルライドと道を違えた」
まさかここでアルライドの名前を聞くことになるとは思わなかった。しかしほんの少しの動揺でも今のレインには見せられないとウィルは平常を装い、続きを促した。
「でも、オレはそれでも平気だった。お前がいたから、ウィルがすぐ傍にもういてくれてたから、オレはまた、歩き出せた……けどあいつらはムリだ! 長く居すぎた。互いが互いを本当に支えてることに本人たちがまだ気付ききれてない。互いが互いを本当に必要としていることを、自分の心の中にまだ見つけられない……それに、オレみたいになって欲しくなかった。あいつらが一緒にいることが、オレの望みだった……死別だなんて、駄目だ」
「……そう、だったのか……。」
全くの見当はずれをウィルは考えていた。そのおかげで咄嗟に言葉が出てこなくて、レインの睫毛の上で涙の粒が転げるのを暫く見つめていた。
「……頼む」うう、と嗚咽を漏らし、レインが囁く。
「あいつらを──引き離さないで」
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