第35話 嵐の前触れ

「……俺様だって信じられなかったけど……。でも、メルニスが言ってたの、確かなのよ。十三の封印の最後の最後に使うエネルギーをつくる為に……おとうさんはシアングを処刑するって」

「……。」

 セイルの言葉に、絶句、という表情をルノが浮かべた。トアンも頬の筋肉が不自然に固まるのを感じる。恐らく自分も強張った顔になっているのは間違いなかった。その場にいた全員の視線の中心にいたセイルは若干気まずそうに身動ぎしたが、決して逃げ出そうとはしなかった。

「……本当なのよ」誰かに真偽を問われる前にセイルが呟く。

「俺様、嘘は言ってないのよ。現に、お城の入り口の傍の広場にはもう『準備』ができてるの」

「……シアングはそれを了解しているのか?」ルノの声は乾いていた。

「受け入れるつもりなのか?」

「うん。……どういうつもりかわからない。けど、シアングは抵抗しなかった。全部全部、オレがやるって言って、そのまま……。俺様はシアングがどうなろうと構わないけど、でも、みんな寂しいでしょ、嫌でしょ? それにさっきも言ったけど、封印は闇の魔力でしか解けないの、だからスノーを使おうとしてるの……このままじゃスノー、きっと死んじゃう。……それに、シアングも」

「だ、駄目だよ!」我慢できず、トアンは叫んでいた。

「兄さんもシアングも、それ、ゼロリードさんの都合の話に巻き込まれてるだけじゃないか! それで死ぬなんて……そんなの駄目だ、駄目だよ」

 トアンの言葉にウィルが頷く。ウィルはしっかりとした声でセイルに言った。

「……セイル、お前がここにきたってことは、まだ間に合うんだろう?」

「う、うん」

「連れて行ってくれ。とめるから。……早い話が、お前もシアングが心配なんだろ。レインだけじゃなくてさ」

「お、俺様は──」

「いがみ合いとか、憎しみ合いとかは今はおいとけよ。シアングが生きて帰ってきたら殴り合いでもすればいいじゃん……ってのはオレの勝手な考えだけどさ? とにかくレインもシアングも助けよう。な」

「……う……うん」

「ルノも、いつまでも固まってないでさ。行くだろ?」

「も、もちろん」

 はっきりとした答えだったが、そういったルノの顔は蒼白だった。泣きそうに紅い瞳が潤んでいる。トアンがそっとルノの手を取ると、白い手はかすかに震えていた。

「……ルノさん」

「……ゼロリードが、シアングを殺すわけがないと思って安心していたが……間違いだった。どんな理由をつけたって、あの父は実の子を殺すのだな。傷つけることを厭わないのだから」

「ルノさん──とめれば、未遂だよ。大丈夫、まだ間に合うよ。さっきはオレも感情的に叫んじゃったけど、まだ間に合うんだから」

「トアン……」

「ね、ウィル?」

「ああ。安心しろルノ」

「……ウィル、身体はもう平気なのか?」

「ん? あー……ちょっとクラクラするけど平気さ。じゃ、もう行こう。……トト、お前もいくだろ?」

「え、あ、はい!」

 不意に話をふられたトトがピシリと身構える。ウィルがふっと苦笑して手を振った。そのトトとウィルの周りをセイルがぐるぐると回って話しかける。トアンとルノも顔を見合わせ、セイルの傍に寄った。

「ねえねえ、ベルサリオまでどうやっていくの? ハルティアは使えるかどうかわからないし、俺様の力でもちょっと難しいのよ」

「あっちから飛ぶことはできたのに?」

「塔のときのこと? ……あのときは一か八かだったの。危ない賭けだったのよ。そう何度もトトを危ない目には合わせられないもの……」

 トアンの問いに即座に首を振るセイル。その様子にウィルの肩が落ちたのがハッキリとわかった──けれども、トトが凛とし顔を上げると雰囲気が一変する。

「俺の指輪で行きましょう。湖から入ってフロステルダまで。……セイル兄ちゃんの力より危険は少ないし、何より場所も確定できます。……ベルサリオの先の谷ではなく、もう少し先までいきましょう」

「……ど、どういうことなの?」

「俺が水中のゲートまで連れて行く。だから兄ちゃんは、ゲートの先を変更して欲しいんだ。普通になにもないところから飛ぶより安全でしょう?」

「あ、なるほど……わかったのよ」

 ポン、とセイルが手を叩いた、その時だ。突然バサンという羽音が部屋に響いた。トアンは驚いて顔を上げると、ガラス戸の向こうに翼を広げた大きなシルエットが映る。

(……まさか、チェリカ?)

 その考えが過ぎった一瞬でトアンの心は高鳴り、膨れあがった。トアンは駆け出すようにガラス戸に手をかけ、誰の了解を待つまでもなく開け放つ──最も、誰もとめようなどと思っていなかったが──そして、目を丸くした。


「やあ、久しぶり」

「ふふふ、変わらないわねぇ」


 ──外には、雪降る空の下、茶色の天馬に乗ったキークとアリシアがいたのである。



 *


「……え? な、なにしにきたの……?」

「おいおいトアン。一年以上ぶりだというのになにしにきたのとは酷いじゃないか」

「あら、ウィル。久しぶりね」

「あ、どうも……」

「ふん」

 偉そうに鼻をならし、キークはアリシアを抱えてひらりと着地する──が、どうも足を変に曲げていたらしい。鈍い音がしてキークが崩れ落ちた。アリシアはさして気にした様子もなく、呆然とする一同にお辞儀をする。

「こんにちわ、それから初めまして。わたしはアリシア。トアンとレインのお母さんよ。こっちはキーク。二人のお父さん」

「あ、あの……キークはいいのか」

 恐る恐るルノが口を開くと、アリシアは花が咲くように笑う。

「いいのよ。いつものことだもの。この人、運動神経が鈍いくせに頑張ろうとするのよね。そうそう、この前も洗濯前のパンツに──」

「アリシア! それ以上言うな!」

「あら……。ごめんなさい」

 ころころと笑うアリシアと顔を赤くしたキークの二人は、一年経っても全く変わっていないようだった。トアンは安堵し、そしてこっそりと落胆のため息をつく。両親に会えたのは嬉しいが、期待した分の反動が辛かった。

「……ねえ、父さん、母さん。オレたち、今から旅立つところなんだけど……本当に何しに来たの」

「ああ──そうだ。レインはいるかい?」

「いません」

 トアンの代わりに答えたのはウィルだった。

「いない、とは?」

「……心繋ぎで、ベルサリオに向かいました。ちょっとした喧嘩です。今から連れ戻しに行くところです」

「なん──」

「あなた。……ウィル、喧嘩なんて嘘つかなくていいのよ?」キークの口を塞ぎ、アリシアが心配そうに目を細めた──アリシアはウィルの心の傷にも気がついていたのだろう。ウェーブのかかった髪を冷たい夜風になびかせながら続ける。

「わたしたち、わかってるの……レイン、闇の魔力が必要だから連れて行かれたんでしょう。ううん、あの子の意思で」

「!」

「……少し前だけど。わたしも襲われたの。見たこともない魔物たちに──彼らが言ってたわ。わたしの力が欲しいって。……でもわたしを追うのをすぐに諦めたの。まるで、狩りする獣が初めからムリだとわかっていて、もしくはもっと確実な獲物がいたから切り替えたように……。」

 アリシアの言葉を聞いて、今更ながらトアンはあ、と声をあげた。

(──夢だ。オレが見た、ああ、チェリカのことで全部ふっとんでた! あれも、ここじゃないどこかで、過去に起こっていたことなんだ!)

 愕然とするトアンに、キークが目線を合わせてきた。知っている、だが気にするな、そんな優しい目だった。それが余計にトアンを打ちのめす。

「だからわたしたち、急いでここに来たの。場所は知ってたけど少し遠くって……だから遅れてしまった。けれど、レインはもう行ってしまったのね」

「……はい。約束があるっていって……。」

「ねえ……ウィル。レインのことだから、あの子、きっと、その約束に何かを賭けてると思うの」

「え?」

 あまりにも意外なアリシアの言葉にウィルがきょとんとした。

「多分よ? ……多分、あなたもこの幸せな環境も放り出してまで行ったレインは約束を果たす代わりに『何か』を賭けてるの。あの子、ただ友達のためだけだったら絶対迷いが生まれてるわ。その迷いをあなたは見つけて、逃がさないはずよ」多分、と言いながらもアリシアの瞳は確信に満ちていた。

「……それなのにレインは行った。……何故だと思う?」

「何を賭けてるっていうんですか?」

「……。その前に、ごめんなさい。トアン、ルノ、それから初めましてのトト」謝罪と名指しされたトアンとルノ、トトは驚き、顔を見合わせる。

「あなたたちの旅──世界中の精霊が見て、噂する旅路。精霊の声はわたしにも聞こえてた。わたしの耳にも届いてたのよ、あなたたちの旅が。それで思ったの。レインが賭けているものは──きっとシアングの自由よ」

「自由?」

 ルノが繰り返す。アリシアは頷いた。

「そう。シアングの身体と、意思の自由。……レインはルノ、あなたとシアングに、これ以上気持ちに嘘を付き合って欲しくなかったんだと思う。あの子、アルライドを失ったときに……いえ、これ以上わたしがペラペラ喋るものではないわね」

「私の……嘘……。」

「……今だから告げておこう」場の雰囲気を切り替えるようにキークが口を開いた。

「一年前、私の城が崩れたあの時の原因だ。……ルノ、お前にはきっと辛い。聞きたくなければ耳を塞ぎなさい」

「……聞く。話して欲しい」

 そういって背筋を伸ばすルノを見るのが辛くて、トアンは一度目を閉じ──そしてその横に立って、手に手を重ねる。一瞬びくりとしたように跳ねた掌が、そっと絡められた。

「……トアン、ありがとう」

「ううん。……それで父さん、原因って?」

「ああ……結び目を解いたのはシアングだ。彼が強引に焼ききったのだ。あの時私たちが死に掛けたのも、彼によるものだった」

 やはり、というべき言葉だった。念を押した通りだ。今こうして聞くからこそトアンは冷静に受け止められたが、一年前のあの場で聞かされたら確実に取り乱すか、疑心暗鬼を抱いていただろう……ルノの様子をちらりと見るが、伏せた顔に掛かる銀糸がその表情を隠していた。

「でも……父さん。結局シアングはオレたちを殺さなかった。その後もチャンスはあったのに」

「……彼自身迷っていたのだろうな。でなければ、もっと徹底的に破壊していただろう。……彼の殺すべく対象が『ルノ』だとは思える。けれどシアングはルノを助けている。……迷い続けて、しかし彼なりの目的があり、そのためにレインを招いたのだろうな」

(シアングの目的……)

 正直なところ、トアンにはさっぱり検討もつかなかった。何故わからないのか。些細な悩みではなく、もう表面で動き出しているものだ。それなのに自分はわかならない、推測もできない……一年前は仲間だったくせに。

 知らず知らずのうちに力が入りすぎていたのだろう、右手にじんとした痛みが広がった。忘れていた。もう右手は今までのような全体を覆うグローブではないのだった。指の先は出ているので、伸びた爪が革越しに強く圧迫してきたのだ。

(ルノさんも何も言わない。わからないんだ……ううん、違う。シアングが塗り固めて隠していたからだ。だからオレたちにはわからない。でも、兄さんやチェリカは、きっとわかることなんだろう)

 悔しくて歯がゆくて、トアンが唇を噛んだときだった。幼い声が、沈黙を破った。


「……シアングお兄ちゃんは、お父さんとお母さんを助けたいの」


 トアンの掌に小さいそれが重なった──コガネだ。コガネは白い息を吐き出しながら、アリシアとキークを見て、それからトアンとルノを見た。ルノはまだ顔を伏せたままだったが、ウィルに促されて顔をあげる。

「コガネには聞こえたの。シアングお兄ちゃんが言ってた。……シアングお兄ちゃんは、お母さんを助けて、お父さんをもとにもどしたいって」

「もとに戻す?」

「……うん。変わっちゃったんだって。だから、戻したいって。トアンお兄ちゃん、ルノお兄ちゃん。お願い、シアングお兄ちゃんを助けて。レインさんだけじゃないの、二人とも助けてあげて……」

 コガネの瞳がうるりと潤んだと思ったら、次の瞬間には大粒の涙がふっくらとした頬を伝って零れ落ちた。ウィルがさっと自分にコガネを引き寄せて、頭を撫でてやる。トアンは力をこめていた掌をあけ、ウィルと一緒にコガネの頭を撫でてやった。

「……うん、コガネ、安心して。オレとウィルと、ルノさんとトトさんで、絶対に二人を助けるから」

「絶対よ?」

「うん。……父さん、母さんはこれからどうするの? ここにいてくれるの?」

「……いや。私とアリシアは焔城に行かなければ。……事態がどこまで広がっているかわからないからな……最初から決まっていることかもしれないが」

「……え?」

「すまない。この子たちの面倒を見てやりたいが、もう行かなくては」何かに急かされるようにキークはアリシアを天馬に乗せると自らも跨り、トアンを見た。

「また会いに来る。では」

「トアン、それじゃあね。……みんな気をつけて」

 力強い羽音を残し、キークとアリシアは雪降る空にあっという間に舞い上がっていってしまった。

 あまりにも焦っていたキークの様子にトアンは暫く呆然と見つめていたが、ウィルに肩を叩かれてはっとした。

「トアン、行こうぜ」

「ウィル……」

「アリシアさんが言ってたこと、言いかけたこと。多分、本当にオレの推測だけど、多分真実だと思う。レインのことも、キークさんが言ってたシアングのことも……それから、コガネの言ってたことも。全部きっと真実なんだ。でもまだ繋がらない。ここから先は、本人に聞くしかない。その前にまず二人を助けないとな」

「……でもウィル。父さんと母さんの様子、やっぱり少し気になるんだよ。決まっていたこと、っていうのも」

「ま、考えこむのは後でもできんじゃん?」

「そうだけど……。うん、そうだね。今は余計なこと考えちゃだめだね。コガネとも約束したし」

「そういうこと。……コガネ、トルティーと待ってるんだぞ」

 ぱたぱたと駆け寄ってきたトルティーにコガネを預け、ウィルはセイルとトトを手招きした。トアンはルノを見る。……ルノは、驚いたことにしっかりした表情だった。

「……私の心配か?」

「え、あ、……うん」

「大丈夫だ。……そうだ。殺すチャンスはいくらでもあったんだ。それでもシアングは私たちを殺さなかった……。信じよう」

 それはルノが自分自身に言い聞かせるような言葉だったが、トアンは頷いた──しっかりと。


 *


「……対応が遅すぎる」

 純白の円卓を囲む五つの人影。そのうちの一つ──頬杖をついたテュテュリスがたった今の発言をした者へと目を動かした。目線の先にはヴァイズがいた。円卓に空いた席は二つ。

「お主が偉そうに文句を言っても仕方なかろう」

「そもそも貴女が」

「胎教に悪い、怒鳴るでない」

「ぐ……っ」

「ははは、怒られてるネ、だッさいネ」

「フォルテ……火に油」

「あう」

 くすくすと笑い声をあげる少女を眠そうな青年が制した。青年はずれた口元のマフラーを巻きなおし、目の前に出された紅茶を飲む。

「……おや、ハスター。眠いのか? 寝ていても良いぞ」

「ハスターは寝たら起きないネ。テュテュ、甘やかしちゃだめネ」

 ハスターと呼ばれたマフラーの青年を、少女が小突く。少女の名はフォルテ。フォルテは聖風竜、ハスターは地零竜。円卓を囲んでいる五人のうち四人は竜である。

「まったく……少しは静かにしろ、貴公たち」

「アンタがそもそもの原因ネ」

 呆れたようにヴァイズが宥めても、フォルテの忍び笑いは消し去ることができなかった。テュテュリスが二人のやり取りに笑い、危なっかしい手つきでポットから紅茶を注ぐ。──この城は焔城だが、今この部屋にはリクはいない。メイドもいない。完全に人払いがしてあるので、茶が飲みたければ自分で淹れるしかない。しかしここにいる竜たちの立場はとりあえずは対等であるので、テュテュリスは自分の分ともう一つだけカップを手に取る。……と、手が伸びてきた。ハスターだ。

「テュテュ、ぼくやる」

「む?」

「赤子がいるんだろ、何かあったら大変だ」

「そこまでわしは箱入り娘ではないぞ」

「……お茶、淹れたことほとんどないでしょ」

 ハスターの目深に被ったニット帽についた缶バッチが光った。そういうハスターの指先は長いニットコートから申し訳程度に覗いているだけだし、マフラーと帽子の所為で見ることができる顔の面積はとても少ない。表情なんてほとんど読み取れないのだ。……しかしテュテュリスは笑ってポットを手渡した。ハスターはテュテュリスが並べたカップに一つ足して、自分の分を用意していたからだ。

「では、頼むとするかの」

「うん。三つでいいね」

「ヴァイズとフォルテは勝手にするじゃろ」

「……もう一つは、彼の分?」

「うむ」

 折り返されたセーターに包まれた手でポットを傾け、乳白色のカップに紅茶が注がれていく。ヴァイズとフォルテはまだ騒いでいたが、紅茶がテュテュリスとハスター、そしてもう一人の元に置かれると姿勢を正した。そして竜たちは五人目へと視線を向ける。

 ──彼は、竜に囲まれた、竜ではないヒト。

 年齢も飛びぬけて一番若く、立場よりも新参者として発言を控えていたのだろう。テュテュリスとハスターの気遣いのカップを慣れた手つきで持ち上げて、一口飲むと音も立てずにそれを置いた。艶やかな黒い前髪が右目を隠しているが、左目の深緑色の瞳が強い意志を湛えていた。

「……テュテュリス、お茶ありがとう」

「いやいや……どうじゃ? お主、緊張をしておるのか」

「ううん、違うよ。……ただ俺は」

「ごほん」

 ヴァイズのわざとらしい咳払いが彼の言葉を遮った。即座にフォルテが睨む。

「イジワルすることないネ」

「規則は規則だろう。断じてイジワルなどではない。彼の発言権はないはずだ」

「意地っ張りネ!」

 怒りに顔を真っ赤て席をたつフォルテに対し、彼は苦笑を浮かべて宥めた。

「フォルテ、ありがとう。……いいんだよ。ヴァイズの言っていることは正しいんだから」

「で、でも」

「……それに、俺が自ら放棄したんだし。さ、座って」

「あう……」

 カクリと肩を落として席につくフォルテの前に、ハスターが紅茶のカップを差し出した。続いてテュテュリスが角砂糖の瓶を押しやる。

「ハスター、テュテュ……」

「ヴァイズはイジワルじゃない。頭がかたいだけじゃ」

「なんだと」

「ヴァイズもヴァイズじゃよ。こうやって話し合いの、会議の場を設けている以上彼の発言権を奪い続けることは愚かに等しい。わしらだけでは気付かないことにも、彼は気付いているかもしれぬ」

「ぐ……っ」


「まあまあ」


 ピリッとした緊張が走る空間を、のんびりとした声が空気を読まずに通った。その、今問題になっていた五人目の彼だった。彼は自分に一度に集まった視線を宥めるように両手をゆるく振って、続ける。

「まず、発言権はないっていうのは俺の言葉になんの力もないって意味だよ。勝手に口を開く権利はあるんだ。それでいいかな、ヴァイズ」

「……ふん」

 ヴァイズは鼻を鳴らしただけだったが、彼はそれを肯定と取ったようだ。

「ありがとう」

「ふん……そもそも貴公があんな女救わなければ、我等との干渉が対等にできたはずだ。テュテュリスも髪を切らなくてすんだのだ」

「テュテュは人妻ネ。手を出したらいけないネ」

「うるさいフォルテ! 今は貴女と話しておらん」

「あっかんべー」

「この……」

 カンカン。彼がカップをティースプーンで叩くとフォルテとヴァイズは再び口を閉ざした。

「……アリシアを生き返らせた対価については、俺もテュテュリスも後悔はしていない。アリシアは重要な人間だし──それに、そういうの抜きで、幸せになってほしいと思ったからだよ」

「けれどぼくたちに対する命令と、右目を失った」ハスターだった。カップを両手で包み込み、身体を丸めて暖を取るようにしていたハスターは帽子の下から彼を見る。

「今は後悔していなくても、いずれ悔やむ」

「……だろうね。でも、俺はあの時の自分の判断が間違っているとは思わない。テュテュリスは?」

「わしもじゃ。ハスター、お主が危惧しているのは予言についてじゃろう」

「うん……」

「しかし今は、それよりも早急に動く必要があるのじゃ。……ゼロリードの狂気を醒まさせなければ。そのための集まりじゃ」

 テュテュリスの言葉に彼が首を回して一堂を見た──前髪が揺れて、右目のあるべき場所には眼帯がかかっていた。そして彼はいう。

「ゼロリードを狂気に誘った何者かがいる。このままでは精霊と竜と、ヒトと人間の均衡が崩されてしまう……それは、絶対に避けなければならない」

 ──彼の名はアルライド。誕生の守護神である。月日が流れようと右目を失おうと、その深緑の優しい瞳は変わってはいなかった。……しかし彼から戦う牙と爪は既に奪われていことには、彼自身すら気付いていなかったのだ。



「シアングの処刑までは三日あるの。おとうさんの計算では三日後までにスノーが封印を解く。もし解き終わらなくても、ある程度まで読めると思ってるの……そしたらあとは、シアングを殺したエネルギーで一気にこじ開ければいいって考えてるの」

「ここからベルサリオまでどれくらいかかる?」

 身支度を整えたセイルにウィルが訊ねる。ウィルはもうすっかりエアスリクに行ったときのような旅の支度を終えていた。槍を背負って頭には赤いバンダナをきりりとまき、雪の沈んでいく湖畔を眺めていた。

 トアンたちは既に身支度を整え、ウィルとレインの家を後にしていた。フロステルダにいくための準備はもう完了している。既にトトが何度も深呼吸をして、胸のネックレスと指輪を撫でて集中している。コガネがその首筋に頬を擦り付けていた。何しろ人数も多い。天候も悪い。──なにしろ、トト自身の精神状態も少なからず揺れている。セイルはトトの様子をちらりと見、うーんと考え込むようにしてから、暫く間を空けてウィルに答える。

「……トトの力で飛んでも、六時間くらい、もしくは半日かかるのよ」

「半日!? それでは遅すぎる!」言ったのはルノだ。決して取り乱しているわけではない。紅い瞳はしっかりとセイルを見ている。

「それにその時間のブレはなんだ?」

「う、うん。移動は一瞬でできるかもしれないし、できないかもしれないからなの……」

「どういう意味だ」

「あ、あの……ハルティアのゲートを通るわけじゃない。俺様以外は『影抜き』じゃないから、歪めた道がどうなるかはわからないのよ……。」

「くっ……」

「で、でもルノさん」見ていられなくてトアンが口を挟む。

「ちょっと落ち着いてよ」

「私は冷静だ」

「あ、あのさ……ちょっと嫌な話だけど、今シアングがこの時間に磔にされてるとして……その作業中にオレたちが行っても、勝てるとは限らないんだよ?」

「……なに?」

「ゼロリードさんと塔で戦ったこと覚えてるよね」

「覚えているとも」

「あの時、竜の姿になったゼロリードさんにオレたちは手も足もでなかった。逃げるのだけが精一杯だった。今度は勝たなくちゃいけない。それだけじゃない、取り戻さないといけないんだ……なら、油断してるときを狙ったほうが可能性があがるでしょ」

「……。」

「半日でもいい。その間に兄さんは封印を解き進める。三日後に処刑、封印を解ききるのに三日かそれ以上かかるのなら、半日は別に急ぐ必要はないんじゃない、かな……あ、ごめん!」

 トアンが話すうち、鋭かったルノの瞳が見開かれて丸くなって、そして潤んだ。慌ててトアンは謝罪を告げるがルノは首を振る。

「……すまない。一人で先走っていたのは私だ。トアンが謝る必要はない……冷静さを失ってはだめだな、私は」

「え、いや、その」

「私一人が辛いわけではないんだった。私一人でどうにかできる問題ではなかった……」

 ルノの口から零れ落ちる言葉は、決して自虐ではない。けれどトアンに向けた言葉でももはやない……まさに自らに言い聞かそうとしているようだった。トアンは暫くかける言葉を捜していたが、彷徨わせた手を剣の柄に落ち着かせる。……自分自身、どこか落ち着いていないから安心させるように十六夜に触れた。

(オレがルノさんにこんなに偉そうに言うのって……あんまりないよな)

 一分ほど前までの自分が少し信じられない。一度もないわけではなかった。しかしここまでルノを丸め込み宥めることなんて、本当に滅多にないことだ。

(……うん、別に後悔することでも焦ることでもない。オレは兄さんを信じてる。シアングのことも、信じてるんだ……兄さんならきっとうまくやれるはず。まさか本当に自分の命を賭けてるのかどうかはさすがにわからないけど、……でも)

 トアンはちらりとトトとウィルを眺めた。トトは別として、ウィルは怖いほどに落ち着いている。しかしその内側では激情が縁まで燃え上がっていることがわかった。

(大丈夫、三日ある。少なくとも三日後まで、ゼロリードさんはシアングを殺さない。確信がもてない限りきっとやらない。……もし三日以内に兄さんが封印を解ききったらどうするんだろう。シアングだって王子なんだ。王子の処刑の日程をほいほい変えられるわけはないと思うけど。……国民のヒトたちは納得しているのかな。王族をあんなに慕っていたのに……)

 考えていても埒があかない。トアンはため息を一つだけついて、雪の降るインクブルーの夜空を見上げた。


 *


 一方トアンたちを見送った家では、プルートが暗いリビングを落ち着きなく歩き回っていた。時折立ち止まり、また歩き出す。その表情は焦燥に駆られていた。

「ちょっとは落ち着いたらー?」

 チョコレートを齧りながら、丁度リビングに入ってきたシオンが呆れたように言う。シオンはトルティーとコガネを寝付かせてきたところだ。

「落ち着いてなどいられるか」

「トトが心配なんでしょ? もっと信用してあげなよ」

「信用はしている! ただ、また僕のいないところでトトになにかあったら……」

「大丈夫だよ」

「何で言い切れる」

「トトにはコガネがいるもの」

「あんな小動物になにができるというんだ!」

「小動物ね……」

 シオンが謎めいた笑みを浮かべるのに対し、プルートは顔を顰めた。

「あ……あんな小動物になった女が何の役に立つというんだ?」

「トトの命に関わることなら、コガネはきっと今度は躊躇しないよ。絶対にトトを守る。……それに、トトにはコガネ以外にも──」

「以外にも、なんだ?」

「うふふ。なんだと思う?」

「な、なんだ気色悪い」

「……やーめた。自分で考えなよ」

「くぅ~、むかつくチビめ!」

「ふふーん」

 本気で悔しがるプルートを横目に、パキ、シオンが満面の笑みでチョコレートを齧る音が室内に響く。プルートの悔しがり方を見ると、シオンの生意気な言葉の意味を忘れ、ただ単にシオンの得意そうな顔が気に食わないから地団駄踏んでいるのだろう。シオンは口の中のチョコレートを飲み込んで、ブツブツと文句を言っているプルートを見た。

「ねえ」

「なんだ!」

「……あんたは、運命を変えにここにきたんだよね」

「……!」

 プルートがぐ、と言葉に詰まる。

「それなのにトアン・ラージンを殺そうとする、最初の勢いはどこにいっちゃったの?」

「ち、違う。今だって殺す気はある。あいつが僕の村を滅ぼした事実には変わりがないからな」

「どうして殺さないわけ? トアン兄様があんまりにも普通の人間で、仲間のピンチに怒ったり悲しんだりしてるから、決心が鈍ってる?」

「そ……そういうお前こそなんなんだ」プルートの声は震えていた。図星だろう。

「僕にそんなこと嗾けてどういうつもりだ? お前の兄なんだろう、あいつは」

「……ねえ、どうしてプルートはおれに冷たいの?」

「な……な、なんだって?」

「だから、どうしておれに冷たいかって聞いてるの」

「お前がむかつくチビガキだからだよ。それ以外に何かあるというのか」

「……おれがトアン兄様の弟だから冷たいんじゃない?」

「そんなワケあるか」

 ニヤニヤ笑いを崩さないシオンの問いに、プルートは今度こそ即答した。きっぱりと言い切るエメラルドの瞳は、決して嘘には見えない。これで嘘をついているというなら結構な役者だ。

「……そっか」

 シオンは笑みを柔らかな嫌味のないものに変え、安堵の息をつく。プルートはそんなシオンの様子が理解できないようで、腰に手を当てて続けた。

「あいつはあいつ、お前はお前だ。例えシオンがあいつの息子だろうが恋人だろうが、僕は同一視して嫌ったりはしない」

「……ふふふ。プルートってたまにいいこというよねー」

「はあ?」

「ううん、クスクス」

「……お前のそういう人を小馬鹿にした態度がむかつくんだが」

「あっそ」シオンはチョコレートを手で割ると、そのカケラをプルートに差し出した。

「これでも食べて、ちょっと落ち着きなよ。……本当に安心していいよ。トトには、過剰なほどの加護がついてるからね」

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