第32話 運命の呪縛





 ──ノックの音に、シアングはうっすらと瞳をあけた。

(ここは……ああ、オレの部屋か)

 ベッドに横たえたままの身体は酷く重く、起き上がろうにも腕は思うように動かない。

(セイルの分まで殴られることはなかったか)

 ふっと苦笑するシアングの耳に、コンコンと再びノックの音が聞こえた。身体は起こせないが声は出るので、不躾だとは思いつつもどうぞ、と答える。扉が開いて、メルニスとセイルが入ってきた。

「シアング様……その、お加減は……?」

「ああ、大丈夫だよ。それより何だ?」

「あの……」

 メルニスが言葉を濁す。と、横にいたセイルが一歩進み出て、シアングを睨み付けた。

「……俺様の代わりに殴られたって……」

「ああ。……まあ、もともとオレも何発かもらう予定だったし、それがちょっと増えても構わねーって思って」

「俺様は構うの! そんなことしてくれって頼んだ覚えはないのよ? 余計なお世話なの!」

「そいつはどーも」

「もう、セイル様! 喧嘩をしにきたわけではございませんわ!」

 メルニスがセイルの腕を引くと、セイルの勢いがしおしおと縮んだ。睨みつけてきたときは妥当な反応だとは思っていたが……どうやらセイルは謝りたかったようだ。

(オレを憎むことだけは覚えてるなら、別にいいけど)


 ──シアングがベルサリオに戻ってきたとき、既にセイルも帰っていた。塔でとった二人の行動について、ゼロリードは行き過ぎた反抗だと告げ、二人は拳骨を一発もらっただけという、あの出来事より随分と軽い罰をうけた。

(もしかしたら、親父は元の優しい頃に戻ったのかもしれない。国民にも、家族にも、誰にでも優しい親父に……)

 けれども、シアングの淡い期待は無念にも打ち砕かれた。──見てしまったのだ。

 国民たちはゼロリードを信用しきっている。メイドや臣下たちもだ。彼らは最早盲目的なまでに、王を認めていた。だから気付けない。ゼロリードが城の地下で、何をしようとしているのかを。

 そしてゼロリードの横にいた、痩せこけて今にも倒れそうなのに、瞳だけはぎらついてまるで蛇のような目をした男……ゲルド・ロウ。今のゼロリードはゲルド・ロウを信じきっているから言いなりで、他のもの、シアングやセイルの意見を全く聞き入れない。──今日だって、シアングとセイルの意見を『煩い』という理由で一蹴し、暴力を振るった。

(セイルを先に帰しておいて良かった。親父はセイルを許していないし)

 シアングはゆっくりと身を起こし、身体の状態を確かめる。──どうやら、今回はどこも折れていないようだ。鈍かったり鋭かったり痛みはまちまちだが、動かない、ということはない。

「シアング様、お薬をお持ちします」

「いや、結構。こんなんすぐ治るよ」

「ですが……」

 メルニスの顔から心配そうな色は消えない。シアングはふっと笑ってみせ、先ほど見つけた結論、どこも折れてないよと伝えてやった。それでもメルニスの顔がはれることはなかったが。

(ルノかネコジタ君がいりゃ、すぐ治るんだけど……)

「……シアング」

「ん?」

 怒ったような顔のまま、セイルがずんずんと近づいてきた。顔は怒っているが、セイルの心が酷く泣きそうなことをシアングは無意識のうちに感じ取る。

「どうした」

「おとうさん、封印、もう待てないって……さっき話してた」

「……そっか。じゃ、オレやるよ」

「だめ、何をするの!?」

 セイルの手が伸び、シアングの首にかかった。メルニスが悲鳴をあげる。──シアングは落ち着いた瞳で、セイルを見返す。本当は苦しくて苦しくてどうしようもなかったが、瞳は静かだと自覚していた。

(これは……オレの罪。だからセイル、お前は背負わなくていい)

 心の中で呟くと、シアングは自らの掌をセイルのそれに重ねた。──引き剥がすことが目的ではなく、ただ、重ねるだけ。

「封印を解くのに、鍵、どうするつもりなの!? 誰を使うの、スノーかチェリカを使うの……?」

「っ……。」

「許さないの、絶対! そんなの許さない! 今頃チェリカは元に戻ってる! だから!?」

「セイル様! シアング様が死んでしまいますわ!」

 メルニスの泣き声に、セイルははっとしたように力を緩めた。しかし唇をぐっとかみ締めるとシアングを突き飛ばし、乱暴に扉を蹴りあけ部屋を出て行ってしまった。

「……シアング様」

「……ごほ、メルニス、セイルについててやってくれ」

「シアング様、わたくしは……」

「セイルは」

 メルニスの言葉を遮って、シアングは口を開く。

「セイルは、友達を守ろうと必死なんだ。大切に思ってるんだ。……ネコジタ君や、そのまわりを。チェリちゃんのことも。それに、セイルはオレを恨んで当然なんだよ。オレが、全て奪ったんから」

「……それも、セイル様のためではありませんか。それなのにシアング様はあんなにも恨まれて……わたくしは、納得がいきません」

 そういうメルニスの瞳から、今にも涙が零れそうだった。

「……メルニス、オレは回復次第アールローアに向かう」

「鍵を探しに?」

「もう見つけてある。約束もした。ああ、そうだ。今の話だけどさ」

 メルニスのを安心させるように笑みを浮かべて、シアングは言う。

「本当のオレのことを知ってて、理解してくれてるメルニスには感謝してる。……心配ばっかりかけて、ごめんな」


 ──ベルサリオの鐘が、遠くで鳴った。


「それじゃあね、気をつけて」


 ──パーティーから数日後。トアンたちはエアスリクを後にすることにした。いつまでもずるずるエアスリクに留まることはできなかったし、エアスリクの各地はもうほとんど見て回ってしまった。エアスリクという王国、浮遊大陸にあるいくつかの遺跡に入ることと紋様のことはさっぱりわからなかったが、国民な皆穏やかで、さらにチェリカやルノというに立つ王族というものとしての、皆をまとめるための孤独も、常ではないということもわかった。──それだけ、この国は平和なのだ。それもここが小規模であり、閉じられた世界だからこその平和ともいえると、チェリカは言っていたが。

 ──トアン、ルノ、トトとコガネ、レイン、ウィル……そしてチェリカは、エアスリクに訪れたときと同じ場所にある、石の扉の前に来ていた。チェリカの後ろにはメヒルとセリが控えていて、特にセリは睨みをきかせていたが、トアンはもう気にしないことにした。この数日、ルノが元気がなかったのだが、それもどうやらセリが関係しているらしい。

(セリさんが何をどういったのかは知らないけど、ルノにまであたることはないんじゃないかな……)

 今だってルノを睨んでやれば存分に睨み返してやろうと思っていたが、セリはルノをちらりと一瞥し、申し訳なさそうに頭を垂れていた。……だから、この件は二人の間にあったものとして特に干渉はしないことにトアンは決めた。ルノが助けを求めれば別だが、ルノが黙っていた以上、自分が根掘り葉掘り聞くことをルノは望まないだろう。

 トアンはチェリカに向き直って、ずいと手を差し伸べた。チェリカが少し驚いたように目を丸くする。頭のリボンが揺れた。

「……握手、だめかな」

「ダメだ!」

「セリ、黙りなさい」

 トアンの言葉に即座に反論したセリをメヒルがとめる。メヒルは目でトアンに、気にせずチェリカの意思があれば自由にしていいと合図を送ってきた……気がする。

 トアンが差し出したままの手をチェリカが眺める。沈黙が続く。トアンの後ろで、ウィルとレインが何か囁きあっていて、トトがそれを宥めているのが聞こえた。いい加減気まずくなったトアンが苦笑する、と。

「……これでお別れじゃないのに……」

 くすくす、チェリカが笑い出した。そしてトアンの手に自らの手を重ねる。トアンはふと、自分の掌が汗で滑っていないか心配になった。トアンの右手はこの前のセリの事件以来、何もつけていないのだ。

「私、いけなくてごめんね」

「う、ううん、そんなこと……」

「ありがとう」

「ううん……」

 トアンの答えに礼を返すチェリカだが、トアンは彼女の『いけない理由』を知っている。──もう、魔力を制御できない。力が暴走しないよう、自分はこの閉ざされた場所にいたい、というのがチェリカの望みだ。──暴走したら最後、どうなるかわからないと言ったチェリカの顔は、困ったように微笑んでいただけだった。

「お兄ちゃんをよろしく」

「うん、しっかり守るから」

「……私は足手まといではないぞ」

 ぼそりとした、拗ねたようなルノの声にトアンは笑った。トアンに笑われるとルノは口を尖らせ、そしてレインに絡まれている。

「ねぼすけだからな、ルノ」

「レインの方がねぼすけだ! いっつもいっつも欠伸してるくせに」

「ふあ……」

「ほらみろ」

「まあまあ、落ち着けよルノ。怒ったらレインの思う壺だぞ」

「うう……、しかし、精神的に老けたな……ウィル……」

「なっ」

「老けたって」

「レイン、お前なあ」

 後ろが盛り上がりだした。チェリカがくすりと笑うので、トアンもつられて笑った。

「わかってるよ。でも、ちゃんとオレが責任もって守るよ」

「……うん、よろしく。何があっても、忘れないで。お兄ちゃんはきっとトアンの光になる。そしてその逆もある。二人で立ち向かえば、どんなこともきっと大丈夫。……だから、手を離さないで」

「……え?」

「さあ、もう扉開くよ!」

 チェリカの言葉は難しい。トアンがぽかんとしていると、チェリカはいつも通り、トアンの知っているチェリカの通り、元気良く笑って扉を指差した。──チェリカの意思に応える様に、コケの生した石の扉の表面に光が走る。光はエアスリクにある紋様を描き出し、次の瞬間、真っ白な光が扉からあふれ出した。

「ちょ、チェリカ、今のはどういう──」

「ばいばーい、元気でねー」

「う、うわあああ!?」

 問答無用。どん、と背中を突き飛ばされ、トアンがよろめいた。気付いたルノが慌てて支えようとしたが、トアンの重さに耐え切れずルノを巻き添えにトアンは光の中へと倒れ込む。

「チェリカ──!?」

 光の中はきたときは平面だったのに対し、今度は道がなかった。ただただ、ぐんぐんと下へ落ちていく。トアンは断末魔のように叫んだが、ルノと一緒に光の中へ落ちていった。

 森で囀っていた鳥たちが一斉に飛び立った。メヒルが呆れたようにため息をつき、チェリカを見ている。チェリカはこっそりピースをしてやった。

「じゃ、ウィルもレインも、またね」

 にこやかに笑うチェリカに、ウィルが警戒したように一歩はなれた。トアンの絶叫を聞いていたからだ。

「押すなよ、オレたち、勝手にいくから」

「うんどーぞ」

「お、おう、じゃあな」

「うん、どーぞ」

「またな、チェリカ」

「バイバイ、レイン」

「……扱い違うぞ」

 ウィルが不満そうに呟き、光の扉の前に立った。……そして、そのまま一歩も動かなくなる。鳥たちが帰ってきた。

「……行かないの?」

「考え中……」

 動かないウィルに、レインがため息をつく。

「じゃ」

 チェリカにもう一度別れを告げると、レインはウィルの手を取った。

「レイン?」

「いくぞ」

「え、ちょっと……嘘だろ?」

「嘘じゃない。怖いなら目でもつぶってろ」

 それ以上の返事は聞かずに、レインはウィルごと光の中に身を躍らせる。──ウィルはトアンとは違い、絶叫もなにもなく静かだった。……気絶したのかもしれない。チェリカがほくそ笑む。

「素直に平面な帰り道にしてあげればよろしいのに」

 メヒルのため息交じりの言葉に、チェリカは満面の笑みで返した。

「つまらないでしょ。……あとはトトとコガネだね」

「は、はい」

「……トト」

「はい?」

「……例えば、視ているだけかもしれない。掴めないかもしれない。触れたら、消えてしまうかもしれない。……でも、絶対に忘れないで」

「……へ?」

 チェリカの言葉が難題だったのだろう、トトもまた首をかしげた。コガネが肩の上で同じ動きをする。

「……君からはとても不思議な感じがする。ここにいるのに、いない感じ。だけど今ここにいるのは確かにトト。……トト、トアンとお兄ちゃんを救って。お願い」

「救ってって……チェリカさん……?」

「何が、いつ、どういう意味の救いになるかはわからないけど……このままじゃ、二人は捩れた運命に負けてしまう。私は、二人を助けられない……」

 ──自分は今、どんな顔をしているのだろう。チェリカはそれでも、トトを真っ直ぐに見つめた。小鳥たちのさえずりは、いつの間にかやんでいた。どこか遠くで鐘の音が鳴るのを、チェリカは聞いた。


 ──まるで始まりを告げる鐘だと、心の中で呟いて。

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