第30話 変わるもの、永遠のもの

「へえー」

 かたん、とカップをテーブルの上においてから、チェリカが感心したように言った。

「フロステルダか。へえ、すごーい。空が海なんだ、へええ……見てみたいなぁ」

 チェリカの視線が、ゆらゆらと揺れる紅茶の向こう、その先に見える何かを捕らえていることを察したトアンは話をそっと切り替える。

「チャルモ村も、すごい良いところだよ」

「うん、話にきくだけで、自然と人間が共生してるのがわかる。良いことだと思うよ、私。レインとウィルの顔がすごーく穏やかだしね」



 ──トアンは、二度目の旅の経過をチェリカに話して聞かせた。空白の一年間も何より辛かったが、チェリカが石になり、ただそこにある『モノ』になっている期間は、トアンにとってもルノにとってもとても辛いものだった。だから、その間に起きた出来事を聞いて欲しいとトアンが言うと、チェリカはうんと頷いて、真剣にトアンの話を聞いてくれた。時々、ルノが補足する内容も頭に入れるように、うんうんと頷いて。

 トアンの話は、チェリカが石になってルノが落ちてきたところからはじまった。トトに出会い、ハルティアに向かい、フロステルダへいってベルサリオにいき、命からがら逃げ出してセイルの残した谷底の扉によってチャルモ村にたどり着き、そしてもう一度フロステルダへ戻ってフリッサの町に行き、ルノとチェリカの伯母の残滓に出会った。

 そして、石化を解く薬を完成させるためにエルバス卿の屋敷へいってシアングと再会し、ゼロリードと戦い、再びチャルモ村へ逃げ延び、そこでいくつかの事件が起きた。(トトの仲間のことの未来に関することはルノとの暗黙の了解でぼかした)

 それから『影抜き』たちとの再会をし、怪我の回復とシアングが帰る決意をすると、完成した薬をエアスリクに運ぶべくハルティアに行く手段を得るために焔城にいって、妊娠したテュテュリスとあい、ヴァイズの背に乗ってハルティアへ向かい、そして扉をぬけた、というところまでだった。

 話が終わったとき、昼頃を彷徨っていた時計の針はすっかりだらりと垂れ下がり、窓の外は夕闇が迫っていてポットの中の紅茶もすっかり冷めてしまっていた。

 トアンの話を聞いている最中、チェリカは驚いたり笑ったり、悲しんだり嬉しがったりと、実に生き生きした表情を見せてくれた。青い瞳を飾る睫毛が照明の下でキラリと光ったとき、トアンは、チェリカが旅に同行していたと一瞬錯覚しそうになって、目を逸らして冷めた紅茶を飲み込んで誤魔化した。

「いいなあ、私も行きたいなー」

「え? なんで? チェリカも一緒にくれば……あ」

 ここまで口にして、トアンはハッと気付いてしまった。そもそもこの旅の目的は、チェリカを助けることだったのだ。それが達成された今、これ以上の旅に、意味はなくなってしまう……?


 ──意味などなくても、それでも一緒にいることはダメなのだろうか。


 そう考えたとき、ルノが目を伏せるのが視界に入った。……そうだ。一緒にいることは可能だろう。しかしいつまで? それにルノやチェリカには立場がある。

(そうだ……もう、ルノさんを引き止めておく必要もない。一年前の、あのときと同じなんだ)

 ところが、思わず膝の上で手を握り締めたトアンに降って来た言葉は、優しいものだった。

「私は国のことがあるからさ、まだ難しいけど……お兄ちゃんは、まだトアンと一緒にいるでしょう?」

「……え?」

 困惑するトアンに対し、ルノは目を伏せたまま得意げに頷く。パチリと紅い瞳を開いたとき、トアンを見たルノの顔には笑みが浮かんでいた。

「まあな。旅の間に、わかったこともまだまだ気になることもあるし。……それに、トアンを一人にはできないよ」

「で、でもルノさん、ルノさんだってエアスリクでやることがあるでしょう? オレのこと気遣わなくていいよ」

「気遣いじゃない。私が、お前といたいんだ」

「へ?」

「あ、いや! 変な意味じゃないぞ、誤解をするな!」

 思わずポカンとしたトアンに、真っ赤になってルノが怒ったように弁明する。そして上目使いで軽く睨むと、ぼそりと呟いた。

「……お前を助けると、決めたからな」

「あ……。」

「今度は、お前自身を助けるんだ」

 一瞬なんのことだかわからなかったが、トアンはルノの言葉がトアンの『未来』を指しているとすぐに気付く。ルノとトアンとトトはうんと頷きあったが、ウィルとレインは首をかしげた。

「え、何? なんのことだよ」

「あ、いや、なんでもないんだ、ウィル」

 慌てて誤魔化すトアンだったが、その内心はとても弾んで、明るく晴れ渡っていた。──そのせいで、視界の隅でチェリカが口元に手を当てて、何か考え込んでいることには全く気付くことはなかった。


 *


「チェリカ様、ルノ様。いらっしゃいますか」

 メヒルの声だ。コンコン、落ち着いたノックの音にチェリカがルノよりもさきにどーぞ、と気の抜けた返事を返した。扉が開いて、きちりとした動作でメヒルが部屋の中に入ってきた。──続いて、セリも。

 二人を向かいいれるように、チェリカとルノが席を立ち、メヒルの元へ歩み寄った。トアンはもうかたくなったクッキーを齧りつつ、できるだけ話に興味がないような仕草を装う。──国のことに関わる重要なことなら、部外者はあまり聞かないほうがいいと思ったからの態度だったのだが、逆にメヒルが聞かせたくないのならルノとチェリカを廊下になりなんなり呼び出すか、メヒルに呼び出す権限がないのならチェリカがそれを察するか『内緒の話するから』とでも言うだろう。……トアンのみを睨みつける、セリの視線が刺さるが。

「報告いたします。国民も私たちも、全員の無事が確認されました。損傷箇所等もありません。──不思議なことですが、本当にただ、石になっていただけのようです」

 メヒルの言葉にチェリカは顎に手を当てて、ううんと唸った。ルノはチェリカをチラリと見てから、メヒルに問う。

 そんな話合いの様子を横目にクッキーを頬張りながら、トアンはセリを睨み返した。牽制に対して牽制。

(オレが、チェリカのパートナーなんだからな)

 セリは一瞬驚いたようにブルーグレーの目を見開くが、更に眉間に皺を寄せて睨んでくる。

「──何か、盗まれたものは? 遺跡の中や、書物を荒らした形跡はないのか?」

「ございません。確認はしましたが、痕跡のようなものは一切発見することができませんでした。魔法による結界も破られた跡も一切ございませんでした」

「そうか……」


「何が狙いだったのかな」


「チェリカ?」

「……ううん、なんでもないや。メヒル、これからどうするの?」

「私もまだ考えている最中なのですが──国も元通りになり、チェリカ様とルノ様のお友達がみえているので……」

「……パーティーしてくれる?」

「ええ。もう、準備に取り掛かっております。ルノ様、チェリカ様。今日はお勉強はよろしいので、お友達にこの国を案内して差し上げてはいかがでしょう」

「……だって。ウィル、レイン。二人の子供にさ、お土産買ってくでしょう? 観光する場所もないけど、案内するよ。」

 チェリカがソファに駆け寄り、レインの手を引いた。すぐにセリの視線がレインに向くが、即座にウィルとチェリカの目がセリを見返した。セリはうろたえ、視線を逸らす。

「セリ。そんなに私の友達睨んじゃだめだよ」

「……はい」

「じゃ、いこうか。お兄ちゃんも、トトも。トアンもいくよね」

「うん、もちろん」

 トアンたち全員が立ち上がったのをみて、メヒルが礼をした。

「では、時間になったらお知らせしますので。それまで、王子と王女をよろしくお願いします」




 メヒルの言葉通り、あれほど込み合っていた城内はもう落ち着いていて、人ごみは嘘のように消えていた。代わりに、すれ違った何人かの人々は皆一様に楽しそうで、焦りと緊迫の色はすっかり褪せている。メヒルが安全だ、何も異常がないということを既に伝えたのだろう。

「とりあえず、どこいこうか。外でればいいかな? ウィル、何買うの?」

「ん? あー……どうしよ。なんか甘いお菓子がいいかな」

「じゃあ、街にいけばいいか。日持ちするおいしいお菓子、結構売ってるんだよ。お兄ちゃん覚えてる? 前に、こっそり言った赤いレンガのお店」

「あぁ、覚えてる。チョコレートを使った焼き菓子の店だったな」

「そうそう、お城抜け出していったんだけどね、お兄ちゃんが見つかっちゃってさ」

「あ、あの時はまだ抜け道とか隠れる場所をよく把握していなくて……!」

「今もでしょー」

「な!」

 カラカラとチェリカが笑うのに対し、ルノがむっと膨れた。正反対の双子の様子に、ウィルとレインがくつりと笑う。コガネを肩に乗せたトトがにこにこしながら優しい瞳でその様子を見守っているのを見て、トアンも微笑んだ。

「じゃあ、そこにいこっか」


 *


「──あれ?」

 ぐるぐると城内を案内してもらい、たっぷり時間をかけてから城を出、回廊を辿って庭園を横切っているとき、ふとチェリカが足を止めた。あくびをしていたレインがチェリカにぶつかって、トトがその背を支える。

「悪い」

「いいえ。大丈夫ですか?」

「ああ」

 トトが微笑む横で、ルノが首を傾げてチェリカに問う。

「チェリカ、どうした?」

「あ、うん、ほらあそこ」

 ルノの方向を振り返らず、チェリカが真っ直ぐに指した先には、庭園の隣にある広場で、剣を片手に鍛錬に励むセリの姿があた。

「セリだ」

「……ごめん、お兄ちゃん、トアンたち、連れてってあげて」

「へ?」

「私、さっきちょっと言いすぎちゃったから。セリに謝ってくるよ」

「……いいすぎたか?」

「うん……」

「わかった。では、ウィルたちもそれでいいか?」

「ああ」

 ウィルが頷くと同時に、チェリカは回廊の下から走っていってしまった。トアンは引きとめようとして伸ばした手を、おずおずと下ろしたが。

「お前はあっち」

「え? ちょ、兄さん!?」

 レインに背中を蹴っ飛ばされ、回廊から手入れをされた地面に倒れこんだトアンを置いて、

「じゃ、いこうぜルノ」

「し、しかしトアンは……?」

「いいんだよあれは。ウィル、トト、いくぞ」

「ほーい」

「はい……」

 他の仲間はスタスタと歩いていってしまった。トアンは呆然とそれを見送るが、トトがちらちらと心配そうに見てくれたのでなんとか立ち上がったのだが、そのトトもレインにおいでおいでされるまま走っていってしまったので、ますます呆然とする羽目になった。

(いいんだ……いいんだ、そうだよ、チェリカをおっかけよう!)

 仲間の態度はトアンの迷いを捨てるための冷たさなのか、もしくはあえてのただのイジメなのか。トアンはあまり考えないようにして、チェリカの走っていった方向へ駆け出した。



「チェリカさ──なんだ、なんでお前までいるんだ」

「え?」

 額の汗を拭いながらのセリの一言に、柵を乗り越えたばかりのチェリカが目を丸くした。自分のことかと指を差して首を傾げると、慌ててセリが否定する。

「あ、ああいえ、チェリカ様のことではありません。その後ろの──おい! その植え込みを荒らすな!」

 セリの怒声にチェリカが驚いて振り返る。──トアンは突如自分に向けられた二つの視線と怒鳴り声にビクリと身体を固まらせ、乗り越えようとしていた植え込みに足を取られる。

「あ、」

「あ!」

 トアンの叫びにチェリカの声が重なった。些細な偶然を喜ぶよりも早く、トアンの身体は再び地面に叩き付けられた。

「トアン、大丈夫?」

「う、うん、平気……」

 チェリカが慌てて駆け寄ってきてくれたが、トアンは気まずさゆえに苦笑を返すことしかできなかった。そんなトアンの様子に不安を覚えたのか、チェリカがしゃがみ込んで手を伸ばしてくれた。

「大丈夫? 立てるかな、どっかうった?」

「大丈夫だよ……チェリカ、頭とかペタペタ触っても、うってないからさ……」


「おい! 何してんだよ!」


「あ、セリ」

 しゃがみこんだままチェリカが振り返る。トアンはチェリカの肩越しに、ブルーグレーの瞳を真っ直ぐに睨んだ。しっかりとチェリカの手を握ったまま。

(でたな)

 もちろんセリも睨み返してくる。一見はのどかな庭園にいる三人の少年少女なんだが、その少年同士は静かな火花を散らしあっていた。いつものトアンだったら大人しく身をひくか、あわあわと情けない姿をさらしていただろう。だが今回は少しだけ違う。

(オレだって、ゆずれない時があるんだから……!)

「ね、トアン? どうしたのそんな怖い顔して」

「へぇ!? し、してないよ……あはは、やだなあチェリカ」

「ふうん?」

 コトリと首を傾げるチェリカ。さらりと金髪が肩からすべり、なるほど、より少女らしくなっている。トアンが思わず照れに目を泳がせると、ズンズンと大股で近づいてきたセリが二人の間に強引に割って入ってきた。

「チェリカ様! そんな薄汚いヤツと、そんなに近づかないでください。あなたは王族。高貴なお方なんですからね」

「う、薄汚い!?」

「酷いよセリ! だめだってば、そんな言い方しちゃ! ……たしかにちょっとアレかもしれないけど」

「ちょっとお!? チェリカ、アレってなんだよアレって」

「え? ……あははは、ほら、えへへ」

「チェリカもオレのことそういう風に思ってるの……?」

「ううん、違うよ。……ただちょっとトアンってアレだからさ」

「アレってなんだよ! もう!」

「おい、おれを無視して話を進めるな! お前はいい加減チェリカ様から離れろこのー!」

「君が離れればいいだろう!」

「くっそー、薄汚い冒険者風情がー!」

 トアンも立ち上がり、セリと正面から両手を組んでギリギリと押し合う。……その光景は、傍から見れば何だか微笑ましいくらいだった。本人たちは本気なのだが。

「ねーねー、セリー」

 チェリカは二人の様子を微笑みながら見守っていたのだが、退屈になったのだろう、セリの服をチョイチョイと引いた。

「はい? 少々お待ちください、今片付けますんで」

「片付けるとかいうなよ!」

「うるさい黙れ!」

「ねー、二人で遊ぶのはいいけどさぁ、私も混ぜてよ」

「「遊んでない!」」

「……もう、仲がいいなあ」

「チェリカ、オレとセリさんが仲良しに見えるの!?」

「そうですよ、こんなのと一緒にしないでください」

「だからそういう風に言うなって!」

「うるさい黙れ!」


「……ダメだこりゃ」


 小さなため息とともにチェリカはひょいと肩を竦め、いがみ合う二人を放置して広場の片隅へと走っていった。そこは小さな倉庫になっており、チェリカはその奥からレイピアを一本引っ張り出すと再び二人の元へ戻る。……状況はちっとも良くなっていなかった。

「二人とももうやめなよ。セリ、折角剣持ってるんだから、私と手合わせしよ」

「手合わせ……ですか?」

「うん、久しぶりに。さっき一人で練習してたでしょ? 私なら、いい練習相手になれると思うんだけどなー」

 ヒュン、とレイピアが風をきる。トアンはぽかんと成り行きを見守っていたが、ふと視界の端にセリの剣を見つけて、慌てて口を開いた。──セリの剣は、片手剣。幅も広いし、レイピアよりも強度はあるだろう。トアン自身対峙したこともあってチェリカのレイピアの腕の高さは知っているが、それでも不安だった。

「危ないよ! それ、真剣でしょう」

「ん? 大丈夫だよ。私とセリは、結構このまま手合わせしてるんだよ。木でつくった剣とか、それじゃ緊張感がでないから──そうだトアン、見ててよ。私結構強くなったんだよー」

「もとから結構強いだろ……でも」

「そうなんだけどね! だから心配御無用!」

「……。」

「大丈夫ったら。ね、ね。ほらセリ、いくよ」

「ちょ、ちょっとまってください!」

 すでに身構えているチェリカに対して、慌ててセリが剣を拾って構えた。もはや何を言っても無用だろう。トアンは仕方なく一歩下がって二人の試合を見守ることにする。──強引なやり方が、チェリカが自分とセリの喧嘩をとめようと気を使ってくれたのがわかったからだ。


「じゃ、いくよ」

 チェリカがにこりと微笑んでレイピアの先をくるりと回す。対するセリの緊張感がピシリと高まったのがわかった。チェリカがその様子に口の端を持ち上げ、もう一度レイピアで円を描く──直後、ブーツでぐっと地面を踏み込むと、ギュンと加速して一気にセリとの距離をつめる。青い瞳から柔らかい光が消え、鋭く煌く青が一瞬で通り過ぎた。

「はっ」

 ヒュン、と風が歌った。鋭い突きだ。しかしセリは軸足に重心を置いてそれをかわし、横からチェリカに斬りかかる。──それは、執事でも淡い想いを抱く少年でもなく、遠慮もなにもない、真剣勝負に身をおく戦士の太刀筋だった。ぱら、とチェリカの金髪が僅かに飛ぶ。

(危ない!)

 トアンが思わず飛び出そうとしたが、しかしチェリカはトアンに向けてウインクをした。何を、とトアンが推測するより速く、チェリカの回し蹴りがセリの腹にのめりこんだ。衝撃にセリがたたらを踏む。チェリカはその隙を見逃さず、レイピアを一線させた。

(はやい……すごい!)

 ツタ、セリの頬に付けられた一線の赤いラインから、一滴の血が飛び散る。かすかな音だったが確かに聞こえた。チェリカの瞳が勝利を見つけた──その瞬間。セリの瞳から一切の光が消えうせた。グルーグレーの瞳が真っ暗な底のない闇となったのを、トアンは目の当たりにする。

(な、なにか変だ)

 足を動かしかけてから、トアンは考えた。これは真剣勝負だ。手合わせとはいえ、二人は本気だろう。──自分が、出て行っていいのか?


「セリ!?」

 チェリカがセリから離れた。しかしセリはすぐに距離をつめ、剣を振るった。遠慮のない踏み込みは、もう変化していた。──目的が生まれている。明確な殺意が、その剣を支配していた。──チェリカは難なくそれを避けたが、その顔には困惑と不安が浮かんでいた。

「セリ、」

 チェリカの呼びかけに応える様子はなく、セリの剣が真っ直ぐにチェリカに向かった。状況を理解しようと頭が混乱したのだろう、一瞬の動揺に、チェリカの足がずるりと滑る。おかげで一撃は間逃れたが、続く攻撃は崩れたバランスではかわせそう似なかった。レイピアを持っていない左手がすぐに上がる。──魔法だ。左手の周りに黒い光が収束する──……


 ──ところが、何故かチェリカはすぐに集中を解いてしまった。そのまま剣を防ぐためレイピアを振り上げる。……勝ち目など、ないというのに。


「チェリカ!」

 トアンはもう詮索はやめて、二人の間に飛び出していた。頭の中で心音が暴れていた。右手でチェリカを庇い、ブーツの踵でセリのわき腹を強打する。

 ──ドサ、と地面に尻餅をついたセリの瞳に、もう光は戻っていた。

 

 *


「あ、す、すいません──チェリカ様、お怪我は!?」

「大丈夫だよ、セリ」

 立ち上がったセリが駆け寄ってくると、ぺたんと地面に座り込んだまま、チェリカがゆるゆると手を振って笑った。トアンは、まだ自分の心臓が激しく波打っているのを感じながら、自分もずるずるとしゃがみ込む。

「それにしてもセリすごいね、強いね! びっくりしたよ、今まであんな動きしたことなかったからさ」

「そ、それがおれにもよく──……お、おれ、メヒルさんを呼んできます。チェリカ様にもし怪我があったら、死んでも死にきれません」


 落ち着かない口調でセリは言ってから立ち上がり、駆け出そうとするがチェリカがとめる。

「だめだよ、セリ、メヒルに怒られる」

「そんなのいいんです! とにかくここにいてください! ……それから、そこの、人間」

「……え?」

 唐突に話の矛先が自分に変わり、トアンは目を瞬きながら顔を上げた。一瞬、何のことだかわからなかったが、肩を叩かれて自分だと認識する。見上げた先のセリは、もうトアンを睨んではいなかった。──ただ、悲しそうな、安堵のような表情を浮かべている。

「チェリカ様をおれから守ってくれて、本当にありがとう。礼を言ってやる」

「……はあ」

「お前もここにいろ。チェリカ様をみててくれ」

 セリはそういい残し、チェリカの制止も首をふって応えると走り去っていってしまった。トアンとチェリカは地面に座り込んだまま、ゆっくりと顔を合わせる。


「結構強く蹴っちゃったけど──セリさん、大丈夫かな」

「大丈夫みたいだね、あんなにはやく走れるから──……トアン、右手、見せて」

「え、あ」

 チェリカに手を取られて、トアンはやっと自分の右手の状態を確認する。グローブが無残にも裂かれているが、右手自体には浅い切り傷と血が滲んでいたが、対した傷はない。……ただ、じんとした痺れと、赤く腫れ上がった手の甲があの剣の衝撃を物語っていた。

「……このグローブ、もうだめだな」

「ごめんね」

「え!? いや、チェリカの所為じゃないよ。……オレが、もうちょっと早くとめに入ってれば良かったんだ。セリさんの様子、何か変だったでしょう」

「トアンも、気付いた?」

「うん。……いつも、あんなふうになるの?」

「ううん……普段は全然。ずっとセリはセリのまんま」

 トアンの手をそっと離して、チェリカが小さくため息をついた。トアンはそっか、と小さく相槌を打って、続く言葉を探す。──ザァ、耳元をそよぐ風は優しさをなくし、どこか不穏な音を奏でた。

 風がチェリカの金髪を揺らすのを見ながら、トアンは言いにくかった言葉をゆっくりと紡ぐ。どうしても、引っかかるのだ。

「──チェリカ」

「なあに?」

「……さっき、さ。魔法、使おうとしてやめたよね?」

「……。」

「どうして? チェリカの魔力なら、あれくらいの距離でも──」

「……私とセリの動き、全部見えてたんだね、トアンには」

「え、う、うん」

 チェリカがふっと顔をそらした。金髪が風に遊ばれて、その横顔はトアンには見えなくなる。


「……私ね、もう自分の力を制御できないんだ。だから、一緒に行けないの」


「力が、制御できない……?」

「ホントは、黙っとこうと思ってたんだけど。言っちゃうと楽だから、言っていい?」

「うん、話して。」

 トアンの言葉に、チェリカは驚いたようだった。

「いいの?」

「いいよ、聞きたい」

「……まるで、君らしくないね」

 チェリカの声が、どこか影が落ちていた。トアンは咄嗟にチェリカの肩を掴んで顔を自分の方に向かせる。顔にかかった金髪の合間から、青い瞳を見つけた。──良かった、チェリカの瞳はトアンを見ている。

「……旅に同行できない理由で国のことがあるって言ったけど、一番の理由はこっちなんだ。……私の魔力は、闇の魔力。それだけで危ないのに、もう自分の意思で使役できない。必ず暴れだす」

 自らの右手を見つめながら、チェリカが言った。

「さっきのセリのことも、威嚇するだけとか、弾き飛ばすだけならできたはずなんだけど。──もう、今それやっちゃうと、セリの身体ごとバラバラに吹き飛ばしちゃうか、灰に変えちゃうか、そうはならなくても別の死因に変わるだけ。──物騒な話だけど、本当の話」

「……いつから? 他のみんなは知ってるの? ルノさんとかに、相談はしたの?」

 ごくんとつばを飲み込んでからトアンが問うと、チェリカは酷く困った顔をして、ゆるゆると頭を振った。

「誰にも言ってない。けど、魔法は使わないって決めたことは、言ったよ。調子が出ないからって──いつからかはわからない。トアンと別れたあの日から、一週間後くらい……に、おかしいなって思ったの」

 力なく右手をポトリと落として、チェリカは続けた。

「最初は、ランプに火を灯そうとして溶かし尽くしちゃって……。次に、木登りしてたら蜂の巣を落として、蜂に追いかけられたときに咄嗟に魔法使ったら、森が大分焼けた……本当に、本当に小さい火をだしたつもりだったのに」

「チェリカ……ごめん」

「へ?」

「……オレ、何の役にも、たてない」

 投げ出された右手をそっとすくって謝りながら、トアンは泣きたかった。……再会を喜んでいる場合ではなかったのだ。自分の力を信じていたあのチェリカが、誰かを傷つけることを恐れ、自らに枷をつけていることをしらなかった。

 ──と、チェリカが優しく微笑んで、トアンの手を握り返してきた。

「トアン、何か難しいこと考えてるでしょ」

「……。」

「大丈夫だよ。だから、私の魔力のこと、気にしないで。それで、内緒にして?」

「でも!」

「原因はわかってるの」

「……え?」

 さて、とチェリカは立ち上がって思い切り伸びをした。トアンもつられて立ち上がる。

「チェリカ、原因って──……」


「……落としたはずの心、見つけたから──気付いちゃったんだ。だから、黒い黒い海の中に、私の手は繋がれてる」


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