神の国エアスリク編

第28話 ハイブリッドレインボウ






 永遠に続くと思われた光の波は、唐突に途切れた。先程までは完全に無音の空間にいたが、こつん、という足音が聞こえると同時にルノがトアンの手を軽く揺さ振った。

「もう目を開けて大丈夫だぞ」

「……もう、ついたの?」

「……ついた。みんな、ついたぞ。目をあけろ」

 ゆっくり、恐る恐る目を開けて世界を見ると、トアンはくしゃりと顔を歪めた。ルノが心配そうな声をかけてくれる。

「どうした?」

「……ルノさん、ここが、エアスリクなんだよね」

「……そうだ」

「……ここが、あの、エアスリク──」

 チェリカの過去として視た世界と、何と違うことだろうか。

 トアンたちの目の前には、灰色一色に塗りつぶされた世界が音もなく佇んでいた。


 ……生命が感じられない、ただ冷たくそこにあるモノ。

 風にざわめいていた梢も、清いせぜらきも、何もかもが灰色の王国。


 ──それが、神の国、エアスリク。




 地面の下にある、不思議な遺跡のような紋様も、もうただの石の床になっていた。トアンたちは石の森を歩き、やがて森を抜け、石造りの階段を上っていた。目指すのは、かつてルノが幽閉されていたという塔だ。ルノの伯母が言ったように、国中に薬をまくために、エアスリクを見渡せる場所はそこしかないとルノが言った。

「……酷いな」

「え?」

 トトの後ろでレインが呟いた。トトが振り返る。

「ほら、あっち。あれ、街だろ──ルノ! あれ、街だよな?」

「ああ……そうだ」

 ルノが立ち止まったので、全員レインが指す先を見た。今のぼっている入り組んだ階段を別の方向に下っていくと、遠くに白い石やレンガでできた大小さまざまな建物の集落に出る。

「あれが、エアスリクの街だよ。……ここからはそんなに良く見えないが、小さいが賑やかな街だ。──あそこにいた住人も、一人残らず石化していた……」

 思わず足を止めてルノが呟き、それからもう一度歩き出した。

「ルノさん──……」

「大丈夫だ、トアン。早く行こう」

「うん」

 ルノとトアンが歩き出したので、真ん中にいたウィルが後ろに向かって叫ぶ。

「おーい、レイン、トト。置いていかれるぞー」

「あ、まってください!」

 トトが慌てて返事を返し、ぼうっと石の街を見ているレインの手を引っ張った。





 くねくねと細く長く、天に突き刺さるように続いている螺旋状の塔の階段。相当の段数の階段をのぼり終えると、ぽつんと小さな木の扉がまっていた。

「ここが──……」

 ──その中は、巨大な本棚に四方を包囲された小部屋だった。天井の高いその部屋には天蓋つきのベッドと木の机がポツンと立っており、ルノは部屋の中を懐かしそうに眺め、ふっと笑みを浮かべる。

「昔の私の部屋だ。──もう、今は使われていないが」

 埃の積もった本棚を通り過ぎ、ルノが窓を開けた。レインが咳き込んでいたからだ。しかし、窓を開けても風はなかった。灰色の森が見渡せるだけだった。

「すまないな、レイン。外で待っていたほうが良かったか?」

「別に──げほっ。ただちょっと──っくしっ!」

「だ、大丈夫ですか」

「咳にくしゃみか。大変だなー」

 心配するトトの横から進み出たウィルが、からかうように言いながらもレインの背中をそっと撫でた。

「ルノ、少し力かして」

「あぁ」

 ウィルに言われるまま、ルノはレインの胸元に手をやる。治癒魔法をかけていたのは短い時間だけだったが、レインの呼吸はかなり落ち着いたようだ。もういい、とルノの手を押し返す。

「で、どうすんだよ」

「確か、祈りとともに薬をまくんだ」

「祈りィ?」

「私もよくわからないんだ。……トアン、どう思う?」

 唐突に話を振られて、ベッドを見ていたトアンはびくりと肩を揺らした。

「え? オレ」

「そう、お前だ」

「何驚いてんだよ。ルノのベッド見つめてぼーっとして……変態」

「に、兄さん!」

「……トアン」

 レインの言葉を真に受けたのか、ルノが少し眉を顰めて一歩下がった。トアンは慌てて両手を振って弁解する。

「ちょ、ルノさんまでそんな顔しないでよ! 別にオレは変な気持ちで見てたんじゃない! ただ……」

「ただ?」

「……オレ、前にこの部屋みたことがあるんだ」

「……え?」

 トアンの言葉にルノの瞳が丸くなり、一歩進み出る。良かった、変な誤解は解けたようだ。

「前に、リコの村に言ったとき──この部屋に一人でいるルノさんを夢に見たよ。今よりずっと小さくて、でも……たった、一人だった」

「……。」

「歌を歌ってたんだ、ルノさん」

「夢幻道士の力とは、不思議なものだな……」

 ルノの顔が、泣きそうな、けれど嬉しそうな、懐かしさと悲しみがごちゃ混ぜになったような表情になった。トアンは見ていられなくて、ごめんなさい、と謝る。

「何故、謝る?」

「……今、こんな話するべきじゃなかったから」

「いや、構わないよ。──それも事実だ。私はここでたった一人で、そう、ずっと──シアングが来るまで、ずっと一人で……」


「……歌、じゃないでしょうか」


 突然のトトの言葉に、ルノとトアンは一瞬ぽかんとし、そして二人同時に声をあげた。

「そうか!」

「そうだ!」

 顔を見合わせるウィルとレインの前で、二人は手を合わせて思わず飛びはね、それから不安げに眉を下げた。

「……そうか?」

「……そう?」

「何がだ?」

 置き去りにされたウィルがトトの袖をくいっと引っ張って問う。トトはにっこりと笑って、自信たっぷりに言った。

「エアスリクの呪いを解く方法です。歌なら、どこまでも流れていきますから」

「しかし、トト……」

「やってみてください。何事も挑戦です」

「……そうか。わかった、そうする。」

 ルノはゆっくりと頷き、ポーチからシアングから受け取った薬を取り出すと、窓辺にそっと手をかけた。薬のビンの蓋を開けて手すりに乗せ、その前で手を組んで目を閉じる。

 ──トアンたちが見守るその前で、透明な歌声が灰色の街に降り注いだ。雫は七色に輝き、惜しみなくエアスリクを包んで乾いた石の街に溶け込んでいく。


 そして──……



「……なにも、起きないな」

 ルノの隣からひょいと顔をだしたレインが首を傾げる。

「そんな……」

 トアンもレインとは逆の方向から窓から身を乗り出し、わけのわからない恐怖に包まれた。眼下の森は──まだ、灰色だったのだ。

「……薬が、もうない」

 絶望に近い表情のルノが項垂れる。窓辺のビンは、カラッポになっていた。トアンはかける言葉もなく、どうしようもない悔しさに拳を握り締める。その後ろウィルが困ったようにトトを見やると、トトは落ち込むどころか、目を閉じて深く集中していた。

「……トト?」

「動いています」

「は?」

「……風が、動き出そうとしています。力が集まっている──」

 トトの言葉に、ルノが顔をあげる。その時だ。


「おい、あれなんだ?」

 まだ窓から外を見ていたレインが、大きく身を乗り出して一点を指した。

「おいおい、危ないぞ」

 ウィルがすぐさま駆け寄ってその身体を引っ張るが、レインの指の先に視線をやり、叫んだ。

「地面が光ってる! あの紋様に添って──光が一箇所に集まってるぞ。あれは、城の中庭……?」

(中庭……?)

 トアンも目を細める。確かに紋様の光は、城の庭らしきところに集まっている。詳しくは見えない。まるで迷路になっているような手入れをされた植え込みが邪魔しているのだ。──植え込みの迷路。

「……行こう! ルノさん、行って見よう!」

 かつて、チェリカの過去を元にした世界で視た、あの迷路。トアンは有無を言わさずルノの手を掴むとドアを開け放ち、転げ落ちるような勢いで階段を下りていった。慌てたようなウィルの声とトトの声が後ろから追いかけてくるが、振り返る余裕もない。足音が聞こえるので、ついてきていると信じて足を動かす。不思議なことに、いつもなら足をもつれさせるルノが、このときに限っては足の速いトアンとほぼ同じ速度で階段をおりていた。

 ──ルノも、きっと気付いたのだ。あの光の元に行かなければいけないと。

 長い長い階段をおり、悲鳴をあげる足を無視して、トアンはただただ走った。ルノの手を引いて、色を失った城へ。



 ──石になった花園。石になった噴水。石になった、庭園。全てが灰色に塗りつぶされたその場所は、石と化した植え込みの迷路の先のアーチを潜った先にあった。元々石でできた吹き抜けの回廊が半球の形で庭を囲んであり、回廊の先には堂々とした城が佇んでいた。色はわからないが、形状は城というよりもどこか遺跡のように美しく、月と太陽を模したオブジェが飾っている。

 ──その庭に、『彼女』はいた。

「……。」

 言葉もでなかった。トアンは心臓を鷲掴みにされる思いだ。助けを求めるのか、救いを差し伸べるのか、彼女の伸ばされた手にそっと自分の手を重ねるが、ただ冷たい石の温度が掌を通じて伝わってきただけだった。


「……チェリカ」


 さらさらと流れる金髪も、青い青い天空の瞳も、イタズラっ子の笑顔も、怒った顔も、笑った顔も、石になった彼女には与えられなかった。トアンは静かに手を離し、思わずゆるりと視界が揺れたのをつばを飲み込んで誤魔化した。

「私が城をでたときと、変わらない姿だな」

 寂しそうにルノが呟く。追いついたばかりのウィルとレインが、ルノに声をかけようとして伸ばした手を彷徨わせてから引っ込めたのを、トアンは視界の端でみていた。

「……光も、消えてしまった。お前を助けることが、できなかった……」

 ルノが再び落ち込んだ原因はそれだった。植え込みの迷路に入る前は恐らくこの周囲で光っていたと思われる光が見えたのだが、抜けてみるとどうだ。辺りに光なんてものはなく、ただひっそりとした静寂があった。

 絶望に濡れるトアンとルノの後ろで、トトがきょろきょろと辺りを見渡しているので、ウィルとレインがその服を掴んで引き戻す。

「なにしてるんだ、落ち着けよ」

「レインさん、あの、」

「どうした?」

「先生、だって──」

「ぴゅい!」

 トトの服の中からコガネが顔を出し、一声ないた。あまりにも突然なことだったので、トアンとルノは驚いて声をあげ、思わず同時に石になったチェリカの手を握った。途端に伝わってきた冷たい感覚に、二人は同時に顔を歪ませ、反射的に願った。奇跡とも言うべき、まったくの同時に。


 ──その瞬間、チェリカの足元の紋様から青い光が紋様伝いに広がっていくと、凄まじい勢いの風と光がトアンたちに襲い掛かってきた。

 あまりの衝撃に目を開けていられなくて、トアンはぎゅっと目をつぶった──……





 ふわ。


 優しい風が頬を撫でた。

 

 先程の風と光は、もう収まったようだ。恐る恐るトアンは瞳を開けていき、そしてはっと見開いた。

「あ!」

 ひょこ、トアンの後ろに隠れていたウィルが横から顔を出し、声を上げる。

「あ」

 ひょこ、同じくトアンの後ろに隠れていたレインがウィルとは反対の方向に顔をだし、呟く。

「あ、」

「ぴゅる」

 二人に引っ込められたのだろう、ウィルとレインの後ろにいたトトと、コガネが同時にトアンの上から顔を出して、言う。

「……あぁ……。」

 トアンの横にいたルノが、小さく声を上げて喉をふるわせた。

「……。」

 トアンの言葉は声にならず、再び視界が揺れた。今度はそれを堪えることはせずに、トアンは一粒、涙を落とした──手入れをされた、緑の草の上に。


 ……色が、戻っていた。木々がざわめいていた。風が優しくふいて、半透明な雲がそっと地面を撫でていた。──空は、どこまでも青い。


 ──目の前にいる『彼女』の石像は、もはや石像と呼べなくなっていたのだ。眩い金髪が風にゆれ、伸ばされたままだった手がゆっくりと下がっていく。柔らかな頬のラインとうっすらと赤みの差した頬、睫毛の影が落ちる白い頬。その睫毛の影がそっとふるえ、チェリカがそっと目を開け、ゆっくりと瞬きすると、透き通りそうな青い瞳にトアンが映っていた。



   ハイブリッドレインボウ

 ─もう一度君に会うために─

 

 ──そして、神の王国は生き返った。



「……チェリカ」

 ルノの問いかけに、チェリカは首をめぐらせてルノを見た。まるで寝起きのような緩慢な動作だ。

「お兄ちゃん──……?」

「チェリカ、……戻ったんだな? 本当に、もう、戻ったんだな?」

「どういうこと……? 私、なんで……そうだ、えっと、あの雨で──……」

 状況が飲み込めないらしいチェリカが困ったように微笑み、目を閉じてぐるりと周囲を見渡した。森の声を聞き、風の声を聞き、太陽の声を聞き、それからパッチリと目を開けると、チェリカは今度は柔らかく微笑んだ。

「……ありがとう、お兄ちゃん。助けてくれたんだね。石になってたんだね、エアスリク。そう、ぼんやりしてるけど、覚えてる──わ!」

 一歩踏み出そうとしたチェリカの足が、カクリと膝からおれた。地面にぺったりと座り込んだチェリカを、ルノが慌てて手を伸ばす。

「だ、大丈夫か?」

「えへへ、ごめん、まだうまく身体が動かないみたい──」

 ふにゃっとした笑みを浮かべ、チェリカはルノの手をとった。──しかし彼女はすぐに起き上がらなかった。今更ながら、偶然動かした視線の先にトアンがいて、トアンとチェリカの目と目がある。チェリカは一瞬なんでもないように目を逸らすが、すぐにもう一度トアンを見て、目を見開いた。

「……え?」


「そ、その……久しぶり」

「え? え? 嘘、うそでしょ、どうして君がここにいるの?」

「えっと──」

 チェリカは目を丸くして、落ち着きなく瞬きをした。その青い瞳にまっすぐに見つめられ、思わず口篭るトアンの代わりにルノが口を開く。

「トアンは、私を手伝ってくれたんだ。なんだチェリカ、今頃気付いたのか? そんなに動揺して」

「だって! ……だって、ありえないよ、トアンがここにこれるなんて、エアスリクにこれただなんて──……」

「でも、オレ、ここにいるよ?」

 混乱しているのだろうチェリカと目線を合わせるため、トアンはしゃがみ込んでそっと言った。ルノと繋いでいない、地面にポトリと投げ出されたその手を取って、もう一度言う。

「会いにきたよ」

 繋がれたままのチェリカの手が、小さく震えた。温かな手だ。もう、石ではないのだという実感が、トアンの心を見る見る温めていく。

「……ホントに、トアンなんだね」

「うん」

「どうして、ここにこれたの?」

「シルルさんに頼んだ。……あの時チェリカたちが使った扉を通って、きたんだ」

「そう、それじゃあ──そうなんだ……」

「……チェリカ?」

 先程からのチェリカの言葉は、ただの驚きからではないのかもしれないと今更ながらトアンは思った。

(もしかして、オレに会いたくなかったかな)

 一抹の不安が胸を過ぎったその瞬間、


「嬉しいっ!」


 チェリカがぱっと輝くような笑みを浮かべ、ルノと繋いでいた手を離してトアンの手を両手で握り返した。柔らかい風がチェリカの金髪を揺らし、青い瞳が一瞬揺らいだ気がした。トアンにとってどこまでも甘く狂おしいほど大切な声が、心を震わせる。

「──私、でも、それでも、君にもう一度逢いたいって、逢いたいから、いつか会いに行こうと思ってて、そのためにがんばってたんだよ。まさか、君が本当にこっちにこれるとは思わなかったからちょっと驚いちゃったけど……でも、でもすごい嬉しい」

「……チェリカ、それ、本当?」

 ぐちゃぐちゃに散らばってしまったチェリカの言葉のピースを、一つ一つ拾い集めてからトアンはたずねた。

「オレに逢いたいって、思っててくれたの?」

「うん。一年前に別れてから、ずっと……」

 そういって照れくさそうに笑うチェリカの言葉にトアンは瞠目する。ずっと? そんなの、自分のセリフだ。ずっとずっと、あの別れからただそこに立ち竦んで、自分は今この瞬間を待ちわびていたのだ。

「……オ、オレも」

 開いた口から、思ったよりも頼りなく震える声が出た。

「え?」

「オレも、ずっと、ただ一目チェリカに逢いたかった。君と話がしたかった。──ルノさんが落ちてきてから、ここまでくるのに少し時間がかかっちゃったけど──でも」

 チェリカの顔が滲む。滲ませないで。オレの目にうつる世界から、チェリカを消そうとしないで。──それなのに、ついに耐え切れなくなった涙が流れて、ポトン、と地面に落ちた。

「トアン?」

 ルノが心配そうな声をかけてくれたが、トアンの涙は一つに続いて二つ、三つと地面に吸い込まれていく。

「はは、いやだな、どうしたんだろ。ご、ごめん、こんな格好悪いところ──」

「……トアン」

 チェリカの指が、そっと涙を拭ってくれた。

「前に、私の魂を助けてくれたときも、トアンは泣いてたね」

「……っ」

「覚えてるかな? 私、あのときも君の涙を拭いたんだよ」

「お、覚えてる──。……覚えてるよ。わ、忘れるわけ、ないだろ」

「うん」

 チェリカがにこにこ笑って、それから何故かほんの少し寂しそうに瞳を泳がせた。その間チェリカの指はトアンの頬から離れることはなく、ただただ、涙を拭い続けていた。

「私の分も、ううん、もっと色んなもののために、君は泣いてくれてるね」

「オ、オレは、そんなたいしたことはできないよ……」

「ううん、君は色んなことを考えて、色んな人のために行動してる。──それにね、私のこと助けてくれたの、これで何回目?」

 チェリカの青い瞳がうるりと揺れた。トアンがはっと目を見開き、驚きに涙を止めたその前で、その瞳から美しい雫がそっと頬を伝っていく。

「チェ、チェリカ……?」

「……もう、逢えないと思ってたのに。君はここに来て、私を助けてくれた。もう、逢えないと思ってたのに、私はずっと逢いたかった」

「逢えないって……? チェリカ、逢いに来るって、言ってたのに?」

「……うん、言った」

「……嘘だったの?」

「うそ、じゃない。……けど、うそだよ。もう、逢えないと思ってたから。逢いに行くこと、できなかったし……」

 つ、と目をそらしたチェリカの目を、今度はトアンがそっと拭ってやりながら言う。

「オレから逢いに来たのって、無効?」

「え」

「チェリカは、嘘をついてない。……未来は変えられるんだ。その時無理だって思っても、オレはきたよ。変えられるものなんだよ」

「……未来。」

「オレたちが、その……互いに互いのことを覚えてる限り、まためぐり合えるものなんだよ、きっと」

 少々気恥ずかしいセリフをゴニョゴニョと呟くトアンに、チェリカが自分で涙をふき、それから笑ってくれた。


「私も、たしかに、君のことはずうっと忘れなかったから、君も忘れるはずないと思ってて。」


 その言葉を聞いた瞬間、トアンの目から、ぶわっと涙が出てきた。先程までの一滴とは違い、どうにもたまらなくなって、トアンは自分の感情に身を任せ、チェリカの細い身体を抱きしめる。

「あれ、また泣いてるの」

「チェリカ……」

「さあ、もう泣き止んで。ずうっと泣いててもいいけど、私たちの国を見てほしい。私とお兄ちゃんのうまれたこの国を、その目で見て」

「……うん」

 しわがれた声で呟いてからチェリカの身体を解放する。チェリカは蕩けるような笑みを浮かべたままで、それからぐるりと周囲を見渡してから、表情を驚きに変えた。

「あれ」

 トアンの横に一歩踏み出し、チェリカが目を瞬く。

「レイン。それと、……ウィル? 君たち、どうして」

「やっと気付いたか。一緒に来たんだ、こいつと。……目の前で感動の再会やってくれたのはいいけど、オレたちのこと無視すんなよ」

 レインが憎まれ口をたたきながらもチェリカと目線を合わせて屈むと、チェリカは嬉しそうに歓声を上げてレインに飛びついた。

「レイン、久しぶり!」

「ああ」

「元気にしてた? なんだろ、すごい懐かしい! あ、ねえねえ、シアングのお弁当食べた?」

「一度に色々言うな。……弁当は、食べたよ。お前ら、起きてたんだな」

「そう! ……そうだ、えっと、ウィル?」

 レインにしがみ付いたまま、首をめぐらせてチェリカがウィルを見た。ウィルは苦笑を浮かべ、高くなった身長でチェリカを見下ろす。

「そうだよ。なんで疑問系なんだよ?」

「だって背が、トアンはちっとも変わってないのに」

 

「オレ、伸びてるよ」

「わ、私もだぞ」


 チェリカの言葉にすぐさま反論したトアンとルノだが、チェリカはふっと口の端を吊り上げてそれに応えた。

「ちっとも変わってるって思えないよ」

「う……ッ」

 トアンとルノが言葉につまると、チェリカは再びウィルを見た。

「ウィルはなんでこんなに大きくなっちゃったの?」

「なんでって……成長期だよ」

「成長期ぃ?」

「なんだよ、その顔」

「だって、その……ちょっと……」

「なに引いてるんだよ。……オレは。オレはなんていうか、魂の歳のとり方がちょっと特殊だろ? だから、身体もそれに見合うように成長してるんだって思ってたけど」

「ああ、そっか。……そうかな? それ、関係あるかな」

「それか、あれだ。栄養あるおいしいものいっぱい食って、いっぱい運動して、頭も使ってるからかもな」

 ウィルはへらりへらりと笑ってチェリカのどうして? を交わすと、レインの腰を抱いて引き寄せた。

「な、レイン」

「オレにふるな」

「ん?」

 ウィルとレインの対照的な顔を見てチェリカが怪訝そうに眉を寄せ、くいっと首を捻る。ウィルは片手にレイン、もう片方のあいた手を腰にあて、チェリカを見下ろして満足気に微笑んだ。

「レインがさ、すっげえおいしい食事つくってくれるからってこと」

「ふうん、ウィルずるい」

「え?」

「私だってレインのご飯食べたいよー」

 ぶーっと顔を膨らませてチェリカが不満そうにレインの服を引っ張った。レインが目を何度か瞬いて、それから、まあ、そのうちな、という。

 このままでは埒が明かないのでトアンは一歩踏み出し、チェリカの肩を叩いた。

「ウィルと兄さんはね、チャルモ村っていうところで暮らしてるんだ」

「チャルモ……村」

「そう。そこで小さい子供二人を預かって、育ててる。ウィルはチャルモ村で先生をしてるし、兄さんは服を作ってる。小さいけど優しい、いい村だよ」

「そうなんだ。ふうん……」

 チェリカの瞳が、今度はトトを捉えた。

「君は?」

「トトといいます」

「トト……? じゃ、そのこは?」

「その子?」


「君の服の中にいる、子」


「え……」

 チェリカの言葉に驚いた様子のトトの上着中から、ぴょこりとコガネが頭を出した。呼ばれたまま、応えるように。

「この子はユーリです」

「ふうん……。──へえ。」

 まるでいたずらを考えた瞬間の表情をして、チェリカが口元に手をやってつぶやいた。ちら、とその目がトアンを見る。

「……なるほど。そういうことなのかあ……」

「え?」

 トアンが思わず目を丸くすると、チェリカはにこりと笑って手を振った。それからトトに向き直って、ぺこりとお辞儀をした。

「ううん、なんでもない。……よろしくね、トト、ユーリ。私、チェリカ」

「よろしくお願いします」

「ぴゅい」

「えへへ、仲良くしてね」

 チェリカが手を伸ばすと、コガネも首を伸ばして濡れた鼻面を押し当てた。チェリカは目を細めてキャッキャと笑い、その肩をルノが優しく叩く。

「チェリカ」

「あ、うん、そうだね。そうそう……ね、トアン。どうせならさ、今からお城によっていかない? みんなも一緒に。私たちのお家なんだよ、ゆっくり休んでさ、エアスリクを案内するよ」

「え、いいの?」

「うん! ──トアンが、初めてエアスリクの地を踏んだ夢幻道士になんだよ」

 いこう、と伸ばされた手にトアンはもちろん手を重ね、チェリカに引っ張られるようにして走り出した。その後ろを、ルノがウィルとレインに押されるまま走り出し、トトが微笑みながらその後に続いた。

 

 温かい風の吹く、どこまでも温暖な優しい気候。神の懐に抱かれるように、緑は生き生きと四肢を伸ばし、ヒトはまどろみと慈しみの中で柔らかく歌うのだ。──その場所の名は、エアスリク。……真実の鍵は、既にばら撒かれている。

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