第27話 夢見る君のすぐ傍へ





「おお、おはよう。お主等を運んでくれるよう、説得しておいたぞ」

 そういって満面の笑みを浮かべたテュテュリスを前に、トアンは言葉を失った。トトとルノも驚いているようだ。──テュテュリスのすぐ後ろにいる巨大な影に。


 それは、ぐるりとトグロを巻いた巨大な蛇──違う、蛇ではない。ガバリと避けた大きな口、キラキラと光る純白の鱗。風もないのにうねる長いヒゲ、輝く青い鬣から突き出た角。

 竜だ。──それは、龍だった。

「テュテュリス、こ、これは……?」

「ドアゴンじゃ。人間なんざ乗せたくないと散々駄々をこねていたが、まあ、トアンたちならばと納得してくれたのじゃよ」

「私たちにこんな知り合いはいないが……」

 戸惑ったようにルノが言うと、ドラゴンの金色の目が煌いた。唖然とするトアンたちの様子に首を傾げていたテュテュリスだったが、ようやく今のルノの言葉で合点がいったように手を叩く。

「ああ、そうか。この姿を見るのは初めてか」

 シュウ……ドラゴンの静かな冷たい呼吸にあわせて、小さな水の粒が舞い上がって消える。テュテュリスはそっと手を伸ばしてその大きな口に手をやると、トアンたちを手招いた。

「ヴァイズじゃよ。これはヴァイズの深水竜のときの姿じゃ」

『久しいな』

 大きな口が動いてトアンたちに言葉が向けられる。──トアンは一瞬言葉につまった。口の中に並んだ鋭い歯が光った所為だ。

『トアンよ、私が怖いか?』

「い、いえ、違います。──久しぶりです、ヴァイズさん」

『あぁ。……本来、人間に手など貸してやるべきではないと思っていたが』

 ふう、とヴァイズがため息をつく。青い鬣が揺れた。

『テュテュリスの頼みであるし。……貴公たちの件でもあったからな。私としたことがラプラスの魂を解き放ってくれたことの礼をまだキチンと果たしていなかった』

 目を細めたヴァイズは、やはり人間の立場ではない発言をした。……けれどもその声は、一年前、出会った当初のような優しい声だ。

 ヴァイズは人間寄りの考えではないが、優しい男なのだ。──一年前、シャインの手によってその心は酷く傷つけられていたが。

『時にテュテュリスよ』

 ヴァイズの首がテュテュリスに向けられる。

『貴女、その腹に宿しているのは──』

「おお、気付いたか? リクの子じゃよ」

『やはりか! まさかとは思っていたが──貴女は何を考えているのだ!? 我々竜と人間は──』

「うるさいのう、胎教に悪いぞ」

 真剣な声で言うヴァイズに対し、テュテュリスは不機嫌そうな、しかしからかうような顔で言った。

『た、胎教……』

 ヴァイズの顎がガクンと落ちるのをトアンは見た。テュテュリスは更に続ける。

「わしは説教を聞くためにお主を呼んだのではない。ほれほれ、赤が嫌いな深水竜よ。彼らの足になってやれ。礼なのじゃろう?」

『……。』

 ヴァイズの金色の目が完敗の色に染まった。がくりと頭を下げ、明らかに意気消沈な様子のヴァイズが、トアンの方を見ずに会話を振ってきた。

『……トアン、どこまで行けばいいのだ?』

「え、あ、ええと……とりあえずチャルモ村まで」

『チャルモ村──? 犬神の村か』

「犬神?」

 トアンとトトが首を傾げるが、ヴァイズはそれを制し、続けた。

『まあいい。エアスリクには行かないのか?』

「エアスリクにはその後いきます」

『了解した。──しかし、私はハルティアの元までしか運べないが、それでも良いか?』

「……ハルティアのゲートは、閉ざされていると聞いたが」

 ルノが口を挟む。ヴァイズとテュテュリスは一度顔を見合わせ、テュテュリスが答えた。

『確かに閉ざされている。──けれど、きっとシルルはお主等のことを待っておる。……トアンよ。エアスリクに行きたいというその決意を、シルルに言って説得してみるといい』

「決意……?」

 目を見張るトアンの前で、ヴァイズの首がぐりんと動いてテュテュリスを見た。

『テュテュリス、貴女は彼らに予言のことを──?』

「……予言は予言じゃ。未来は常に不確定。……それもまた、運命なのかもしれぬ」

『貴女らしくないな。貴女はいつでも人間の味方だと思っていたが』

「わしは人間の味方じゃ。いつだってな。予言が成就されるかどうかも不確かなのに、こやつらを縛る術をわしは知らぬ」

 トアンたちの中で新しい疑問が芽生える前に話をつけるように、テュテュリスはキッパリと言い捨てると笑みを浮かべた。

「ほら、行って来い。……トアン、ゴチャゴチャ並べても今更お主の覚悟は変わらぬじゃろう?」

「うん」

『……そうか』

 ヴァイズが頭を下げ、トアン、ルノ、トトの順でその首に跨った。三人が乗ったことを確認すると、ヴァイズは開け放たれた大窓に首を向ける。

『それでは、テュテュリス。──貴女の子供の件、まだ許したわけではないことをお忘れなく』

「別にお主に許してもらおうとは思っとらん」

『……ふ。』

 ヴァイズが薄く笑うのと同時に、トアンは床につけていた足がふっと離れるのを感じた。ヴァイズは長い身体をのたくらせながら、ゆっくりと浮上する。

「テュテュリス、ありがとう!」

「うむ、チェリカによろしくの」

 ゆるりと手をふるテュテュリスに礼をいい、トアンも手を振り替えそうと手を離した瞬間、ガクンと身体が大きく仰け反った。ルノが慌ててその背を両手で抱きしめる。何が──トアンが理解するより早く、耳元で風をきる音が聞こえた。



 強い風が部屋の中で暴れ、ヴァイズが飛び立つとようやく部屋の中に静寂が訪れた。テュテュリスは乱れた黒髪をちょいちょいと直しながら、もう見えなくなってしまったヴァイズの影を目で追う。

「……もう行っちゃったんですか、ヴァイズさん」

 背後からかかったリクの声に、テュテュリスは目は向けずに口元に笑みを浮かべた。

「清々したと思っておるのじゃろう」

「え!」

「過保護じゃからな、ヴァイズは。わしを孕ませたこと、ぐちぐちぐちぐち言われるぞ」

「……言われたっていいです。」

 テュテュリスの視界に強引に割り込んできたリクがいった。

「つか、孕ませたとかそういう言葉使わないでくださいよ」

「……なんじゃ、いまさら」

「俺は、」

「まあ、お主の家は騎士の家系じゃからのー。お嬢様の方が好みか?」

「テュテュリス」

「なんじゃ?」

「……。」

 難しそうな、複雑な表情のリクの顔がぐっと近づいてきた。優しい水色の瞳に自分の顔が映るのを、テュテュリスは見た。

 ──口が達者な自分を丸め込める、リクのもつ唯一の手段。

 テュテュリスはそっと目を閉じ、幸せを受け入れた。



   *



 地面に足がついた瞬間、トアンは重力にまけてぐずぐずと倒れこんだ。そのぐずぐずの上に、銀髪のぐずぐずが重なる。

「死ぬかとおもった……」

 銀髪のぐずぐず──ルノが目を回しながらそう呟いた。トアンも同感だ、と心の中で告げる。今口を開いたら、大参事になる予感がした。

「大丈夫ですか」

 けろりとした表情のトトが、そっと冷たい水を差し出してくれた。トアンとルノは無言で受け取り、水を飲み干す。さわさわとした少し冷たい風が頬を撫でるのが心地良い。

『だらしないな』

「ヴァイズ、お前、私たちを乗せているのを忘れていたのか? 移動でこんな怖い思いをしたのは初めてだぞ」

『すまないなルノ。けれど、私は別にお前たちを忘れていたわけではない』

 トグロを巻いたヴァイズが申し訳なさそうに言った。


 ──ここは、チャルモ村の傍の森の中だ。

 トアンたちは先程、数時間の空の旅を終えて、凄まじい速さでこの地に戻ってきたのだ。その速度はヴァイズの背中の三人にとっては未体験なものであって、ヴァイズのように硬いウロコを持たないトアンは、飛び立った瞬間『自分の身体がつぶれた』と感じるほどの衝撃であった。(もっとも、すぐになにも考えられなくなったのだが)

 チャルモ村を騒がせてはいけないと態々森のなかに空き地を探してから着地してくれたヴァイズだったが、空き地といっても周りから木々の枝は伸びていて、ここでもヴァイズのようなウロコをもたないトアンは枝により『自分の身体に穴があいた』と思うほどの痛みを感じた。

 ──今、こうして地面に足をつけていてもぐらぐらと視界は揺れるし胃袋は心もとない。

『これからどうするのだ?』

「……。」

 ヴァイズに訊ねられてもトアンの胃袋はちょっと油断ができそうにない。トアンが真っ青な顔をしているのを見かねたトトが、代わりに進み出た。

「ヴァイズさん、ここで少し待っていてもらえますか? 先生たちに話をしてすぐに帰ってきます」

 トトが話している間に回復したらしいルノがそっと手を伸ばし、トアンの腹に触れて目を細める。──優しく温かな光に、気持ちの悪さが晴れていった。

『先生? 何者だ?」

「ウィルだ。守森人の。』

 ここでもトアンが答える必要はなかった。今度はルノが代弁者だ。

『……ふむ』

 くい、とヴァイズが首を傾げる。よくわかっていないのだろう。

『まあ、とりあえず私は待っている。早くいってこい』

「ああ」

『……それと、トアン』

「……?」

『情けない』

「……。」

 


  *



 時刻は、昼前。とりあえず先にウィルのいるだろう学校に向かおうかとトアンが言うと、トトが首をふって家を指差した。もう帰ってるはずです、といって。

「……どうして?」

 トアンが歩きながら問う。トトは後ろを歩くルノの興味が他を向いていることを横目で確認すると、声のトーンを落として前を向いたまま答える。

「今日は──この日、俺とコガネと他の生徒は、牧師様につれられて一緒に港を見学にいってるんです。それで確か、そのまま牧師様の家にみんなで泊まって──それから三日間、昼間は村の収穫の手伝いをして、夜は冬篭りの勉強をするっていう、ちょっとした合宿があって。……だから先生は家にいます」

「二人は、外出したりしないの?」

「……二人揃って外出することはほとんどないんです。片方が家に残ってくれてた。──俺とコガネが、誰もいないとパニックになったから……」

 そう呟いたトトの表情を見ることはできなかったが、その声はトアンの鼓膜を悲しく振るわせた。

「その所為で、俺はあの二人から自由を奪ってたんです」

「ぴゅい……」

 トトの服の隙間から顔を出したコガネが寂しそうに鳴き、そっとトトの首に顔を擦りつける。トトの手がコガネを優しく抱いて、それからにっこり笑った表情でトアンを振り返った。

「でも、プルートもシオンもきっとまだいますし。先生たちに迷惑かけちゃってると思いますから、早く行きましょう!」

「トトさん……」

「どうしたんです、トアンさん」

「……ウィルも兄さんも、本当に大事な人相手じゃなきゃ、きっと自由を引き換えになんてしないよ。ううん……引き換えじゃない。トトさんとコガネが心配だから、いつでも迎えにいけるように、普段出かけるときはいつでも守ってあげられるように、そのために家でまってるんだよ」

「……トアンさん」

 笑みを浮かべていたトトの顔が、変に歪んだ。──が、すぐに顔をぶるぶると横にふって、もう一度笑ってトトは礼を言う。

「ありがとうございます」

「ううん」

「……では、いきましょう?」



「おー! おかえりー」

 トアンたちが家のすぐ前まで来たとき、丁度温室からでてきたウィルが迎えの言葉を言ってくれた。今日は動きやすそうな腕まくりしたシャツに皮のズボン、サンダルをひっかけて、両手に持ったカゴには真っ赤に熟れた大きなトマトが入っている。

「ウィル!」

「早かったな、焔城にいくって出てって、まだ全然日にち経ってないぞ」

 茶色の柔らかな瞳をぱちぱちさせてウィルは笑う。

「帰りが早かったのはね、ヴァイズさんに乗せてもらったからなんだ」

「ヴァイズ……深水竜だっけ」

「そう。テュテュリスが移動手段にって連絡してくれてたんだよ。今、森の中でまってる」

「……ってことは」

 ウィルが手に持っているカゴが斜めになり、トマトが一つぽろりと落ちた。それが地面に落ちてつぶれる前に、トトの手がしっかりとキャッチする。

「エアスリクにいく手段が見つかったんだな!」

「とりあえずハルティアにいくことになったんだけど」

「それでもやったじゃん!」

 ぱっと顔を明るくしてウィルが喜んでくれたので、トアンも抑えていた感情をそっと自由にし、思いっきり微笑んだ。

「とにかく中入れよ。茶の一杯でものんでく時間あるだろ」

「……でも、ヴァイズが」

 ルノがちらりと森を気遣うように振り返ったが、ウィルは楽しそうに手を振った。

「まあ、待たしとけ待たしとけ」



「ええ!? 兄様たち、エアスリクにいくのお!?」

 シオンが紫の瞳をまん丸に見開き、テーブルに手をついて叫んだ。その衝撃で、カップの中の湯気をたてる紅茶が危なげに揺れる。


 テーブルを囲んで、トアン、ルノ、トトの正面に座ったウィル、レイン、シオン、プルートはそれぞれ楽しそうだったり驚いたようなな顔をしていた。

「う、うん」

「いいな、いいな! おれも行きたいよー」

「シオン、こいつらは遊びにいくんじゃないんだぞ」

 レインがそっとたしなめるが、シオンは駄々っ子のように首を振った。その横で、プルートもぼそっと口を開く。

「……僕も行って見たい」

「えープルートもー? おれプルートと一緒に行くのなんてイヤだなー」

「な、なんだと!」

「こらこら、喧嘩しなーい」

「二人とも、ほら、やめなよ」

 ウィルとトトが同時にシオンとプルートをとめると、プルートは気まずそうに顔を背けた。

「……トアンたちは、もう、すぐにエアスリクにいくのか」

「そうだよ、兄さん。……チェリカを、やっと助けてあげられる」

「ふうん……そうかあ……」

「え?」

「オレも行ってみたいなー、天空の王国をさ。伝説上だって言われてるんだし」

「あ、レインも? オレもオレも」

 驚くべきレインの言葉に続き、ウィルもはいはいと手をあげた。トアンは驚いて目を見張るが、トトはほっとしたような、嬉しそうな顔をする。

「せ、先生もレインさんも、一緒に行きますか?」

「うん……行けるなら……。コガネとトルティーが心配だけど、……。」

「二人のことならプルートとシオンに任せてください。一緒に行きましょうよ」

「「ええ!?」」

 プルートとシオンが声を上げるが、トトのキラキラした瞳には一切届かなかった。ウィルとレインが戸惑っていると、トトの表情が、今度はとても悲しそうな顔になる。

「……だめですか」

 しゅんと沈むトトと、その肩で耳を下げるコガネ。ウィルは慌てたように手を振って言った。

「いや、ダメってわけじゃ……レイン、どうする?」

「どうって……行きたいけどさ。シオンとプルートが留守番しててくれるなら」

「えー、兄様おれも行きたいよう」

 なお駄々をこねようとするシオンを、さっとプルートが抑えた。レインは二人にちらりと視線を送ってから、トアンを見た。

「コガネとトルティーのこと、ホントは他のヤツに任せるのなんてダメだけど……チェリカはオレたちを助けてくれたから。だから、今度はオレが助けてやりたいんだ。っつっても、オレたちはなんにもしてないけどさ……挨拶くらいしたい。ウィルは?」

「レインが行くって言うなら、もちろん行くさ。オレもさ、なーんもしてないけど久しぶりに会いたいよ。あいつのちょっと皮肉な天然のとこが見たい。エアスリク自体、みたいしさー」

 ソファにもたれかかってウィルはそう言うと、手を合わせてトアンに向けてきた。

「頼むよ。チェリカには世話になってる。そもそもあいつがトアンのとこに来たから、オレたちの世界は動き出したんだ」

「兄さん……ウィル……。……いいの? 一緒にきてくれるなら、オレは全然構わないよ。ルノさんは?」

「私も別に構わない。……ウィルとレインは何もしていないわけではないぞ。ちゃんと私たちを手伝ってくれたんだから」

 のんびりと紅茶を飲みながらルノは告げ、トトに向けて軽くウィンクをした。トトがはっとしたように鞄をごそごそと漁り、なにやら紙とペンをだして姿勢を正す。その様子を見てルノがトアンに視線を送り、にこりと笑った。──トアンもルノの意図が分かり、トトの出したペンをウィルに勧める。

「ウィル、これでさ、トルティーとコガネに置き手紙かくといいよ。三日以内に帰ってこれなくても、二人がパニックにならないように」

「お、あったまいい。レイン、オレかいていい?」

「好きにしろ」

「了解。えっと──ん?」

 さらさら、と一文書き出して、ウィルが怪訝そうな声をあげた。

「どうしたの、ウィル」

「……トアン、オレ、あいつらが三日間帰ってこないって、もう言ったっけ……?」

「えっ……」

(しまった……!)

 まさに、失言。

 トアンは思わず瞠目し、言葉に詰まった。ウィルの問いに深い意味はない。ただ少し気がかりなだけだ。ならばなおさら何か早く言わないと……この沈黙は怪しすぎる。

(どうしよう……)

 トアンがおろおとと視線を泳がせると、レインの目が細められた。まずい、このままでは何か言われる。最悪トトの正体が──……。

 そのトトの蒼白な顔をしている。絶体絶命、しかし奇妙な沈黙は唐突に破られた。


「言ったぞ」


 先程と同じように、紅茶を楽しみながらルノが言った。その声色は平常通り。湯気に細められた紅い瞳が、真実を疑わせない。

「……言ったっけ?」

「言ったじゃないか。家の前で、私たちを迎えたとき。トマトを落としそうになって、それから子供たちが──、と。忘れたのか」

「そう……か? そっか。いや、悪いな、ついついトアンがエスパーにでもなったかと……褒めようと思ったんだけどなー」

 納得したらしいウィルがふんふんと頷き、再びペンを走らせ始めた。トアンがその横のレインをちらりと窺うと、レインは大きく欠伸をしている。──もう、先程のピッとした雰囲気ではない。

「おし、かけたかけたー。じゃ、ちょっと支度してくるから。ちょっとまっててくれ」

 ペンを置いて、ウィルとレインが立ち上がった。二人の姿が部屋から消え、階段をのぼる音が聞こえると、トアンたちはようやく一息をついたのだった。

「迂闊な発言に気をつけろ」

 カップをおいて、ルノがトアンを見る。困ったような呆れたような表情だ。

「あ、ありがとうルノさん……」

「気を付けろ。ウィルもレインも勘がいい。お前も重々分かっているだろう?」

「すみません。トアンさんも、ごめんなさい」

「え? どうして?」

「お前の未来を変えるためのリスクは減らしたいんだと。余計な揉め事はごめんだからな」

 プルートが鼻を鳴らした。

「この前みたいにユメクイが出てきても困るし……」

「プルート!」

 トトの静止に、ようやくプルートが口をつぐむ。ルノが目を零れそうなほど丸く見開いてこちらを見ていた。

「……なんの、話だ?」



「さて、と」

 頭にキリリとバンダナを巻き、ウィルはサンダルからブーツに履き替えた。とんとん、床で足を慣らしてみると、少しの違和感もなかった。ついでに背筋を伸ばし、ポキポキと首を鳴らす。

「着替え完了」

 ちらりとレインを見ると、レインは大きな帽子を頭に乗せているところだった。部屋に取り付けてあった鏡越しにオッドアイが動き、ウィルを見る。

「……お前ってさ」

「んー?」

「性格悪いよな」

「え? なんだよそれ」

「さっきの話だよ」

「あ、あれ? あー……」

 レインの横に並び、飾り紐を手にとって結んでやりながらウィルは答えた。

「ついさ。逆に流したら変かなって」

「追いすぎ」

「……んん」

 煮え切らない返事を返し、ウィルは結んだばかりの紐をほどいた。それだけでは飽き足らず、レインのベルトに手をかける。──手を動かしていないと、うまく言葉にできそうになかったからだ。

「おい、今着たばっかりなんだから。脱がすなよ」

「んー」

 ベルトをいじっていた手が離れ、再び紐を結いだす。

「何。」

「……だってさ」

「?」

「あんなに隠すから、ちょっと気になってさ」

「事情があるんだろ。……お前、楽しんでないか?」

「わかるか?」

「わかるよ」

 くるりと方向を買え、レインはウィルに向き直った。

「……行こうぜ?」

 オレがいるだろ、とレインは言って、ウィルを挑発的ににらみつけた。ウィルは一瞬目を見開いてから、ふっと笑みを浮かべてレインの背に手を当て、とんとんと叩く。

「ごめん、オレが悪かった」

「謝んなよ」

 二人はにっと笑い合うと、部屋のドアを開けた。




「……なるほど……。」

 ルノは目を細め、どこか遠くを見つめる。そのまま数回瞬きすると、トアンに鋭い視線を向けた。トアンは、思わず背筋を伸ばした。

「……何故、言ってくれなかった」

 低い声だった。ルノが怒っている。銀色の髪の毛がふわりと舞い、眉間には深い皺が寄っている。

「……え?」

「お前の未来だ! 私だって、それを変える手伝いぐらいできるぞ! それくらい言ってくれてもよかっただろう」

「だ、だけど……オレもどうしたらいいかわかってないし──」

「だが!」

 ばん、ルノの手がテーブルを叩いた。手をつけていないトアンの紅茶が揺れて、テーブルに零れる。

「ルノさん、どうしてそんなに怒って──」

「どうして!? わからないのか!」

「……う、うん」

 あまりの剣幕にトアンはソファの上で後退した。が、いつのまにか後ろに回りこんでいたシオンがその背を押し返す。

「逃げちゃダメだよ」

「だ、だって! ルノさんがこんなに怒ってるの、滅多にないし」

 しいて言えば、一年前にルノを助けた後焔城に落ちて、雪の中を馬車で走り回っていたとき。シアングが魔物の気配に飛び出していった際に、酷く怒っていたのは記憶にあるが。


「……トアン」

 先程からは打って変わって、沈んだ声のルノにはっとして振り返ると、悲しそうな顔をしたルノがそこにはいた。

「……ルノさん?」

「私はチェリカの代わりにはなれない。パートナーでもない。けれど今、お前の隣に、お前の友人としてここに居るつもりだ。……少しくらい、頼ってくれてもいいとは思うがな」

「あ……ご、ごめんなさい……」

「いや」

 慌てて頭を下げると、その上から優しい声が落ちてきた。顔をあげると、ルノは今度は申し訳なさそうな顔をしている。

「……すまない、少し、駄々をこねてしまって」

「いいんだよ。オレ、ルノさんに心配ばっかりかけてるんだから──言わなくて、ごめんね」

「……トアン」

「黙っててごめん。協力してくれるって言ってくれて、すごい嬉しいよ」

 トアンはそういって笑うと、ようやくルノも笑ってくれた。それからすぐにリビングのドアが開いた。

「待たせたな」

「え……っ」

 ドアの向こうに立っていたウィルとレインの姿に、トアンは思わず息をのんだ。あまりにも、二人の格好が一年間のほほんと暮らしてきた村人には見えなかったのだ。

 ウィルは前を留めるタイプのシャツを着ていたが、あえてフックを外し、日に焼けた肌と王冠をモチーフにしたネックレスをつけていた。そして皮のズボンを覆うプレートつきのブーツ、赤いバンダナ。腰に二重に巻いたベルトからはチェーンが垂れ、手には黒のグローブをしていた。

 レインは濃紺の帽子をかぶり、黒い三日月をかたどったアクセサリーで帽子を留めていた。服は薄紫色の肩を落とした長い上着に、漆黒の布を帯のように巻いて、背中でリボンのように結んでいた。布は手で触れればその手が透けるほど薄く軽いので、レインが一歩歩くたびにふんわりと揺れる。膝下で絞ったズボンに履き潰した靴と、まるで軽業師のような格好だった。首には、あのチョーカーの代わりにウィルとよく似たネックレスをしている。


 ──どう見ても、二人は『旅人』だった。


「じゃ、早速行こうぜ!」

 ウィルがにっこり笑いながら言うと、ルノとトトが勢い良く立ち上がった。トアンも一瞬遅れて立ち上がり、手をつけていなかった紅茶を一気に飲み干した。


   *


 一度視界からはずれ、こうして再び目にして見ると森の中にトグロを巻いたヴァイズの姿は明らかに浮いていた。トアン、ルノ、トト、そしてウィルとレインは、ある者は困惑したように、ある者は笑いを堪えた顔でヴァイズに近づく。

『遅かったな』

 ヴァイズが頭をあげ、鼻からシュウシュウと息をはいた。機嫌はあまりよくないようだ。慌ててトアンが頭をさげる。

「ごめんなさい」

『随分待ったのだぞ』

「ちょっと話し込んでて──」

『ふん……まあいい。それより、人間が増えているな? その二人、以前会ったことがある』

 ヴァイズがひょいと首を伸ばして、ウィルとレインをまじまじと見つめた。

「久しぶりです」

『……あのときの守森人だな。ほお、貴公、暫く見ないうちに随分と精神的にも成長したようだ。礼儀もわきまえている』

 ウィルが敬意を表すように礼をすると、ヴァイズは幾分機嫌が良くなったようだ。うんうんと頷いてから、横で欠伸をしているレインを睨む。

『……貴公は、アリシアの──血華術を持つものだな? 貴公のパートナーは私に礼をしたが、貴公はどうなのだ?』

「魚臭ぇな、お前」

『なんだと!』

「間近で怒鳴るな、息もくさい」

『貴公──……そんなに眠たければ、今ここで永遠の眠りにつかせてやってもいいのだぞ』

「ちょ、やめてください!」

 ヴァイズの不穏な言葉にトアンは慌てふためくが、レインは腕を組んでふーんとつまらなそうに鼻を鳴らした。その態度にますますヴァイズの鼻息が荒くなる。

 トアンはさらに慌てたが、その肩をぽんとウィルが叩いた。

「ウィル……」

「……。」

「落ち着いてないで、兄さんを止めてよ」

「……レインは、怒ってるんだよ。ただ単に、ヴァイズのことからかってるんじゃない」

 ウィルの口から出た言葉はあまりにも意外で、トアンはきょとんと目を丸くした。

「……え?」

「だからさ、怒ってんの。……アリシアさんのこと、ヴァイズは色々言ってただろ? 確かにあの時は何も知らなかったし、アリシアさんだってしちゃいけないことをした。……でも今は違うって、わかってるから」

「!」

 ウィルは静かな声でそういうと、今度はレインの肩を掴んで強引に引き寄せ、もう片方の手でそっと頭をぽんぽんと叩いた。

「……なに。」

「レイン。オレのことガキだガキだって馬鹿にしてたけど、もうさせないぞ。ヴァイズに機嫌損ねられたら、オレたち、エアスリクに行けなくなっちまうよ」

 ウィルの言葉に、レインの目が僅かに見開かれる。ウィルはうんと頷いてみせ、それからヴァイズに礼をした。

「すいません、オレのパートナーが無礼なことを」

『……いや、いい。』

 先程のウィルの話を聞いていたヴァイズが、驚くべきことに頭を垂れた。──乗れ、と言っているのかもしれないが、まるでその姿は人間が頭を下げているようだった。

『アリシア・ローズのことは、もう、過去の話だ。──今の彼女は人間だ。人間について、とやかく言う必要はなかった』

「ほら、レイン、謝ってくれたぞ」

「謝り方もちょっとカンに触るな」

『許してもらおうとは、思っていない』

「……?」

『……私は、人間の考えはわからない。アリシアが過ちを犯したときも、先程の貴公の態度に腹を立てたときも、いつも『人間だから』という理由でその先を見ようとしていなかった』

「……。」

 どこか寂しそうなヴァイズの言葉に、レインが一歩歩み寄った。そっと手を伸ばし、──ヴァイズの髭をぐっと引っ張ったのだ。

『!? な、なにを、』

「アンタにはアンタの立場があったな。だから、もういいよ。もう気にしないから、アンタも気にするな」

『……。』

「ただ、母さんに会うことがあったら、少しは謝っといて。……多分、もう忘れてるかもしんねぇけど」

『貴公は、気遣いがヘタクソなのだな』

「髭、いらないのか」

『……離してくれ』

 ヴァイズの言葉に、レインはふっと口の端を吊り上げて笑い髭を解放してやった。はらはらと見守っていたトアンと、落ち着きなく不安げに見ていたトトは同時に安堵の息をつく。レインは二人の気苦労を知らず、今度はウィルを軽く睨んだ。

「なーにがオレのパートナーだよ。偉そうに」

「いいじゃん、ホントのことなんだし」

「お前、ホントに可愛げがなくなったな」

「いいよ、カワイイとか思われなくて。ほらレイン、もういいからさっさと乗れよ。乗せて欲しいのか?」

「ふざけんな」

 ウィルが差し伸べた手を軽く振り払い、レインは鼻を鳴らした。

「……なんでそう、お前──」

「オレ、レインより大人だから。」

「……。」

 もうこれ以上反論すると肯定になってしまうと思ったのだろう、レインはふっとため息をついて、ヒラリと跳躍しヴァイズに跨った。その身のこなしはさすがと言えるだろう。

「トアン、行こうぜ」

「兄さんが問題起こしてたんじゃ──」

「何か?」

「ううん」

 苦笑いを浮かべるトアンの横で、トトも苦笑している。二人は顔を見合わせると、レインの前にトアン、トトの順で乗った。その間、レインが手を伸ばしてルノを手伝い、自分の前に乗せる。ウィルは全員が乗ったのを確認すると、自分も乗ろうと手を伸ばした。──その手を、レインが掴んだ。

「お、ありがと」

 支えなんていらないが、ありがたく受け取ってウィルはレインの後ろに乗った。レインがそれを一瞥し、そっと背中を倒してきて、ウィルを振り返らずに呟く。

「ウィル」

「ん?」

「……悪い」

「いいんだよ、レインの言葉が足りないのは、いつものことだし。さっきのも気にしてねえよ」

「……。」


 ありがたいことに正論だ。しかしいつまでもウィルを『大人』の席に座らせておくのは、レインとしても面白くない。レインはくるりとウィルを振り返ると、目を丸くするウィルに一瞬で顔を寄せ、微笑みを浮かべて一言囁いた。

「ありがとう」

「……!」

 効果、テキメン。

 レインとしても本心をそのまま伝えられるのは気分が良かったし、ウィルが一瞬で顔を赤くしたのでこれで満足だ。

(ホント、変なとこだけウブだ)

 満足気に正面を振り返ると、ルノが慌てて視線をそらした。レインは思わず首を傾げるが、絹色のような銀髪に見え隠れするルノの耳が赤いことに気付くと、ますます面白くなって口元を手で覆った。ルノの前でトトはニコニコと笑っていたが、トアンもルノと同じように顔を俯かせている。

『出発するぞ』

 ヴァイズが呆れたように鼻を鳴らし、木々がざわめいた次の瞬間、トアンたちは風をきった。


   *



「いいぞ」

 寝ぼけ眼のシルルが半分しかあいていない瞳でトアンたちを見、まるで子供が遊びに行くのを許可するように軽く言い放った。


 ──いつ見ても、全く変わらない姿でそこにあったハルティア。しんと静まり返った空気の下に佇み、澄んだ水面にはかなりの深さまで根が続き、緑に包まれた梢からは深い深い水と土の香り、そして生命の息吹が感じられた。

 再びこの地に降り立って、トアンはなにか胸の奥がツンとしみるのを感じ取る。ヴァイズからおりると、その美しい大樹の前で、シルルが既に待っていてくれた。欠伸をしているところを見ると、どうやら寝起きらしい。トアンたちの顔を見、エアスリクに行きたいというトアンの願いの出だしだけを聞いたところで、先程の『いいぞ』という言葉を告げた。

 シルルと一緒に待っていたタルチルクが、慌ててシルルを覗き込む。

「いいのかい?」

「いいとも。扉を開こう」

 僅かに瞠目するタルチルクを置き去りに身を翻すと、シルルはトアンたちを手招きする。そして水面を這う大樹の根に乗って、手招きした。

「……本当に、いいんですか?」

 想像以上に拍子抜けした答えに、手に招かれるまま近づいて、トアンがおずおずと問うと、シルルは根の上を歩きながら答えた。

「私がどうしようと、人の子たちよ、お前たちはエアスリクにいくのだろう? ならばとめても仕方がないし、とめる権利もない。──お前たちが運命と出会い、そして運命と戦ってその行く末の審判に立ち会うことすら運命の一環で、私が手をだしていいものではない」

「えっと……」

「つまりだ。……テュテュリスから少しは聞いているだろう? それでもお前たちはここにきた。既に種は蒔かれた。ほうっておいても成長する。もう、後戻りはできないのだ。──第一、エアスリクをこのまま放置することはできないからな」

 トアンたちを振り返り、シルルは言った。

「これで十分な理由だろう?」

 さわさわさわ、風もないのに大樹の葉が歌を歌った。──トアンは、大きく頷いた。


 シルルの後について、樹の根の上をぐるぐるとのぼっていく。緩やかな上り道を暫くいくと、あの樹の内部へ続くような、古びた石でできた扉の前に出た。扉にはコケが生したりつる草が巻きついていて、まるで遺跡の一部を切り取ったような姿だ。

「では、エアスリクへの扉を開く。ルノは一度通ったことがあるからわかるだろうが、一応説明するぞ。扉の中は、ただ光がある。迷いを捨て、真っ直ぐに進むといい」

「ありがとう、シルルさん」

 トアンは深く頭を下げて礼を言うと、今度は樹の上から身を乗り出し、こちらを見上げているヴァイズにも頭を下げた。ヴァイズが尾をゆるりと振って応える。

「あけるぞ」

 シルルが杖を鳴らす。シャラン、透き通るような音の波紋が広がって、石の扉に吸い込まれた。トアンたちの目の前で、ゆっくり、音もなく扉が開いていく。中で渦巻く真っ白な光と、強い透明な風が一斉に溢れたした。

「いこう」

 トアンの耳元で囁いたのはルノだ。トアンの揺らぎを一瞬でも感じ取ったのだろう。──ルノが優しくトアンの手を握り、一歩踏み出した。トアンも仲間たちも、続いてゆっくりと歩き出す。


 ──やがて世界の中心の大樹から、光が天に昇っていった。



「……いいのかい?」

 竪琴を持ったまま首をかしげたタルチルクの言葉に、シルルは大樹をそっと撫でてため息をついた。

「私は手出しができない。どんな運命も、あの予言も」

「……。」

「あの人の子たちは既にフロステルダを訪れている。──そして、これからエアスリクの地を踏む──……。あの、トアンがな。これで予言は完全に目を覚ました。もうとめられない」

「……シルル」

「……お茶にしよう。まだヴァイズもいることだし」

 シルルはタルチルクの竪琴をそっと指で弾くと、もう一度空を見上げて呟いた。

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