第24話 忘却の黄昏時

 翌日は雨がやんだ。窓から差し込む太陽の光に、ウィルは大きく伸びをする。

「いて」

「あ、ごめん」

 伸びた拍子に、握りこぶしがレインの頭を軽くぶってしまったようだ。不機嫌そうな声が直ぐ傍で囁かれた──ということは、レインは起きている。こんなに早く起きるのも、窓から差し込む光にベッドはふかふかなのも嬉しくて、ウィルはにんまりと微笑んだ。

「なに笑ってんだよ」

 ごろん、と寝返りをうってレインが顔を覗きこんできた。別に、とウィルが笑うと、変なやつ、と言いながらレインが甘えるように擦り寄ってくる。

「おいおい、どうした」

「別に」

「……オレは、大丈夫だよ」

「知るか」

「……」

 暫しの沈黙。それを破ったのはレインだった。

「朝っぱらからニヤついてるから、本当におかしくなったのかと思った」

「そんなこと思ってないくせに」

「思った」

「まあいいや。とにかく、アークのことは気にしてないから」

 ウィルはそういいながらレインの頭をそっと撫でて、その身体を引き寄せる。毛布の下だというのに、レインの身体は少し冷たい。

「……」

 そういうのが気にしてるっていうんだよ。とオッドアイは言っていたが、やがてウィルの腕から逃れると、もそもそと着替えを始めた。──ウィルはそれを見ながらそっと笑う。

(ホントは不安だけど、あいつがオレの憎しみを全て背負ってるなんて、それを受け入れることができるか不安だけど)

 何笑ってるんだよ、とレインが言ったので、ウィルも毛布を払いのけると着替えを引っ張りよせる。

(お前がいるから、なんとかなる気がする、なんて)

 窓から見る世界は、朝日特有の少し冷たい太陽の光に満ちていて、ウィルはもう一度伸びをした。

 ──一日が始まるのだ。



「なんとかなる、かあ」

 トアンは辺りを見渡して、ため息をついた。それしかできない。

 めえめえめえめえめえめえ……辺りは咽返る様な羊の鳴き声だ。昨日の大雨でストレスがたまっていたのか、草原を駆け回る羊は中々捕まらない。

「動物の世話には自信あったんだけどな」

 何度目かわからないセリフをはくと、あははは、という笑い声が聞こえてくる。

「情けないなトアン・ラージン」

 自信と嫌味たっぷりなその声に、トアンの肩ががくんと落ちた。──しかし無視するわけにはいかないので、妥協案として多少疲れた笑みを向けることにした。

「プルートさん」

「ふふん、お前のようなドンクサイヤツには羊は捕まらないだろう。僕が手本を見せてやる」

「いや、いいです……図書館に言ったんじゃなかったんですか」

「追い出されたさ。……トトめ。僕なしでやっていけると思うのか……ふん、少し反省すればいいんだ、あんなやつ」

(うわあ、ツンだ)

 トアンは苦笑いを引き攣らせながらも、柵に腰掛けているプルートを見た。ミルクティの髪が風を泳ぐのは、その容姿とあいまってとても美しい。

(けど、性格がな……)


 プルートルーンが、所謂ツンデレだと知ったのは、もう遠い昔に思えるがごく最近だ。そっけなく言ったりベタベタしたがるというものだが彼の性格はまさしくそれだ。──それも重度の。

 それはトトに対して惜しみなく発揮され(大体がデレだが、稀にツン)、しかしトトはプルートなりの好意、または感情の表し方であると解釈しているようだ。どんなにデレデレしても友情の一環で、プルートは自分を友達だと思ってくれてるとトトは言っていた。

 ──けれども、トアンやルノ、ウィルやレインにはもうバレてしまった(本人は隠しているつもりらしいがバレバレである)、トトの言う友情の、その裏にあるプルートの静かで熱い、僅かではない『恋心』は見事に伝わらず、空振り気味だということをトアンは知った。──それも、この一週間以内にこれだけ知ってしまったのも、なんだか悪い気がするが。


(ホントに、性格がなあ……)

 このちくちくしたところがなければ、額縁にでも入れて飾れるほどの美少年なのに。トアンはそっとため息をついて、ぐるりと草原を見渡した。

「おい」

「はい」

「僕が手伝ってやろうか」

「え?」

「お前の手伝いをしろって、トトに言われたんだ。──いいか、別に、僕がお前の手伝いを自主的にするわけじゃないんだからな!」

「は……はあ……」

「よし、みていろ」

 ふふん、上機嫌で鼻を鳴らし、プルートが笛を取り出して口に当てた。──澄んだ音色が環を描くように風に乗って広がっていき、波紋のように大気に染み渡る。暖かな日光と優しい音色に、トアンの頭はぼんやりと曇っていく。

(ね……眠い……)

 キレイに音を残して演奏をやめると、薄い唇が笛から離れ、それからトアンを緑の瞳が睨んだ。

「お前が寝てどうするんだ」

「だ、だって」

「ほら、起きろ。とっとと羊の毛でもなんでも梳かしてこいよ」

 急かされるまま立ち上がったトアンは、思わず瞳を見開いた。──青々とした草原に、羊が転々と蹲って眠っている。

(さっきまであんなに動き回ってたのに)

 驚きの視線をプルートに向けると得意そうに目を細めた。その顔はとても自然で──本人も驚いた様子で、すぐに頬に手を添えた。トアンは、未来の自分が彼からそんな表情を削り取ってしまったのだと知ってちくりと胸が痛んだ。

「……僕は、睡眠を誘う魔法が得意なんだ。見事なものだろう?」

 ぼそりと呟き、トアンの手からブラシを奪って羊に向かっていく。──それがプルートなりのプライドであり気遣いであると、トアンにもわかった。

(プルートさん)

 一瞬過ぎった、トアンの瞳の陰りを見抜いたプルート。あんなに憎悪を露わにしていたのに、気遣ってくれるプルート。

 ……トアンはもう一つ予備のブラシを取り出すと、彼の後を追った。


「……どうしましたか」

 高い梯子の上から声が降ってきた。ルノははっとして、手に持っていた本をトトに手渡そうと背伸びする。しかしトトは受け取らず、ルノを心配そうに見つめていた。

 再び図書館の仕事の手伝いに来たルノは、今、トトが本の整理をする手伝いを地上からしている。梯子の高さもルノには厳しくて、そこに登るのは無理だからだ。トトが手を伸ばしてくれるので、その手に目当ての本を渡すという作業だったが、つい考え事をしてしまってトトの手を待たせてしまった。

「すまない」

「いえ」

 ひらりと梯子から飛び降りて、トトが顔を近づけてきた。

「……大丈夫ですか? ぼうっとして。具合でも悪いんですか?」

「いや違う。そうではない……」

「シアングさんのことですか?」

「……いや。……あの、トト」

 話しても仕方がないことだと知りながら、群青色の瞳にルノは口を開いていた。誰にも言えず、この頭の中をぐるぐると回っていたのは、あの雨の中の利用客のことだ。


 シオン・ラージン。


 その名が意味することは、ルノにはさっぱりわからない。しかし単なる偶然とは思えない……

「あの、トト。……昨日の、雨の中のことなんだが」

「はい」

「私が一人で、受付に残っていただろう。その時に──……」

 ゆっくりと言葉を選ぶルノが、いよいよ確信に触れようとしたその時だ。



『キャアアアアア!』



「!?」

 外から聞こえた、悲鳴。その数は一つではなく、男の怒声も聞こえる。ドーム型の天井の中をわんわんと響くそれは、何か得体の知れない恐ろしさがあった。直ぐ傍の学校からは子供の悲鳴らしきものも聞こえたが、それは直ぐに収まった。──ウィルがとめたのだろう。

「なんでしょう」

「さあ……とにかく、行ってみようトト」

「はい!」

 ぱし、とルノの手がトトに浚われる。二人は本の世界から飛び出し、出口に走った。




「……くそ!」

 ぐるんと宙吊りにされた体制で、プルートが悪態をついた。

「抜けられそうか?」

「む、無理です。……ぐえ」

「くそ……もう、僕としたことが! 迂闊すぎた」

 トアンは先程から天地がひっくり返っていて、いい加減頭に血が上って正直辛かった。


 トアンとプルートが羊の毛を梳かしていると、突如眠っていたはずの羊の群れが起き上がり、二人を突き飛ばして逃げ出した。踏まれないよう逃げ惑う二人は突如空中についと引っ張られ、何だか知らないが助かった、と思いきや。

「この~、化物め!」

 二人を引っ張り上げたのは長い緑の蔦。その先にいるのは猪と巨大な花を合体させたような化物だ。その蔦が二人をぐるぐる巻きにし、空中を振り回しているのだ。顔の部分は猪にそっくりなのだが、所々腐乱してるあたり、あれは食い残しが乗っかっているだけなのかもしれなかった。

「どうしてこんな魔物が!」

 トアンが呻くと、プルートがじたばたと暴れた。花の中心にある大きな口の、ぎざぎざの凶悪な歯が光る。

「知るか! ……僕の笛の音に起きたか、引き寄せられたのかもしれないがな」

「知ってるじゃないですか! それが原因ですよ!」

「そうか……魔物の中には僕の笛を嫌うものもいるが……こいつも嫌いだったのか」

 暴れるのをやめてしみじみと呟くプルートが良くわからない。トアンは一瞬泣きそうになるが、武器もないこの状況、頼りになるのはこの魔法使いだ。

(ルノさんやウィル、兄さんが気付いてくれるなら……)

 先程村人の女性が悲鳴を上げて逃げていったので、助けが来るのもそう遠くないかもしれない。……が。

(それより前に食べられちゃうかもしれない)

 ぎゅ、と蔦の締め付けが強くなった。トアンは首を回し、プルートを見る。頭もぼーっとするし、とにかく時間がない。

「プルートさん、何か魔法を……」

「そうだな……うっ!」

 プルートが手に持ったままの笛を口に引き寄せようと身動ぎした瞬間、ぎり、という音とともにプルートの細い身体が更に強い力で締め付けられた。整った顔が苦痛に歪み、かみ殺された悲鳴が上がる。

「プルートさん!」


「プルート!?」

「トアン!」

 ぎょっとした顔のトトとルノの二人が走ってくるのが見れる。

「トトさん、ルノさん……」

「だ、大丈夫か!? どうして村の中にこんな魔物が──」

「ルノさん、ここに残って! プルート、しっかりしろ!」

 さらに速度を上げて。そのままひらりと跳躍したトトの蹴りが魔物の猪の形の頭部を吹っ飛ばす。──その直ぐ下には、血走った黄色の、巨大な目が一つ輝いていた。

「キイイイイ!」

 耳障りな、黒板を引っかいたような悲鳴を上げて魔物が叫んだ。トトは思わず顔をしかめるが空中でくるりと回り、その硬いブーツの踵を思い切り魔物の目玉にぶつける。

(すごい)

 それは宙吊りになっているトアンのすぐ目の前で起こる戦いの舞だった。インクブルーの髪の毛がゆっくりと広がり、次の瞬間には魔物から離れている。

「キ、キキキイイイ──!!」

 真っ赤な爛れたような瞼を閉じて魔物がさらに鋭い悲鳴をあげた。ざっと着地したトトが思わず耳を押さえる。文字通り耳をつんざくような声をあげながら、苦痛にのたうつ魔物がじたばたと暴れたのでトアンとプルートはもはや空中ブランコ状態だ。

「うわ、わーわーわーわー!!」

「降ろせ──!」

「キイイイイェエエエエエ──!」

 魔物の絶叫が空気を切り裂いて広がっていく。トトもルノも、耳を押さえてその場から動けないようだ。トアンとプルートは蔦の回転によって直接耳に届かないが、魔物を中心に、ナイフのように尖った音の波紋が広がっていくのがわかるような気がした。

「た、た、たすけて──」

 もう遠のき始めた意識の中で、トアンは弱弱しく叫んだ。──その時。


「兄様を離せ!」


 高く幼い、子供の凛とした声がナイフの波紋の中を矢の様に飛来して、トアンの鼓膜を震わせたのだ。ぼうっとしていた頭が急速に澄み渡っていくのがわかる。──この力は、この気配は。知っている。いや、似ている。誰だ? どこかで、どこかで──……


「我が敵の四肢を奪え! 許しと赦しを与えよう──」

 先程の声が続ける。途端、空中に青く燃える炎の矢が何本も現れた。それらはすいっと泳ぐように向きを変え、そして一斉に、魔物の蔦一本一本を貫いたのだ。

「踊り狂って死に落ちろ!」

「ギエエ────!」

 貫いた矢が激しく燃え上がり、蔦を焼ききった──それを確認した直後、トアンの身体に自由と重力が戻ってきた。──落ちる!」

「うわ──」

「トアン!」

 はっとしたようにルノが駆け出してくる。ダメだよルノさん! 潰しちゃうよ──と、言いたかったが時間がなかった。ルノがきてくれたのは嬉しかったが、彼に、少年一人抱きとめる力があるとは思えなかった。

 ──ドサ。

「い、いたた……」

「ご、ごめんなさい!」

 やっぱりルノを押しつぶしてしまった。トアンは慌ててその上から飛びのき、小柄なルノを起こすのを手伝ってやる。

「いや、いい……。大丈夫か、トアン。すまない、いけると思ったんだがな」

「どのへんでいけると……あ! プルートさんは?」

「プルートなら、ほら」

 ルノがくいと指を指した先では、プルートがちゃっかりとトトの腕の中に納まっていた。──プルートの顔は赤く、別に助けて欲しくなかったとか、頼んでないとか、そんなことをブツブツといっている。

 逆にトトは──慣れているのだろう──少しだけ困ったような顔をして、それから満面の笑顔を浮かべ、よかった、無事で。と言った。──さらにプルートの顔が赤くなっていく。

 とりあえず無事を確認したので、トアンは魔物を振り返った。あの厄介な蔦がなければなんとかなる──そう思ったのだ。

 しかし、思惑はことごとく外れてしまった。

 トアンの目の前で、それは起こった。蔦を焼いた炎が空中に上がって一本の巨大な矢に変わり、魔物の目玉を射抜く。絶叫ごと燃やし尽くして、パーンと鮮やかな花火が散ると、その場にはもう、魔物など存在しなかったのだ。

「これは──誰が?」

 ルノが大きな紅い瞳をぱちぱちとさせた。プルートを降ろしたトトが、トアンを見た。トトが何か言おうと口を開き、しかし言葉を紡ぐその前に、トアンの身体を小さな影が突き飛ばした。


 ──いや、実際は飛びつかれたのだ。


「え? ええ?」

 まさかまた魔物か? 状況を理解できず、止まった思考に焦るトアンの目の前で、藤色の髪の毛がもぞりと動いた。

「兄様……兄様だよね? おれ、ずっと会いたかったんだ。話をしたかった」

 柔らかな、猫っ毛のようなふわふわした髪が風に揺れる。どうやら、タックルの相手は小さな男の子のようだ。圧倒され、起き上がることができないトアンの目の前に、太陽を背負った少年の顔がふっと現れる。逆光で顔が見えないが、懐かしい気配をトアンは感じ取った。

「き、君は──」


「シオン!」


 トトが驚きの声を上げて駆け寄ってきた。未だトアンの上にいた子供がぱっとトトを見る。

「トト!」

「シオン、どうして、どうしてここに」

「おれも越えたんだ、トト。おれも、運命を──兄様を助けたい。おれ、あんなに悲しい未来、やだよう」

 ぐず、子供の声が潤んだ。トトを見て、ごしごしと瞳を擦ると、再び子供はトアンを見る。しかし彼が何か言う前に、ルノの窺うような声が子供の口を塞いだ。

「お前は──あの時、の」

「あ、お姉さん」

「お姉さんではない! トト、お前の知り合いだったのか? この、シオン──……シオン、という子を」

 何故か言葉を濁すルノを、トトは真っ直ぐに見つめ、それから子供を見返してため息をついた。

「ええ、俺の仲間です。──ルノさん、シオンとどこで出会ったんですか?」

「図書館だ。──名簿に、その、」

「フルネーム、見たんですね──」

 困ったなあ、とトトが息をつく。どうしよう、ルノさんにも言っていいのかな。ねえ、プルート……とトトが言いながら振り向いたとき、プルートはトトの後ろにいなかった。

「あれ? プルート?」

「トト、それより教えてくれ! この子は、一体──」


「僕らの正体を知るのは、トアン・ラージン一人でもう十分だ」


 涼やかな声とともに、がつん、という鈍い音が草原の草を揺らした。トトがああ! と声をあげる。動くに動けないトアンは目を動かして声の方を見ると、ルノがトトの腕に抱きとめられていた。その後ろには、笛を持って仏頂面をしたプルートがいる。

「プルート、何を……」

 ルノを抱えたままトトが非難の声をあげる。プルートのエメラルドの瞳が一瞬ルノを優しく抱くトトの腕を見て、それからぶんぶんと頭を振って言った。

「いいか、これは僕の私情じゃない。私情じゃないぞ」

「そういうのがちょっと疑わしいんだよ」

 子供がぽつりと呟くと、ますますプルートの眉間に寄った皺が深くなった。

「うるさい、黙っていろシオン。……いいか、トト。トアン・ラージンに知れ渡ったのは不慮の事故だ。だが、これ以上イタズラに我等の情報を広めることは得策とは言えないだろう──トアン・ラージンは僕らの時代でも『ユメクイ』として存在する。しかし、……このルノは──……彼の行方はわからない。お前の育て親同様、トアン・ラージン意外の仲間全員の未来は分からないんだ。……そのわからない未来をもつ相手に、どうして情報を渡すことができよう」

「……確かに、確かにそうだけど……」

 言葉を濁すトトの胸元から、コガネがぴょこりと顔を出して、その鼻面をルノの頬に押し当てる。

「殴ることはない、とおもう」

「こいつが説得で納得するとでも?」

「ルノさんはバカじゃない」

「そうさ、バカじゃない。……けれど、この好奇心は危ないと言っている」

「そうだけど!」

「トトがそのお姉さんをやさしーく抱きとめてる限り、プルートの説得は無理だと思うなぁ」

「黙れシオン!」

「子供にそんな言葉遣いはだめなんだぞ」

「その生意気な言葉遣いを正せ!」

「八つ当たりはやめてよね」

「そもそもお前が名前をさらしたから……!」

「別に、おれ、自分の名前を恥じてなんかないもん」

 置き去りにされていたトアンの上から、子供はそう言ってどいてくれた。それからトアンに手を伸ばして、その手をとって起こしてくれた。風が藤色の髪を柔らかく揺らし、大きな猫目の紫色の瞳がにっこりと細められた。さんさんと降り注ぐ太陽の下、トアンはようやく、子供の顔を見る。

「君、は……」


「おれはシオン。シオン・ラージン。未来に生まる、キーク・ラージンとアリシアの子──あんたの、弟だよ」








「え?」

 トアンはぽかんとした顔で、まじまじと子供の顔を見た。

「え、え?」

 にこにこと笑う子供の目は、確かにレインが幼いころの──スノーの目とそっくりだ。さらに風に遊ばれる髪質も母やレインと同じくふわふわで柔らかく、その髪の色はトアンの前髪の一部と同じ、柔らかな紫である藤色だ。髪は毛先にいくほど色が濃くなっているところもあり、大きな紫の瞳とあいまってミステリアスな雰囲気をかもし出している。

「き、君は……」

「トトと同じ時代からきた、あんたの弟だってば」

「弟!?」

「そう。」

 けろり、とした表情で子供は言った。トアンのあまりのうろたえようにプルートは呆れ、トトはふっと苦笑している。

「トアンさんがそこまで驚くとはね」

「だ、だってだって!」

「俺のとき──いや、プルートのときなんてすぐに受け入れられたのに。やっぱり、自分に近しいほど驚くものなんですかね?」

「バカなだけだ」

「プルート」

「ふん」

「……ほんとの、ほんとに、オレの弟?」

 トアンはプルートの悪態をどこか遠くで聞きながら、裏返りそうな声で子供に尋ねた。子供は、こっくりと頷く。

「そう」

 頷いた拍子に、白衣のような上着についた星を月を模した飾りが揺れた。

「ラージン家の三男坊だよ」

「そ、そうなんだ……」

「信じられない?」

「……。でもその目、その髪──……まさか、オレの息子っていうオチは」

「ない。さっきからずっと、弟に一票だね」

「そっか……」

「トアンさん、俺のときも息子説でましたね」

 トトが笑いながらトアンを覗き込む。トアンは混乱しながらも、ちょっと情けない笑みを浮かべてトトを見た。

「そうだったね……」

「ははは。……シオンは、正真証明、あなたの弟ですよ。あなたに会うため、だよね? あなたに会うために時をこえた──俺の仲間になったときも、そう言ってたね」

「そう。……ね、兄様」

 子供の目が、トアンを見る。それはとても真摯で、精一杯な色だった。──先程、あんな術を駆使した者と同一人物とは思えない。

「兄様、ユメクイなんて、ならないで。おれ、兄様があんなことにならないように、させないためにきたんだ」

「……えっと」

「……やだよ。兄様がユメクイになって、父様は──……。母様は、ずっと泣いてる。ずっと一人だ。おれ、ずうっと母様と二人で暮らしてきたけど、そんなのいやだ」

 トアンにはよく意味が汲み取れない言葉だったが、子供の目から、ぼろりと大粒の涙が零れ落ちた。途端に、トアンの心が酷く焦れる。──ああ、本当に、この子は自分の弟なのだと、やっとわかった気がした。

「泣かないで」

 手が無意識に伸び、子供の頭を優しく撫でる。

「……トアン兄様も、レイン兄様も、一緒がいい、一緒にいたい。家族が揃ってほしいよ……」

「……泣かないで、シオン。オレ、ユメクイになんてならないから。ならないよ、トトさんもね、協力してくれるんだ。だから、大丈夫」

 ね、シオン。そういって名前を呼ぶと、子供は笑って、もう一粒涙を零した。自分でも驚くぐらい、『兄』の優しい声が出たことにトアンは驚きながら、トトが目を細めて笑っているのをみて、自分も笑う。プルートがその後ろで顔を逸らしていたが、その口元は緩んでいた。──やはり、プルートは根は優しいのだ。

 子供──シオン・ラージンは、プルートの様子とトアンとトトを見比べて、幸せそうに微笑んだ。




「はー……」

 レインの目がぱちぱちと瞬かれる。よくわかっていないのだろう。隣でソファに座っていたシアングが、トトに背負われたルノを見て、目を丸くしていた。瞬きを繰り返すばかりで言葉を返さないレインより早く、シアングが立ち上がる。

「ルノ、どうしたんだ」

「あは、ちょ、ちょっと……」

 どうみてもヘタクソな嘘をつきながらトトが苦笑いする横で、プルートが咳払いする。

「ちょっと、倒れたんだ」

 自分の言葉のほうが得策だと踏んだプルートの、あまりの強引な嘘にさすがのシアングの顔も一瞬強張った。が、すぐにそっか、とだけ言って、片手でクッションを並べ、トトに指示をしてルノをソファの上に横たえる。

 トトはルノをゆっくりと降ろしてから、ぽかんとした顔のレインを見て、もう一度、トアンの代わりにゆっくりと言葉を発した。

「だから、この子──シオンは、夢幻道士の一族の子なんです。俺の友達で、一族の自覚が高く、キークさんの息子であるトアンさんとレインさんを、兄のように憧れ、慕っているんですよ」

「はぁ……」

 

 そう、どうしてもレインにも会いたいと駄々をこねるシオンに、トトとトアンは頭を捻りに捻り、シオンが頑として譲らなかった『兄様』という呼び名を使うのが自然なように仕立て上げた……その嘘は、一族の子だから、ということだ。多少の強引さはあるが、レインもトアンも、夢幻道士の一族のことは良く知らないし、父、キークや自分の家族以外の夢幻道士は、トアンはヴァリンに、レインは恐らく誰にも会ったことがないだろう。

 トトのウィルに対する『先生』だって誤魔化せたのだ。──まあ、それは成長したトルティーがトトだと、時をこえることの可能性なんて誰も信じないからこそいえたことだが。

 リビングのドアの隙間から、学校から帰っていたトルティーがプリンを片手に、固唾を呑んで見守っている。──もう冬が近いから、学校の時間は短くなっているのだ。その横でコガネも目を輝かせ、トアンの後ろに隠れるようにしているシオンを見つめている。


「兄さん、この子、ここに泊めてあげて」

「え?」

 これもシオンの願いだ。『兄様たちと一緒がいい!』という、小さな小さな願い。

「お願いしますレインさん」

 トアンが訴える横で、トトが頭を下げる。レインはゆっくりと腕を組んで二人を見、それから、いいぜ、といった。

「本当!? 良かったね、シオン」

「うん!」

「はあ……いつからうちは託児所になったんだよ。つか、保育園かっての……」

 トルティーとコガネが嬉しそうに跳ねて、大急ぎでプリンを食べている様子を横目で見て呟くレインを、シオンは見上げる。うずうず、その手が開いたり閉じたり、忙しない。トアンの後ろから進み出ると、レインを見上げたままいった。

「ね、ねえ、レイン兄様」

「ん」

「兄様、母様にそっくり……!」

「い!?」

 とんだ発言に、トトとトアンは大いに慌ててシオンを見る。が、当のシオンは瞳をうるうるキラキラさせると、突然レインの腰に抱きついた。

「うっ!?」

「兄様、母様にそっくり! 髪の毛もふわふわ! 兄様、兄様、兄様」

「……、トト、こいつ、甘ったれなのか」

「そ、そうですね」

「……そっか。シオン、だったな」

「なーに、兄様」

「いや」

 レインが名前を呼ぶと、シオンはその優しい声に微笑んだ。

(やっぱり、優しい)

 一年前のレインからすれば驚くべきことに、彼は煩わしそうな態度は見せず、そっとシオンの頭を撫でるとプリンを頬張るトルティーを呼んだ。トルティーはすぐに駆けてきて、期待に満ちた目でレインを見る。

「なに、レインさん」

「急いで食うな。落ち着いて食えっていっただろ」

「ごめんなさい……ね、その子、うちに泊まるの?」

「ああ。だから、遊んでやってくれ。……シオン、歳、いくつだ」

「六歳」

「じゃ、トルティーと同じだな。トルティー、コガネとも仲良くさせてやって」

「はーい。いこ! シオン!」

「おれ、まだ兄様といたい」

「いつだっていられるよ! ほら!」

 トルティーは有無を言わさずにシオンの手を掴み、コガネを呼んで玄関から飛び出していく。

「いつだって……か」

 その背中を見て、トトが小さく呟いた言葉は、トアンにしか聞こえなかった。



「……そうか」

 プルートに殴られてから数時間後、ようやく意識を取り戻したルノが呟いた。トアンとトトは、シオンの存在をレインにしたときと同じような嘘を教え、『ルノさんは倒れた』と言い続けた。睡眠不足? 疲れがでたんじゃない? トアンの言葉に、ルノは怪訝そうな顔をしたものの、なんとか納得してくれた。

(けど、ルノさんは頭がいいから……)

 シオンのことについて話せば話すほど、矛盾や穴を見つけれててしまいそうだ。そしてルノは恐らく、それを見つけたら真っ先に訊ねてくるだろう。──プルートが言った通り、ルノの好奇心はものすごく強いのだ。色んなことを知っているからこそ、知らないことは気になって仕方がない。トアンが口を閉ざして首を横に振り続ければ諦めてくれるだろうが、そうしたら今度は自分でその謎を解こうとするであろう。

「じゃあ、あの子は、トアンの親戚で──あ、すまない」

 頭を氷で冷やすルノの前に、湯気を立てる紅茶のカップが置かれた。カップを置いてから、レインは角砂糖のビンをルノに押しやり、ソファに腰掛けて隣にならぶトトとトアンの顔を見る。──ルノの横にいるシアングは、のんびりとストレートの紅茶を飲んでいた。シアングの横のプルートも同じようにくつろいでいる。

「トトの仲間なのか」

「は、はい」

「……トト、お前の仲間というのは、随分幅が広いんだな」

「え?」

「プルートに、そのユーリに……夢幻道士のシオンか。お前は学生だろう? 最初、『授業で精霊のことを調べてる』といったな。キークにも面識があるというし……何故だ?」

「……。」

 トトの目がゆっくりと瞬きする。冷静に──冷静を装っているのがトアンにはわかった。黙って話を聞いているレインが、つと視線をトトに向ける。それだけで、トトの心拍数がさらに上がっているのも分かる。──あまり良くない、ドキドキだ。トトの服からコガネが顔を出し、テーブルを飛び越えるとルノの膝元で丸くなる。

「ユーリも不思議だ。……この動物、なにか少し、不思議な気配がする……」

「ぴゅい」

 ルノの瞳はあくまでも純粋な好奇心だ。シアングだって(相変わらずルノとは殆ど喋らず、口をきいてもおはようとかありがとうとかそんなところだが)さして気にしてない。だが、それがトトをどれほど追い込んでいることか。

 トアンが何か助け舟をだそうかおたおたしていると、


「まあ、どうでもいいだろう」


「何?」

「どうでもいいだろって」

 言ったのはレインだ。トトをもう一度一瞥してから身体を起こし、手を伸ばしてルノの膝からコガネを奪い、抱きかかえて座りなおして、漸くルノを見据える。淡白な態度だが、その手はコガネを優しく撫でていた。コガネが幸せそうに目を細める。

「……こいつらが誰であろうと、今まで信用して一緒に旅してきたんだろ? ならいいじゃねぇか。どんなに変な仲間がいようがいまいが、それで信じられなくなるもんなのか?」

「レインさん……」

 トトの瞳がうるりと揺れた。ルノは不満そうな顔をするも、しかし自分の頭の中で自問自答を繰り返していたのだろう。やがて目を伏せ、そうだな、と言った。

「確かにそうだな、トト、すまない」

「いいえ! 俺が悪いんですから……そんな顔しないでください」

「ありがとう……。けれども、気になってしまうんだ。お前のことは信用している。けれど、けれども……」

「好奇心は悪いことじゃないんです。……ルノさん、俺は、俺は──」

 トトはルノを優しく見、一瞬瞳を閉じた。それからゆっくりと目を開き、告げる。

「俺は、この世界の精霊についていろいろ調べたい、『知りたい』んです。俺の仲間たちも、みんな『知りたい』と、ただそう思って、旅をしてきています」




 窓から入る夕日。真っ赤な光がリビングを染め上げ、まだ時刻は夕暮れの少し前なのに、もう日が落ちるのが早まっている。──冬が近いのだ。

 トトは、すっかり冷めた紅茶を一口飲んで、誰も居なくなったソファに一人座っていた。ルノもシアングもトアンもプルートも、それぞれが自由に過ごしている時間だ。トアンはトトを気にかけ、何か言いたそうにしていたが、トトが先手を打って手を振ると、そう、じゃあ、といって、心配そうにトトを見て、それからルノと一緒に出かけていった。──シオンたちを連れ戻しにいったのだろう。

「……まいったな。」

 ぽつり、独り言が部屋に滲む。と、ソファの上で丸まっていたコガネが跳ね起き、トトの膝元で丸まって、真っ黒な目でトトを見つめた。

 ──一人じゃなかった。コガネがいた。

「大丈夫だよ、ごめん、心配かけて」

「ぴゅい」

「……ちょっと、辛いな、こういうの──」


「お前は嘘ヘタクソだからな」


「!?」

 二人きりかと思われた空間に突如入り込んだ声に、トトは驚いて周囲を見渡す。──と、淹れたての紅茶のカップを二つ持ったレインが、ドアにもたれかかるようにしてトトを見ていた。

「レインさん」

「驚かせたか」

「……は、はい。いつから?」

「ついさっきな。悪いな、気配消すの、まだ得意なんだよ」

 ふっと笑みを浮かべてレインはカップをテーブルに置き、トトと向かい合うように座った。トトは自然と背筋を伸ばし、レインを見る。──レインの、昔の仕事のことは、小さい頃は知らなかった。訊ねてもウィルは首を横に振ったし、レインが陰のある表情をしたので、子供時代に聞くことができなかった。でも、そのときはそれで十分だった。

 ──彼の小指にあった黒いマニキュアの意味を、知ったのは成長してからだ。けれども、それを知ったあとも、トトはレインの厳しさと優しさを覚えている。だから、驚きこそしたけれど、嫌悪はまったく抱かなかった。

(でも、俺は『トト』だ。わからなくても大丈夫)

「はは、そうなんですか」

「……さっきのあの話さ、あれ、嘘だろ」

「う、嘘なんか言ってませんよ」

 トトは半笑いを浮かべつつ、きっぱりといった。

(半分ホントで、半分嘘なんです、レインさん)

「だからヘタクソなんだよ、嘘つくの。苦しいんだろ?」

「え……」

「オレは、あれ、嘘だって言い切れるぜ」

「……なんで」

 思わず問いかけて、慌てて口をつぐんだ。これでは嘘ですと肯定しているようなものだ。──けれどもレインは、目を細めて、そっと告げる。夕日の中で、その淡い金の髪がきらりと光った。

「お前があんまりにも苦しそうな顔だったからさ。トアンは知ってるんだろう? お前の嘘の真実を」

「……。どうして、トアンさんは知ってると思うんですか?」

「あいつがあんまりにも、お前をチラチラ見てたから。」

 ──しまった。

 何もかも、何もかもお見通しだった。トトががっくりと頭を垂れると、レインの声がそっと耳を擽る。

「オレは別に、それを責めたり、問いただしたりしないよ」

「え……」

 はっとして顔を上げるトトに、レインは優しい笑みを浮かべ、続けた。

「トアンには言えたってことは、トアン、頼りにされてるのか」

「はあ……偶然、知られてしまったんですけど」

「……あいつらしい。でもいい、お前が一人で抱え込まなくてすむなら──」

(レインさん、何が言いたいんだ?)

 のんびりと紅茶を飲むレインの意図が読めず、トトが瞬きを繰り返している。時間はゆったりと流れて流れて、やがて群青色が夕日にゆっくりと染みていく。

 そうして穏やかな時間が過ぎた頃、レインが再び口を開いた。

「……なあ、トト」

「はい?」

「お前、この家、好きか?」

「へ?」

 あまりにも唐突な問いに、トトは目を丸くしてレインを見返す。しかしレインは真っ直ぐに、優しい目でトトを見つめているので、トトは思わず頬を染めて目をそらした。

「す、好きです」

「……お前が居たいだけ、居ていいから。あとそのユーリも」

「…………?」

「ぴゅる」

 レインの意図は、やっぱりトトには読めなかった。トトはレインを凝視してしまったが、漸く部屋が暗いことに気付いて明かりをつける。

「話は終わりだ」

 さて、とレインが紅茶を飲み干して立ち上がり、大きく伸びをした。

「夕飯作んねぇと。シアング起こしてきてくれ」

「は、はい!」

 トトも紅茶を二杯一気に飲み干すとコガネをクッションの上に寝かせ、リビングを出て行こうとしたとき、レインはもう一度、トトを引き止めた。


「お前、嘘がヘタクソだからさ」


 じゃ、シアング頼むな。そう言い残してレインはキッチンへと消えてしまった。

(わからない、けど、何故か泣きたい気持ちで心が一杯だ。泣きたいけど、悲しくない。……すごく、すごく、)

 心の波紋に気付いたトトの瞳から涙が零れる前に、コガネがそっとその肩に駆け上り、顔を擦りつけた。


 ──大丈夫。


(わたしも同じ気持ちだよ、トルティー)



 そう、言うように。






「今日のご飯、なにかなー」

 トアンの背中で、上機嫌なコガネが歌うように言った。

「わわ、暴れると落ちちゃうよ」

「えへへ、ごめんなさーい」

 トアンお兄ちゃん。少し舌足らずな声で、コガネが笑った。風に揺れるウェーブのかかった金髪が夕日に透け、高い体温がトアンの背中に伝わってくる。

「落とすと、俺、怒るよ」

 トアンと手を繋いだトルティーがぐっとトアンを睨んだ。その様子に、ルノと手を繋いでいるシオンが笑う。

「大丈夫、トアン兄様力もちだもん」


 もう、緑が茶色に代わりつつある森の中。遊び疲れ、もう歩けないと駄々をこねるコガネと、その横で困り果てたシオンとトルティーを発見したトアンとルノは、少しだけ考えてから、トアンがコガネを背負ってトルティーを手で引き、ルノがシオンの手を繋ぐということで、家に帰ることにした。

 幼いコガネは軽いのでたいして重くなく、五人はのんびりと夕日の道を歩いていく。森を抜け、もう村の中へ戻ってこれていた。

 途中、トアンはトルティーやシオンに「おんぶしようか」と言ってみたものの、二人は小さくても男の子。「コガネ、背負って」と行ったきり、文句も言わず、むしろ楽しそうに歩いている。

「そういえば、シオン」

 ルノが夕日に眩しそうに目を細めながら問いかける。シオンは、ん、といって顔をあげ、透き通るような紫の目をルノに向けた。

「なあに、お姉さん」

「お姉さんではないったら……。お前、確か図書館にきたとき連れがいただろう? 確か──レグルスという名の。彼は、どうしたんだ?」

「え、……ああ」

 シオンの目が丸くなって、それからくすくすと笑い出す。ルノが首を傾げると、シオンはにこりと笑みを浮かべた。

「大丈夫だよ、心配しなくても。そのうち会えるんじゃない?」

「……どういう、意味だ?」

「そう遠くには行ってないよ。ちょっとした別行動……まあ、おれがレグルスのこと置いてきちゃったんだよね」

「置いてきた!?」

「うん」

 悪びれた様子もなくシオンは言って、夕日を見て目を眇めた。

「あいつ、人間嫌いなの。怖いんだ。……だから村にはいないかな。……でもおれは兄様たちを助けたくて飛び出しちゃったから、あいつ、今一人で泣いてるかも」

「シオン……いいのかそれで?」

「さあね? 心配なら、トトに言えばいいよ。ま、大丈夫だと思うけど」

 あいつは強いもの。だって、あいつは……あ。不意に口を噤んだシオンは、にこりとあどけない笑みでルノを見上げた。

「ほら、いこ。」





 新たな住人、シオンが増えたことにより、家の中の人口密度はまたほんの少しあがった。トアンが怒るかな、と思っていたいたレインは不思議となにも言わず、その日の夜、夕食の後、その理由をウィルに訊ねてみたが、ウィルはさあと首を振ってコーヒーを飲んだ。

「……ウィルも、怒らないの?」

「いいや? トアンの知り合いだし──それに、トトの友達だからな」

「……え?」

「いや、なんでもないよ」

 そういってウィルは手を振って、また本に視線を落としてしまった。トアンはなにか引っかかりを感じたものの、それ以上問うことはできず、それでも、明日あたりにはそろそろ旅立ちの準備を始めるかと心に決め、寝室に宛がわれた部屋から暗い空を見上げた。

 ドアの外の廊下では、コガネとトルティー、シオンが走り回っている。

「ずるううういシオン! コガネだって先生たちと寝るのお!」

「俺も俺も!」

「早いものガチだもん」

 どたどたどた。階段を駆け上がる騒がしいお祭りに、レインがおーい、と文句を言っているのが聞こえてきた。

(──エアスリクにいく方法はわからないままだけど……とりあえずテュテュリスに相談にいこう。プルートさんとシオンはどうするかな……それに、シアングも……。最悪、オレだけでもとりあえず……)

 インクブルーを流した空を、星たちが瞬いて泳ぐ。

「まだ寝ないのか」

「あ、ごめん」

 もう半分眠っているルノの声に、トアンはランプを消して窓を閉めた。

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