第22話 トアンラージンの未来について

 ザザザザ……

 

 真っ白な空間に、ノイズが走る。トアンは目を開け、目の前に広がる光景を見た。

 炎のはぜる音、木材が、ガラガラと崩れていく音。

(オレは今、夢を見ているんだ)

 だって、あまりにありえない光景だから。


 真っ白な空間は今や、天をも焦がす炎と焼ける家の、赤と黒に支配されていた。


 子供が泣いている。辺りは赤い炎に包まれていた。

(……この夢を見るのは二回目だ。そうだ、前は忘れちゃったけど──オレは、前にもこの夢を見てる)

 子供の髪は、炎が映っているが優しくとろけるようなミルクティの色だった。ゆるくウェーブがかかった髪を煤で汚しながら、それでも子供は炎の中に立ち尽くして泣き声を上げている。

『お父さん、お母さん……』

 ガラガラガラ……

 今、一軒の家が火の中で崩れ落ちた。子供が泣き叫んだ。周囲は燃える家、家、家──村が一つ、消えようとしているのだ。

 子供は宙を睨みつけていた。──いや、違う。屋根の上に、何かがいる。もうもうと立ち込める黒い煙の中、何かがそこにいるのだ。

(あれは……)

 ──子供の視線の先に一人の男が立っている。男は大きな赤い月を背後に背負い、爛々と輝く瞳を子供に向ける。青い髪は血を吸ってぐっしょりと濡れ、赤い瞳はまるで血の色のようだ。二人は少しの間見つめあい、それは奇妙な光景だった。

 ぐりん、突然男が、傍観をしていたトアンを見た。


 その顔は、



 ──トアンの顔、そのものだった。




「……。」

 瞳を開けると、見慣れた天井が目に入った。ああ、そうか。夢から覚めたのか。以前は忘れてしまったのに、今回はより鮮明に、よりしっかりと記憶に残っているあの夢。

「……う、」

 不意にこみ上げてきた吐き気に、上体を起こして口元に手をやる。落ち着こう、落ち着こうとゆっくりと呼吸するが、閉じた瞼の裏にはあの惨劇が浮かんだ。


「……トアンさん」


 気遣う声にはっとして隣を見ると、トトが窓を背にして椅子に座っていた。その横には、プルートの姿もある。相変わらずプルートはトアンを睨んでいたが、その視線は以前より少しだけきつくなくなっていた。

「大丈夫ですか」

「トトさん……。あ……あの、ユメクイは!?」

 不意に、意識を失う前の光景を思い出したトアンは吐き気を忘れて身を乗り出した。が、トトはゆっくりと首を振って、トアンの肩を押し返す。

「消えました。恐らく、元の時代に、俺たちの時代に帰ったのでしょう」

「そ、そう……」

 安堵とともに、あの赤い目がフラッシュバックした。目を閉じて首をふると、ふとプルートがこちらを見ていることに気がついた。──心配を、してくれているのだ。

 そう気付いた瞬間、頭の中に泣き声が響いた。


『お父さん、お母さん……』


「……プルートさん!」

「な、なんだ」

「あの……ええと……」

「なんだ、変なやつだな」

 いぶかしむプルートが、あの子供と重なる。──ああ、そうか。そうだったのか。だから彼は自分を恨んでいたのだ。

「……トトさん、プルートさん。教えて欲しい」

「何ですか?」

「ユメクイは──オレだよね?」

 トトが息をのむ音が、はっきりと聞こえた。

 

 





 窓から入ってきた風が、レインの柔らかな髪を揺らした。もう、日はオレンジ色を帯びてきていて、直に夕日に変わるのだろう。

「……レイン」

 ウィルはベッドの端に腰掛けたまま、上体を起こし、ただ一点を見つめているレインに話しかけた。きゅ、とシーツを握る手に力が篭る。──聞いていてくれるのだろうが、反応が少ないのは怖い。以前彼が、心を失いかけたことをふと思い出してしまうから。

「レイン、何を見たんだ?」

「……。」

「言ってくれよ、頼むから。言わないとわからないよ」

「……オレたち」

「え?」

「一緒に──居られるんだろうか」

「レイン?」

 ぱ、とレインが弾かれたように顔を上げた。今にも泣きそうな、辛そうな顔。

「……どうして、そんな顔して、そんなこと言うんだ?」

 お前の不安は、オレが取り除いてやるのに。ウィルがそう問うと、レインの視線が宙を彷徨う。


 ウィルは先程、プレーズをすっ飛ばして家に帰ってきたばかりだった。顔を青くしたトトが学校の教室で、レインの傍にいてやってほしいと告げるために走ってやってきた。幸いにももう生徒たちを帰すところだったのだが誰よりも早くウィルは学校をあとにした。

 嫌な予感が、昼頃から続いていたのだ。トトが理由を言わなかったこともなんだか不安だった。

 転がるような勢いで家の扉を開けて、寝室に向かうと眠っているレインの横にシアングがいた。一体いつ目覚めたのか、という前に、レインはどうしたんだ、と言う言葉が口から飛び出してきたが、シアングは首を振って部屋を出て行ってしまった。──それから、漸くレインが目覚めたのだが、事情を聞こうにも中々話してくれないのだ。

「言えよレイン」

「……」

「言ってくれ」

「……トトの、こと」

「え? ああ、……あの子が、どうした?」

「やっぱりトトは──……。確信が持てた。それで、そうしたら……」

 レインが一端言葉を切る。難解な言葉だが、ウィルには意味がわかった。

 トト。あの不思議な少年について、以前、二人はちょっとした違和感を感じていたのだ。その謎を簡単に推測したが、それはあまりにもバカらしく、信じられないものだった。──しかし、レインは今、確信が持てた、と言う。

「昼。トトの知り合いだっていうヤツがきて、それから……空間を割って、化物が出てきたんだ。トトと知り合いは、それを知ってて──真っ黒で、でも、オレは──そいつから、懐かしい気配を感じた」

「……。」

「近づいて、わかったんだ。その化物、トアンだった……」

 ウィルが驚愕の声を上げる前に、レインの瞳から涙がぽた、と流れた。清潔なシーツに丸い跡が、一つ、また一つを増えていく。レインは泣きながら、無理に口の端を持ち上げた。

「……可笑しいだろ? でも、確かに、」

「──笑おうとするなよ」

 見ていられなかった。

 ウィルは手を伸ばし、レインの身体を強く抱きしめる。レインの身体は一瞬強張ったが、すぐに背中に手がまわされた。ウィルの肩が、そっと濡れていく。

「お前のそんな顔みたら、冗談じゃないってことも、誤魔化そうとしてることも、全部わかるんだぞ」

 そっと伸びたウィルの右手が、レインの髪を優しく撫でる。

「……っ」

「昼頃、嫌な胸騒ぎがしたんだ。……その化物、きっとお前の言うとおり、トトが知ってたんなら……トアンの──未来なんだろう」

 手はするりとすべり、レインは両手でしっかりと包まれた。

「……、」

「……大丈夫だ。きっと。オレたちは一緒にいられる。……大丈夫だよ。全部オレに任せろって言ったらいやだろ。だから、一緒に守ろう? 大事なものをさ」

「ウィル」

「大丈夫だよ」

 ウィルの指が、そっとレインの髪を撫でた。不思議なことにちっとも煩わしくない彼の指の感覚に目を細め、レインは睫毛にかかった涙を瞬きで落とす。

 ──魔法のような言葉だ。ウィルの言う、『大丈夫』は。

 自ら指に力を籠めて、苦しい、そう呟いても、ウィルの腕に篭る力は揺るがなかった。

「オレたち、ずっと一緒だよ」



 扉の前で、シアングは物音を立てないように踵を返した。何かが、確実に近づいてきている。しかしそんなことより、レインの静かな嗚咽とウィルの言葉が耳から離れない。

(何か、確実に起こってる。──でも、そこにたどり着く前に、オレは──……ネコジタ君も巻き添えにして、ああ、きっとウィルにいったら殴られるな)

 見えない、遠くにある巨大なものより先に、身近にあるこの自分が、彼らの幸せを壊そうとしている。──自覚がある分、やってられない。

(どうしたものか)

 シアングは顎に手を当て、未だ眠るルノの傍に戻ることにした。

 禁忌の子──『凶星』である、ルノの邪気のない寝顔がふっと瞼の裏に浮かぶ。

(……ほんっとうに、やってられねー……)

 忍び寄る運命の荒波は一つではないのだ。彼ら、そして自らに課せられた宿命は、一つ乗り切って安心できるものではない。

(それに……トアンもだ。……いや)

 よそう。それ以上の思考は。何故ならば、その波の二つ目がくるころ、自分はもう彼らと──……

(よそう。本当に。)

 シアングの瞳が、暗く、そして悲しげに窓から差し込む夕日を映した。かつて持っていた勇気の感情が欠落した今の彼は、実はただ、自分の足で立っているだけで精一杯だというのに。

(チェリちゃん──君は、どうするんだ?)



「あれは、ユメクイは、オレだよね」

 今度は疑問ではないカタチで問う。トトの目が丸くなって、ゆるりと潤んだ。

 ユメクイの正体は、自分だ。──未来の、自分の姿。十二年後の、自分の行く末は化物だ。

 黙ったままのトト。その隣のプルートも黙ってしまう。トアンはもう一度、静かに言った。

「教えてほしいんだ。ユメクイについて。──未来のオレについて……。でも、トトさんが悲しむ必要はないんだよ」



 トアン・ラージンの未来について



「……初めに言っておきます。まず、今の段階で、俺たちは何故トアンさんがユメクイになってしまったのかわかりません」

 ゆっくりと伝えられるトトの言葉を、トアンは努めて冷静に聞こうと深呼吸した。

 ──最も、表情を押し殺すことは不可能だ。だから、落ち着け、落ち着けと心の中で唱え始める。正直に言えば、どうしようもなく怖かった。どうして、どうしてどうしてどうしてどうして? 壊れた人形のようにただそう呟いて、トトの肩を揺さ振って、嘘だ、と今更でも言って欲しい。

(けど、オレは、もう見てしまった)

 瞳の色を変え、異形になった自分の姿を。

(聞かなくちゃいけない。そうだ、落ち着いて、落ち着いて……)

 無意識に脳裏は今まで嬉しかったこと、楽しかったことを思い出していた。チェリカと出会えたこと。シアングの料理がおいしかったこと。ルノを救い出せたこと。ウィルと再会できたこと。レインを迷子から助けてあげられたこと。チェリカが真実を教えてくれたこと。アリシアが正気に戻って、キークと一緒にトアンの傍にいてくれたこと……もっともっと沢山ある。だから大丈夫、大丈夫だ。


『君は、もし何かにとんでもないものに取引を持ちかけられても受けちゃダメだよ』



 ふと、旅が終わる直前、崩壊する城から逃げていたときの、チェリカが言った言葉を思い出した。──あのとき、確かトアンは、アリシアがこの世に生き返る代償として、テュテュリスとアルライドが何を失ったかということに対して、なにか、なにか考えていたのだ。そしてチェリカは、この言葉を言ったのだった。

(オレはあのとき、まるで、何みたいって思ったんだっけ……?)

「けれど」

 しかしトアンの思考は、トトの続く言葉にバラバラにほどけてしまった。そうだ、今は落ち着かなきゃいけないんだと自分に言い聞かせるが、あのチェリカの言葉が喉に引っかかった小骨のようにちくちくと痛む。──今は、だめだ。無理矢理頭を切り替える。

「……けれど、あれは確実に、トアン・ラージン、あなたの未来の姿です。俺たちの世界で、確実にあなたはユメクイとして人々を襲っている──さっきも言った通り、ユメクイは心を喰うんです。心を喰われた人間はただの肉体になり、ユメクイの周囲に仕える魔物がその肉体を喰い散らかす──……喰った心をエネルギーとして糧にし、そうしてユメクイは世界を回っているんです。」

 ちらりとトトの目がプルートに向けられる。プルートはトアンを見ていたが、その静かな瞳の内側のすぐそこまで、怒りの炎が燃えているのがわかった。

「プルートは、……プルートルーンは、家族と村を、ユメクイに滅ぼされています」

 トトの言葉は予想できていたが、やはり事実としてトアンの心を押しつぶした。

「……やっぱり、オレが……。」

「やっぱり?」

 トゲを含んだプルートの声に、しかしトアンは怯まずに答える。

「夢を見たんです。子供のころの泣いているあなたと、燃える村の夢。さっきで──二回目です」

「だからなんだって言うんだ!」

「……ごめんなさい」

「謝るなよ! お前がそんなこと夢みようが謝ろうが、父さんと母さんは──」

「プルート!」

 椅子を鳴らして立ち上がったプルートを、トトがとめる。トアンはごめんなさいともう一度呟き、目を擦った。

「泣くなよ」

 慰めるのではなく、嫌悪の声が降って来る。当たり前だ。自分は両親の仇なのだ。自分は彼の両親を目の前で喰い殺して、幸せをブチ壊した犯人なのだから。

「プルート、落ち着いて」

「うるさい」

「トアンさんは、……今のトアンさんはユメクイじゃないんだ。普通の、人間なんだよ」

「……。」

「運命を変えにきたって君は言ったよね? ──俺も、トアンさんがいなくなれば、先生もレインさんもどこにも行かないで、ずっと一緒に居られるって思った。一度は考えたよ」

 そっと顔をあげると、泣きそうなトトがいる。──言っていることはトアンにすれば残酷だが、彼は苦しんで、苦しんでいるのにそれでも旅に同行を願ったのだ。

「けど、ダメだ。どうしてトアンさんがユメクイになったかってわからなきゃ、──そしてそれを止めなくちゃだめだ。俺は、自分が幸せになるために、誰かを犠牲にしてでなんて嫌だよ」

 群青色の瞳から、涙が零れた。こんなにもトトを苦しめているのはトアン自身だ。けれど、トトはトアンを責めない。決して、トアンを殺そうとしない。

「わ、悪かった。僕が悪かったよ。泣かないでくれトルティー」

「……この家じゃ、俺をトルティーって呼んではだめ」

「わかったわかった! わかったから、泣かないで」

「……っ、別に、トルティーって呼ばれるのが嫌なわけじゃないよ。ごめんねプルート」

 ごしごしと目を擦って、にっこりと笑うトトをエメラルドの瞳に映すと、プルートは安堵の息を零した。

「座ろうプルート。ゆっくり、話そう?」

「あ、ああ……」

「ごめんなさい、トアンさん。驚かせてしまって」

「いえ、オレが──」

「トアンさんは悪くないんです。続き、聞きますか?」

「……うん、そうだね……お願い、トトさん。……オレ」

「え?」

「……ユメクイになんてなりたくないよ。ウィルと兄さんもそうだ。みんなと一緒にいたい」

「トアンさん」

「……オレも、未来を変えたい。運命を変えたいんだ。──だから教えてほしい」

 はっきりとした声と瞳で告げると、トトが僅かに瞠目した。それからふっと笑みを浮かべて、プルートに視線を向ける。

「ね、わかっただろ」

「……。ふん」

 そういって目を逸らすプルートには、先程までの憎しみと怒りが感じられなかった。──どうやら、様子を見ているらしい。

「では」

 プルートの顔をトアンの方に向けながら、トトは再び未来について口にした。


「ええと……まず、言い遅れましたが、プルートは俺のパートナーです」

「そうだったの?」

「はい。ね」

 そっと微笑んだトトがプルートに視線を向けると、ほんのりとその白い肌が赤くなった。──ふん、とすぐに視線を逸らすプルートを見て、素直じゃないんです、とトトが言う。それから佇まいを正し、続けた。

「……俺の時代では滅んでいく魔法を、それも強力なものを使えるのがプルート『ルーン』なんです。ルーンとは、元々大魔法使いルーンの名で、彼の死後は強大な力をもつ魔法使いに渡される名。この時代のどこかにも、古代の大魔法使いルーンの弟子と言われる、フレアルーン、エアロルーン、ジェリールーンの三人が……」

「あの、トトさん」

「はい?」

「……ルーンとか、オレ、良く知らないんだ。だから、」

「あ、す、すいません」

「この時代では」

 それまで黙って会話を聞いていたプルートが口を挟んだ。腕を組み、相変わらず仏頂面だがその頬は漸く白さを取り戻してきている。

「大魔法使いルーンについて、殆ど情報がないのか? ……もしくは、よっぽどこいつが無知なだけか」

「……。」

「プルート」

 しゅんと落ち込んだトアンを見て、トトがプルートを軽く睨んだ。知らん、と言いながらプルートは再びトトの視線から逃れる。

「まあ、それは追々話しましょう。とりあえず、そのルーンという名は強い力を持つ魔法使いにだけ受け継がれるものなんです。ルーン亡き後、フレアルーンたち三人が長い間その名を守ってきたといいます」

 トトの群青色の瞳が真っ直ぐにトアンを見ている。トアンも姿勢を治し、それに応えた。

「──ところが十二年前、つまりこの時代で、彼らは、そして強い魔力を持つもの──竜や魔族は忽然と姿を消して──ハルティアは霧の中に姿を消し、世界に溢れていた魔力は激減。魔法を使える人は、俺の時代ではもう殆どいないんです」

「そんな!」

 

 ──忽然と姿を消し。


 それは、頭を鈍器で殴られたような衝撃だった。竜たちが何故? それに、強い魔力を持つものとは……

(何だろう──すごい、嫌な感じがする)

 トアンはぎゅっとシーツを握り締めた。ドクドクと心臓が跳ねている。

「トトがさっき、魔法が滅んでいくと言っただろう? 聞いてなかったのか」

「……トトさん、それで!? それでどうなったんですか!?」

「おい、僕を無視するな」

「後は俺たちの見てきた、魔力の薄い世界です。精霊も、竜も、何もかも消えた沈んだ世界──プルートは、十二年前のある日、フレアルーンたちからルーンの名前を継いだ、と言ってました。ね?」

「え!? あ、……う、うん。そうだ。突然僕の家に見慣れない三人がきて、僕にルーンという名前をくれた。……以来、僕はより強い魔法が使えるように──……けど、その所為で──」

 再びプルートの顔は赤くなったが、言葉を進めるうちにどんどん陰っていった。続きを、見かねたトトが代わりに言う。プルートの手をそっと握って。

「ユメクイが現れたんです。恐らくプルートの力に誘われて。──けれど、元々強いエネルギーを持っていたプルートの村の人々は全員喰われましたが、何故かプルートは生き残った」


『お父さん、お母さん……』

 子供が泣いている。トアンはその様子が、ちっとも褪せないことに胸に痛みを感じた。──彼の痛みはこんなものじゃない、自分にそう言い聞かせる。


「……そうだ。僕は──」


 赤い月を背負ったお前を見たんだ。


「僕はたった一人、村の焼け跡から這い出して、お前を殺すって……見つけ出して復讐すると誓った。──それで旅にでて、トト、お前に会ったんだったな」

「そう。……俺はまだ、君に出会った直後はちゃんとした学生だったよね」

 プルートの顔を見つめるトトはとても優しい瞳だ。プルートが耳まで赤くして、それでも手は振り払わないでいるが、トトはそんなこと気にした様子もなくそれから、と続けた。トアンはそんな二人の様子を見て、ほんのすこし肩身が狭く感じていたのだが。

「……トアンさん、これを」

 一度立ち上がって腰の剣を抜き、トアンに渡す。

「わかりますか?」

 トアンは渡された剣の鞘を、ほんの少しだけ抜いた。その瞬間、僅かな隙間から赤い光が零れだす。剣自体は見慣れないデザインだが──これは。

「……やっぱり……。」

「?」

「ユメクイと戦ったとき、無我夢中でトトさんの剣をつかったんだ。──その時、この感覚覚えがあるなって思って。……これ、カタチは違うけど十六夜でしょう? オレの、月千一夜」

 その通り、とでも言うように刀身が煌いた。

「どうしてトトさんがこれを持ってるの?」

「ある人から渡されたんです。その人は拾ったと言ってて──それから、これは拾ったとき真っ二つに折れていたそうです。打ち直したため外見は変わってますが、真実を見出す月千一夜だと……トアン・ラージンの剣だと」

「……その人は、誰?」

「それは、あなたの──……」







 ざざざん、潮風とうねる波の音に、少年は分厚い本から顔を上げて微笑んだ。開け放った窓を越えると、その笑みの先には眩しいばかりの太陽が輝き、ちらりと目線を下げると煌く海原が広がっている。

「ん、いい天気。流石にいい部屋だ。日当たりがいいもの」

 少年は薄紫色──藤色の髪の毛を風になびかせ、星と月を模した飾りのついたローブを揺らす。潮風はどこまでもすがすがしく、少年の機嫌はすこぶる良いのだ。満面の笑みを浮かべながら隣で壁にもたれるようにして崩れている青年に視線を向ける。

「この調子なら、もう何日かでチャルモ村の近隣の港につけそうだぞ──おい、どうした? 情けない顔して」

「船が揺れるのが気持ち悪いんです……」

「だらしないなあレグルス!」

「ううう……」

「スピカもスピカだ。おれにこんな荷物押し付けて自分はママに会いに行くって……ほら、水だよ」

 ぶつぶつと文句を言いつつも水筒を渡してやる。レグルスと呼ばれた赤毛の青年は小さな手から水筒を受け取ると、バツが悪そうな顔をした。

「べ、別に、荷物って言わなくても……」

「おれから言ったんじゃない」

「え?」

「スピカが、荷物を頼むっていったんだ」

「スピカちゃんが……?」

 がっくりと肩を落とす青年を見て、少年はふふんと意地悪そうな笑みを浮かべる。

「あーあ、ロリコンは救いようがないなあ」

「ロリコンじゃありません!」

「ロリコンじゃん。あんたとスピカの年齢差……ええと、そうそう。十歳もあるんだぞ」

 窓枠に寄りかかり、少年はニヤニヤしながら青年を見つめた。青年の顔が可哀想なほど暗くなるのを認めると、漸くその視線を空に向ける。

「トトは、おれたちがこっちに来ていること、知らないんだよね」

「え? ええ、まあ」

 うきうきと弾むように話す少年の声は、徐々に沈んだ、けれど決意を灯したものに変わっていく。

「会うのがもっと楽しみになった! ……それに、兄様たちに会えるんだ──おれも運命を変えるんだ。それで、もう母様が泣かないで済む様にするんだもの……」

「……シオン君」

 青年の声に振り向いた少年の、瞳は紫の色を宿していた。にっと、笑みを浮かべて少年は言う。

「ちゃっちゃと船に慣れろよ。まだまだ海の上なんだから」





「あなたの──……」

「トト」

 隣のプルートが気遣うようにトトの手を引いた。トトは、あ、と声をあげ、困ったような顔でトアンと自分の手を見比べる。

「オレの、何?」

「……。」

「トトさん?」

「……これは、言えません」

 がくりと肩を落とし、トトは言った。

「運命を変えましょう。だから、知らなくていいことです」

「……言ってよ。教えて、オレ、平気だよ」

「いえ」

 今度はきっぱりと、毅然とした態度になったトトがトアンを見る。

「制限に引っかかります」

「どうして!? 他の事は教えてくれたのに!?」

「運命を変えれば」

 トトを守るようにプルートが口を挟み、トアンを睨みながら言った。

「知る必要がなくなるんだ。お前が気にする必要はない」

「でも……!」

 頑なな様子が気になる。嫌な予感がする。トアンはどうしても引き下がれず、トトの腕を掴んでいた。──もう、未来の自分が犯す罪は、プルートの村だけではないのだと悟っていた。けれどトトは、どこまでも優しい瞳でトアンを見返して、ゆっくりと首を振ったのだ。

「プルートの言うとおりですね。変えましょう。なら、知る必要はないです」

「……トトさん」

「薄々気がついてますね? ──トアンさんは、いや、ユメクイは、村一つ襲ったところで満たされてないんです。……その犠牲者なんです、この剣を俺に託した人は」

「犠牲者……?」

「あなたに襲われたあと、その人は魂だけの存在となって、俺たちに道を教えてくれたんです」

 それ以上は聞き出せないだろう。第一、トアンもトトとプルートの言うとおりだと思い始めていた。そうだ。変えてしまうんだから。

「……。オレが運命を変えたら、みんな助かるんだよね……犠牲にならないよね?」

「ええ」

「オレ、変えてみせるよ」

 トアンはもう一度トトの月千一夜を握り締めた。この感覚は変わらないのだ。──ふと、ユメクイと戦ったとき、この刃に映ったものが気になったが──……今はもう、何も映っていなかった。

「協力してくれる?」

「もちろんです」

「……トトさん。オレが、ユメクイになりそうになったらこれで斬って」

「……トアンさん」

「もちろんならないようにするよ。けど、もしものことがあったら──……」

「……良いんですか?」

「聞かないで」

 トアンはそういって、精一杯笑って見せた。運命を変えるとは言ったが、どう立ち向かえばいいかまるでわからないのも真実だ。

「でも、オレも、諦めるわけじゃない。精一杯抵抗してみるよ」

 だって、まだチェリカにだって会えてない。

 トアンの笑みに、トトが泣きそうに顔をゆがめて頷いた。そのすぐ隣ではプルートが慌てて顔を逸らしていたが、それでいい。

(オレはユメクイなんかになりたくない)

 さっきのトトへの約束を、実現させるわけにはいかない。トアンにだって夢がある。チェリカと再会して、それから、あの夢物語の続きを紡いでいくこと。──それが現実になるとはわからないが、でも。






(あんな未来にはしない……!)



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