第21話 堕ちた少年
──空間が裂ける。
そんな非常識な出来事が、今目の前で起こっている。それなのに、トアンはどこか落ち着いてその割れ目を見ていた。──今、そこから真っ黒な手が出ている。大きさは大人のものより少し小さい。
腕は、何かを探すようにもがきながら、ゆっくりと這い出てきていた。
(怖い、けど──なんだろう。普通の怖いより少し違う。なんだ? この感覚)
心の内側を、そっと紙やすりで擦られるような痛みを伴う感覚。トアンはすっかり混乱しながら、呆然とその光景を見つめていた。──プルートが叫ぶまで。
「……何故!? 何故あれがここに?」
「知ってるのか」
レインが聞くと、プルートがぶんぶんと首を振った。口に出すのも嫌だという嫌悪感を丸出しにした表情で、小さく呟く。
「あれは──『ユメクイ』」
「ユメ……クイ?」
「どうしてここに……」
苦々しく呟いて、プルートがトアンを見た。トアンがどうしたらいいかわからずに一歩後ずさると、トトがその肩を叩いた。
「下がっててください」
「トトさん」
「あれは──」
トトが声を低くして、トアンの耳元で囁く。
「俺たちの時代の──もの、ですから」
「え?」
もの、というところが妙に震えていた。トアンが聞き返そうとするが、すでにトトは離れてしまった。
「レインさんも下がって!」
「なんで」
「なんでって……」
「オレも戦う。良くないものだろ?」
黒い光がさっと収束すると、レインの手の中にカマが形成される。──と、その赤い光に反応するように裂け目から真っ黒な塊が一気にどすんと落ちて来た。
──闇の塊は、輪郭がオボロで、蛙のように四足をついていた。しかしその前足は人間の手だ。顔らしき場所は真っ黒で、のっぺりとしている。
「オーラ、みたいだな」
カマを持って身構えたレインが呟く。しかしこの『ユメクイ』という化物は人間の形をしていない。ユメクイは、真っ黒な身体をレインの方に向けて這うように進みだした。
「プルート!」
トトの指示に従い、プルートがさっと笛を抜いて口元に当てる。しかしレインは──闇の塊を凝視したまま、カマを下ろしてしまった。
「兄さん!」
「レインさん!」
トアンとトトが叫ぶが、驚くことにレインは自らユメクイへと近づいていく。ユメクイの真っ黒な手が、ゆっくりと上げられた──レインに、触れようと。
「お前……まさか……?」
レインが呟くと同時に、ユメクイの腕が振り上げられる。
「プルート、頼む!」
トトが叫んで駆け出すのと同時に、プルートの笛が大気を振るわせる。不思議な音色だ。同時にプルートの足元に魔方陣が浮き上がり、強い──白い風が吹いてユメクイが僅かにだが後退した。トトがレインの身体を抱えて走って戻り、シートに寝かせる。
「……。」
レインの目が、何か言いたそうにトトを見た。顔色が酷く悪く、結局何も言えずに目を閉じてしまった。──眠ってしまったようだ。
「兄さんは……」
「あれの、邪気に中てられたんでしょう……プルートの魔法で眠らせました。少しは良くなるはずです。ユメクイと接触すると、人は酷く弱ってしまいますから」
「何なんだよ、ユメクイって」
「……。」
トトの群青色の瞳がトアンを見る。いえない。そういっているが、それではこの溜飲はさがらない。
「トトさん」
「……ごめんなさい」
「トトさん!」
「夢を──心を喰う、化物、なんです。あれは」
それ以上はいえませんと、何故か泣きそうな顔でトトは呟き立ち上がって腰の剣を抜いた。見かねたように、プルートがトアンに怒鳴った。
「アイツの正体を知りたいのか!」
「……!?」
その剣幕にトアンは畏怖する。
「アイツは、」
「……ダメだ、プルート」
トトが首を振った。プルートはトアンを睨みつけていたが、やがてつんと視線を逸らす。
「──そうさ、あいつは化物だ。お前は下がってろ、トアン・ラージン」
プルートは小声で呟くと、トトの横に立つ。──その前で、ゆっくりとユメクイが動き出した。歪な身体を、不自然な動きで動かして、のっそりのっそり近づいてくる。──足元の、草が枯れた。
「トト、あれは、化物だ」
まるで、トトが先程いった化物、と言う言葉を、別に酷いことではない、当然なんだ、だからお前が気にするな。というような声で、プルートは言う。
「……。」
「戦えるのか?」
「……うん、戦わなきゃ」
いつか森の中で聞いた、トトの素の口調。トアンの知らないトトが、今目の前で剣を構えた。
「きっとユメクイは、俺の海鳴りの指輪と、プルートの気配に惹かれてきたんだ。……時を越えてまで……。」
そう呟くトトの表情からは、何も読みとることができない。トアンは疎外感を感じながら、少しの憤りも感じていた。──ワケもわからないままプルートには嫌われ、今も化物と対峙しながらもその化物に関する情報を教えてもらえない。
(なんだよ)
どうも自分が関係しているのは確かだ。特にプルートの件は。トアンはレインの傍に立ったまま、ユメクイを見つめた。
君はだれ? 無意識に心が呟いた、その時。目も鼻も口もない顔の部分がトアンを見て、何か言った。
──…………。
「え?」
トアンが声を上げるのと、トトが走り出すのは殆ど同時だった。プルートの笛の音が鳴り響き、トトの剣の刀身が応えるように光る。
「はあああっ!」
鋭い光を放つ刃がユメクイの前足を切り落とす。──声にならない、おぞましい悲鳴を上げてユメクイがのけぞった。トトの顔も悲しみに歪む。
「トト!」
気を抜くな、と続けようとしたのだろう。プルートが叫ぶのと同時に、もう一本の前足がトトの身体を吹っ飛ばした。トトの手から剣が零れ、地面に突き刺さる。
「トトさん!」
ぐりん、と顔がトアンを見た。そしてその横のレインを。そのままものすごい勢いで、三本の足で這ってくる。トアンはもう無我夢中で駆け出してトトの剣を引き抜くと、確かに一瞬、目の端で、その刀身に、白髪の少年の姿を見た。そしてトトの剣が、自分の良く知る剣と同じ感覚なのに驚いた。──しかし、そんな感情はユメクイの接近とともに忘却の彼方へ走り去ってしまう。
「来るな!」
思い切り振りかぶった剣が、焦がすような赤い色に染まる。トアンはそのまま、黒い身体に剣を突き立て、斬り裂いた。
──……!!
ユメクイが悲鳴をあげる。斬り裂かれた肉が漆黒の黒衣に変わり、さらに黒い塵になって空へと散っていく。
崩壊していく身体を捩り、ユメクイは再び空間に亀裂を作り出した。ゆっくりとその中に身を沈めていく。──崩壊はとまらない。その身体を包んでいた肉はもう大半が消え、──そしてトアンは、その中に信じられないものを見た。
顔があった。人間の顔だった。一人の少年が、血のような『赤い瞳』でこちらを見ていた。それは、トアンの良く知る顔だった。
(……ユメクイは──彼の正体は……)
ああ、何てことだろう。
今、漸く、ユメクイの正体についてトトが口を濁した理由も、正体を言おうとしたプルートをトトがとめた理由も、ものとか、化物というのを辛そうにしたり、トトが悲しそうな顔をした理由も──全てわかった。わかってしまった。
(────オレだ)
そこで、ぶつんとトアンの意識は途切れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます