第20話 プルート


  めえめえ、隣に居た羊がもくもくと口を動かして鳴いた。そのまま頭をぶんと動かし、トアンは乗っていた羊から転げ落ちる。手に持ったクシが日の光にきらりと輝くと、周りで草を食べていた羊たちが一斉にトアンの方に顔を向けた。

「いたたた……」

 のんびり草の上で転がっていては踏み潰されてしまう。トアンは素早く起き上がり、あたり一面の真っ白な羊毛の海を呆然と眺める。──さっきまで自分が乗っていた羊はどれか、さっぱりわからない。


 再びチャルモ村に戻ってきたトアンたちは──いや、トアンとトトは、体調が回復すると、セイルが起きず、ルノがシアングの看病に必死になっている横で、なにも役に立たずにのんびりと時間を潰しているのが暇で肩身が狭いと感じていた。

 ウィルは子供たちとともに毎日学校へ行ってるし、レインは家の仕事に自分の仕事に忙しい。ただ甘えてだらだらしていたら、いつか「働けっ!」とレインに背中を蹴り飛ばされてしまうだろう。──トトはすぐにレインの手伝いと図書館と農家でバイトを始めたので、トアンも近所の家畜の世話をすることに決めたのだ。

 このチャルモ村では、家畜も自由気ままに暮らし、時期が来れば自らの肉や毛皮を提出している。そのためあまり人に管理されていないが人に慣れていないことはない。それに、トアンも一人で暮らしていたし、羊や牛の世話は経験がある。自信があることはあったのだが──……

「おーい、さっきの羊くん。どこ行っちゃったんだ──って、お前じゃないよ」

 数頭の羊にはバンダナがついているし、見分けもつくほど個性的だった。今、オレンジのバンダナのついた肩耳破れの羊──プーノ、という名前だ。そのプーノが、トアンの股に頭を潜らせ、ひょいとその身体を持ち上げる。──羊たちは皆、トアンがもっているクシが好きだ。正確には、ブラッシングが大好きなのだ。

「お前、さっき終わったでしょう?」

 メエエエ、分かってるのかわかってないのか、半月の瞳がぐるんと動いてトアンを見る。先程のようにブラッシングをねだる他の羊に落とされるか、トアンが降りないかぎりそのままなのだが、羊に乗ったままのんびりと牧場を散歩するのも気持ちがいいのだ。時間はわからないが、今はきっと昼下がり。

「じゃあ、ちょっと乗せてね」

 太陽の匂いがする毛皮は獣臭がしない。気持ちよさにうとうとするトアンの耳に、レインとトトの呼び声が聞こえた。

「トアンさーん!」


 良く通る声が青々とした草むらを駆け抜ける。にこにこと嬉しそうに笑ったトトが、すぐに駆け寄ってきた。

 今乗ったばかりだが、トアンは羊から飛び降りる。羊が不満そうに鳴いたが、あとでね、とその頭を撫でてやってトトを待った。

「トアンさん、ご飯ですって」

「ありがとう。……随分、嬉しそうだね?」

「ええ、まあ」

 にへら、としまりのない笑みを浮かべてから、ちらりと後ろを確認する。レインはのんびりとこちらに向かってくるので、まだ遠い。その様子から、トアンはなんとなく察して先回りしてみた。

「兄さんのこと?」

「はい。……それと先生のことです。ルノさんが頑張ってる横で、こんなこと思うのは悪いんですけど……俺、こうやってまた二人と暮らせるとは、思ってなかったので」

 楽しそうに、嬉しそうに笑うトトのインクブルーの髪が柔らかい風に揺れる。

 トトはこの一週間の間にトルティーやコガネとも仲良くなり、それによく働いていた。朝早く近所の畑の手伝いに行き、それが一通り住むころに一度家に帰って朝食を皆ととる。その後、ウィルや子供たちと一緒に学校へ行き、学校付属の大きな図書館で様々な雑務をこなす──そんなに利用客も多くないのだが、古文書の写しなどが大量につっこまれた資料館の整理などが大変らしい。

 ──元々、その古文書の半分以上が、トトの家から運び出されたものらしいと、トアンはこっそりと教えてもらった。俺は古文書も特殊な言語もほとんど読めないんで、ずっと頼りっぱなしだったから──ともぼやいていたので、遠い未来に居る仲間のことを懐かしんでいるのだとトアンは感じ、あえて黙って頷いておいた。

「良かったね。兄さんもウィルも、家の手伝いもしてくれるから大助かりって言ってたよ。きっと二人とも、トトさんのこと凄く好きなんだよ」

「いえ、俺はそんな──」

 照れたようにはにかむ彼を見て、トアンも目を細めて笑った。──実際、レインとウィルはトトを気にかけ、親しく接していたのだ。まるで──家族へ接するように。ルノへの態度と良く似ていて、でもなにか違う。良い意味で遠慮がない。いや、レインはルノに関しても言う事は言うが、何かこう、言葉では言い表せないものが違うのだ。

(トトさん、年上だけどちょっと子供っぽいところがあるから──……)

 だから、大きい弟みたいに思われているのかな、とトアンは思う。何か違うのだと頭の隅で誰かが叫ぶが、トアンはこれ以上気にしないことにした。

「お疲れ」

 ゆっくりと歩いて。漸くたどり着いたレインがふっと笑って、右手に持ったバスケットを掲げた。トアンとトトは、昼食を共にするのが常だ。

「ありがとう、兄さん」

「ああ」

 牧草の上にピクニックシートを広げるレインをトトが手伝う。

「いいよ、お前疲れてるだろう」

 と、レインは必ず言うが、

「平気です」

 と必ずトトが返すので、それ以上は言わずに今度はバスケットの中身を広げだした。──今日の昼食は、タマゴやツナ、焙った鶏肉などが挟まったサンドウィッチのようだ。トトが手伝えないのでこれは完全にレインが一人で作ってきてくれるが、この量を作っても味は衰えない。いつもとりあえずウィルの分だけ先に作って、トトと朝食を作って、それから一人でトアンたちの弁当を作ってくれる兄は、トアンの目から見てとても忙しそうだがとても楽しそうなのを知っている。

「そうだ。シアングが起きたぞ」

 手を動かしままさり気なくレインが言ったので、トアンは一瞬言葉を逃がしてしまった。それから捕らえなおし、漸く飲み込む。

「……シアングが?」

「ああ。今はまた寝てる。ルノも寝てる、セイルも寝てる──三人ともぐっすりだ」

「兄さん、その……シアング、何か言ってた?」

「……。」

 細められたオッドアイからは何も読み取れず、トアンは焦る。

「その、ほら。こんなところ、連れてこられて迷惑だとか、ほっといて欲しかったとか……」

「……ああ、そっちか」

「え?」

「いや。何も。……助かった、とは言ってたけどな」

 そう言ってから、レインはあ、と小さく声をあげた。

「水筒忘れた」

「俺、取ってきます」

 すかさずトトが手を上げる。が、レインは首を振ってそれを制した。

「トトはトアンと待ってろ。すぐ戻るから」

「じゃ、一緒に行きます」

「なんでついてくるんだよ」

「え、いや、あの……」

 大好きな育て親とずっと一緒にいたい、とは言えずに、トトが言葉をつまらせるとレインはしかたねぇな、といってその手を取った。

「じゃ、ちょっと行ってくる。トアン、大人しく待ってろよ」

「わかった」

「……あ、あの、レインさん」

「ほら行くぞ。行かないのか?」

「い、行きます行きます!」


 二人の姿が小さくなり、やがて丘の向こうに消えてしまうとトアンは深く深呼吸した。地面に座り込み、足を投げ出し、後ろ手をついて空を見上げる。美しい、でも遠い空。

(エアスリクに行けば、チェリカを助けられる。その材料は揃ってる──)

 でも。一際強い風に流される雲が、トアンの顔に影を落とした。

(このままじゃ動けない。それに、ハルティアの通路はまだ塞がれてるかもしれない──フロステルダ行きだけが塞がれてるだけかもしれないけど、エアスリクも封鎖されてないとは限らない……)

 雲が流れる。再び太陽の光がトアンを照らした……その時だ。


 さわ、さわ、さく、さわ、さく……


 草を揺らす風の音に混じって、草を踏む足音が近づいてきた。

 だがトアンはそれを気にしなかった。レインとトトが帰るには早すぎるからだ。

(ハルティアに行ってみないことには……けど、今のシアングをおいていくのか? ここに? それとも連れて行く? ……オレたちにとっても、シアングにとっても危険が増すだけだ。どうしたらいいんだろう

 ぐんぐんと雲がトアンを追い越していく。足音がさらに近づいてくる。

(ルノさんに相談しようか。それが一番いい。でも、ルノさんはシアングをおいていける? 危険だとわかっていて連れて行く? そんなこと決めさせるなんて、残酷だよ)

 結局身動きが取れない。この村でこうやって働いて、充実した一日を過ごしてたっぷりと眠る。その生活は逃げだと分かっているが、トアンの旅路についての思考は堂々巡りだ。

(じゃあ、どうしたらいいんだ)



 ……さわ、さく、さく、さく。


 ふと、足音が止まった。トアンの直ぐ後ろで。直後、不思議な響きを持った声が耳を擽る。



「お前が、トアン・ラージンだよな」


 え、トアンは驚いて振り返った。

 直ぐ後ろに立っていた見慣れない少年が、毛先に緩くウェーブがかかった長いミルクティ色の髪を風に揺らし、トアンを見下ろしていた。

 その少年は──目の覚めるような美少年だった。年のころはきっと、16か17。エメラルドのように緑の澄んだ瞳で、腕のところを切り落とした短い上着、すんなりとした腕を覆うアームウォーマー。其々の口にはひらひらとしたレースがついている。下は、ベルトで奇妙な笛と短剣を下げ、裾のところで絞られたズボンに、これも飾り布が揺れていた。眩しいばかりの白い肌が短い上着の裾から見え、細いウエスト、ヘソのラインまで見えていた。

(誰だろう?)

 広い牧場の青々とした草の海の上で、トアンの驚きの顔は不思議そうな表情に変わる。見慣れないどころではない。この美少年とは、まったくの初対面だ。

「そうですよ。あなたは?」

「……。」

 立ち上がり、初対面の相手に笑顔を浮かべて精一杯好意のある対応をしたはずなのだが、少年の顔は見る見る曇っていく。

 と、唐突に腰のベルトに止められた短剣を抜いた。動揺するトアンに向かって少年は短剣を振りかぶり、叫んだ。


「お前を殺す!」







 あまりに唐突すぎることに頭がついていけず、トアンは目を瞬いた。──が、その直ぐ目の前を銀の軌跡が走りぬけ、頭よりも身体が先に理解をする。──殺される!

「ちょ、ど、どうして!?」

「うるさい! 死ね!」

 相手を落ち着かせようと両手を上げるが、少年は聞き入れない。ひゅん、と風が切り裂かれる音と同時にトアンの頬が裂け、ぱっと血が飛び散った。

「やめてください、オレ、あなたに何か悪いことでも──!?」

「うるさい!!」

 ギンッ──

 ベルトにささっていたクシで短剣を受け止める。ぎぎぎ、という嫌な音をたて、クシがゆっくりと押されていく──が、どうやらこの少年、細い外見の通り、あまり力は強くないようだ。トアンは自分を落ち着けるために一拍置いて、思い切りクシを振り上げた。

「──くっ、」

 キン、と澄んだ音を上げて少年の腕が伸びきり、無防備になる。その一瞬、トアンは迷ったが思い切りその身体を蹴り飛ばした。少年の身体は勢い良く宙を飛び、緑の地面に叩き付けられる。

「ぐあ……っ」

「す、すいません。大丈夫ですか」

 むき出しの腹に硬いブーツで一撃いれた感覚がやけに鮮明で、咄嗟に謝るトアンだが、少年は仰向けに倒れたままピクリとも動かない。もう用心より心配が勝り、トアンはゆっくりと近づいていった。

「あの、オレ、ええと……ごめんなさい、でも、」

「……くそ」

 ゆらりと獣が構えるような姿勢をとる少年に、トアンは困り果てて持っていたクシを置く。

「オレは、あなたと戦う理由がないです。だからやめましょう?」

「お前になくても、僕にはあるんだ」

「え? だって初対面、ですよね?」

「うるさい! そういう問題じゃない!」

 ぱっと身を起こし、少年が再び短剣を振りかぶる。トアンは後ろに跳んでそれを避けるが、少年はさらに斬りつけてくる。揺るがない憎悪の瞳を見て、トアンの足がすくんだ。

(──避けられない!)

「トアン・ラージン! お前さえいなければ──!!」


「だめだ、プルート!」


 良く通る声と同時にトアンは突き飛ばされ、緑の草に顔を突っ込んだ。

 しんとした静寂があたりに訪れる。なんとか顔をあげて、目に飛び込んできた光景に思わずトアンは声をあげた。

「トトさん!」

 先程までトアンが立っていた場所にトトが立ち、その手で短剣を受け止めていたのだ。左手からゆっくりと血が流れ、緑の草の上に吸い込まれていく。──少年のエメラルドの瞳が見る見る驚愕に揺らぎ、その手が震えてるのがわかった。

「……だめだよ、プルート。」

「あ……」

 もう一度トトが言う。ゆっくりと落ち着いた口調は、この少年──どうやらプルートというらしい──を落ち着かせるのに絶大な効果があったようだ。

「僕は……なんてこと──ト、トルティー、手……」

「大丈夫。……プルートの気持ちはわかるよ。でも、この時代のトアンさんは、とてもいい人だよ?」

「……う」

「ね? 落ち着いて」

 プルートの細い指が柄から離れるのを確認してから、トトはゆっくりと手を開いた。痛みに眉を顰めるがそれ以上の感情は出さずに短剣を離す。──真っ赤な刀身の短剣が、すさ、と地面に刺さった。

「傷……!」

 くしゃりと顔を歪めたプルートが、すかさずトトの掌を手にとった。彼がぶつぶつと素早く何か呟くと、柔らかな光がそっとあふれ出す。

「いいよ、プルート。こっちとあっちじゃ魔力の種類が違うから、無闇に魔法を使ったら疲れちゃうだろう?」

「ば、ばかやろう……第一、僕の所為なんだから、お前が文句を言う必要はない」

「プルート」

「……トルティー……、ごめん」

「謝らなくていいよ。俺が勝手に飛び出したんだから。──ありがとう、もう、いいよ」

 トトがプルートに包まれている手を引き抜こうとするが、プルートは頑として譲らない。

「疲れちゃうよ?」

 もう一度、優しくトトがいう。が、プルートは首を振って、ただ、うるさいと呟いた。

 首だけめぐらせて、トトがトアンを見る。

「……トアンさん、怪我は?」

「ないよ」

 起き上がりながらトアンは笑ってみせるが、トトの顔は浮かばれないようだ。ちらりとエメラルドの瞳がトアンを見る。──まだ、トゲのある視線だ。

「トトさん、その人は?」

「俺の仲間の、プルートです。プルートルーン」

「仲間ってことは……未来の人?」

「そうです。……プルート。君、過去に来るときに色々制限付けられなかったの? そもそもどうしてきたんだよ。待ってて、って言ったのに」

「……。」

 咎めるような声色のトトに、プルートの顔が曇る。トアンを刺す視線は今や、悲しみと嘆きの色でトトの群青色の瞳を見上げていた。

「──待ってろ、とは言われた。けど、僕だって、過去でやるべきことが……」

「やっちゃいけないことだ」

「何故? お前だって運命を変えようとしているんだ! 僕にだって、僕にだってそのチャンスはあるはずだ!」

「けど、君のしようとしている──しようとした事は、いけない事だよ」

 幼子を諭すような口調で、それでも優しく続けるトトに、プルートは俯いてしまった。

「だって……父さんと母さんの……。」

「プルートの事情もわかってる。……でもダメだよ」

「……。わかった……トルティーがそう言うなら──……」

 消え去りそうな、しかしはっきりとした言葉に、トトは自分の手からプルートの手を外させてそのまま薄い肩に手を置いた。

「ありがとう」

「……。礼の必要はない」

「トアンさん、ごめんなさい。ちょっとプルートには色々訳があって──」

「い、いや。オレは気にしてないから」

 大丈夫、と手を振りながら、殺されかけたことを水に流す自分に驚くトアンである。──色々な事情というのが気になって当然なのだが、それを聞くのは、何故か恐ろしいのだ。

「プルートもほら、謝って」

「嫌だね」

「プルート!」

「どうして僕がこんなやつに?」

 再び冷たい目がトアンに向けられる。笑ってしまうくらい酷い嫌われようだ。

(理由もわからないのに……)



「おい、お茶持ってきたけど……なんか増えてるな」

 水筒、の代わりにポットに紅茶を淹れ直してきてくれたレインは、プルートを見るなりそう呟いた。

「なんかとはなんだ」

「トト、誰?」

「プルートです。俺の友達」

「ふーん。お前も飯食う? ほら、トアン、ぼさっとしてないでカップ取れ」

「え、あ」

「あ、レインさん俺が……」

 冷たい視線に落ち込んでいたトアンは、咄嗟なことで動けなかった。代わりにトトが手を伸ばし、紅茶を注いでいく。

「悪いな」

「いいんです」

「さ、食おう」

 シートに座り込んだレインに続いてトトも座り、そっとトアンの袖を引いてくれた。ありがとう、とトアンが礼を言うと、その後ろにいるプルートの視線がまた一段と冷たくなる。

「プルート」

 それにいち早く気付いたトトが、再び咎めるような声と視線を向けた。プルートはつんと顔を逸らし、立ったままだ。漸くレインも不穏な空気に気付き、オッドアイをパチパチさせた。

「あいつの分のカップ、ねぇからか……」

 少し見当違いのレインの呟きにトトは苦笑を浮かべ振り返るが、すぐに厳しい視線をプルートに戻す。

「いいんです。俺ので。ほらプルート!」

「……ふん、こんなところで、アイツと一緒に飯を食べろというのか」

 またも酷い言われようだ。本格的に落ち込んできたトアンの肩を、つんとレインがつつく。

「アイツって?」

「オレだよ」

「嫌われてるのか、お前」

「……うん」

「何かした?」

「とくには。」

「ふーん」

 他人事のような声色で言いながらも、一番にトアンに紅茶のカップを渡してくれるレインである。一応心配はしてくれるらしい。それから目を細め、プルートに言う。

「紅茶、冷めるぞ」

「うるさい!」

 すかさずプルートが怒鳴る。が。

「なんてこと言うんだ!」

 途端に、トアンから見ても、あまり怒ったことのないトトが凄まじい剣幕で怒った。プルートにとってもそうだったのだろう。と、プルートの目がしゅんと潤んでしまった。カクリと肩が落ち、元気がなくなる。

「別にいいよ。ほら、座れ」

「でもレインさん……」

「いいから。……トト。お前の友達、結構ワガママなんだな」

 面白いものを見るような目でレインが言う。トトが申し訳なさそうに眉を下げ、トアンにもすいませんと言った。──彼が謝る必要は全くないのだが。

 問題のプルートも、ぺたんとシートに座り込むと瞳を伏せてしまう。トトに怒られたことが相当来ているらしい。

「なんでトアンのことを嫌ってるんだ?」

「それは──……」


 ──突如、空が暗転した。

 小豆色になった空、重く垂れる雲。生ぬるい風が笑い声をあげて吹き抜けていき、ざわざわと大気が震える。──羊たちが、途端に逃げ出していった。

「ん?」

 不思議そうに、レインが空を見る。

「何かな」

 トアンも続いて空を見た。──何か、とても嫌な予感がする。不吉な、恐ろしい……何か。

(何かくる)

 立ち上がったトアンの目の前で、空間が歪んで亀裂がはいった。景色を裂くように、亀裂は縦に入っていく。

 ──ずるり。


 亀裂から、真っ黒な腕が飛び出した。

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