第17話 瓦礫の中の再会物語

 フリッサの町をでて、三日。トアンたちはその間黙々と歩き続け、エルバス卿の屋敷を目指した。──山から下山したあと、休憩もそこそこにすぐに町を飛び出してきたので、正直トアンは疲れていた。が、それは皆同じだろう。それでも、一刻も早く氷魔の涙を手に入れて、エアスリクを元に戻したかった。

 そして三日目の夕方、トアンたちはエルバス卿の荒れ果てた屋敷にたどり着いた。屋敷、といっても名前ばかりで、助手の女性の方が屋敷というのに相応しい建物に住んでいた。ここは、どう見ても塔にしか見えない。

「……変な建物だな」

 遠慮のないルノの一言に、疲れきっているはずの身体は反応し、トアンは噴出した。『?』という表情で塔を見上げていたルノが振り返る。

「な、なんでもないよ」

「いや、笑いたい気持ちわかりますよ……ここまでくるとね」

 トアンと同じく笑いたいのだが、堪えているため目を逸らしてトトが言った。

「ここであった事を考えると失礼なんですけど……でも、どうみても変ですもん」


 エルバス卿の屋敷は、淡いピンク色でデコレーションされ、先端には赤い飾りがはまっている。これが新築でも相当妙なところだが、廃墟、ということで、所々装飾ははげ、見るも無残な建物と化していた。

 地面にボロボロの派手なロウソクが一本突き刺さっている、というのが塔の概観の印象だった。オマケに高さだけは無駄にあるらしく、頂上を見上げるだけで首が痛くなる。

「……とにかく入りましょう」

「崩れそうだぞ……オンボロだ。チェリカがな、よく古いものを見てオンボロだと」

「……ふっ」

「ルノさん」


 ギィ、錆びた蝶番の悲鳴を聞きながら中に入ると、薄暗い中は埃っぽいにおい、そしていたるところにある蜘蛛の巣が出迎えてくれた。明らかにルノが眉を寄せ、不快感を表している。トトがその隣で苦笑しながらランプをつけ、先頭に立って歩き出した。

 塔の中は、まったくどういうつもりで設計されたのかよくわからない場所だった。扉を開ければ直ぐ壁があり、そのくせ行き止まりが多い。いたるところに階段があり、ぐるぐる回ったり戻ったり、すっかりくたびれてしまった。こうしてくたびれても、少しは氷魔の涙の手がかりがつかめれば良いのに、こうして立っている場所が一階の端っこなのでどうしようもない。入り口もここからでは遠い。

「困りましたね……ああ、日が暮れそうです」

 トトがため息をつきながら、まだまだ続いている薄暗い通路の壁を撫でた。

「山道から殆ど休憩してないしね……トトさん、ランプ変わろうか?」

「いえ、大丈夫です。……少し休みましょう」

 笑みは絶やさないまま、トトが埃っぽい床に腰を降ろす。トアンも彼に感謝しながら床に座った。ルノだけが少し躊躇ってから、疲労に勝てず腰を降ろす──


 バキン!


「!? ……うわ!」

 突如ルノの足元の床が持ち上がり、その後ろの壁が回転し、彼の姿をさらってしまった。一瞬だったので、トアンもトトも呆然としてそれを見送った。──一瞬で我に返り、慌てて壁を叩く。

「ルノさん、ルノさん!」

 叫ぶトアンの足元で、注意深くトトが床を調べていたが、やがて首を振った。

「どうも、侵入者用の罠がまだ生きていたようですね。……ルノさん、聞こえますか?」


「聞こえる……いたた、腰と頭を打った……」


 壁の向こうから、弱弱しいルノの声が聞こえる。

「そんな声を出すなトアン。私は大丈夫だ……くぅ~、いたたた」

 その声色から察するに、どうやら言葉通り頭と腰を強打したものの、たいした怪我はなさそうだ。

「よかった……」

「ルノさん、どうやらこの罠、一度そっちに行ったらもう戻ってこれないみたいです」

「何?」

「そっちの様子はどうですか?」

「ええと……」

 短い沈黙が流れ、ルノがとたとたと壁の向こうを歩き回っている音が聞こえた。やがてその足音は壁際に戻ってきて、ルノが告げる。

「小さな部屋で、階段が一つ。──どうやら、地下に続いているようだ」

「窓や扉は?」

「ない。棚もなにもない……隠し部屋だから何かあるかと思ったが、全く何も……ん?」

「どうしました?」

「この塔の設計図みたいなものがある。──どうやらこの塔は、頂上へ行く道に二通りあるようだな。一度地下から行くのと、その、トトたちが居るところから行く道──二つの道は、頂上まで交わらないぞ」

「ええ!?」

 黙って話を聞いていたトアンが驚いて声をあげると、トトが首を振って制した。

「……合理的だな」

 トアンの声を聞いていたのだろう、少し抑えた声でルノが呟く。

「よし、私はこのまま一人で上まで行こう。道が二つに分かれているなら、二手に分かれて氷魔の涙を探すほうがいいだろう?」

「でも、ルノさん、一人でなんて危ないよ」

「大丈夫だ。心配するな……もう行くぞ」

 不安を押し殺し、気丈に言い張るルノの言葉に、トアンはやっと先程のトトの行為の意味がわかった。

「ルノさん!」

「ん?」

「頑張ってね。必ず、後で会おう」

「わかっている」

「……じゃあ、トアンさん。俺たちも行きましょう?」

「そうだね」

 トアンとトトはルノを一人残し、薄暗い道をランプ片手に歩き出した。


「……よ、よし」

 二人の足音が遠ざかっていくのを確認し、ルノはたった一人、この部屋唯一の出口である階段に向かって歩き出し、そして、両手で杖を握り締める。

 闇が、ぬるりと動いた気がした。



「ルノさん……一人で大丈夫かな……」

「心配はできますが、もう一方の道に行く方法はわかりませんし。がんばりましょう。俺たちは、俺たちにできることをしましょう?」

 歩調が遅くなるトアンに対し、トトが優しく諭した。トトの言葉は最もだ。トアンはそれを分かっていながら、渋々といった風にしか頷けなかったことを申し訳なく思う。しかしトトはそんなこと気にしたようには見えず、ランプで薄暗い廊下を照らし、微笑んだ。

「階段があります。上がってみます?」

「そうだね」

 どうせ道なりに進むしかない。ギシギシという軋む音を聞きながら階段を上がっていくと、螺旋を描くように階段が続いていて、その周りの壁が所々崩れ落ちていてない。

「あたりみたいですね」

「このまま上まで行けそうだけど……寒いね」

「確かに。」

 くつくつと笑うトトの髪を透かしてオレンジ色の夕日が溶けて行くのが見えた。




「くそ……」

 何かが腐ったような悪臭と、そして忍び寄るぐちゃぐちゃという音に思わず悪態をつき、ルノは壁にもたれかかって額に張り付いた髪の毛を払った。ゼイゼイと荒くなった息が闇に溶けていき、その向こうから身の毛もよだつ音が聞こえてくる。

「うんざりだ」

 誰に言うわけでもなく文句を呟く。

「たった一人で地下を選んだのは間違いだったな……」

 つん、鼻をつく臭いが近づいてくる。はっとして杖を構えると、ズルズルに腐ったヒトだったもの、動物、得体の知れない生物が四方から迫ってきている。エルバス卿の屋敷(塔の方が正しいのか?)の地下は、実験体たちの死体が生き血を求めて彷徨う地獄だったのだ。この世への恨み、痛みからの解放、嘆き……彼等はルノにはわからない言語をブツブツいいながら、ルノを追いかけてきている。

 幸いにも動きが遅かったので逃げることはできたが、何度も逃げるうちに敵の数は増していたようだ。

(暗くてよかった……明るい下で見たらもう失神するだろうな。死者たちに手を上げるのはいやだが、もう自我もないだろうし……ああでも、やはり明るいほうが良かった。──怖い)

 うおおおおん、泣き声のような掠れた声に、ルノは身をすくませる。暗がりから次々に死体は姿を現し、壁際に居るルノを取り囲んでいた。

「お、落ち着け私」

 じりじり、輪が狭まる。

「ひ、光か、何かの攻撃魔法が──そうだ、使えないんだ……! どうしたものか」

 口調は落ち着いてるがルノは正直泣きそうだ。今日このときまで攻撃魔法を使えないことは不便ではなかった。──仲間がいたから。


 ──でも、今はたった一人。


 変色し、肉も腐り落ちた手が向かってきた。そのヒトであったものの鉛色の瞳がどろりと動く。

「ひっ……」

 あまりの恐怖に膝が笑い、ルノは壁を頼りにしゃがみ込んで目を瞑った。恐怖で死んでしまいそうだった。いや、このままでは本当に──


 バチバチバチ!


 観念したルノの瞼を、何か明るいものが通り抜けていく。

「ディブライズ」


(え?)

 良く通る強い声が、直後に駆け抜ける。──グズグズと直撃した死体は倒れていき、周りの死体にも恐怖は伝染したようだ。すぐさま蜘蛛の子を散らすように闇に消えていく──動きは緩慢だったが。

 どうやら危機は過ぎ去ったようだ。しかしルノはそれどころではなかった。瞳は開けたくない、でも開けたい……ゆっくりと目を開き、そして即座に嘘だ、と否定した。ありえない、これは夢か?

「……大丈夫か?」

 床に座り込んでいるルノに手を伸ばしながら、ルノを助けてくれた少年が言った。赤紫の髪の毛が顔にかかり、着ていた服は、汚れてこそはいたが上等な布地だと一目で分かる。──極自然な流れで手を伸ばした少年は、ルノの沈黙を見て困ったように手を彷徨わせたが、やがて強引に手を掴んで壁から引き離した。

「……ここに居たら、また魔物が寄ってくる。完全に夜になる前にできるだけこの場所から離れるぞ」

「……どうして?」

「……。」

「どうしてお前がここに居るんだ? どうしてお前が、私を助けてくれたんだ?」

「…………。」

「シアング」

 金の瞳が闇の中でそっと細められた。

 それからシアングは何も言わず、片手にランプ、もう片方の手にルノの手をとって歩き出す。

 ──ルノも無言で、それに続いた。


 ちっとも変わらない手の大きさと温もりだけが、あの雨の晩をなかった事のように繋ぎ止めていたから。



「……声が……」

 ふと足を止め、トトが何か呟いた。トアンは聞き取ることができず、首を傾げて聞き返す。

「トトさん?」

「……い、いいえ、何でもありません」

「……?」

「先を急ぎましょう」


「……涙──、どこに──……」


「今のは?」

 トアンにも聞こえた、妙な歌声。それはトアンたちのもっと上の方から聞こえてきている。そして、こつんこつんという歩き回るような足音も。

「誰かいるのかな……」

「この声……」

「トトさん……?」

「聞いた覚えがあるんですけど……」

 そう呟くなり、トトは階段を駆け上がり始めた。


 黙々と地下を歩き続け、再び沸いてきたゾンビたちはシアングが全て撃退した。

 ルノはただ後ろで見ていることしかできなかったが、シアングが瓦礫や何かで小さな傷を作っているのを見てつい手を伸ばすが、シアングはそんな傷などなかったように振舞ってルノの手を拒絶した。

「……。」

「…………。」

 会話も殆どない。無言で何かの壁が見える。それなのに、片手は繋いだままだ。ランプを片手にもったまま器用に魔法を唱え、ルノの歩調に合わせて歩いてくれている。──それだけは嘘には見えない。変わらずにただずっとそこにあり、ずっと傍にいたシアングがそのままそこにいてくれるような気がする。──それが気のせいではないと、ルノは信じたい。

(何か言ってはくれないのか)

 この前のことは、何か訳があった演技だとか。本当はお前たちの仲間だとか。だからこうして、手を繋いでいるんだ、だとか。──あまりにも都合のいい考えしかできない頭がいやになったが、ルノはそれでも切実な思いでシアングの後姿を見つめていた。

(……どうしてシアングはここに居るんだ。いつまでここに居るんだ? ……いつまで、一緒に居られるのだろう)

「……ノ」

(いつまで、こうやっていられるんだろうか)

「ルノ」

(私は……)

「ルノ?」

「わぁ!」

 怪訝そうな声とともに、眉を寄せたシアングの顔がいつの間にかすぐそこにあって、ルノは思わず声をあげた。エコーがかかった情けない悲鳴が暗闇に反響し、そして消えていく。その声が消えるまで、シアングは目を丸くしてルノを見つめていた。

「……。」

「…………な、なんだ?」

「ああ、疲れただろ? そんなにボーっとして。少し休もうぜ」

 丁度四方が壁に囲まれた、袋小路に差し掛かったところだった。シアングはルノの返事を待たずに座り込み、ランプを床において、傍にあった丸まっていたボロボロの布を引っ張り出す。──どうやらそれはクッションの成れの果てのようだ。

「座らねーの?」

 汚れているのを気にせず、シアングはクッションにもたれてルノを見上げた。手は繋いだままだ。

「……。」

 ルノが反応に困って返事を返さないでいると、

「そうか……床、汚いからか」

 とシアングは勝手に頷き、ついと手を離した。一瞬のことでルノは咄嗟に反応できず、手を離してしまったこと、そして何故離されてしまったのか分からず目を伏せたが、

「これでいいか?」

 シアングは自分の上着の内側を上にし、自分の隣に敷いていたのだった。

「よ、汚れる」

 やっと口から出たのは、そんな一言。

「大丈夫だよ。オレの服、結構分厚いし、大きいし」

「違う、お前の服が汚れるって言いたかったんだ」

「いいんだよ、そんなの。ほれ」

 そうやって薄く笑って、手を差し出して。

「座れよ」

 と言われてしまえば、ルノはもう逆らわなかった。


(どうして、こんなに優しくしてくれるんだ)

 結局シアングの上着の上に座るのは嫌なので、シアングの上着に包まって座った。自分のローブが汚れるのは幼い頃からの躾けに反するから、さっきは戸惑ったのに、今はなんとも思わない。

(目的もわからない。……殺されるかも、しれないのに)

 それなのに、自分はこうして隣に座っている。

 最初は見慣れなかったこの軍服だって、こうやって包まっていればただシアングのにおいがするだけの服だった。

「……シアング」

「なんだ?」

 ランプから火を移し、その辺に落ちていた小さな木材をかき集めてつくった焚火に小さな缶を乗せながらシアングが答える。──どうやらこの小さな袋小路には、シアングの私物がかなり転がっているようだ。

 まるでシアングの城だとふと思いつき、ルノは自然と柔らかな笑みを浮かべた。

「何笑ってるんだ?」

 何かおかしいかな、オレ。とシアングが自分を見下ろす。

「ち、違う。そういう意味で笑ったのではない」

「?」

 シアングは焚火にポットをかけると、クッションに身体を沈め、改めてルノを見つめてきた。ルノはその視線から逃れるように、慌てて話題を探す。

「……右手、大丈夫なのか?」

 やっとでてきた話題はそれだった。

 そういえば、先程シアングは右手にランプを持ち、左手にルノの手を握っていたはずだ。

「ああ、ずーっとリハビリしてるし。握力は落ちたけど、もうなんとか動く。この前だって、結構動いてただろ? 冷やさなきゃ平気なんだ」

 そういって右手を見せてくる。そうシアングは明るく言ったが、ルノは無意識にその手をとり、ポツリと呟いた。

「私の命の代わりに、死んでしまった手だな……」

 今更無意味と知りつつも、そっと治癒魔法をかけた。淡い光がルノの掌から零れ、ちらちらと揺れる。

「……ルノ、お前」

「……え、あ……。す、すまない」

「いや」

 鼓膜を振るわせたシアングの複雑そうな声に、ルノは慌てて両手の戒めを解くが、シアングはそっと手を預けたままだ。

 沈黙がそっと闇から降りてくる。コーヒーはとっくに沸いているらしく、かんかんという音がやけに大きく響いた。


「…………ルノ。」


 不意にシアングが、真剣な声で名前を呼んだ。クッションから身を起し、金の瞳で真っ直ぐにルノを見ている。

「な……なんだ」

「この手より、オレは、お前が大事だよ。あの時も、今も。……あの雨の晩だって」

「言うな」

「ルノ、オレは」

「言うな、言わないでくれ!」

 優しく降り注ぐ言葉は、ルノの悲痛な叫び声でかき消された。その声にシアングの瞳がはっと見開かれる。

 シアングの言葉が嘘ではないことなんて、ルノには痛い程わかってしまった。あのシアングが、こんなに上手に嘘がつけるものか。あの雨の晩だって、あの城の空気にシアングがまぎれてはっきり見えなかっただけだ。──でも今は二人きり。

 こんなの、自惚れかも知れない。これも嘘かもしれない。……でも、殺すなら殺せる相手に、今こうして嘘をつく必要はあるのだろうか?

「私は……。」

 搾り出したルノの声は、情けないくらい震えていた。

「……。ここからでたら、またお前、私に剣を向けるんだろう?」

 シアングは顔をそらした。横顔しか見えないが、余計なことを言ってしまったと自分を叱咤しているように見えた。

「悪い、さっきの忘れて」

「……シアング」

「そうだよな、オレ、お前を裏切ったんだよな。……こうやって一緒に居るのも、ちょっとした偶然と気まぐれなのかもしれねー。……さっきの、忘れて。」

「シアング、私は、」


「つい」


 ルノの言葉を遮って、シアングは暗闇を見つめたまま続ける。

「昔みたいだって思って、昔に帰ったと勘違いしてた。……あの晩、ああ言ったけど。監視だけじゃなくて、たまに、たまーに、楽しいなって時が、あった、から……」

 我ながら残酷なこと言ってるな、オレ。シアングはそう呟いた。カラッポの声で。

「オレは、何度だって嘘をつくよ。何度だって、お前を傷つける自信がある。……何度だって、お前を裏切る」

「……『私』は、信じてる」

 淡々とした口調のシアングに、ルノが返した。シアングの瞳がルノを見る。何もかも諦めた、何もかも傍観しているような目。彼らしくもない。──自分は、彼のことを何も知らないが。

「剣を向けられても、何度殺されかけても、私は、信じてるよ」

 さっきの声とは全然違う。言いかけていたことをはっきりと伝えられている。ちっとも恐れない自分の声に、ルノ自信驚いていた。

「お前の辿りつく場所が、……同じところ、だとは言えないかもしれないが、私の知ってる場所だと」

「……ルノ……。安心しろよ、ここじゃ、この塔じゃ、お前を殺そうとしないから。」

 それが、ごめん、も、ありがとう、も言わないシアングの、精一杯の答えだとルノは受け取った。


 再び、少しの沈黙。シアングはその間、カップにコーヒーを注いでいた。

「……忘れてたけど、ほら、コーヒー。あっついぜ」

 成程、暗闇の中でも湯気が立ち上がっていくのがわかる。ルノはそれを受け取って両手に包み、その匂いを吸い込んだ。

 ──懐かしい匂い。

 自分は飲めないコーヒーを、レインとシアングが良く二人でのんびり飲んでいたのを、少し複雑な気持ちで眺めていたことを不意に思い出した。

「……本当だ、煮えたぎっている」

 未だぼこぼこと溶岩のような動きをするコーヒーを見て呟いた。熱くて飲めそうな気がまったくしない。……これは、ずうっと放って置かれたコーヒーの、精一杯の仕返しなのだ。

「このコーヒーのセットといい、この私物といい……ここに泊り込んでいるのか?」

 と、何気なく訊ねたルノだったが、ルノを見るシアングの目が少し細められたのに気付くと、慌てて付け足した。

「別に、お前のことを探ろうとか──そういう意味では」

 ああ、なんでこんなことを言わなくてはいけないだろう。

「だから、別に……」

「……探し物があって。」

 ルノの言葉を遮り、シアングが口を開く。

「一週間──二週間くらい前かな。ここに居ると時間の感覚が狂ってくるからな……ずっとこの塔を歩き回ってる。地下も、もう多分全部回った」

 何故シアングが教えてくれるのか、ルノにはわからなかった。恐らく父親からの命令か何かだろうとは予想はついたが、自分に教えてくれる理由は──ない。

「このクッションは拾いものだけど、大体の荷物はこの探し物のために持ってきたんだ。……オレも、随分汚れただろう?」

 ふふ、シアングが優しく笑った。その視線を追って焚火に照らされる上着を見る。ああ、やっぱり。布はいいのにこんなに汚れて。

「中はキレイだと、思うけど」

「別に汚れてるとは思わない!」

 笑みを苦笑に変えたシアングに向けてつい怒ったように言ってしまった。

「危ないじゃないか、あんな魔物が徘徊する場所で寝泊りするなんて」

「生憎、オレは結構強いんでね。ここも一応結界はってあるし」

「……。」

「休憩、もういいか?」

「コ、コーヒーがまだ飲めない。熱い」

 シアングの方を見ないようにして焚火のはぜる音をただ聞いて。

「飲み終わるまで、ここに、いたい」

「……そっか。」

 シアングはその申し出を、優しく笑って承諾した。









 ──ぺこっ、ぺこっ、ぺこっ……

 まるで空気を含んだような奇妙な、それでいて妙に可笑しい足音が、もう直ぐ傍まで聞こえている。トトの駆け足だって相手にきっと聞こえているだろう。トアンは長い長い階段を上りながら、段々大きくなる足音に耳を済ませていた。

(ぺこって、なんだろう)

 大体こんな寂れた塔で聞こえる音にしては大分間違っているだろう。ぺこっぺこっぺこっ……どうやらその足跡の人物は、落ち着きなく歩き回っているようだ。そしてヘタクソな歌声が、のんびりと時折落ちてくる。

 ──だだだ、だん!

 上りきった階段の先、不意に開けた広いホールになっているところで、漸くトトの足が止まった。トアンも直ぐに追いついて、……危うく彼の背中にぶつかるところだった。

「トトさん?」

 どうしたの、そう言おうとして、トアンは口を噤んだ。直ぐトトの目の前に、誰かが立っている。逆光で顔は見えないが、その尖った耳と日に透ける赤紫色の存在感は強烈だった。

(シアング──?)

 一歩、その人物が踏み出す。その足が地に着くと、ぺこ、という間の抜けた音がした。


「……トル、ティー……?」


 驚いたように、それでも凛とした声で、彼は言った。

「……トルティー? ……トルティーでしょう?」

「……俺が──わかるの?」

「わかる。どんなに姿を変えたって、その魂は変わらないもの──ホントの、ホントに、トルティーなのね?」

「ぴゅい!」

 トトの胸元からコガネが飛び出し、彼に向かって駆け出す。男は身を屈めてコガネを抱き上げ、そしてもう一度顔をあげたとき、もう太陽の邪魔は入らなかった。

 その前髪で左目を隠し、残る右目にはあどけなさを感じさせた。シアングと同じ顔なのに、無邪気な彼の金の瞳は今や優しく丸められている。身に纏った拘束服のような黒衣の影で、彼──セイルは悲しげに目を細めてコガネを撫でた。コガネは、セイルの襟元のファーがくすぐったいのか一声鳴く。

「……コガネ。どうして、こんな姿に……。」

「ぴゅるるる」

「トルティー……もっとこっちにきて。俺様に、顔、見せて」

「うん」

 そういったトトの表情を見て、トアンは思わず息を呑んだ。チャルモ村の、あのトルティーと同じ顔で、懐かしさとかそういうものよりも、ただ泣きそうに唇をかみ締めている少年そこにいたから。

 そしてその前のセイルの顔にも少なからず驚いた。──本当に、ウィルとレインの言っていたことの通りだ。トルティーの横に配置した無邪気で優しいセイルが、こうやって目の前に居る。あの、一年前とは全く違う。

「……大きくなったのね」

 歩み寄ったトトの頭に開いた片手を置いて、セイルが呟く。

「でも、どうして? 俺様がこの前会ったトルティーはもっと小さかったのよ。……それに、ちょっと、存在が透明になってる。ここにいるのに、いない、見たいな……」

「セイル兄ちゃん」

 トトは、今やすっかり声変わりしてしまった声で、懐かしい名を呼んだ。

「会いたかった。ずっとずっと、会いたかったよ。先生とレインさんにも会った。でも、俺、兄ちゃんにも、ずっと会いたかったんだ」

「ぴゅる……」

 てとん、と軽い音でコガネがセイルの腕から飛び降り、トルティーの肩に乗って身体を巻きつけた。──まるで、泣かないで、というように。

「会いたかったから、こうやって、着たんだ。時を越えて、真実を探しに。見つけなきゃいけないんだ。俺は──」

 恐らくセイルにはさっぱり意味がわからないであろう、言葉の羅列。それでもセイルはトルティーの頭を撫で続け、それから優しく言った。

「俺様、昔ね。トルティーがもうちょっとだけ大きかったらいいなって思ったことがあるの」

 トルティーは口を挟まず、群青の瞳でセイルを見上げる。

「もうちょっと大きかったら、本気で取っ組み合いができるでしょ? えへへ、嬉しいの。その願い、叶ったみたい」

「……兄ちゃん」

「……何があったの? 俺様、トルティーの力になれる?」

「う、うん、……っ、うえええ……!」

 堪えきれずに泣き出したトトの頭を、セイルはそっと撫で続けた。かちん、二人のやり取りを見つめていたトアンの目がセイルと合う。トアンは慌てたが、セイルはトアンにも優しく微笑んで、こっちにおいでと手招きした。

 ──何故か、トアンとの出会いを予想していたかのように。


「トトさん、大丈夫?」

「ええ、はい。ありがとうございます」

 子供のように泣き喚いたトトが漸く落ち着きを取り戻したのはほんのついさっきだ。涙の跡の残る頬を掻きながら、トトは照れくさそうに笑った。

「……すいません、取り乱しちゃって。つい……」

 そういえば、トトはウィルとレインとの再会をしたときも家の外に飛び出していって泣いていた。──けれど、魂を見抜く『影抜き』であるセイルの前で、『トト』と言い張る必要はなく、自分の感情を押し殺す必要もない。

(トトさんにとっては、やっと自分が探してたヒトたちの、自分をわかるヒトに出会えたんだもんな。……敬語とか使う必要もない、家族に。ウィルと兄さんに敬語で話しかけるトトさん、最初辛そうだったし)

 目の前ではセイルがポケットを探り、ハンカチを探している。タオルもなにもないとわかると眉をハの字にさせてポケットを裏返し、ごめんなのよ、とトトに言っている。

(こんな風なセイルさんを見るのも初めてだ。……本当に、お兄さんみたいだな)

 いいよ、とトトが言うと、セイルは困ったように呻いた。……それからあ、と手を叩き、自分の服の袖で強引にトトの頬を拭っている。

(……セイルさん、子供みたい、だけど。)

 それは当たり前か。トアンは以前、レインにセイルについて聞いた際、彼の年齢も聞いていた。『影抜き』として生まれた──自我を持ったのが約八年前。とすると、今、セイルは十歳だと。

「……ねえ、トルティー。『トト』って、なんなのよ? どうして大きくなってるのよ?」

「あ、うん」

「どうしてコガネはこんな風になってるのよ?」

「あー……うん。コガネは、ちょっと……。ねえ兄ちゃん。コガネのことはまだ話せないんだけど……ああ、そんな顔しないでよ」

 いつもの敬語ではなく、恐らく素であろう口調に戻ったトルティーの言葉にセイルを見ると、セイルは秘密を作られたーと口を尖らせていた。

「コガネのことは、まだ俺もよくわかってないんだ……」

「ふうん?」

「だから、話せるとこだけ、聞いてくれる? ……それから、先生とレインさんには内緒にして欲しいんだ」

「ウィルとスノーに? どうして?」

「……うーんと、」

 珍しく、トトが困ったように眉を寄せた。するとセイルはトトの言葉を待たずに、

「うん、トルティーが困ってるなら、わかったのよ。内緒」

 といって人差し指を出して、笑ったのだった。




「……時を、越えて。」

 トトの、自分は未来から来たこと、この一年のうちに大変なことが起きるということ、そしてそのためにトトとコガネは村に残され、ウィルとレインは旅立ったまま行方不明になってしまったこと。──セイルも。幼いトルティーが覚えていることは大分薄れてしまっているが、それでもトトはみんなが離れ離れになるという未来を変えるために、こうしてやってきたのだという話を聞いて、セイルはどこか呆然と呟いた。

「……信じられる?」

「うん、トルティーの言うことだし」

 凄い絆だ。

「……ああ、でも。やっとわかったの」

「?」

「さっき、俺様、トルティーの存在が不安定になってるっていったでしょ? 時間を越えてきたから、この時代にトルティーの魂が二つあることになってるのね……それで、過去のトルティーに影響を及ぼさないように、どこか気配が薄くなってるの」

「……俺には、実感ないよ」

「多分、これがわかるのは魂を見ることができる『影抜き』か、強い力を持つ竜か精霊だけだと思うのよ。」

「そうなんだ……。ムククヒル、そんなこと一言も言ってなかったのに──」

「ん?」

「え、ああ、なんでもないよ。……そうだ、セイル兄ちゃん。もう一つお願いがあるんだ」

「お安い御用よ。言ってみるの」

「俺のこと、トルティーって呼ばないで欲しいんだ。『トト』って、呼んで欲しい。先生とレインさんに、俺の正体がばれちゃまずいんだ」

 悲しそうに言うトトに対し、セイルも辛そうに答えた。 

「……難しいの。俺様には、トト、じゃなくて、トルティーとしか視えない」

「……そうだよね、レインさんのことだって、スノーって呼んでるし。兄ちゃんには、名前がわかっちゃうんだもんね……」

 と、トトの顔がシュンと曇る。するとセイルは慌てて首を振り、がんばるの、といった。

 ──結局、弟分は可愛いらしい。



「色々ありがとう、セイル兄ちゃん」

 落ち着きを取り戻したトトが今更ながらに照れくさそうに笑い、コガネを両腕に抱きながら言った。

「お礼を言うことないのよ?」

「ううん、俺、すごく嬉しいから──そうだ、兄ちゃんはここで何をしてたの?」

「あ、うん。それなんだけど──トアン」

「え? あ、はい!?」

 突然話を振られてトアンは妙に裏返った声を上げた。しかも、二人のやり取りを聞いているだけだったせいか、声が掠れている。トトとセイルにクスリと笑われ、顔から火が出る思いだった。

「な、なんですか、セイルさん」

「氷魔の涙、探しにきたんでしょう? あの女のヒトに言われて」

「そうですけど──なんで知ってるんですか?」

「……俺様もね、あのヒトと少し話したから」

 セイルは襟元のファーに首を埋めた。まるで何かの叱責に耐えるように。

「トアンたちがそのうちここに来るのって思ってたから、待ってたのよ。けど、氷魔の涙、まだ見つからないのよ」

「そうだったんですか」

「……トアン」

「はい?」

「俺様のこと、怖くない? 信じれる?」

「え?」

「だって、俺様と、あんまりいい思い出ないよね、トアン」

 一年前、シアングと敵対するセイルはトアンたちの前に立ちふさがっていた。けれどもトアンの兄、レインが真実を取り戻し、セイルの親友であったレインの『影抜き』、スノーと一つになってからはレインのためにジュタの花を探してくれたのだ。

 ──それに、

「兄さんと、ウィルと、トトさんから聞いてます。」

 その名前にセイルの左目が丸く見開かれる。

「オレは、セイルさんを信用してます」

 そういうと、セイルの顔がパッと明るくなった。思わずトアンまで嬉しくなる。二人を見守っていたトトの顔まで柔らかくなっていた。

「俺様も一緒に探すのよ、氷魔の涙」

「本当?」

「トル……トトが心配なの。それに、目星、多分ついてるの」

 幼いながらに言葉を選び、鼻の下を擦りながらセイルは言った。

「多分、この塔の一番上。──の気配が、するもの……」



 ルノとシアングは、塔の真ん中に設置されたエレベーターのなかに居た。壊れてはいたが、シアングの魔法でなんとか息を吹き返し、一気に最上階までいけるそれを使おうというわけだ。何故最上階へ、というと、ルノはさっぱり気配がつかめていなかったが、シアングが「最上階に、オレには開けられない机の引き出しがあった」と言い出した。見たこともない魔法で厳重に封印されていて、シアングにはさっぱりだったそうだ。ルノにはひょっとしたら開けられるかもしれない、といって。

「オレの探し物、そこにあるかもしれないんだ。もう地下もそこ以外も、大体探し回ってなかった。……言わなくていいけど、ルノの目的もそこかもしれねーしな」

 そういえば、ルノは自分の目的を何も言ってない。それなのに、シアングにばかり質問したのは悪かったと瞳を伏せる。けれどシアングは気にした様子はなく、「エルバス卿の屋敷を教えたのはオレだしな、いいよ、言わなくて。なにかエアスリクのために必要なものがわかったんだろ? なら、ちょっと一緒に行こうぜ」といって笑っていた。そしてこのエレベーターに案内されたのだ。

「じゃ、最上階へ行くぞ」

「ああ」

 ゴウン──ゴゴゴ……地鳴りにも似た音とともに小さな揺れが伝わってくる。怖いな、とルノは呟きそうになり、咄嗟に口を押さえた。

(恥ずかしい)

 視線を感じ、シアングを見ると隠すなよ、と言いたげな目でルノを見つめている。

(こんなときくらい、カッコ付けたいんだ)

 つんと視線を逸らすと、ふっと苦笑した空気が伝わってきた。窓はないが、かなりのスピードで上昇しているのが分かる。だって、耳が痛いもの。

「笑うな」

 思わず口に出すと、シアングの苦笑が愉快そうな笑いに変わった。

「笑うなったら!」

「怖くねーの?」

「怖いわけないだろう」

「これ、かなりオンボロじゃないか。いつブチンって支えが切れて、今に急降下するかもよ、ははは」

「そ……それは、嫌だな」

「そうだな、オレもいやだな」

「こんなとこ、早く出たい」

 そう呟いてすぐ、ルノの心に波紋が広がっていく。──うそつき。このまま永遠に、この時が続けばいいって願ってるくせに。

(それでも──私は、前に進まなくてはならない)

 このままここでワガママを口に出すことは一瞬だ。それはとても甘美で、魅力的なものだけれど。

(でも、私は、私は……)

 ぐらりぐらり、決心が揺らぐ。シアングは何も言わない。

(──私は、信じているんだ。)

 ルノが心の中に言い聞かせた瞬間、ピンポン、と間抜けな音が響いた。ゴゴン、もう一度大きめの揺れが来て、上昇が終わった。

「着いたぜ」

 シアングがそういって扉を開ける。──そこは、小さな小部屋になっていた。ドーム型の高い天井と、周りの壁は見渡せるような吹き抜けで、すっかり暗くなった空が見える。──少し寒い。


 そしてその部屋の中央に、古ぼけた机がポツンと立ちすくんでいた。吹き抜けから入ってきたのであろう雨風に晒されて表面はボロボロ、今にも崩れてしまいそうな様子だ。──何故か、右の引き出しから、微かな光が漏れている。

(なんだろう、あれは)

 不思議なことだが、殆ど無意識にルノの足は動き、机のすぐ傍まで動いていく。その時強い風が吹いてマントとローブが翻ったが、ルノは気にしなかった。シアングはそれを、腕を組んで見守っている。

(呼んでい、る?)

 引き出しに手を伸ばす。何か複雑な紋様が描かれてあって、これは封印の鍵なんじゃないかとどこか遠くでルノは推測した。それでも引き出しの中の光が、悲しげな水色で、とても清らかで、言葉では言い表せない音が自分を手招きしているのを悟ると右手はルノの意識を完全に無視し、紋様の一箇所に触れた。

 ──トロン。

 小さなオルゴールのような音が聞こえる。手は、また別の箇所に触れていく。何かの順序に従って。

 ポロン、カロン……トロロン。──カチン。

「開いた……」

 そう呟いて、ルノははっとした。自分は今、何を考え何をしていたんだろうか? シアングは、どこに──

「やっぱりお前は、これが解けるんだな」

「わ、あ!」

「……な、なんだよ、驚くなよ」

「驚く! いつの間に直ぐ後ろに!」

 そのシアングは、吐息がかかるほどの距離で、直ぐ後ろからルノを、ルノの手元を覗き込んでいた。思わず顔を染めたルノだが、シアングの言葉に疑問を感じその体勢のまま聞き返す。

「……シアング、これ、とは?」

「これだよ。これの封印。オレは解けなかった」

 褐色の手が引き出しを開ける。悲しい光が辺りに零れる量がさっと増え、ルノは思わず目を眇めた──が、それは目を射抜くほど攻撃的な光ではなかった。

 ──光源は、涙型のキラキラと光る宝石だった。ルノのピアスと酷似していたが、こちらの方が形は小さく、また、どうしたかこんな輝きになるのか疑うほど、どこまでも哀しく美しい。

「これは……、」

 そう呟くのは愚か者だ。ルノは、もうこれの正体を分かっていた。

「これは……いや、これが、氷魔の涙なんだ」

「そうだ」

「……ちょっとまて、シアング。お前、これを探していたのか? 私も、これを……」

「そうだろうな。オレとお前、探し物は多分同じだろうって思ってた」

「何故?」

 首を回して問うたが、思いがけずシアングの顔が近いので、ルノはさっと目を反らした。が、シアングは別に気にした様子はなく、静かに答えたのだ。

「……。これは、お前がもってろよ。お前が見つけた以上、オレには必要ない」

「……? どういうことだ?」

「言葉の通りだ」

「シアング、それは答えに──」




「ルノちゃんから離れろ!!」



 突如響き渡った、良く通る少年の声。シアングがはっとしてルノから離れたので、ルノからもその少年が見えた。

 知っている。──しかし、何故ここに彼がいるのか理由がわからない。

「どうして……セイルが……?」

 答えを求めてシアングを見るが、彼はセイルを真っ直ぐに見返していて、決してルノの方を見ようとはしなかった。そうするうちにばたばたという物音が聞こえて──今更ながら、セイルのすぐ後ろが階段で、彼はそこを駆け上ってきたのだと悟る。トアンとトトの顔が見えたからだ。トアンはシアングと対峙するセイルを見て慌ててルノの傍によると、一歩前に出た。トトはセイルの直ぐ後ろにいる。

「トアン、お前、何故セイルと──」

「ルノさんこそ! どうしてシアングと一緒にいるの!?」

 どこか責めるような口調に、ああ、やめてくれとルノは思った。耳を塞ぎたかった。トアンの口から、『あんな危ない敵と』という言葉が今にも飛び出してきそうだったからだ。

「……た、助けてもらったんだ」

「助けて……?」

 トアンの緊張が緩む。そうだ、助けてもらったんだ。別に危害は加えられてない。

「やめてくれセイル。シアングは、別に何もしていない」

「……。」

 話題を変えようとして、ルノの必死に言葉を紡いだ。──聞いては、いけないことを。

「それより、どうしてお前がここにいる?」

「頼まれたからなの」

「頼まれた──?」

「フリッサで、会ったでしょう? あの氷魔の──エルバス卿の助手のヒト。ルノちゃんの叔母、だったんだよね、あのヒト」

「……そうだが」

「会えた?」

 ここで、漸くシアングが反応した。

「どういうことだ」

「俺様が、記憶と思いの残滓を掻き集めて、あのヒトの願いに協力したの! あのヒトの幻影を作り出すのを手伝ったの! あのヒト、どうしてもルノちゃんに会いたがってたから……」

「幻、影?」

 ざわ、何か嫌なものがルノの頬を撫でた。

「シアングが邪魔しなければ、あのヒトはちゃんと──ちゃんと──……」

 セイルは悔しそうに地団駄ふんで、ぐ、と唇をかみ締める。そのままシアングに向かって、悲痛な声で怒鳴りつけた。


「お前が、あのヒトを殺さなければ!!」

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