第16話 Remember me?

「……疲れた」

 限界のまた限界の、そのまた上をついに通り越して、ルノが呟いた。呟いた直後、その身体はずるずると地面に崩れていく。

「もう少しですよ」

 トトが笑いながら、ルノの脇に手をいれて何とか立たせ、ほらと顎で道を指す。

「多分、もうちょっとです」

「景色が変わらない! もうちょっとじゃない!」

「うーん……あ、ほら。後ろ見てください。街が大分遠くなりましたよ」

「怖い……」

「困りましたねえ……トアンさん、トアンさん?」

「う……うん?」

「ルノさんがもう駄目になってますよ。どうしましょう」

 はきはきと元気に告げるトトをみて、トアンは申し訳なさそうに呟いた。

「……トトさん」

「はい?」

「オレも、もう駄目……」

「え? あ、ちょっと!」

 冷たいであろう水晶の上にぐずぐずと倒れていくトアンを見て、トトは途方にくれた。



 女性に指示された材料を探して、トアンたちは水晶の山を登っていた。ところがその山は想像以上に厳しく、こうしてトアンとルノは限界にきてしまっている。──名前の通り、水晶の山は全てが水晶でできている。木も、地面も全て。魔物だけは、きちんと肉体を持っている動物のようなものが多かったが、その中には水晶の塊が襲い掛かってくるものもあったので、ここはまさに、水晶尽くしの山といっても過言ではないだろう。

 これまでに数回戦闘があり、とりあえずは退けたものの、緩やかで終わりの見えない上り坂、滑る足場、代わり映えのない景色、そして空腹──トアンとルノの元気はあっという間に奪われていき、これ以上の戦闘も、もう歩くことも難しそうだ、とトトは感じた。

 そのトトだって疲れていないわけではないが、この山の頂上付近から流れていると思われる小川──これだけは水晶ではなく、きちんとした水だ──を辿ってここまで来て、振り返れば街は遥か遠く。このまま何の収穫もなく街に帰ることは嫌なので、この小川の先に目指す泉があると自分を励まし励まし歩いてきたのだ。

(もう少しだとは思うんだけど……)

 顔を上げる。水晶だらけの視界が目に痛い。それでも目を眇めてみたその先に、頂上に続く道がある。──泉が頂上にあるとは限らないのだが。とりあえず高いところまで行けば、その見晴らしのよさでなんとかなるとトトは考えていた。

(ようし)

 小脇にルノを抱え、もう片方にトアンを抱えようと手を伸ばす。さすがに重いだろうが、ここで腐ってはいられない。

「トアンさん、行きますよ」

「……うう」

「とりあえずもう少しいったら、休憩しましょう? それまで俺が運びますから」

「……だ、大丈夫、自分で立つよ──あれ?」

 なんとか立ち上がったトアンが、目を丸くして立ち尽くした。何か、トトが視線を追う。ルノの顔をあげ、そして、え、と小声で呟いた。


 道の先に、狐の面をつけた一人の子供が立っていた。ショートカットの金髪がさらさらと風に遊ばれる。


「……知り合いですか?」

 その子供が何者なのか、トトにはさっぱり分からなかった。トアンとルノは互いに素早く顔を合わせ、そして互いの呆然とした顔を見る。

「トアン……その顔……」

「ルノさんこそ……。ね、ねえ、あの子──」

「?」

 不思議そうに二人を見守るトトの腕から、ルノがついと離れた。トアンも真っ直ぐに子供を見据え、そして恐る恐るといった体で一歩踏み出した。──子供は、動かない。


「あの子の狐の面、オレ、見たことあるよ」

 トアンはそういいながら、自分の心に深く問いかける。あのときの痛み、悲しみ──一年前のことといえど、今もハッキリと思い出せた。

「私もだ……なあ!」

 トトの支えを断り、ルノは自分でしっかりと立ち上がると子供に向かって話しかけた。

「お前、名前は……」


「探し物は、もうすぐそこだよ」


「え?」

 ──子供の声は、聞き覚えのある声だった。何度この声にトアンの胸は高鳴り、心は躍らされたことだろう。……その声だ。ありえない。しかし、現に耳は子供の声を捕らえている。何度この声を待ちわびただろう? トアンはこの声を一年間、ずっとずっと欲していた……しかし、『彼女』の声と違い、何故か心が暴れることはなかった。

(どうして?)

 トアンが呆然と子供を見返す。子供の狐の面が、笑ったように感じた。──そういえば一年前も、あの面が笑った気がしたのだが。

(同じじゃない。……同じはずがないんだ)

 ごくんとトアンが生唾を飲み込んだとき、再び子供の金髪が揺れた。子供が後ろを向いてしまったのだ。──遠ざかっていく。

「ま、まってよ!」

 今度はルノではなく、トアンが引き止めた。子供の足は止まらない。

「名前を……君の、名前は!?」

「──……」

 子供は一瞬、トアンとルノを見た。そして足は止めずに、去り際に一言言葉を残して。


「──『ぼく』は、『アレックス』」




「……どういうことだ」

 子供が去った後、呆然としたトアンとルノはそれを追うことができず、たっぷり時間が経ったあとに口を開いた。

「……あの声、あの髪、あの姿──……何故? それにあの面は、シャインに操られていたときの──……」

「そうだよね……。」

「どういうことです?」

 状況がさっぱりわからないトトが、漸く訊ねた。

「ああ、そうか……トト。私たちが一年前に旅をしたときに、とんでもない事実を知ってしまった……。」

 トトに支えてもらいながら、ルノはトトに告げる。

「私の妹──チェリカはな、肉体は神の、エアスリクのものだが、魂はヴェルダニアという邪神の一つだったんだ。父に封印された邪神が、復讐のために娘の肉体に三つのうちの一つの人格を移したんだ。それがチェリカだった。──その一年前の旅でであったシャインという少年の──……ああこれはもう話すと何がなんだか……」

 ふう、とため息をつき、ルノは気持ちを整理するように視線をトアンに向ける。が、トアンは何も言えず、ただうんと頷いただけだった。


「トアン……頼りにならないな」

「ルノさんですらいっぱいいっぱいになる説明を、オレができると思う?」

「……すまない」

「謝らないでよ。」

「……ふふ」

 二人のやり取りを見てトトが笑ってくれた。ルノが理解できたか? とトトに訊ねると、以前してくれたことに結び付けてます。だから、話したいように話してくださいとトトは返した。トアンはそれを聞いて安心し、再び説明をルノに任せて黙り込んだ。──子供の消えた、道を見ながら。

(……追いかけたいけど……)

 しかしその前に、気持ちを整理しなければ、あの子に追いついたとしても自分は何を言えるだろうか?

(ルノさんの話を聞きながら、オレも少し考えなきゃ)


「その、シャインに操られている──チェリカの意思が消えているときに、あの狐の面をつけていたんだ。……同じ物のはずはないが、良く似ていて……」

「……そうですか。俺はチェリカさんの容姿は知りませんが、あの子──『アレックス』と似てるんですか?」

「遠目からだったが、背丈も髪の色もあの子と同じだ。髪の長さが少し違うな。アレックスの方が長い」

 すらすらと妹の特徴を述べるルノに感心し、トトは一度口をつぐんだ。少し間をおいてから、再び尋ねる。

「……ルノさんは、あの子、何者だと思います? ほら、良く聞くじゃないですか。双子は、シンクロしてるって」

「……そういうことは良くわからないが──」

 む、と眉を寄せるルノを見て、トアンが口を開く。

「……前、還りの聲の城でさ。ルノさん、チェリカが来るってわかったよね?」

「ああ、……うん。なんとなく、直感でだけれど。……そういうの、今回はなかったし──チェリカなはずはないんだ。そんなはずはない。あの子は、今、石になっているから……いや、でも……」

「あの子はチェリカじゃないよ」

「え?」

 自分の発言と記憶に不安そうに顔を曇らせたルノは、トアンの言葉に瞠目した。

「……何故、そう言い切れる?」

「……あの子の声、チェリカと同じだった。けど、全然違うんだ。全然。ドキドキしなかった」

「ドキドキって、お前……」

「オレはチェリカの声を間違えたりしない」

 きっぱりと自信たっぷりに言い切るトアンに、面食らったようにルノは息を呑んだ。──トアンといえば、大体いつも自信がなさそうで、大体慌てていて、大体目線が下向きなはずなのに。

「同じだけど、違う、か」

 トトが顎に手を当ててそっと呟く。トアンはその呟きを心の中で響かせながら、頭を動かした。

(……どうして、アレックスって名乗ったんだろう? アレックスって、アレックスって──チェリカの過去で出会った、小さいチェリカが名乗った名前じゃないか)

 何か関係があるのだろうか。子供の名乗った、その名前に。

「……俺も、」

 考え込みながらトトが告げる。

「シアングさんとセイル兄ちゃんの声、ちゃんと違いがわかります」

「あれは大分違うだろう? シアングの声は殆ど低いし落ち着いてるし、セイルとは喋り方も違うじゃないか。いくら『影抜き』といっても──『影抜き』?」

「いえ、本当は同じはずなんです。本体との『影抜き』の声は──ルノさん?」

 はっとしてルノが言葉をとめた。トトが心配そうに尋ねるが、ルノは呆然と遠くを見て呟く。

「……。まさか、アレックスは、あの子は──」


 ろくな休息を取らずに、半分走るような速度で不自然な輝く山道を駆け上がると、不意に開けた場所に出た。道はまだ続いているようなのでまだ頂上ではないが、一際大きな水晶の木と、透明な水を湛えた泉がそこに待っていた。

「……ここ、が、あのヒトの言ってた泉……?」

 ゼイゼイと息をつきながらトアンは呟いた。つ、と頬を伝って汗の雫が流れ、水晶の地面につたんと落ちる。

 一度深呼吸して振り返ると、ルノを背負ったトトが丁度たどり着いたところだった。トトはルノをおろすと膝に手を当てて屈み、肩で息をしながら安堵の笑みを浮かべた。

「つ、つきました、ね」

「すまないトト……大丈夫か、お前」

「は、はい、……。酸素が、少し薄いみたいですね……。」

 

 何かを思いつめたルノの足は重く、先を急ぎたいトアンは珍しく焦れ、早歩きでずんずんと坂を登っていた。トアンとしては、身体を動かさないとこんがらがった頭を直接乗せているようで辛かったのだ。が、ゆっくり物事を考えたいルノとしてはそれは困った事以外の何物でもなく、二人の距離を見かねたトトがルノを背負うことにした。

 とりあえずルノの分の荷物はトアンが持ったが、トトの足取りは速かったので、調子にのって随分と速度を上げていたようだ。──なんとかついてこようとしてくれたトトに、今となっては申し訳ない。荷物と人一人の重さは全く違うのだ。それに、トトも言った様に空気は冷たく、街よりも薄くなっていた。

「……トトさん、ルノさん、ごめん」

「何故謝る?」

「……?」

「オレが勝手に先行っちゃったから──」

「お前は何か考え事をしていたのだろう。……焦っていた。珍しいな、お前が率先して道を行くなんて。」

「……。」

 トトは答える力もないようだ。ルノが彼の背中に手を当て、ありがとう、と呟いて魔法を唱えた。傷はないが、魔法で疲労を少しは和らげることができるだろう。

「アレックスのことか?」

「……う、うん。……ねえルノさん、この木の実、持っていけばいいんだよね」

 泉の傍の木を見上げ、トアンは言った。キラキラと光る木になっているのは一見リンゴのような果実だ。──果実、というか、水晶の塊なのだが、澄んだこの水晶に着色すれば、それは立派なリンゴの木と実になるだろう。

「そうだな。……ありがとう」

 その返事に安心し、手ごろな高さにあった実を一つもいで、ルノに渡してやる。ルノは両手に持ったそれに顔を近づけ、眩しそうに目を細めた。

「──美しいな。この山全て美しいが、この実とは比べ物にはならないな。ここまで澄みきったもの、初めて見たぞ。……これを杖につけたら、もっと強い魔法がつかえるかも──」

「ルノさんは十分すごいよ」

 泉の水を一口飲んでから、水筒に入れてトトに渡しながらトアンは言った。

「あ、ありがとうございます」

「多分大丈夫だと……」

 トアンの言葉が終わらないうちにトトは水筒に口をつけた。喉が鳴り、こぷんと小さく水の音がした。

「……っは。おいしいです。……大丈夫、ですよ。すごいキレイな水ですね、これ。水晶の力で浄化され続けた湧き水、ってとこでしょう」

 一気に力が抜けたのか、トトが座り込む。さすが、水を操る力があるトトだからこその言葉だとトアンは思った。──実際あの指輪が関係しているとはわからなかったが、本人が安心しているのだし、なにか明確な理由があるのだろう。トアンもそう思うことにして、トトの隣に腰掛けた。ルノも続く。──地面がひんやりしていて気持ちいい。

「……この水晶の実、すごい力だ」

 改めて、感心したようにルノが呟いた。

「私も欲しいな、一つ」

「……ルノさん?」

「あ、……。い、いや別に欲に目がくらんだわけではないぞ? ただこれがあれば、私、もっと強くなれると思わないか」

「十分強いですよ?」

 トアンの代わりに答えたのはトトだ。

「いや、まだまだだ。……チェリカは体内で魔法を練れるから、もう宝石の力に頼らなくても強力な魔法が使えるが──私は、まったくだから」

「そんなことないでしょう」

「……トト」

「それに、あの木の実一つつけるのに、それだけ純度を磨くのに相当長い時間がかかってると思います。かなり貴重なものですし、そんなに持っていくわけには行かないでしょう? 第一、リンゴみたいな大きさの水晶を杖につけてる魔法使いなんてあんまりいませんよ」

「……そ、そうか」

 といって鞄にしまいこむが、ルノは未だ未練のある様子で木を見上げた。そのときだ。


 コチコチコチ……


 突如、硬い何かが擦れ合うような音が聞こえた。トアンは反射的に立ち上がり、周囲を見渡す。トトも続いた。二人を見て、ルノも立ち上がる。

「な、なんだ?」

 ルノが不安そうに辺りを見渡した。トトが庇うように右手をだし、注意深く周囲の様子を探っている。その懐からコガネも顔を覗かせ、ふんふんと鼻を慣らした。

 ざぁ……

 水晶の梢が揺れる。森がざわめいている。トアンは不安に駆られ、剣の柄を握り締めた。

「……ぴゅるる」

 小さな声でコガネが鳴く。

 コチコチという何かがぶつかり合う不気味な音は鳴り止まず、それどころかトアンたちを囲むようにして鳴り出した。

「あれは」

 トトが緊張した声で呟く。木の影に見えるのは、水晶の塊の魔物だった。純度の高い水晶にどうにかして宿った悪いものが、僅かながら意思を持っているのがこの魔物だ。大小さまざまな大きさで、ヒトの形をとったつもりか不気味な外見のものから、小さな塊がぶんぶんと飛び回っているものもいる。理解極まりない外見はある種の狂気を感じさせ、トアンは何度か出会ったこの魔物が苦手だった。ルノも、トトも沿うらしい。ところが今は、それらがトアンたちを取り囲むようにぐるりと包囲しているのだ。

「……どうしましょう」

 こちこち、水晶同士がぶつかり合う音は何処かしら響き、不気味なメロディを奏でていた。とりあえず休憩はしたものの、これだけの数相手にする力なんて残っていない。困ったような、呆れたような声で言うトトに対して、トアンは何もいえなかった。

「……逃げますか?」

「逃げられるか?」

「わかりませんけど──」


 パキ──ン……


 不気味な音が一斉に静まり返った。トアンたちは訳が分からず、互いに顔を見合わせる。その時、また先程の音がした。


 ……パキ──ン……


 まるでガラスを叩きつけたような、澄んだ音の中に攻撃性があった。トアンたちを包囲していた魔物たちは、その音に怯えるように一つ、また一つと水晶の森の中に消えて行く。

「カカカカ……」

 と、突然そのうちの一体がヤケを起こしたように飛び掛ってきた。咄嗟にトアンが剣で弾き飛ばすが、その一体に触発されたように一度は逃げた魔物たちが再び集まり始めた。地面でギコギコと軋んだ音を上げていた魔物も体勢を整え、再び襲い掛かってくる。

「う、わわわ!」

 先程襲い掛かってきた魔物に従うように、小さな魔物がブンブンと煩く飛び回って頭に噛み付こうとする。ルノは身を屈めてこれを避けたが、その体勢では追撃は避けられない。

「……しまった、ルノさん!」

「やあっ!」

 トトがトアンより速く駆け寄り、ルノを狙う魔物を蹴り飛ばした。ルノがほっとして息をつくが、魔物たちはすっかり敵意をむき出しにし、次々に襲い掛かってくる。

「痛っ!!」

 気を取られていたトアンの頭に硬い一撃が落ちた。目の前が一瞬暗くなり、すぐにぬるりとした血が流れでてくる。

「トアン!」

「ル、ルノさん、こっちにきちゃ──」

 揺れる視界にうろたえながらトアンが叫んだ瞬間、目の前に白い影が入り込んだ。


 パキ──ン!!


 先程の音と同じ音があがる。トアンは間近で聞いた。目の前に立つ影が魔物の中心をレイピアで突いた瞬間、魔物は砕け散るように消滅したのだ。

「……帰りなさい」

 消滅した魔物の破片がキラキラと舞う中、影が言った。魔物たちは無表情な顔に一瞬の恐怖を映し出し、あっという間に散り散りになって森の中に消えていってしまった。呆然と目の前の小さな背を見つめていたトアンの頭に、少し冷たい手が押し当てられる。今更ながらその冷たさを心地良く感じると同時に、どくんどくんと脈打つ頭の傷が熱かった。

「大丈夫か!?」

「う……うん」

 ルノが動揺した声で言いながらも、止血を始めてくれる。ふんわりとした柔らかな光に熱と痛みは徐々に引いていき、顔を流れる血を乱暴に拭うと幾分かすっきりした気分になった。

「気分はどうですか? 意識は、はっきりしてますね?」

「大丈夫……たいした傷じゃないよ」

 心配そうなトトを安心させるためにトアンは笑って見せたが、直ぐ隣にあるルノの眉間に皺が寄ったのを見て、決して浅い傷ではなかったかと思い知った。


 それでも、声は出た。


「ねえ、君!」

 丁度、レイピアを鞘に収めたところだった影──アレックスの背がぴくりと反応する。そしてトアンの声に応えるように、狐の面が肩越しにトアンを見た。──トアンは、確信する。

「助けてくれてありがとう。……一度、魔物を追い払ってくれたのも、アレックスだよね?」

「……その水晶の実は、強い力があるよ」

 トアンの問いには直接答えず、アレックスがルノを指しながら言う。

「魔物を惹き付けちゃうから、ちゃんと覆って持って帰ったほうがいい。また魔物に襲われる」

「そ……そうなのか?」

「……。」

「そ、そうか。ありがとうアレックス」

「……」

 アレックスは、それ以上何も言うことはないとでも言うように再び顔を背け、水晶の森へ消えていく──


「前にも、君に会ったことがある! そうだよね? 『チェリカ』!」


 ──トアンの声に、アレックスの足が止まった。

「……助けてくれてありがとう。……君、『チェリカ』だろ?」

「……。」

「ト、トアン、何を……?」

「ルノさんだって薄々気がついてたはずだ。……アレックスが、どうしてチェリカと同じ声なのか。それでも違うのか。でも、ルノさんは違うって言い切れない理由が──……だって『チェリカ』も、ルノさんの妹で、チェリカなんだから」

「……!」

「……そうでしょ?」

「……。覚えててくれたの?」

 小さな背が、ぽつりと呟いた。その一言でトアンは全てが肯定されたと感じ取る。

「そうだよ、ぼくは、──でも、今のぼくは『アレックス』だ。『チェリカ』の名は、今エアスリクで石になってるチェリカにあげたんだ。」

 ひゅん、乾いた風が通り抜けた。金髪が揺れる。

「……最も、ぼくたちはあの時一つになったから、ぼくが今『チェリカ』って名乗ってもいいんだけど。……今はこうして別々だし、チェリカが前に名乗った名前ももらったし。それに、君たちが混乱するでしょう?」

「……あの」

 首を傾げたトトが、トアンの腕をつつく。

「水差してすいません。俺、どういう意味か──……」

「……妹が邪神の人格の一つだったと、先程話しただろう?」

 と、トアンの代わりにルノが答えた。──ルノも状況を理解し、そして一言喋る後とに受け入れているようだ。

「その妹の、もともとの人格──邪神によって追い出された、本来チェリカに宿り芽生えるはずだった魂。──それが『チェリカ』だ。この子はずっと暗いところに一人っきりでいた。……一年前の旅で、チェリカと『チェリカ』は和解して、そして全てを受け入れたときに──」

「一つになった。」

 最後はアレックスが言う。ルノが複雑そうな顔でアレックスを見つめると、アレックスはその視線に身体ごと振り向き、ついに狐の面を外した。──トアンの良く知る、チェリカと同じ顔がそこにはあった。それでも目付きや髪の長さは少し違い、そして何より、チェリカの瞳は青空色だが、アレックスの瞳の色は真っ赤だった。……ルノが息を呑む。それにアレックスはふっと微笑んだのだが、その可愛らしい笑顔を見ても、不思議なことに、トアンは胸の高鳴りを感じなかった。

(同じだけど、やっぱり全然違う)

 

「……アレックス。その、以前、私が眠りの底にいたときに──セイルと一緒に手を伸ばしてくれたのは、お前だろう?」

「ふふふ」

「笑ってないで答えろ。まったく……。なあ、何故再び二つになったんだ?」

「それは、いえない」

「え?」

「……『ルノ』に、また会えたのはすごく嬉しいけど」

 お兄ちゃんではなく、ルノ、と呼ばれたことに、ルノの顔が曇った。

「私を、もう兄だとは呼んでくれないのか?」

「……ルノは、チェリカのお兄ちゃんだから。ぼくたちは一つになった。──けど、こうして今は別々なんだ。ぼくとチェリカは一つだけど、ぼくはこうしてアレックスの名をもらった。──ぼくは、チェリカの『影抜き』として存在することを選んだんだ」

 そこまで言って、何故かアレックスはトアンを見つめた。トアンは訳がわからないまま、我ながら間抜けな表情で見つめ返す。──一瞬が恐ろしく長く感じられた。

 が、それは唐突に終わる。アレックスが目を逸らしたからだ。

 ──本当は、この場に居る彼女こそが本体で、あのチェリカの方が『影抜き』という存在として呼ばれるはずなのに。

(……そんな)

 トアンははっとして、自分の逸らされた視線を地面に落とした。今、自分がどれだけ愚かなことを考えたか忘れたかった。……そんな都合のいいことなんて、あるはずないとわかっていても。

(……アレックスには、『チェリカ』には可哀想だけど、オレがあの時繋いでいたのはチェリカの手だった──可哀想? ……オレ、とんでもないことをしちゃったんじゃ……でも、でも!)

「……君は」

 ぐるぐるとした思考の渦に飲み込まれていくトアンを、アレックスが引き戻した。

「ぼくを、覚えていてくれた。それで十分。──君が思い悩むことじゃない。ぼくは『影抜き』。でも、それは自分で選んだことだよ。」

「! ……オレの考えてること、わかるの?」

「わかるよ。……ずっと、見ていたもの」

 アレックスはふっと微笑んだ。──それは、苦笑のようなものだったが、確かに笑みだった。それからルノに向き直る。

「ルノ」

「……なんだ」

「水晶の実、手に持ってるの危ないよ。ほら、もう魔物が寄ってきてる気配がする」

「!」

「大丈夫だよ……かして?」

 ルノの手からひょいと水晶の実を取り上げ、アレックスはルノの荷物を勝手に紐解いた。──氷魔の女性からもらった小瓶を取り出し、蓋をあけてその小さい入り口に塊を押しやる。どう見ても入るわけがないのだが、驚いたことに、水晶の実はピキンという小さな音を立て、あっという間に粉々になって小瓶の中に吸い込まれていった。

「これでいい。あとは、早く山を降りることだよ」

「あ、ありがとう……」

「ううん」

 ルノが笑みを向けると、アレックスも楽しそうにころころと笑った。

「それじゃあ、ぼく、いくよ。忙しいから」

「アレックス、その、……一緒に、行かないか?」

「……ぼくはぼくで、やることがあるから」

「……そうか」

「でも、またいつか会えるかもね」

 落ち込んだルノを元気付けるよに肩を叩くと、アレックスはトアンたちを見渡した。

「じゃあ、頑張ってね。ルノ、トアン、トルティー」

「え!? どうして、俺の名前……」

「『影抜き』は、魂を見る。魂に刻まれた名前を読み取れるんだよ。……セイルにあったら、どっちの名前で呼んでほしいか、最初に言っておくといいよ」

 唇に人差し指を当て、まるでイタズラっ子のような表情を浮かべると、アレックスは狐の面をつけ、そして。


「ばいばい」


 一筋の風を残して、走り去ってしまった。

 

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