第15話 蒼き心の膝元で
ほんの少し仮眠をとった後、トアンたちはフリッサに向けて出発した。方角は太陽と月を見ながらかなり適当に進んでいたのだが、シアングから渡された地図に載っているものと同じ、青く尖った山々に囲まれた街を無事に見つけることができた。近づいていくにつれ、その青い山は透き通った水晶の巨大な塊であり、太陽の光を浴びてキラキラと輝き、トアンの目を楽しませてくれた。
フリッサの街を崖の上から見下ろし、トアンは大きく伸びをする。もう少しだ。
「……キレイだな」
杖にもたれかかるようにしながらルノが言う。感想は素直なものだったが、声から判断するに──相当疲れているようだ。
「少し休む?」
「いや、いい。エルバス卿の助手に早く会いに行こう……トト?」
杖に縋るようにして歩き出したルノが、ふと足を止める。トアンもつられて立ち止まり、その視線を追った。──トトが、目を眇めて街を見ているのだ。崖から身を乗り出し、何かを探るように。
「トトさん?」
「……はい?」
「どうしたんだ」
「いえ……その」
何故かトトはルノを気遣うように見やった。ルノが続きを促すと、静かに話し始める。
「ベルサリオからの追っ手を探してたんです」
「追っ手……」
さっとルノの顔が青ざめるが、トトは続けた。
「忘れてましたか? 俺たちは追われてる身。逃亡者なんです。……ここに来ることを、シアングさんは知っているはず」
「そうだけど……でも、……。そうだよね……」
反論しようとしたトアンの声もあっという間にしぼんでいった。そう、シアングからの情報だ。あれから何日か日は経っているが、自分たちを追っている者まだいるだろう。──シアングが、このことをゼロリードに告げていれば。
(シアングだったら、オレたちの味方だから、ゼロリードさんに言ってないかもしれない──)
しかし、あの雨の夜が、今でもハッキリと思い出せる。
──シアングは何と言った?
(で、でももしかしたら、言ってないかも)
それは、自分の願いだと、トアンはわかってしまっていた。トトは、トアンとその隣で沈黙するルノを見て、先程と同じ口調で言う。
「でも、今俺が見てた限り、街はとても軍がいるとは思えません。人々が笑いながら買い物をしてるのも見えましたし──隠れているなら別ですが、追っ手は居ない、と思います」
トアンはぱっと顔を上げる。困ったような表情のトトと目が合って、今更ながら彼の気持ちがわかった。どんなに残酷なことでも、どんなに目を背けられたことでも、身を守るために、トアンとルノを守るためにトトは言ったのだ。
ルノもそれをわかっているのだろう。そうだな、と呟くと、トトの服を引いて歩き出した。──危険がないならば、早くいこうと。
(ルノさん……)
銀色の糸が目の前を過ぎった瞬間、トアンは思わず手を伸ばすが、その手は空中で停止して、思うように動かなかった。
フリッサの街は、水晶の山から出る純度の高い水晶を加工し、アクセサリー等をつくって生きている。小さな街だが、トアンたちが通り過ぎる露店や行商人のカゴの中には美しい装飾品が並べられ、武器屋に入れば水晶の装飾が施された剣が所狭しと並んでいた。──トアンには月千一夜の十六夜があるし、ルノには杖、トトには剣がある。買う必要ないのだが、どうしても水晶の美しさに足を止めて、そして暫く眺めてから三人は歩き出すということを繰り返した。店の店員やすれ違う人々から、どうやらエルバス卿の助手は、どうやら奥の屋敷に住んでいるという情報を得られたので、あながち無駄足ではなかったようだ。
「こんにちわ……」
目の前にドンと聳える屋敷のドアノッカーを叩くが、その中からは何の音もしない。大きな屋敷なのに、メイドや執事が扉を開けてくれる気配もない。
「返事がないな。どうする、はいるか?」
「うーん……」
トアンが手を組む横で、トトがつんと戸をつついた。ギイ、さび付いた蝶番が悲鳴を上げながら、扉がゆっくりと開いていく。
「鍵、開いてます……」
「中に誰か居る? ……ってわわ! トトさん、まずいよ勝手に入っちゃ!」
「でも、誰もきませんし」
ね? とトトは笑い、大きく扉あけて中に入った。ルノも続いて中に入り、躊躇うトアンの手を引っ張る。
「いくぞ」
「でも」
「あとで謝ればいいだろう。トトが行ってしまう」
ルノ越しに見るトトの背中は、もう廊下を曲がろうとしていた。トアンは慌て、この家の主に心の中で「お邪魔します」と呟くとルノに従うことにした。
屋敷の中は、しんと静まり返っていた。しかし決して埃っぽくはなく、むしろ掃除は行き届いているようだ。長い廊下には扉がずらりと並んでいて、なんだかオバケ屋敷のようだとトアンは思う。追いついたトトの背中にぴったりとくっつきながら、ルノが安心したように息をついた。
「……水の音がしますね」
突然、ぴたりとトトの足がとまる。トアンも耳を済ませると、確かに静かな水音──小川の流れのような音が、すぐ隣の扉の中から聞こえた。
「入ってみます?」
「そうだな」
遠慮なしにノックし、トアンたちは扉を開けた。
「待っていました」
開け放った窓からふんわりと柔らかな風が入り込み、中に居た女性の銀髪を揺らす。トアンは驚いて足を止めた。ルノが隣で息を呑む音が聞こえる。トトだけは、特に気にした様子がなく、女性に丁寧に会釈した。
「初めまして。俺はトト。隣にトアンさん、ルノさんです。エルバス卿の助手さんですね?」
「助手、というと聞こえはいいかもしれませんが……そうですね。私が一応、この屋敷でエルバスの遺した研究資料を預かっています」
女性がトトに向かってふっと微笑む。それから、部屋の隅を流れていた人工的な小さな川に手を入れ、そこで冷やされていた小瓶を一つ手に取った。
「あなた方の事情は、ある方から聞いております。石化の呪いを説く方法をお探しでしょう? ──どうぞ、そこにお座りください」
女性は、部屋の中央のソファを指した。トトは足を進めかけ、立ち尽くすルノと、ルノと女性を見比べているトアンをみて首を傾げる。
「──どう、したんですか?」
「どうって……トトさんは知らないの?」
「へ?」
「あの、えっと」
「失礼だが」
今まで黙って女性を見つめていたルノが、震える声をなんとか真っ直ぐに叩き、言葉を紡いだ。
「あなたは、氷魔だな?」
「……そうです。あなたと同じ。ですよね、ルノ」
その言葉と同時に、女性の紅い目が愛しそうに細められた。
「……私の名を、何故?」
「先程言ったように、ある方からエアスリクの子が来ると、事情を聞いたのです。……いえ、あなたを見て直ぐにわかりました。あなたは、私の妹に──セフィラスに、良く似ているもの」
「……え?」
「旅に出てしまったセフィラスはもう氷魔の村に戻ってこないけど、私はあの子の無事を信じていた。そうしたらあなたが来たの──さあ、座ってください」
「……どういうことですか? さっきの」
ルノが女性に導かれるようにソファに座る様子を見ながら、トトがトアンに耳打ちした。
「うん。氷魔っていうのは──オレも聞いただけなんだけどさ。紅い目に銀の髪の女の人しか生まれない種族なんだ。固まって住んでて、滅多に外にでないんだって。オレもルノさんと、ルノさんのお母さんにしか会ったことないんだ」
「成程。こんなところに居るのはおかしいってことで、動揺してたんですねえ」
柔らかい、上等な生地のソファに腰掛けながらトトが呟いた。トアンもその隣に座って頷き、
「……ルノさんの、伯母さんだったんだ」
と言った。
「石化の呪い、といっても、ただ石化を説くだけなら大抵の魔法使いができます。ここまで足を運んだということは──その石化が、そうとうな力がある者によってかけられた呪いなのかもしれません」
女性の言葉を聞きながら、トアンはテュテュリスの言葉を思い出した。
(アリスやミルキィでもできないって言ってたのは、こういう意味だったのか)
「石化の程度はわかりませんが、エルバス卿の研究資料から作られる薬の効果は絶大です。例え魂まで石になっていても、恐らく解く事はできるでしょう──これで」
ルノの手に、女性は先程取り出した小瓶を乗せる。ルノはそれを見つめ、叔母だとわかった女性に対して、遠慮がちに口を開いた。
「量が、足りない。一人じゃないんだ。国全体が石になってる」
女性はその問いに、ふっと笑って大丈夫ですよ、と告げる。
「ルノ。貴方の力があれば平気です」
「私の──?」
「ええ。……国全体、といって、直接雨に当らなかったヒトたちも、その呪いの魔力に中てられて石になっているのでしょう。それなのに、屋根の下にいたというだけで、ルノ一人助かるというのはおかしいでしょう」
「……確かに。私は、チェリカが突き飛ばしてくれたお陰だと思ったが──」
ルノは記憶を辿る。そういえば、城の中でパンケーキを焼いていたコックも、つまみ食いしようとしている少年も、図書館の本に埋もれている司書も全員石になっていた。
「チェリカが持っているのは、闇の魔力。そしてあなたが持っているのが、全てを無効化する無属性の魔力──それが合わさって、呪いの雨を弾いたのでしょうね。……この小瓶を、エアスリクを見渡せる高いところで風に乗せてまくといいでしょう。あなたの祈りとともに」
「祈り──?」
「……無効化する力は、全てを受け入れ、包み込む優しさがなければ使えません。……誰かのためにと祈る心が、貴方の役に立ってくれると思いますよ」
嘘か本当か、ルノにはわからなかった。ただ目の前で微笑む女性を見ているうちに、もっと沢山聞きたいことはあったのに、頷いて会話を一区切りつけてしまった自分に驚いた。──最も、後悔はしなかったが。
「やったねルノさん。これで、チェリカたちを助けられるね!」
「あ、ああ……」
「……いえ、まだです」
「何?」
「その薬は──残念ながら未完成なのです。材料もここにありません。時間がなくて、きちんとつくり終えることができませんでした……」
「いや、いい。これを渡してもらっただけでも十分だ。……あとは、その足りないものをどうしたらいいんだ?」
「その中にいれるだけです」
「……なら、私たちだけでもできる」
ありがとう、とルノが女性に微笑むと、女性は透き通るような美しい笑みで答えた。その光景に、思わず、二人を見ていたトアンは頬を染める。
「何を揃えればいいんですか?」
トアンとは違い、こういう場面にめっぽう強いトトが代わりに聞いた。
「あと二つです。この街の傍の水晶の山にある、泉の傍に立つ木になっている、水晶の実。これは他の水晶とは比べ物にならないほど、純度がとても高いものです。もう一つは、現在は廃墟となっているエルバス卿の屋敷にある、氷魔の涙──」
「氷魔の涙?」
「はい」
「私のでは、駄目か?」
「駄目です。涙といっても、氷魔の力が──いえ、命が宿った魔石のことですから」
「命だって? どういうことだ?」
ルノの問いに、女性は唇を噛み締めた。今にも消えてしまいそうな儚さだったが、女性は静かに答えてくれた。
「……エルバスは、強力な力を持って君臨し、生前、私たち氷魔の実験をしていました。何人かは慰みモノとして飼われ、そして飽きると実験に──私とセフィラスの母も、辱めを受けて、そして殺されたのです」
ルノの眉間に皺がよった。手が小さく震えている。──怒りだろう。
「母が殺され、そしてその娘である私たちもエルバスの元へ渡りました。ですがセフィは、男装して禁忌の子供に扮し逃げ出したのです。そしてクランキスとともに、エルバスを打倒してくれました──私は残り、母とそして同じく殺された仲間のせめてもの弔いにと、エルバス卿の遺した研究書物を学んだのです。──その際に、彼がつくった氷魔の涙を発見しました。エルバス卿は、それが氷結竜を操ることができる手がかりの魔石だと思っていたようですが、実際は何の力も持たず、ただ七色の光を放つだけだったので無用の長物とされ、引き出しの中に仕舞い込まれていました。……私が触れることは、とても恐ろしくてできませんでした。ですから、今もあの廃墟に眠っています」
「……。」
ルノが今、何を考えているかトアンにはわからない。トアンは女性を見る。その紅い瞳には、深い深い悲しみが浮かんでいた。
「ありがとうございます──辛いこと、話してくれて」
「いえ……」
「ルノさん、行ける?」
「……ああ」
ソファから立ち上がり、トアンたちはドアに向かう。──と、ルノがふとその足を止めた。開け放った窓から、花の香りが鼻をくすぐった。
「ありがとう、──あの、あなたの名前は?」
「私は……」
トアンたちを見送ろうとしてくれたのだろう、女性は立ち上がったまま、暫し沈黙する。しかしふっと微笑むと、柔らかい声でトアンたちの背を押してくれた。
「名乗るほどの名前はありません。さあ、行きなさい」
トアンたちが屋敷を後にし、水晶の山を登っていくのを窓から見ていた女性は、ふと背後に気配を感じてそっと微笑んだ。
「……良い子たちだったわ、本当に」
「……。」
こつん、背後に立つ人物が足を止めた。女性はそれに構わず、続ける。
「あえてよかった。──本当なら、チェリカにも会いたかったけれども。あなたのおかげです」
女性は振り返る。後ろに立っていた、赤紫色の髪の毛の、褐色の肌の少年は何も言わず、視線をソファの影に走らせる。──女性は、気にしなかった。
「ありがとう」
「──礼なんて、言われる筋合いは」
今まで沈黙を守っていた少年が、悲しそうな声で答えた。女性は、微笑んで包む。
「いいのよ、あなたのお陰。あなたが私を見つけて、私にあの子たちに会う機会をくれた」
「ごめんなさい」
「何故謝るの」
「だって──」
ざぁ、一際強い風が部屋に吹き込み、カーテンを揺らした。その際、カーテンの影に隠れていた、ソファの影にあるものが露わになる。
──銀髪の美しい女性が、そこに蹲っていた。紅い瞳はどこか遠くを見つめたまま、口は何かを言い遺したのか半開きだ。──そしてその細い身体を、闇のように黒い剣が一突きに貫いていた。
「名乗るほどの名はない──我ながらいい言い回しでした。……だって私、もう死んでいるんですから」
女性が苦笑し、動かない『自分』に触れる。その胸から溢れていた血はとうに固まり、変色して床を汚していた。
「ルノたちに見つからなくて良かった。まだ腐ってはいないけど、この風が死臭を流してくれてる」
「……ごめんなさい」
「何故、あやまるの?」
「だって、あなたを殺したのは、俺様の──『本体』だから」
女性より少年の背丈は高いが、搾り出された幼い子供のような声に、女性はふっと微笑んだ。
「あなたの罪ではないでしょう?」
「俺様の罪は、アイツが、アイツのすることを止められなかったこと」
「……大丈夫ですよ、セイル」
女性は微笑んだまま、少年──セイルの頭をそっと撫でてやった。女性が背伸びしたそのつま先から、ゆっくりと透き通っていくのを感じ、セイルはあ、と叫ぶ。
「消えちゃうのよ」
「そうですね。あなたが救い上げてくれた私の魂は、もう──……。ここで腐っていくより、私は雪となって溶けていくことを選びましょう」
女性が話し終えないうちに、その身体はどんどん色を無くしていく。──代わりに、背景がその透ける身体に色を加えていた。
『『影抜き』は、肉体ではなく魂を見るのでしたね。……セイル。本当にありがとう……』
ぱきぱき、氷が水の中で溶けて行くような音が女性の声に混じった。セイルの見ている目の前で、ただ見ているしかできない目の前で、女性の姿は吹き込んできた風にかき消されるように消えてしまった。
セイルは泣かなかった。泣く理由は見つからなかった。視線を動かした先に、女性が『居た』ソファがあった。
──今はもう、ソファに突き刺さった剣と、濡れている床しか残っていない。
「……シアング、何がしたいの」
当然返事はない。それでもセイルは剣を抜き、手に持って呟いた。
「いつまで言いなりなの……?」
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