第13話 くしゃくしゃの手紙
その日の夕方、ウィルと一緒にへとへとに疲れ果てたトアンが家に帰っていた。トアンは目覚めたルノを見て喜び、安心したといって笑った。大体の事情はトトから聞いたとルノが言う。意味深に彼の名を呼ぶルノを見て、トアンはトトが自らの正体をルノにも明かしたのだと悟った。
二人の会話がひと段落すると、控えていてくれたウィルが手を差し出して、太陽のような笑みを見せてくれた。
「……久しぶりだな、ウィル」
なんだかんだで、ルノはウィルとの馴染みが深い。随分背の高くなったウィルは変わらない笑顔のままだ。二人は親しみを込めて握手を交わす。
「おう、ルノ。起きてよかった」
「心配をかけたようだな。……それと、世話になった」
「いや? 全然構わないよ」
テーブルに着いたウィルの前に、レインが熱いコーヒーを置く。トアンとトトの前にも同じものが並べられ、ルノの前にはミルクティーが置かれた。レインは自分の前にもコーヒーを置くと、ウィルの直ぐ隣の席に腰掛ける。……あまりにも自然だった。二人が築きあげた、二人の場所だ。
「レインの仕事も見せてもらった。お前が、先生をしているというのも聞いたぞ」
「そんなたいしたモンじゃないよ」
照れたように言い、ウィルが頭を掻いた。その横でレインが角砂糖を掴み、イタズラにウィルのカップに沈めていく。
「……それでルノ。ゲートの話聞いたか?」
「……あぁ。ハルティア以外にも門があるなんて信じられないが……」
「悪いな、セイルが最近こないんだ。……もう二週間も」
「ベルサリオで何かあったのかもしれない。あそこはシアングの国なんだから、シアングの『影抜き』であるセイルが居る可能性が高いさ。……まあ、全て推測だが」
腕を組むルノの目の前で、夕暮れの空に湯気がとろりととけて消えていく。不思議なことに、シアングの名前を自分の口から出しても、頭の中はしんと静まっていた。
「ところで……トアンは何をしてたんだ?」
「ふえ? ……いたあ!」
疲れのあまり半分寝ぼけているトアンの足を、レインが蹴飛ばしたらしい。トアンはテーブルに顔を押し付けてしくしく泣いていたが、レインの冷たい視線に耐えられなくなったように口を開いた。
「が、学校の図書館貸してもらって調べ物してたんだよ。ゲートのこと。……でも、全然そんなこと見つけられなくて」
「学校の……」
「あ、ルノ。うちの学校は、結構歴史のある書物がほこり被ってるんだぞ。だからその、『所詮学校だろー』みたいな目はやめてくれ」
「す、すまない」
「明日、ルノさんも一緒にいく?」
「うむ……」
トアンにルノが頷く横で、カップに口をつけるレインにウィルが楽しそうに話しかける。
「なあレイン、今日の飯なに?」
「朝トルティーが言った通りだ」
「じゃ、煮込みハンバーグか。やったー」
ぱっとウィルの顔が明るくなるのを見て、トトとレインが顔を見合わせてくすっと笑った。
「……なんだよ?」
「今日の、トトが手伝ってくれたんだ。てか、最近の晩飯は殆どトトが手伝ってるんだぜ。こいつ料理うまいんだよ。それで、今日のは特に自信作。」
「いえ、その……俺はレインさんの役に立ちたいだけで……。」
「……成程なあ」
「ん?」
「最近、ちょっと味付け変わったかな? って思ってたんだよ。そっかそっか、トトか……」
「何調子良いこと言ってんだ」
その言葉を聞くなり呆れ顔になったレインに対し、ウィルは楽しそうに続けている。
「レインが一人で作るより、ちょっと胡椒がきいてんだよな」
「わかるんですか?」
「わかるさ。」
三人の会話を聞いていたルノは、自然とトトの口から『先生』という言葉が出たことに気付いて驚いた。すると、トアンが小声で教えてくれる。
「トトさんは学生でしょう? 学校のあるなんとかって街で、ウィル、前に研究の発表したことあるんだって。だからそのとき聞いてた学生の中に、お前、いたのかって言ってさ。それでトトさんが慌てて頷いたら、解決したんだ。……でも、年上に『先生』って言われるの、少し恥ずかしいんだって」
そういうトアンの顔は真剣そのものだったので、ルノは思わずふっと噴出した。
「あ、なんで笑うんですか」
「いや、す、すまない……ふふ」
「どうした?」
カップをもったウィルが首を傾げる。その横で、丁度同じタイミングでレインが首を傾げたので、ゴインという鈍い音を立てて二人の頭は衝突した。
「~、」
「……バカ」
「バカってなんだよ」
「バカ石頭!」
二人のやり取りをみて、また笑みが零れた。トトも笑っている。トアンも笑っている。笑われていることに気付いて、二人も笑った。
不安に駆られていた気持ちは、この家にきて、話をきいて、おいしいものを食べるうちにゆっくりと揺らいでいくのがわかった。ルノは笑いながら、思わず涙が零れそうになったのを必死で堪えた。
「せんせー、レインさーん」
「ただいまあ! あのね、あのね聞いて!」
と、ドアが勢い良く開かれて、幼い声が二つ重なって飛んできた。やれやれどうしたのかとレインが立ち上がり、子供たちを出迎える。──が、すぐに慌てた表情でリビングに戻ってきた。
「どうしたんだ?」
「これ……!」
ばん、テーブルの上に叩き付けられたのは一通の手紙。上等な封筒にはしっかりと蝋の印がしてあり、その下には差出人の名が、ヘタクソな字で書かれていた。
『セイル』
──と。
「トルティーお前、これ、どこで?」
手を洗ってきたトルティーとコガネがソファによじ登るのをとめて、ウィルは二人に聞いた。二人は顔を見合わせ、同時に答える。
「「ついさっき、すぐそこで。」」
「セイルが来てたのか?」
「うん。……どうしたの先生? セイル兄ちゃんに、何か用があったの?」
「あ、いや……。レイン、封あけて」
「もうあけてる。……こいよウィル。オレとお前宛だ」
手紙を広げて持つレインの後ろにウィルが回り込んで、小さく頷く。子供たちはおもちゃに夢中なようでこちらを気にした様子はない。──トアンたちも身を乗り出して、レインの口が動くのを待った。が、レインは眉間に皺を寄せ、喘ぐように呆れた声を上げたのだ。
「ヘッタクソな字。読みにくい」
その言葉にトアンは思わず脱力する。が、ウィルは大真面目に、
「あいつに字も教えるべきだったかな?」
と答え、
「お前もヘタクソだろ」
と冷たく言われた。
「レイン、読んでくれ」
「……ああ、悪い悪い。……ええと、ウィル、スノー、こんにちわ。シチューの日、いけなくてごめんなさい……」
『 この手紙を読んでいるとき、トアンともう一人の旅人、それからルノちゃんの目は覚めているだろうなので、大体の事情は分かっていると思うのよ。
三人が通ってきたゲートは、俺様がつくった、チャルモ村とベルサリオを繋ぐ門なのよ。湖に繋がってたのはごめんなのよ。
そうだ。ハルティアからフロステルダに繋ぐ門が、封印されちゃったの。だからもう、ハルティアを通じてフロステルダに来るのは不可能なのよ。雷鳴竜のやり方に、氷結竜たちは黙認してる──
ゼロリード──俺様とシアングのお父さんが何を考えてるかわからない。シアングが何を考えてるかもわからないけど、たまに心が軋むのがわかるの。
スノー、ウィル。俺様も、できれば傍にいきたいけど、俺様、動けそうにないのよ。トルティーとコガネによろしく。』
「……なんだよこれ?」
「こいつの書き方でよくわからねぇことになってるけど──相当深刻な何かが起きてるみてぇだな」
僅かに顔を曇らせたレインがウィルを振り返る。
「どうするんだ、トアン?」
「えっと……。」
「今は、当初の目的を果たそう」
口籠るトアンの代わりに、ルノがハッキリと言った。テーブルを囲んでいた目が一斉にルノに集まったが、ルノはちっとも揺らいでいなかった。強がりでもなんでもないのだと、ぴんとした背筋が教えてくれる。
「ベルサリオに近寄らないようにして、フリッサに行こう。トアン、地図は持っているだろう」
「うん。……で、でも、ハルティアの門は閉じてるんだよ?」
「湖から戻れないのか?」
「セイルは往復できてたみたいだけど」
ウィルが口を挟む。
「……お前等、湖の何処に門があるか、よくわかんないだろう? あそこ大きいんだぞ」
「う……」
ルノが俯く。見かねたようにトトが立ち上がり、良く通る声で言った。
「……湖なら、俺に任せてください。水を操ることができますから」
非常に慌しく、その日の晩のうちに旅の用意をした。ウィルとレインは特に引き止めるようなことはせず、「ゲートがここに繋がってるんなら、いつでも帰ってこい」と言ってくれ、トトを感激させていた。──最も、本人たちは気付かないが。
翌日の良く晴れた朝、トアンたちがすっかり旅の用意をしてリビングに行くと、朝食のほかに大きな包みがドンと並んでいた。ルノにとっては二日目の朝食だったがトアンとトトにとってはもう慣れたもので、焼きたてのパンを齧りながら、目の前で眠そうな顔で食事するウィルをからかったり心配したりしていた。ルノはその様子を見ながら、その隣でコーヒーを飲んでいるレインの様子を窺った。かちりと視線が合って、レインが少し笑う。
二人には仕事があるので、という理由で、トトは見送りをやんわりと拒絶した。でも、ホントに大丈夫かと引かないウィルに対して、安心させるような笑みで「湖へは連れて行ってもらいましたし、大丈夫です。だから、ここで。」と玄関で二人の足を止めることを成功した。──トアンが後で聞いた話だと、どうやら水を操る魔法を使うところは、二人には見られたくないらしかった。じゃあここで、とウィルが手を下げると、レインがあの大きな包みをトアンに押し付けるようにして渡してくれた。
「兄さん……これ」
「弁当だ。……水浸しになる前に食うか、ま、自分たちで考えろ。」
「卵焼きはいってるよ。うまいぜー」
「お前のはあっちにあるだろ」
「へへへ……トアン、ガンバレよ。ルノも、トトもな。昨日も言ったけど、疲れたらここに帰ってこいよ。旅に同行はできねえけど、帰りは待ってるからさ」
「うん! ありがとう、ウィル、兄さん!」
トアンは笑い、ルノは世話になったと頭を下げた。トトもそれに続く。そして三人は、湖に向かって歩き出した──。
三人の姿が見えなくなっても、ウィルとレインはまだ玄関に立っていた。
「……どう思う?」
「何のことだ」
「色々とだよ。シアングのことも、セイルのことも──トトのこともだ」
「……そうだな」
ふう、とレインはため息をつき、直ぐ隣のウィルに凭れ掛かった。体重をかけても、ウィルはちっともヨロめくことはなく、レインを見ている。
「急に動き出したな、色んなもんが」
「時間はずっと動いてたじゃないか。この一年だってさ」
「ああ、そうだな」
思わずむくれたように言うウィルに、レインはふっと笑った。
「トトの首にあったのは──」
「セイルのネックレスじゃねぇの。トルティーがしてるやつ」
「どういうことなんだろうな?」
「……さあね。よくわかんねぇけど、同じもんがあってもおかしくはねぇけど……」
二人はそっと顔を見合わせ、そして首を振った。
「待ってようぜ、帰ってくるの」
「そうだな。……お前、遅刻するぞ」
「え!? あ、やべえ!」
一方トアンたちは、目の前に広がる湖面を感心して眺めていた。キラキラと輝く湖面は何処までも澄んで美しく、身を乗り出すだけで小さな魚の影を見ることができた。もっと深いところには、もっと大きな魚が居るに違いない。澄んだ空気は冷えていたが、トアンはいつか、暖かいときにこの湖に潜って見たいと思っていた。
「キレイだな」
直ぐ隣でルノが呟く。
「そうだね」
「……だが、深そうだ。先に言っておくぞ。私は泳げない」
「……大体予想はできたけどね」
「なんだと!?」
「ご、ごめん! ……トトさん、水を操るってどうやってやるの?」
怒ったルノに杖でボカボカと叩かれながら、トアンは目を眇めて湖を見ていたトトに聞いた。
「はい、これを使います」
トアンとルノを見て思わず笑いながら、トトは胸元の金のネックスレスを手繰り寄せ、その先に通されている指輪を指した。初めてまじまじと見るその指輪は、どこかで見覚えのある──。
「海鳴りの指輪じゃないか、それ!」
「うみなり……?」
「トアン、忘れたのか? 一年前の旅で見ただろう、ハルティアのタペストリーを。あれだ。ハクアスの形見の、レインが持っていた指輪だ」
「あ、そうだ! そういえば、首から下げるっていう付け方も同じだね」
「指輪を嵌めることはできるんですが、何分貴重なものでしょう。……狙われてるんです、コレ。でもコレは、俺にとってもとても大切なもの──レインさんが最後に旅にいくとき、俺に預けてくれたものだから」
「……ちょっとまて」
優しい瞳で指輪を眺めるトトに、ルノが口を挟んだ。
「お前にとって大切なものっていうのはわかるが──貴重なものだと? それは、レインからもらったといったな。レプリカではないのか?」
「いいえ。これは本物です。レインさんはたぶん、気付いてませんけど」
「本物だって?」
ルノの目が大きく見開かれる。驚いているルノのその横で、トアンはいまいち状況を理解できず、間抜けな顔で聞き返した。
「ええ。大海の杖、細波の腕輪、海鳴の指輪。女神ハルティアの怒りを覚ました、伝説の品々です。」
その説明で、漸くトアンは全てを思い出した。レインが仲間になって直ぐ後のことだ。……正直、まさか本物だとは思いもよらなかった。トトが何を根拠に『本物だ』と断定したかわからないが、トアンはとにかく漠然と、「すごい」と呟いた。
その目の前でトトは湖に近づき、静かな湖面に向かって両手をつきだす。
「海鳴りの指輪の持ち主の名において命ずる。我に、この湖を旅する権利を。」
「ぴゅいっ」
トトの服の中から顔を出したユーリ──コガネが、高らかに一鳴きした。トアンとルノが目を見張るその前で、巨大なシャボン玉のような水の膜が構成される。
「乗ってください。大丈夫、割れませんよ」
ぶにょん、と可愛くない音を立てながら、トトの片足が膜に突っ込まれ、そして身体は膜の中にすっぽりと入ってトアンたちに手招きした。
「ほ、ほんとに……? すごいなあ」
「酸素はちゃんとありますから。さあ、どうぞ」
「じゃ、じゃあお邪魔します」
ぶよん、ゼリーのような感触。微かな弾力のある膜の中に思い切って飛び込んでみると、中は外より少しひんやりするだけで変わったところはなかった。案外、視界もクリアだ。
「ルノさんも」
「わ、割れたりしないだろうな……?」
「割れませんよ。」
安心させるような笑みに、ルノの右足が泡の中に入ってくる。
「……俺の意識がある限りは」
笑顔で怖い事を言うトトに招かれるまま右足を突っ込んだルノの顔色が、さっと青ざめた。
「うわあ、凄い凄い。ルノさん、ほら見てほら」
「見えない」
「目をつぶってるから見えないんじゃ……」
「見ない!」
先程からこんな会話の繰り返しだ。
膜は、トアンたち三人が乗ると、ゆっくりと湖に沈んでいった。水深はもうすっかり深く、湖底をゆっくりと進むトアンたちのはるか頭上で、太陽の光がキラキラと輝いているのがわかる。──湖の中は、射しこむ光と大小様々な魚が行きかうので、見ていてちっとも飽きなかった。トアンにとってそこはまさに、知っているようで知らなかった未知の空間。ここは、この湖だけで生態系がぐるりと回っているような、特別な世界だ。
「トトさん、海の中も潜れるの?」
「え? あ、はい。潜れます。けど、海の中は潮の流れもありますし、こことは比べ物にならないほど深くて水圧も強いでしょう。だから、この泡を維持するのが疲れちゃいまして。あんまり長くもたないんです。……トアンさんは、水の中が好きなんですか?」
「うん。……昔ね、川で、ウィルたちと遊んだとき、オレは一人だけ目を開けられなかったんだ」
あの時、他の友達に散々バカにされたのを覚えている。ウィルは困ったようにトアンを見て、トアンが泣きそうだとわかると、他の友達たちに「やめろ!」と言ってくれたのだ。
「……で、次の日からこっそり特訓に付き合ってくれてさ。ウィルと見たんだ、岩のしたのくぼみに、小さい魚がいるのとか、水の中から太陽の光を見ると、あんなにキレイだとか……」
「……先生が……。」
トアンにとっては何気ない昔話のつもりだったが、話し終えたとき、トトはうっすらと滲んだ涙をそっと拭っていた。
「やっぱり先生は、俺の尊敬する人です」
そういってにっこり笑うトトを見て、トアンは改めて、残酷な未来があることを思い出した。何かがあると分かっているのに、今は、なにもわからない。
「……セイルさんとは、仲が良かったんだよね?」
「ええ。セイル兄ちゃんも、大事な家族ですから──」
「ぴゅるるる!」
と、突然コガネが高らかに鳴いた。魚たちが驚いて一斉に逃げていく。何か、とトアンが口にするより早く、トトが指を指した。
「光があります!」
三日月のような岩の、その欠けた部分で、光の渦がキラキラと輝いている。
「あそこが、多分、空間の捩れ──ゲートですね」
「ルノさん、見てみなよ。怖くないよ」
「怖くなんかない! 苦手なんだ、水が、水が……」
「そういえばハルティアを通じてフロステルダに行くときも、ルノさん、泳げないって言ってましたね……」
「そうだ……あの時は、トアンも怖がってたじゃないか」
と、未だ目を開けないままルノがトトに便乗した。
「あの時はね。でも湖ならそんな深くないし、ルノさん、ほら。上の方に水面が見えるよ」
「……」
「駄目ですね」
ひょいと肩を竦めてトトが言う。このやり取りの間、泡は水中に止まってゲートを見る猶予を与えてくれていた。
「……行きます?」
「うん。……もうルノさんは目を開けないよ」
「……。」
「反論もなし。」
くすり、トアンとトトは顔を見合わせて少し笑った。笑いながらトトが右手を挙げ、高らかに言う。
「進め。あの、光へと」
音もなく泡はゆっくりと動き始め、光の渦へ近づいていく。光の中は真っ白で何も見えないが、不思議と目は開けていられた。
「飛び込んでいいのかな?」
「どうでしょう──」
と、唐突に光の渦が逆回転し、トアンたちの泡は吸い込まれていく。ずるりと、足元を引かれる感覚。
「うわああああああッ!」
悲鳴が尾を引いて水中に響くも、泡を飲み込むと光の渦は回転をゆるめ、再び通常の回り方に戻っていった。
「……い、ぴゅるるる……」
なんだか、しきりに頬に柔らかいものが当る。トアンの意識は覚醒し、目の前のものを捉えた。
「ん、ん……?」
「ぴゅい」
トアンの頬に身体をこすり付けていたのはコガネだ。真っ黒の、キレイな瞳が真っ直ぐにトアンを見ている。
「や、やあコガネ──おはよう」
トアンが起きたのを確認すると、今後は直ぐ隣に寝ていたルノの頬に、一生懸命身体を擦り付けて 起こそうとしている。トアンもそれを手伝おうとし、ふと人の笑い声を聞いて振り返った。
ぱちぱち、温かな焚き火の直ぐ傍に座っているトトが、お湯を沸かしながら笑っていた。──すぐ傍に、茶のビンが置いてある。
「お茶、淹れてくれるの?」
「はい。お弁当、食べたいですし。……お腹減りません?」
「……ええと。」
トアンは良くわからないまま、腹に手を当ててみる。──妙に空いていた。
(おかしいな、まだ朝ごはんを食べたばっかりなのに──え?)
今更ながら、トアンは何気なく空を見上げて驚いた。──空を覆うのは水のヴェール。そしてその向こうは、インクブルーの濃い闇が広がっている。波打ち際のように水面が揺れているが、間違いなく今は夜だ。
「どうやら、随分気を失ってたみたいです」
さらさらと水の流れる音に、闇に目を凝らす。すぐ傍に川が流れているようだ。
「泡は、俺たちを岸に乗せてから消えたみたいですね。濡れてないでしょう?」
「そうみたいだけど──」
トアンは未だ、どこか呆然としたまま、魔物の世界、フロステルダの空を見上げた。
──もう一度、この場所きてみると、雨の夜の出来事が、今でも少し、信じられない記憶として蘇った。
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