第11話 僕の宝物と三本の針
ゆっくりと、トアンは、全部話した。
トアンの旅が終わってから丁度一年目の夜に、再び空からの訪問者──ルノが訪れてきて、再び旅が始まったこと。
石になっている王国を救うために、テュテュリスに会いに行ったこと。そこでトトという学生の少年が旅に加わったこと。
フロステルダという魔族の住む世界にハルティアから行き、王国を救うための手段を握る人物を知る、雷鳴竜の国のたどり着いたこと。──シアングが、王子だったこと。
情報を手に入れたその晩、兵士たちに動きがあったこと。逃げ出したトアンたちの最後の追っ手は、仲間であったシアングだったこと。シアングの口から語られた真実のこと。剣を向けられたこと。
トトの手によってその場から逃れるものの、谷に飛び込んだ後の記憶がないこと。だから何故この村にたどり着けたのかわからないこと──……
トアンの口から紡がれる言葉は、先へ行ったり後へ行ったりと忙しなかったが、ウィルとレインは真剣な瞳で話を聞き続けてくれた。トアンが話し終えると、レインはそうか、とただ一言言って、まだ温かいパイを勧めてくれた。
のろのろと動かしたフォークはさくりと音を立ててパイに刺さり、口に入れるとカスタードクリームと栗の実の甘さが舌の上でとろけ、トアンの心を安らかにしてくれた。
「……おいしい」
「ヘコんでるときはうまいものを食うのが一番だ。レイン、まだある?」
「ある」
「じゃ、お代わりできる?」
「ルノたちが起きなきゃ、な」
レインは済ました顔で言い、ウィルの顔を見てくつりと喉を鳴らした。
「そんな顔すんなって。嘘だよ、ちゃんとある」
「良かった。トアンも遠慮なく食えよ」
「う、うん」
トアンはパイを飲み込み、クッキーに手を伸ばした。軽いヤケなのかもしれないと自分でも思ったが、クッキーのほろ苦さは素直においしいと感じることができたので、甘味と苦味を味わうたびに心が落ち着いていくのがわかった。
「……ルノがさ、たまに泣いてたんだ」
突然のウィルの言葉に、トアンは目を丸くした。
「え?」
「だから、この三日間──眠ったまま起きないんだけど、ルノが何度か泣いてた。理由がさっぱりわかんないからなんでだろうって思ってたんだけど──」
「寒中水泳大会で負けたからだ、ってお前言ってたじゃねぇかよ」
「そもそも水泳大会とか言い出したのはレインだろ!」
「さあね」
「……覚えてろよ」
「イヤだね」
レインはクッキーをつまみ上げて一口かじる。
「……ずっと起きねぇのは、疲れだけじゃねぇのかもな」
「どういうこと?」
「精神的なヤツなんじゃねぇの? ──ルノは、シアングのことを……。」
がちゃり、突然扉が開く音がした。
三人(内一人は視線をやっただけ)はばっと扉の方を振り向く。と、そこにトトが何故か呆然とした表情で立ち尽くしていた。
「トトさん、起きたんだ! 兄さん、ウィル。話したでしょ、トトさんだよ」
「おう、トト、お前も腹へってない? おいしーいお茶と菓子があるぜ」
ウィルは笑顔で言うが、トトはじりじりと後退し、部屋を飛び出していってしまった。がちゃん──ばたん。玄関の扉を開ける音がして、リビングのガラス戸から見える外の景色を、トトが走っていくのが見える。
「トトさん!?」
「なんだよあいつ。どうしたの?」
オレ、なんか悪いこと言ったかなーとウィルが呟く。レインはさあ、と首を傾げると自分のカップに茶を注いだ。
「ウィルじゃなくて、マロンパイの匂いが気に入らなかったとか」
「そんな訳ないだろ」
「クッキーがいやだったのか?」
「違うだろ。なあトアン、何が原因だったと思う?」
「うん、ええと──」
トアンは苦笑しながら席を立つと、見当違いな心配をしている二人を見、言った。
「とにかく、オレ、探してくるよ」
(何処行っちゃったのかな)
一通り村は探した。そんなに広くない村だから村人に湖の辺で倒れていた男の人を知りませんかと聞けば直ぐ見つかるだろう。が、その村人が中々見つからない。
(うんと──)
焦るトアンの目に、ふと一人の青年が映った。白衣を着てメガネをかけた、いかにも頭の良さそうな青年だ。
「あの!」
トアンが声をかけると青年がこちらを向いた。トアンは一気に駆け寄り、尋ねる。
「あの、湖の辺で倒れていた、旅人を見ませんでしたか? インクブルーの髪の毛の」
「ああ、見ましたよ。そういう貴方も倒れていた旅人でしょう」
「そうでした」
「彼ならこの先の森に走っていきましたよ。……それはそうと、貴方、ウィル先生のところに世話になってるんですよね」
「はあ、まあ」
「今日の午後のお茶菓子はなんでしたか?」
「えっと……」
何でこんなことを聞くんだろうこの人は、という表情でトアンは口篭り、マロンパイとクッキーでしたと答える。
「そうですか」
「もう行ってもいいですか」
「はい、足止めしてすいませんでした」
青年は丁寧に礼をしたが、トアンはもう走り出していた。それからちらりと青年を振り返ると、トアンの来た方向──ウィルの家へと向かっているようだ。
(ウィルの友達かな)
まあいいや、トアンは森に向かって全力疾走した。
しんと静まり返った森の中、やけにトアンは自分の呼吸を大きく感じていた。それほどまでに森は静かだったのだ。
「トトさん……」
こう木々が生い茂る森の中では、きょろきょろと見渡すより、耳を済ませたほうが良い。トアンは立ち止まって目を閉じ、そして、声を聞いた。すぐさまそちらに向かって走り出す。
「……ッ、……。」
(嗚咽……? 見つけた!)
トトが枯葉の海にしゃがみ込んでいるのを見つけるのに、そう時間はかからなかった。声をかけようとして、はっと傍の木の影に身を隠す。何故なら、トトの直ぐ傍に、ヒトの形をしたぼんやりとした光の影が漂っていたからだ。
幽霊か? いや──……
「も、俺、イヤだよ。ずっと、ずっとここにいたいよ……知りたくない」
やはりトトは泣いていた。光は、そっとトトを覗き込むようにして喋った。水のように澄んだ、無色の声で。
『扉を潜る前、君は覚悟を決めたはずではなかったのかい?』
「そうだよ! 決めたんだ。けど、もう進みたくない!」
『……言っていただろう。『過去』は、とても甘美なものだ。君の足を捕まえるのに十分なものだ。しかし、ただ『過去』に溺れては、君は君の望みを手にできない』
「うぅ、っ……だって、レム、俺……」
『……。』
影は黙ってしまった。陽炎のように揺れながら、トトの言葉を聞いている。
「二人が、俺を見てた。俺を見てくれていた──レインさんのあのオッドアイに、俺が映ってた。先生が映ってた。思い出しちゃうんだよ! あのガラスみたいな目を! ずっとずっと眠り続けるレインさんを! もう戻りたくない! 俺は、ここで、……ずっと二人の傍に居たいんだ! 先は見たくない……っ!」
『……トト。』
影はまるで身を屈めるようにし、諭すような声をかける。
『スピカも、母親に会うのを避けていた。それはきっと自分が、母親に会ったらもう『過去』に足を絡め取られるとわかっていたんだろう。……君は、初めから会うつもりだったろう? それは『過去』に溺れない自信があったからではないのか?』
「……。」
トトは黙り込んだが、トアンは意外な名前に目を驚くことしかできなかった。
(スピカ? スピカって、あの子のこと? ──あのスピカだとしたら、どういうことになるんだ? ……それに、トトさんは何を言ってるんだろう)
『……辛いのなら、こちらに戻ってくるかい? 君一人くらいなら、時の守護神に頼んで──』
「いやだ!」
トトの叫びは即答だった。
「このまま帰るなんて……何も変わらない!」
『ならばどうしたい?』
「……そうだ。ここで、やるべきことをやらなきゃ……。トアンさんのことも、先生とレインさんのことも──……」
『見届ける覚悟ができたのかい?』
「うん。……俺、またくじけるかもしれないけど……そうだよ、やらなきゃ、変わらないんだ」
トトの一言は、自分に言い聞かせるようなものだった。彼は涙を強引に拭って笑みを浮かべる。トトの懐からユーリが飛び出して、トトの頬に顔を擦りつけた。
「ありがとう、コガネ。コガネも、俺のこと支えてくれてるんだよな」
「ぴゅい」
「コガネを人間に戻す方法も、見つかるといいんだけど……」
(……なんだって!?)
『ふふ、焦らずにゆっくり探しなさい……おや?』
レムと呼ばれた影がふっと揺れた。トアンはそれに気付かない。トアンの頭の中は、トトの一言一言がぐるぐる回っていたからだ。
スピカ、先生、レインさん、コガネ。……『過去』?
見えそうで見えない真実に、トアンは頭を抱えた。影が続けた言葉に、トアンは思わず身をすくませた。
『……トルティー』
(トルティー!?)
頭の中で、バラバラの破片が一つに繋がる。驚きのあまり身体に力が入り、足元にあった小枝が折れてしまった。
ぱきん。
乾いた音が、静かな森に響いた──……
(まずい!)
慌てて逃げようとするが、つむじ風のような速さで光の影はトアンの前に回りこみ、ふうとため息をついた。
『やれやれ、やっぱり聞かれていたか』
「……トアン、さん」
一声鳴いたコガネを抱き上げ、トトが呟く。
「……全部聞いてましたよね?」
「ご、ごめんなさい」
トアンは咄嗟に謝るが、トトはふるふると首を振ってそれを制した。
「いいんです。いずればれてしまうとは思ってたんですから──レム」
影に向き直り、トトは一礼した。
「トアンさんと、話をしていい?」
『……。わかっているね?』
「うん、ちゃんと触れないように話すから」
「触れないように、って……?」
「時を越える上で、いくつか制限があるんです。その制限を超えるお話はできないんですが……たった今、あなたが気付いたところだけなら十分話せますから」
トトはトアンの直ぐ目の前まで歩み寄ると、群青色の瞳で真っ直ぐにトアンを見た。トアンも見返す。そして見た。群青の中で燃える、紫の炎を。
「ベルサリオに行く前──トアンさん、俺の独り言聞いてましたよね。そろそろ不審がられるとは思っていましたし、それで、先生やレインさんに相談されてはあまり意味はありませんから──……」
「気付いてたの? オレが、聞いてるってこと」
「レムから教えてもらいました」
言われて、トアンは影を見た。レム、というらしいその影は、すいっと優雅な会釈をする。
「ど、どうも」
『いいえ』
「トアンさん、俺の話を聞いてくれますか? 俺の話はあなたにとってあまり役には立ちませんし、重荷になってしまうかもしれないけれど──」
──好奇心には、勝てなかった。
「まず、俺はこの時代の人間ではありません」
意外にもアッサリとした口調でトトは切り出した。
「ここからで言えば未来の時間の人間です。時間で言えば、大体十二年後──」
「ちょ、ちょっとまって」
「はい?」
「オレ、本で時を越える話って読んだ事があるんだ。それだと、君は、その──」
「なんでしょう」
「……オレの、息子だったりしない?」
トアンの言葉が予想外だったのだろう。トトは目を丸くして、それからぷっと吹き出した。
「いいえ、違います」
優しい笑みを含んだ声で、トトが言った。
「十二年後ですよ。俺、何歳って言いました?」
「……十八、だったよね」
「そ、そんながっかりしないでくださいよ」
「いや、さっきまでの会話聞いてたからある程度分かってたし……今のは、オレの冗談」
「そうですかあ? すみません、冗談にしてはあまり……」
「わ、わかってるって! 自分でも空気読めてないなって思ったけど言ってみたかっただけだから!」
真顔でトトが言おうとしたことを、トアンは真っ赤になってとめると、話の続きを促した。
「十二年後、っていうと、今のトトさんは……」
「六歳です。この村で先生とレインさんの二人に見守られて、家族というものの幸せを心一杯に感じていた──」
どこか遠くを見ながらトトは呟き、再びトアンを真っ直ぐに見つめた。
「トルティー『ウィル』。先生の名前をもらったこの名前が、俺の本当の名前なんです」
「いやあ、レインさんのお菓子は絶品ですね。私、このクッキーが好きで好きで」
「はあ」
「マロンパイも素晴らしい! そうだ、おいしいりんごを頂いたんですがどうですか? アップルパイなどをお作りになっては」
先程までトアンが座っていた席に座っているメガネの青年は腕を組んで、のんびりとレインに視線を送る。が、レインはまったく相手にせずに、ウィルのカップに角砂糖をぽちゃんぽちゃんと落としていた。……ウィルは、カップより青年を睨みつけるのに忙しいので気付いていない。
「お前が食いたいんだろ……レイン、さっきから上の空で返事返してるじゃんか。コーブ、早く帰れ」
コーブと呼ばれた、白衣のメガネの青年はふんと鼻を鳴らした。
「イヤですよ。あ、お薬持ってきましたからね、食事の後に飲んでくださいね」
「薬ぃ?! ……レイン、どっか悪いのか?」
「うるせぇな。ただの風邪だよ……あ」
真剣な表情のウィルにめんどくさそうに答えると、レインは目を丸くした。ガラス戸に映った、トアンとトトの姿を見つけたからだ。
「帰ってきたぜ、あの二人」
「ん? ……あ、本当だ。おいコーブ、そこトアンの席だぞ」
「やれやれ……まだ少ししか味わってないのですがね。それではレインさん、ウィル先生、私はこれで」
二人の待つ家に帰ってきたトアンは、玄関のところであのメガネの青年とすれ違った。青年はふっと笑みを浮かべて軽く会釈をすると、白衣を靡かせて去っていく。──やはりこの家に来ていたようだ。
リビングへ行くと、ウィルが申し訳なさそうに口を開いた。
「おー、お帰りトアン。ごめんな、コーブがクッキー殆ど食っちまったんだよ」
「コーブ?」
「あのメガネだよ」
「あの人か。……ウィルの友達?」
「ああ、まあな。あいつは学校に住み着いてる医者なんだよ。トアンたちのことも診てくれたんだ。……一応、オレの同僚だよ」
「そうだったんだ」
「ほら二人とも、ボーっと突っ立ってないで席付けよ。……ええとトト? よろしくな、オレ、ウィル。こっちがレイン。ちょっと口が悪いけどいい奴だから」
「……はい。助けてくださって、ありがとうございます」
ウィルの紹介に、そういって笑ったトトを、トアンは一生忘れないと思った。
──寂しさを覆い隠した、柔らかい笑みを。
──そもそも時を越えることなんてできるのか?
その問いをトトにぶつけたとき、トトはええ、と少し哀しそうに頷いた。
「できます。ただし、どんなときでも、ではありません」
「え?」
「何百年、何千年、何億年──とにかく全く予想できないタイミングで、時の扉というものが開くんです。その扉は未来ではなく、過去にだけ行くことができるんですが──色々と制限がかかります。未来のことを色々と話すことはできませんし、それに──……」
そこまで言うと、トトは何か考え込むように口をつぐんだ。顎に手をやり、群青色の瞳をそっと彷徨わせる。
「……過去というものは、とても甘美で優しいものなんです。自分の記憶だけの過去は。ですが、そこに実際自分がいくと、優しいもの以外をも目にすることになります。当たり前って言えば当たり前なんですけどね、自分の記憶ではなく、過去の時間帯に直接存在するわけですから。──だから、ちょっと辛いことが多々あるんです。それに『優しいもの』は、俺がさっき駄々をこねていたように、足を引き止めるには十分すぎますから──……。」
トアンはまだよくわかっていなかったが、とりあえず頷いた。トトが愛している『家族』というものに直接触れ、ずっとここに居たいと泣いていたのを思い出したからだ。しかしここで疑問を感じ、トアンは首をかしげた。
(あれ? どうしてそんなに執着するんだ?)
そう、『過去』のウィルやレインに執着しなくても、これから十二年後の彼の世界に、二人はいるはずだ。──居る、はず。
「ね、ねえ、トトさ──トルティーさん」
「トトでいいです。先生たちに勘付かれたら、意味ないですし」
「じゃあトトさん。……未来のことは話せないって言ってたけど、どうして今この時代にずっと居たいって、この時代のウィルと兄さんに執着したの?」
「……。」
ぐ、トトが言葉を詰まらせる。その様子になんだか嫌な予感を感じ、トアンはあまり口に出したくない言葉を言った。トトが泣き喚いていたとき、二人の未来について不吉なことを言っていたではないか、と思って。
「……ねえ、まさか、二人は、……十二年後には、もう居ないの?」
「……いえ」
たっぷり沈黙してから、トトが答える。
即答ではないところが悲しかった。やはり何かあるのだ。
「レインさんは無事です。……とりあえず。先生にいたっては行方がわからないんです」
「どうして!?」
「どうしてって……俺が聞きたいですよ」
静かだが怒りを押し殺した声で、トトが呟いた。
「俺が六歳のとき、つまりこの時代で、あの二人はトアンさんたちの旅に同行して──それで、十二年間も帰ってこなかったんです!」
『トト!』
「何度か二人が旅に同行したのは覚えてます。あの日だって、俺は二人の背中を見送るだけで──! 帰ってくるって思ってたのに! それから十二年経って、レインさんが突然発見されて、でも、レインさんは、心を──!」
『トト、やめなさい!』
レムの鋭い声にはっとした表情になったトトは、ゆっくりと手を下ろした。──トアンの胸倉から。トアンはただ呆然と、穏やかなトトの胸に秘められた、激しい気性を目の当たりにしてなすがままになっていた。手が離れて、それでやっと自分が吊り上げられていたと知った。
それでも、トトの言葉が頭から離れなかった。行方不明? 一体、何がこの先で待ち受けているのだろう?
「ごめんなさい」
「いいよ、トトさん。……兄さん、どうしたの?」
「……。俺の未来でのレインさんは、十二年後だというのにちっとも成長してなくて」
──一体この先の未来に、
「ずっと、目を覚まさないんです」
──何があるというのだろう……?
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