トアン・ラージンの未来について編
第10話 陽だまりの場所
『これでもまだ、嘘だ、なんて言ってくれるのか』
雨の中でシアングが剣を向け、笑いながら言う。
トアンは訊ねた。仲間ではないのかと。
『……いいや?』
目を細めて答えるシアング。雨が、彼の額から零れて地に落ちる。と、
ザ、ザ、ザァアア……
砂嵐とノイズが雨の景色に走り、場面が一変する。月の影が映る湖から、トトがルノとトアンを抱えて岸に上がる映像だ。ぼんやりと見た夜空は澄み切って美しく、あの水のヴェールはない。
ザザザザ……
再び場面が変わった。子供が泣いている。辺りは赤い炎に包まれていた。
今、一軒の家が火の中で崩れ落ちた。子供が泣いている。周囲は燃える家、家、家──村が一つ、消えようとしているのだ。
子供の視線の先に一人の男が立っている。男は大きな赤い月を背後に背負い、爛々と輝く瞳を向ける。青い髪は血を吸ってぐっしょりと濡れ、赤い瞳はまるで血の色のようだった。
その顔は、
「!」
くぐもった悲鳴をあげ、トアンは勢い良く身を起こした。その勢いで自分の上にかかっていた毛布がずれて床に落ちる。
(……な、なんだろう? 嫌な、怖い夢を見た気がするんだけど……。)
夢の内容は覚えていない、思い出せない。しかしぐっしょりと濡れたシャツと異様に暴れている心臓の鼓動が、とても嫌な夢だったと教えてくれている。
と、視界の端に床に落ちた毛布が入った。トアンはここで、初めて自分がベッドに寝かされていると知った。
「……あれ?」
トアンは、柔らかいクリーム色の壁紙の、大きな部屋の隅のベッドに寝ていた。首を伸ばすとルノとトトが其々ベッドで寝ているのが分かる。優しい日差しが窓から差し込み、トアンは思わず大きく伸びをした。
記憶は、谷底に落ちているところでぷっつりと途切れていた。命を狙われていたはずなのに、何故こんな安心できるような場所にいるのだろう?
(ここは、何処なんだろう)
何となく窓から身を乗り出して、思わずあっと呟いた。
水のヴェールがはっているはずの空にはそれがなく、ただ抜けるような青空が広がっていたのだ。フロステルダの空ではない。
「ここ、アールローア? え? でもどうして戻ってこれたんだろう……」
ルノもトトも眠っているため答えてくれない。考えていてもさっぱりわからないので、トアンはとりあえずベッドから降りた。
部屋をでて扉を開ける。木の扉、温かい色の壁、窓から差し込む太陽の光。なんだか全体的にこの家は温もりがあるとトアン感じ、思わずにこにこしながら家を見渡した。直ぐ先には階段があり、二階へ続いているようだ。が、トアンは階段には向かわず廊下を歩いていった。──何故なら、廊下の先からとてもいい匂いがしたからだ。
空腹状態のトアンはキッチンを見つけ、それからリビングのテーブルの上においてあるサンドイッチを見つけた。
「ブルーベリージャムだ」
サンドイッチが何味かは、独特の甘酸っぱい匂いが教えてくれた。サンドイッチは、片面に生クリーム、もう片面にクリームチーズが塗ってある。トアンは席について、大きなトレーに山盛りに乗っているサンドイッチを一つ手にとって齧り付いた。
「……ん~、おいしい!」
どこか懐かしい味のブルーベリージャムの甘酸っぱさと、控えめな甘さの生クリーム。クリームチーズの柔らかな舌触り、そしてそれを包み込んでいるふくふくのパン──!
たまらない。
思わずトアンはパンを持ったまま、暫くその余韻に浸っていた。と、
「くすくすくす……」
ころころとした笑い声に、ギクリと動きを止める。
「やっと起きたのね、お兄ちゃん。はい、ミルク。」
小さな手が、テーブルの上にミルクの入ったカップを置いた。続いてゆるくウェーブがかかった金髪の、目のくりくりした可愛らしい少女が顔を出した。
トアンは呆然とカップを受け取ったが、慌てて手に持ったサンドイッチを見る。
「ご、ごめん、勝手に食べて──」
「いいのよ。お兄ちゃんたちの分だもん」
くす、少女は再び笑うと向かいの椅子に腰掛ける。椅子には小さな階段がついていて、少女の身長でも座れる設計だ。
「こっちにハムのサンドイッチ、そっちにタマゴがあるよ。好きなだけ食べていいんだって」
「ありがとう……君、ここの家の子?」
「……。」
少女はトアンの問いに少し迷ったようだ。そんな少女の様子を見てトアンも首を傾げる。何故? 当然直ぐ頷くと思っていたのに。
「あの」
「うん、ここの子。……家族の人は、とっても優しいのよ」
まただ。家族の人、と少女は言った。普通、パパとかママとか言うだろうに──トアンはなにか複雑そうな事情を感じ取り、そうといって笑うとそれ以上触れないことにした。
「サンドイッチ、おいしい?」
「うん、とっても。オレ、ブルーベリー大好きだから」
「そうなんだあ」
「オレ、トアンっていうんだ。君は?」
少女は自分もサンドイッチを手にとって一口食べ、にっこりと花が咲くように微笑んだ。
「コガネ」
「コガネか。いい名前だね」
「うん」
(あれ、コガネ……どこかで、聞いたと思うんだけど。……思い出せないな。色々あって記憶が混乱してるし、仕方ないか。でも、この家は安心できそうだ)
「そのジャム、おうちで作ったの。コガネも手伝ったんだよ」
「へえ」
──なによりこんなにおいしいブルーベリージャムを作れる人がいるのだ。トアンはすっかり安心すると、カップに注がれたミルクを飲んだ。
「コガネ、コガネー」
がちゃがちゃと何か騒がしい音がして、玄関から一人の少年が走ってきた。両手で大きなカゴを抱え、嬉しそうにリビングに飛び込んできたがトアンの姿を見るときょとんとした表情に変わる。
「あ、起きてる」
「さっき起きたばっかりなのよ、トアンお兄ちゃん」
「へえー……よいしょ」
カゴを床に置き、インクブルーの髪をがしがしと掻きながら少年が椅子に飛び乗る。
「あ、手、洗ったの?」
「うん」
咎めるような少女の声を聞き流しながら少年はサンドイッチを掴む。
「トアンは三日間、ずっと眠ってたんだよ」
少年はコガネのようにお兄ちゃんとは付けてくれなかったが、トアン気にしなかった。
「そうなの?」
「うん」
「トルティー、手、洗ってないでしょう」
「洗ったよ」
「もう!」
コガネが椅子から降りてリビングから出て行く。少年は少し汚れた手を服で拭った。トアンがそれを見てぷっと吹き出すと、楽しそうににっと笑う。
「俺は、トルティーっていうの。コガネには内緒だよ?」
トルティーはまだ汚れている人差し指を口元にあて、しーっとやって見せた。
「……へえ、じゃあ、君たちはホントの兄妹じゃないんだ」
トアンはスッカリ感心して呟く。コガネとトルティーはうん、と頷くと、木の枝で器用にイガ付きの栗を拾った。
ここは、村から少し離れた森の中。しんと静まり返る森は、もう秋の色一色だ。冬の足音が直ぐ傍まで迫っているのが分かった。あんなに家の中は暖かかったのに随分寒い。──二人が出してくれた上着がなければ、トアンはその辺に蹲っていただろう。
──トルティーがカゴを持っていたのは、実は栗拾いに行く準備をしていたかららしい。トアンは二人の子供と一緒に栗を拾いながら(最も二人のように枝で栗を掴むことができないので手袋を借りて)、二人が話してくれる『家族』について耳を傾けていた。
二人の話によると、トルティーの母親はかつてこの村の領主だったが狂気に落ち、身も心も魔物になった母を倒したのが、フラリと村に立ち寄った二人の旅人らしい。 トルティーとコガネは身寄りをなくし(コガネの顔が曇ったのに対し、トルティーは真っ直ぐにトアンを見ながら言った)、親の業で村を追放されそうになったとき、旅人たちが二人を引き取り、今日まで育ててくれたようだ。トルティーとコガネを遠巻きにしていた村人とも徐々に打ち解けることができ、今ではすっかり村に馴染むことができたのだという。
無理には聞くまいと思っていたトアンだったが、トルティーは意外と淡々と喋ってくれた。──どうやら、彼の中では親のことはもう整理がついているようだ。反対にコガネはそうではない様子だが、トルティーが笑顔になるとコガネも笑った。彼等は義理の兄妹であり、本当の兄妹なのだろう。
「先生たちがいなかったら、俺たち、今こうしてられないんだ」
ひょい、トルティーの抛った栗が真っ直ぐカゴに入る。
「トアンたちを運んだのだって先生たちだよ。村の人が見つけたんだけどね」
先生というのは、彼等の育て親の片方のことだ。旅人の一人はこの村の学校で教師をやっているらしい。だから、先生と。
「……オレたち、どこにいたの? どうやってここまできたの?」
「俺に言われても、わからないよ」
「コガネ、覚えてる。トアンお兄ちゃんたち、湖の辺に倒れてたって言ってなかった?」
「そうだっけ」
「そうよ」
「……湖?」
「うん、三日前の満月の日に、村の傍の湖で倒れてるのを、村の人が見つけたの」
コガネとトルティーの話を聞いているとトアンの脳裏に一つの映像が浮かんだ。満月の、月の影が映った湖。見上げた空には水のヴェールがない……見た覚えがないのに、やけにリアルな想像だ。──見た、覚えがない? 本当に?
「……トアンお兄ちゃん?」
「!」
はっとして顔を上げると、コガネが心配そうに覗き込んでいた。
「大丈夫? 具合、悪いの?」
「あ、ううん、違うよ」
心配させないように明るく返すが、頭は途切れ途切れの光景をフラッシュバックさせていた。途切れ途切れ、つまりそれはトアンの意識がそうだったのではないか。あの光景は実際にあったことで、──しかし。
ずき、頭の奥が鋭く痛んだ。
(ああ、そうだ。夢で見たんだ)
しかしその光景のあとに見たなにか『嫌なもの』が頭を過ぎり、トアンは思考をとめざるを得なかった。
深呼吸し、ゆっくりと記憶の糸を手繰り寄せる。
(そうだ、シアングだ。シアングが、オレたちに剣を向けたことと──その湖の光景を見たんだ。それから──それから……)
それから、何を見たんだろう。
手繰り寄せた記憶の糸はぷっつりと途切れ、それから先は真っ暗だ。故意に切り取られたような記憶。……いや、気のせいかもしれない、夢見たのは、二つの光景だけかもしれない。
そうだ、そうに決まっている。トアンは暗闇から目を逸らすことにして、もう一度振り返った。が、それは直ぐに、夢から覚めるように心から消える。何故なら、トルティーの悲鳴が乾いた森に響いたからだ。
「トルティー!」
続く、コガネの声。トアンは顔をあげ、状況を視界に納めた。魔物だ! 鬱蒼と生い茂る茂みのような身体、のたくるツル。そして茂みの中から覗く一つの黄色い目──そしてそのツルは、トルティーの足に絡み付いて引きずり込もうとしている。
トアンは腰に手をあて、今更ながらはっとした。そう、武器を持ってきていないのだ。
「ど、どうしよう……そうだ」
カゴに入った栗を一つ掴み、魔物に投げつける。が、魔物はトアンをジロリと見ただけで、そのツルで叩き落としてしまった。
(身体を狙うんじゃダメだ……よし!)
振りかぶってもう一度投げる。コントロールには抜群の自信のなさのあるトアンだったが、二度目の攻撃は魔物の黄色い目に直撃した。
「ギエエエエエ!」
軋んだ声を上げて魔物がくしゃりと丸まる。トアンはその隙にトルティーを引っ張り出すと、一度は逃げ出そうとした。しかし魔物の怒りに燃える真っ赤な目がツルの隙間から見えるほうが早く、トアンは背を向けるのをやめて魔物とにらみ合った。その後ろで、コガネがトルティーに駆け寄ってしがみ付く。
「トアン」
震える声で、トルティーが言う。
「大丈夫だよ、オレが守るから」
「だって、武器がないでしょう」
「大丈夫だから」
根拠はない。それでも安心させるように、肩越しに笑って見せた。
「ちゃんと家に帰れるから」
「う、うん……」
「! トアンお兄ちゃん、あれ!」
「え? う、うわっ!」
コガネの悲鳴にトアンは前を向き、そして自分も悲鳴を上げた。今や魔物はそのツルを脱ぎ捨て、その正体をさらしていたのだ。
巨大なミミズのようにのたくる胴体は毒々しい斑模様にテラテラと光る赤い色。爛々と輝く赤い瞳。ぱっくり開けた口には鋭い牙がずらりと並び、大人でも一飲みにできそうだ。
ツルに絡まっていた頃とは明らかに大きさが違いすぎる。多少危険でもにらみ合う前に二人を連れて逃げていればとトアンは激しく後悔した。
「く……。何なんだよこの魔物……」
二人の子供を背に庇ったまま、じりじりと後ろに下がる。
魔物はエモノを狙う蛇と同じ目でトアンたちを見て、勝ち誇ったように咆哮した。そのまま身を仰け反らし、口を大きく開けると勢い良く襲い掛かってくる。
「シャ────!」
「!」
「お兄ちゃん!」
トアンは二人を庇うように身を屈め、来るべき痛みに覚悟をした。
「ギャアアアア──────!!!」
森に悲鳴がこだまし、ざわざわと梢を揺らした。
耳を劈くような悲鳴は、自分があげたのではない。痛みもない。トアンは一瞬、身体が麻痺しているのかと思いきやそうではないようだ。振り返って魔物を見て、あ、と息をのんだ。
「ギイイ!」
魔物が痛みに身体をくねらせる。不快な臭いの緑色の体液が、傷口からぼたぼたと地面を汚した。そう、悲鳴を上げたのは魔物だ。身体に刺さった槍が、まるで布に刺した針のように突き立っている。
「キキキキキ!」
それでも魔物はトアンたちに襲いかかろうともう一度身を反らすが、そのとき、ふんわりとした花の匂いがさっと通り過ぎた。トアンたちと魔物の間に影が割り込む。
「あっ」
「見るな!」
トルティーが安堵の声を上げた。トアンはさっと手を伸ばして二人の子供の視界を覆う。影は手にした巨大なカマで魔物の頭を刎ね飛ばし、叫ぶ。
「ウィル!」
「任せとけ!」
続いてさっと飛び出した人物が槍を引き抜き、未だ痙攣し蠢く魔物の頭部を貫いた。
「────────!」
声にならない悲鳴をあげ、魔物が絶命する。ビチビチと動いていた胴体も次第に動かなくなり、森に静寂が訪れた。
「ふー、びっくりした」
後から出てきた人物──背の高い少年が槍を引き抜くと、少年の手の中で長い槍は普通の剣のような長さの棒に姿を変える。少年はそれを腰にさし、トアンを見てふと笑った。
「起きたんだ」
「……。」
トアンは驚きで暫し声をなくした。背の高い少年の、まだ幼さを残す顔には見覚えがある。
「……何ポカンとしてるんだよ? 大丈夫か?」
「あの、人違いだったらアレなんですけど」
「ん?」
「まさか、ウィル?」
「そうだよ」
ははは、少年──ウィルは笑った。トアンはゆっくりと立ち上がってスッカリ成長した親友の姿をまじまじと見る。背はトアンより頭二つ分ほど高くなり、前をあけた上着の中にきているのは白のワイシャツとネクタイ。少しまとまりのなかった髪の毛は丁寧にカットされ、それがまた大人びた印象を与えた。
しかし、その柔らかな茶色の瞳は変わっていない。
「ホントに、ホントのウィル?」
「何疑ってんだよ。ほら」
ついとウィルが指差した先に、隣に大カマを突き立てたまま、腕を組んだレインが立っていた。レインはウィルとは違い背の高さはほとんど変わっていないようだったが、髪の毛が伸び、前髪をピンで留めている。チュニックのような服と膝下で縛ったパンツ、そして首もとにはあのチョーカーをしている。
「兄さん……?」
トアンの声にオッドアイがちらりと向けられたが、直ぐにそれはトルティーとコガネに戻された。
「ご、ごめんなさい」
レインが何か言う前にトルティーが口を開く。震えているその声に、トアンは子供たちとレインの間に割り込むと、代わりに頭を下げた。
「オレが連れてきちゃったんだ。この子たちは悪くないよ」
だからそんな怖い顔しないで。トアンはそういいたかったのだが、レインはふうとため息をつき、隣のカマに手を触れる。まさか殺されるのかとトアンは青ざめるが、カマはレインの手の中でしゅるしゅると黒い光となって収縮し、パッと花火を散らして消滅した。
──まあ、冷静に考えれば殺されるわけはないのだが。子供たちの怯えが伝わってしまったようだ。
レインはぐいとトアンを押しのけ、地面の上にしゃがみ込んでトルティーたちを視線を合わせる。
「兄さん」
「……最近の森は危ないから。二人で来ちゃダメだって、オレは言っただろう?」
「でも……」
「でも、も、ない。まったくもう……」
レインが手を広げると、コガネとトルティーは弾丸のような勢いでその中に飛び込んだ。あれ、なんだか自分は見当違いなことを思っていたのかとトアンは今更ながら思い知る。
二人が怯えていたのは、レインが怖かったからだ。しかしそれはトアンが考えていたような理由ではなく、『怒られる』という考えからだったようで。
「もう二人で来ちゃダメだぜ」
ウィルが二人に笑いかけると、二人はこくこくと勢い良く頷いた。
「トアン、悪かったな。うちの子供らが迷惑かけちゃってさ」
「ううん、全然──……うちの?」
「うん、うちの。」
「先生強かったねえ」
固まるトアンの目の前で、コガネがウィルの足にじゃれついた。
「レインさんもね」
トルティーがレインの手を握って笑う。
「え、ええと……」
展開についていけないトアンに、コガネが教えてくれる。
「トアンお兄ちゃん、この二人がコガネの家族だよ。先生と、レインさん」
「ええ────!?」
トアンの叫び声に、色づいた落ち葉がぱらりと落ちた。
「じゃあ、二人はもうずっとこの村に住んでたの?」
「そう。大体、一年ちょいかな?」
家に帰ってきたトアンたちは、リビングから見える庭にいた。ウィルは庭の隅にあった良くわからない機械に、イガのついた栗をカゴをひっくり返して流しいれ、カラになったカゴを機会の前においてスイッチを入れる。ウィーン、古めかしい音を立てながら機械は動き出し、カゴの中に熟した茶色の栗の実がぽこぽこと放り込まれていた。
「すごいや。これ、どうやって動いてるの?」
「電気の精霊のエネルギーさ。コガネ、ちょっとだしてやって」
「はあい」
ウィルの足にしがみ付いていたコガネが小さな指をふると、金色に輝くオーブがふわりと機械からでてきた。そしてそれは直ぐに機械の中へと戻っていく。
「コガネはちょっと不思議な力があってさ。精霊を呼び出せるんだ──燃料とかあんまりいらなくて済むから、経済的なことこの上ないだろ」
ウィルに頭を撫でられて、コガネは嬉しそうに胸を張った。トアンはすっかり感心してコガネと機械を見比べる。
と、機械が止まった。どうやら全て剥き終えたらしい。ウィルはカゴをひょいと持ち上げてリビングのガラス戸をあけ、それからトアンを手招きした。
「ついてこいよ。まずうちから案内してやるから」
「いいの?」
「いいさ。困る理由なんてないし」
ガラス戸から家に入っていったウィルを追う様にトアンは続いた。コガネは、と視線を送るが、彼女は庭の隣にある温室に入っていってしまった。
「ウィル、コガネが」
「あ? ああ、何か収穫してきてくれるよ」
「え?」
「あの温室は、オレが作ったちょっと特殊な野菜とか、果物とか、あと植物がジャングルになってんだよ。一応研究の成果さ。コガネはあそこが気に入ってるからさ、お気に入りの果物でも採ってきてくれるだろうよ」
からからと笑いながらウィルは言ったが、トアンはただ驚くばかりだった。ちょっと特殊な? 守森人の力が明確にはわからないが、温室の中はとてつもなく珍しいものばかりなのだろう。だから、種子が外に出て外の生態系を壊さないように、小さな温室に詰められているのだ、と考える。
恐らく正解だ。──ジャングルのようになっているのはウィルの管理が適当なのだろう。
「オレたちが入ってくと、さーっと道を開けてくれるから大丈夫。コガネも迷子にはならない」
「それより、研究って何のこと?」
「ああ、オレ、この村で教員やってんだよ。ついでに、植物学の研究者。」
さらりと言ってのけたウィルの発言に、トアンはガラス戸を半分跨いだ状態で目を丸くした。
「すごいね……職についてたんだ」
「当たり前だろ。生活費だって稼がなきゃなんねえし。──まあこの村じゃあんまり金は意味ないけどな。レインだって職業持ってんだぜ」
オレ一人でも困らせねえのに、といってウィルは笑うが、トアンは驚きを通り越してショックを受けていた。
……そんな、たったこの一年で。
いつも一緒に遊んでいた親友が一気にトアンを置き去りにして、大人への階段を駆け上ってしまったのだ──!
「……トアン?」
「……え?」
「なんだよ、どこ見てたんだ? 視線がおぼつかないぞ」
「あ、ああ、うん……大丈夫」
(そういえば、この家だってウィルたちのものだ。……なんだよこの成長! 羨ましい!)
表面上は笑いながらも、トアンの脳内では凄まじい速さで考えが展開していく。
ウィルの身長が急成長したのは、守る物ができたからではないか。この余裕。大人の考え。ああ羨ましい。くそう、オレだって──あれ? オレの守る物ってなんだろう。いやちょっとまて。ウィルの守る物って、あれ?
トアンの妄想がぎぎぎとさび付いた音を立てて止まるのを感じとったように、ウィルがテーブルの上のサンドイッチを食べた。
「あー、うまい。トアンも、ほら」
「あ、ありがとう」
「お前たちが起きるまで、毎朝レインがサンドイッチ作ってたんだぞ」
オレはブルーベリーそんな好きじゃないけどなあ、とぼやきながらウィルはもう一つ目に手を伸ばした。『そんな好きじゃない』には、見えない。
サンドイッチのトレーを片手に、廊下を歩きながらウィルが説明してくれた。
「リビングの隣が、レインの仕事部屋だ」
「兄さんって何の仕事してるの?」
「見れば分かるよ」
「……危ない仕事じゃないよね?」
つい冗談交じりにトアンが問うと、
「そんなことさせねえっての。信用ねえな」
と、ウィルが怒った口調で答えた。ごめん、トアンは謝り、ドアノブに手を伸ばす。
扉の中の世界は、トアンの期待を思いっきり裏切ってくれた。
「すごいね……おもちゃばこみたいだ」
六畳程の部屋の中には、ところ狭しと大小様々なぬいぐるみが並んでいた。クマ、イヌ、ネコ。それから見たことのない動物。さらに部屋の壁には可愛らしい服や色とりどりの布が吊り下げられ、部屋の隅にポツンとある机の上には数枚の紙が無造作においてあった。トアンはその紙を手にとってみる。──服のデザインだ。他の紙にも、服やぬいぐるみのデザインがしっかりと書き込んであった。
トアンの感想は正しい。おもちゃこそはないものの、おもちゃばこの中身をぶちまけて、その中身に埋もれてしまいそうな部屋。──それがこの部屋を表現するのに最も相応しいと思う。
「兄さんが作ったんだね?」
「そう。コガネとかトルティーの服も作ってるんだぜ」
あんまり触ると怒られるぞ、そういいながらウィルは毒のないウサギのぬいぐるみをそっと持ち上げた。
そう、色とりどりといっても毒があるわけではない。いくつかは少しダークなデザインのものもあるが、部屋にあるぬいぐるみの殆どはふわふわとした優しい色をしている。
「兄さん、手先器用だからなあ──あれ?」
ふとトアンの視界に、見覚えのあるぬいぐるみがうつった。棚の上に大事に置かれているものの、思わず背伸びして取ってしまう。
「これは──」
くたり、トアンの手の中で首を傾げているのは、見覚えのある黒猫のぬいぐるみだった。ただ、ものすごくくたびれていたぬいぐるみは、ものすごくキレイになっていた。取れかかった目のボタンは美しいビー玉のようなガラスの玉に変わり、深緑色の輝きを秘めている。
「アルライドさん──ううん、ガナッシュ。ウィル、これはどうしてここに?」
深緑の色。──アルライドと、同じ。
ウィルは少しだけ口ごもったが、ウサギのぬいぐるみをそっと降ろし、言った。
「トアンたちと別れた後、オレたちは自分たちの故郷を見ていくことにしたんだ。レインの村はもうなかったけど──」
トアンの手から、ウィルが黒猫を攫う。それは何事もなかったように棚の上に戻され、座っている。
「オレたちは、その後レインのもう一つの故郷にいったんだ。崩壊した洞窟の隙間から中に入って、このぬいぐるみを見つけたのさ。もうアルライドの魂は入ってないけど、レインは針を通すのを嫌がった。けど、まあ、ボロボロだったから──結局は直したんだけどな」
「そうなんだ……」
「行こうぜ、あんまりここに居ると怒られるからな」
ウィルに背中を押されるまま、トアンはレインの仕事部屋を後にした。最後に黒猫を見ようと首を回したが、黒猫はウィルの肩にかくれて見れなかった。
「一階はあと、風呂と、お前らが寝てた部屋と、子供らの部屋だな」
再び家の中を歩きながらウィルが言った。
「二階は?」
「ん?」
「二階は何があるの?」
「オレの書斎と、寝室。それだけ」
「ウィルの書斎か。見たいな」
「つまんないぞ?」
それでも見たい、というトアンの意見に、ウィルは少し迷ってから頷いた。
「本しかねえよ」
「それでも見たいよ」
「……うん、じゃあ、ま、いいけど」
本っつってもお前の好きなのじゃない、マニアックなヤツだよ? というウィルの言葉にトアンは好奇心には勝てないんだ、と返した。
────────
──ああ、見なければよかった。
「トアン、どうしたんだよ」
ウィルが心配そうに顔を覗きこんできたが、今はこの親友の顔をとても見たくないと正直にトアンは感じていた。
「別にやましいことはねえっての。聞いてる? ただ一緒に寝てるだけだって」
「いや……もうオレには……。ははは」
トアンはウィルの言葉を手を振って遮ると、壁を頼りに廊下を歩き出した。ウィルはそれを心配そうに眺めるが、やれやれと肩をすくめる。
この家の二階が原因なのだ。ウィルの書斎は問題がなかった。むしろ、植物に関する図鑑や書物、それから子供たちの心理学がずらりと並ぶ様子は圧巻だった。一応教師やってるんだし、それも勉強しなきゃなと勉強嫌いのウィルは言ってトアンを驚かせた。
問題はその正面──そう、寝室だ。なんとなくウィルの言葉の中に散らばったワードにトアンは気付いていたが、そこはあえて見ないふりをしていたのに。
リビングの大きさをそのまま持ってきたような広い広い寝室には、大きなベッドがたった一つ。
「……え、一つ?」
「うん、オレとレイン、一緒に寝てるから」
「ええええええええ!?」
「たまにコガネとかトルティーもここで一緒に寝るし、あとはセ……」
当然のようにいうウィルの言葉を一切聞かずに、トアンは衝撃の荒波に飲まれていた。そして先程の会話へと移っていくのだ。
「だからさあ、どうせお前のことだから、とんでもない妄想でもしてるんだろうけど」
「酷いやウィル。オレの兄さんに……いやむしろ君がそっちの気があるのが意外だったけど」
「おーい」
「別にオレは、そういうのに偏見とかもってないつもりだよ? でも、オレの兄さんなんだよ? それから親友のウィルだよ?」
「トアンさーん?」
「……ははは、この一年間、オレがこの家にいたとしたらハゲてたかもしれない」
「……。」
「コガネとトルティーっていう子供もいるしね、うん、幸せな家庭じゃないか。ああでも、オレは弟としてどうしたら」
「ダメだこりゃ。……お」
「父さんが見てなくてよかったね、いやもう本当によか……っ」
ゴイーン。
「痛い!」
突如後頭部に走った衝撃と鈍い音にトアンは頭を抱えて屈みこむ。その涙で滲む視界に、すらりとした細い足首が見えた。ゆっくり顔を上げていくと、フライパンを持って冷たい目を向けているレインがそこに立っていた。
「随分面白い物語が展開してるとこ悪いんだけど」
「……は、はい」
「下におりて来い、色々と聞きたいことがあるから」
冷水のように冷たい視線をトアンに向けレインは言う。トアンが固まっていると、ウィルがさっと間に入ってくれた。
「お前さあ、フライパンはないだろ」
「こうでもしなきゃ止まんなかった」
「……兄思いの弟じゃん。大目に見てやれよ」
「お前のことだって、コイツ、色々ブツブツ言ってたじゃねぇかよ。オレはそれが気に入らなかったんだ」
つんと顔を逸らし、レインは階段を降りていってしまった。
──逆にそれが、どれだけトアンを打ちのめしたかを知らずに。
「……ええと、トアン? ほら、下に行こうぜ」
「……『それが気に入らなかったんだ』だって。」
「トアン?」
ウィルは手を差し伸べたままカチンと固まった。ドロドロとトアンを取り巻く空気が淀んでいくのを感じ、伸ばした手をじりじりと引いていく。
「畜生もう見せ付けられたよオレだってオレだってオレだってさあ……っ」
チェリカー、とついに泣き出したトアンを見て、ウィルはふうとため息をついた。
(ああもう、なんだこの状況は……)
「それで、だよ。お前ら何やってたの?」
ミルクのたっぷり入った熱いお茶と、焼きたてのマロンパイ。それと一抹模様のクッキーを真ん中に、トアンとウィルとレインの三人はテーブルを囲んでいた。
「? 何やってたのって……」
ウィルの問いの意味が良く分からず、トアンは聞き返す。ウィルは眉を寄せてレインを見るが、
「あ、お前ジャム入れるか」
「あ、うん。お願い兄さん」
レインはトアンのカップにジャムを落としているところだった。
「レイン」
「ああ、悪い」
ちっとも悪びれない声でレインは謝ると頬杖をついてトアンを見る。
「いつ聞こうかいつ聞こうかって思ってたんだけど……湖の辺で倒れてたじゃねぇかよ。しかもずぶぬれで。この時期に水泳大会でもしてたのか?」
「……湖の、辺……。」
あの光景のことだろう。トアンはカップに目線を落とした。
「……オレも、良くわからないんだ。そもそもどうしてこの世界に戻ってきたのか……」
「この世界?」
「うん。オレたち、フロステルダに居たんだ。……何から話せば、いいんだろう」
トアンはぼんやりと記憶を辿る。森の中で思い出していたはずのことは、もう記憶の海に沈んでしまった。
ウィルとレインは何も言わず、トアンの言葉を待っていた。その目は、旅をしていたときの二人の目だ。
「ええと……」
混乱した記憶の直前を思い出す。
トトがトアンたちを抱えて谷に飛び込んだ。
雨が降っていた。
──どうしてそんなことになったんだっけ?
『……いいや?』
「──そうだ……シアング、が」
声が震えた。大丈夫、まだ泣いてはいない。
「シアングが、オレたちに、ルノさんに剣を向けたんだ。仲間じゃないって、そう言って」
「おい、どうした」
「何を言ってる?」
「嘘だったって、そういって──それで、それで、逃げるために谷に飛び込んだんだ……後はわからない、わからないけど──」
「トアン……」
ウィルが気遣うように身を乗り出すが、レインは目を細めてそれを制した。
「レイン?」
「仲間じゃねぇってどういうことだ? アイツがそういったのか?」
答える代わりにトアンは頷く。ああ、どうして今の今まで忘れていたのだろう。忘れることができたのだろう。
「……。全部、話してくれ。落ち着いたらでいいから」
ウィルがそう言い、レインと目を合わせ、それからレインはトアンの掌にカップを置いた。
温かいその感触は、あの雨の晩とは正反対だった。
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