第9話 シアング
「……そうか、エアスリクが、ね」
食事の後、トアンたちはシアングに二階の突き当たりの部屋へと案内された。部屋はとても広く、西の窓の外は断崖絶壁、東の窓からはこの城の庭、城に続く長い道、そして城門。さらに城門の外の崖の上に架けられた橋、それからトアンたちがはじめにたどり着いたあの廃墟が、深い森の向こう、はるか遠くにぽつんと見えた。
シアングは個別に部屋を用意してくれるといったのだが、トアンたちはそれを断り情報を求めたのだ。──トアンはこの広い城が妙に馴染めなかったので一人部屋は正直ゴメンだった。口に出していうことも原因がわからないから失礼だと思い、この突き当たりの大きな部屋をシアングが紹介してくれたときはほっとした。
十分広い部屋だったが、寄り添うようにベッドが四つ置いてあったから。
「多分ジジイの言ってるなんとか卿ってのは、エルバス卿のことだろうな」
「知っているのか?」
ルノの顔が輝く。が、それとは正反対にシアングは曇った顔を横に振った。
「あぁ。……でも、エルバス卿は数年前に病死したんだ」
「病死……?」
「あぁ」
「じゃあ、チェリカは? エアスリクのヒトたちはどうなるの?」
肩を落としたルノの代わりにトアンが問う。必死なその様子にシアングはうんと頷き、壁にかけてあった地図を四隅を破って剥がし、ばさりと広げて見せた。
「ここがベルサリオ。で、ここがエルバス卿の住んでた場所だ」
シアングの無骨な指が、ベルサリオの北を示す。距離はそんなに遠くはない。
「エルバス卿が死んで……トト、羽ペンとって」
トトがペンを差し出す。シアングはくるりとペン先を回し、先程指していた場所にバツ印をつけた。
「ここにあった屋敷は廃墟になってる。でも、エルバス卿亡き後を継いだ助手が──」
すい、羽ペンが真っ直ぐ線を引き、そのまた北の、ある街のところで止まる。
「ここ、フリッサで研究を続けているらしい。エルバス卿とは違って良くない噂もまったく聞かないから、多分いいやつなんじゃねーの」
だから、まだ方法がなくなったわけじゃあ、ない。シアングはルノの頭に手を置くと、丸めた地図をトアンの手にぽんと渡した。
「持ってけよ」
「あ、ありがとう!」
良かった、まだ何もかもダメになったわけじゃなかったんだとトアンは喜び、地図を鞄にしまった。
「……シアング」
ふと、ルノが呟く。
「ん?」
「一緒に来ては、くれないのか?」
「あぁ……ごめん。」
「……いや。お前も忙しいのだろうし、謝る必要はない」
「ありがとう。がんばれよ、応援してっからさ」
「うむ」
ルノとシアングが握手を交わす。ホントは我慢しているのが良く分かったが、ルノは笑う。
「こちらこそありがとうな」
「全然構わねーって。じゃ、オレ行くよ。何か欲しい物あったらその辺にいるメイドに頼んで」
するり、手が離れてシアングの姿はドアの向こうに消えてしまった。
──離れて、しまった。
────────
「とりあえず、良かったんですよね」
ベッドに腰掛けたトトが言う。
「まだ何もかもが潰えたわけではなくて。シアングさんはいいヒトですね」
「うん。……でも、できれば一緒に来て欲しかったよ」
「強そうですよね」
「強いし、料理もうまいし、優しいし。オレ、前の旅だとシアングに随分助けられたんだよ」
トアンはそういって笑いながら、鞄に入っている地図をちらりと見た。──本当によかった。
「明日にはここをでよう」
「いいの? ルノさん」
「あぁ。ここで無意味に時間を潰すわけにはいかないだろう? シアングも忙しそうだし、これ以上ここにいる理由はなくなった」
ばふ、ルノが壁際のベッドに倒れこむ。
「悪いな、少し、眠い……」
そういって毛布に潜り込んだルノは壁を向いているので顔が見えない。トアンとトトは顔を見合わせ、其々ベッドに入った。まだ眠るには大分早い時間だが、明日のことを考えたら少しでも寝ていたほうがいいだろう。……食事を終えた辺りから、強烈な眠気がトアンにもきていることもあるが。
「おやすみ、トトさん、ルノさん」
返事は聞かなかった。不思議なことに、その言葉を発した直後、トアンの目の前はすっと暗くなったのだった。
雨が降っている。
雨が降り続いている。
頬を伝うそれは、まるで──……
トアンは唐突に目を覚ました。今が何時かはわからないが、カーテンを開け放ったままの窓から見える外はとっぷりと黒の絵の具に浸かったように暗い。ザアア、音と窓を叩き付ける水の滝に、トアンは外が雨だということを知った。
しん、静まり返った室内を見渡し、すっかり冴えた頭を掻く。トトとルノはまだ眠っているようだ。二度寝はできそうにないので、トイレにでも行くことにした。音を立てないようにベッドから降りる。
廊下にはランプがゆらゆらと揺れ、儚い光を漂わせていた。トアンはトイレを済ませ、部屋へ戻ろうとした。が、ふとヒトの声を感じて足を止める。
「……起きないだろうよ」
「あーあ、メンドクサイなあ。なんで夜勤なんか……ふああ」
扉が少し開いている部屋から明かりが漏れている。
「欠伸ばっかりするな」
「すいませんねー」
「王の命令だぞ。俺たちは王に従うのが役目なんだ」
会話の内容から察するに、兵士だろうか? 寒気を感じたトアンは足を動かそうとし、再びとめた。会話の内容が、自分たちを指していると気付いてしまったのだ。
「そりゃそうですけど。あの三人、どうして始末しなきゃいけないのかなーって。氷魔の可愛い子もいるのに」
「その可愛い子が原因なんだ」
(始末って──!?)
考えるより、足は動いていた。
「トトさん、ルノさん! おきて、早く!」
部屋に戻るなり、トアンは小声で囁きながら二人を揺り動かした。
「んう……な、なんですかあ?」
「早く支度して! ここを逃げなきゃ! さっき兵士たちが、オレたちを殺す話をしてた!」
が、トアンの必死な呼びかけを聞いている最中にもトトの瞳はとろんとしていき、その瞼は閉じられてしまった。
「うるさいよ……プルート……もう少し寝かせて……。」
「プルート? トトさん、寝ぼけてるね!?」
「ごめん……君の蒸しパン食べたの……俺だよ」
「うー、どうしよう。寝起きの悪さは兄さん並みだなあ」
むにゃむちゃと不明瞭は言葉を呟くトトを前に、トアンは完全に頭を抱えた。と、そのとき視界の端に、なにかきらりと光るものを捉える。シアングのバンダナがずれ、服の間からネックレスが覗いていた。
「……、あれ?」
ネックレスの先の指輪が、寝返りをうった際にコロリと転げ出た。以前はよく見えなかったが、暗闇の中といえど闇になれた目はその形をハッキリと映し出す。
──それは、レインの指輪と良く似ていた。
無意識に手を伸ばし、マジマジと覗き込もうとした瞬間──
「!」
突如トアンの手を払いのけ、トトが身を起したのだ。
「あ、ご、ごめんなさい」
「いや、オレの方こそ──」
「何ですか? まだ夜ですよね」
どうやら今ので彼の目はスッキリと冴えたようだ。
「そ、そうだった。さっき聞いちゃったんだよ、城の兵士たちが、オレたちを殺そうとしてる」
「ど、どうしてでしょう」
「わからないよ。とにかく逃げよう」
押し殺した声でトアンは告げる。トトがこっくりと頷いてくれたので、今度はルノを起こしに掛かった。
「ルノさん」
「……。」
ルノの瞳は、開いていた。──寝ていなかったのだろうか。
「ルノさん、逃げなきゃ」
「聞いていたよ。でも、信じられないんだ……。」
「気持ちはわかります」
トトが窓を開け放つ。途端に強い雨が吹き込んできたが、トトは気にせず目を細めて暗闇を見渡した。
「けれど──トアンさんの言ってることは、恐らく本当です。夕食の飲み物には睡眠薬が入っていました」
「何!?」
「微かですけど、味がしたんです。お二人の眠気は、即効性ではない薬の所為でしょうね」
「……しかし、理由がないだろう?」
ルノの瞳に、困惑と悲しみが過ぎった。
「シアングがどうして、私たちを」
「……。わかりませんが──」
トトはシーツを引っ張って外すと窓枠からたらし、直ぐ下のベランダに届くようにする。
「ここに居るのは危険です。それに、橋が上げられたら、俺たちはこの国から出られなくなってしまいます」
だから。
「……行きましょう」
トトは鞄を肩からかけると、シーツは使わずにひょいと飛び降りた。ズシャ、僅かな水音の着地音がする。トアンは未だ動けないルノの手を引くと、シーツを握らせた。自分はもう鞄を背負い、意思は明らかにしていた。
「トアン」
「何かの誤解かもしれない。──でも、兵士たちが気付かないうちに逃げなくちゃ」
ね。トアンの言葉に、ルノは泣きそうな顔で頷いた。
────────
ベランダに降り、屋根の上を伝って傍にあった木に飛び移る。トトはスルスルと身軽に移動し、ちょいちょいと手招きする。
「大丈夫ですか? ほら、手を。」
口調は丁寧だが、ルノが伸ばした手をつかむその掌は頼りになるように思えた。シアングの手の大きさ、温もりをほんの少しだけ思い出す。ルノは目をつぶって首を振ると、えいと屋根から飛び移った。
「トアンさんも」
トアンの身体もひょいと雨の中を飛ぶ。
「ありがとう」
「いいえ」
笑顔で答えながらトトは枝を頼りに、地上へと降りていった。ルノとトアンもそれに続き、濡れた庭園に足をつける。ちらりと城を振り返ると、パッパッと明かりがついていき、雨音の中兵士たちの足跡と怒声が聞こえた。
「オレたちがいなくなったことに気付いたみたい」
「ええ……行きましょう」
足の速いトアンがルノの手を引き、トトがしんがりを勤めながら丁寧に手入れされた庭園を走り抜ける。──城門を抜け、雨の街に三人の足音が響いた。
漸く門が見えた。良かった、まだあいている。あそこを抜ければこの国から出られる。
「あと少し……! う──わあ!」
トアンは息を切らせながら叫んだ拍子に、濡れた石畳に足を滑らせた。片手にルノの手を握っていたため手をつくことができず、後頭部をしたたかに打ち付ける。
「大丈夫か!?」
ルノ自身バランスを崩したのだがそこはトトが支えたらしく、転ばなかったようだ。
「だ、だいじょうぶ──いてて」
「門はもう直ぐそこです。とりあえず一端──」
トトがルノとともにトアンを起こしながら言う。が、その言葉は不自然に途切れることになった。
「トト?」
ルノが訝しんで訊ねる。
トトの目は、今トアンたちが走ってきた道を見ている。降りしきる雨の所為で視界は良くないが、その向こうの闇を。
トアンは立ち上がってトトの見ているほうを見た。ルノも、それに続く。
ザァアアア──……
バケツをひっくり返したかのような雨の所為で視界がとても悪い。天空の水のヴェールは、今や生きているかのように脈打って大粒の雨を降らせていた。
ザァ──……
雨の音が、耳の中を満たしている。──いや、違う。雨だけでは、ない。
ザアアアア──……
──ツ、……ン、カツ……
ザァアアアアア──……
──ン、カツ、カツン。
足音だ。土砂降りの雨の中でも響く、ブーツの音。
──曇った視界に、赤紫色が滲んだ。トアンたちは呆然とその場に立ち尽くし、その人物の接近を待っていた。
「……シアング?」
ルノの声が、雨に押しつぶされそうになる。
シアングはそれに応えずに、トアンたちの数歩前で立ち止まった。
(なんだろう)
トアンはちろりと胸騒ぎが舐めるのを感じ、反射的にルノとトトを守るように手を横に出した。
(シアングじゃ、ないみたいだ──)
シアングはそんなトアンの心を読み取ったかのようにフッと笑い、目に掛かる前髪を掻き上げた。
「薬がそんな早くきれるとはね。兵士長たちが大慌てでこの国を駆け回ってるぜ」
「どうして?」
「何が?」
「どうしてオレたちを殺そうとするの? ゼロリードさんは、何を考えてるんだ?」
「さあ、オレにはよくわからないね」
「だが、」
トアンの代わりにルノが続けた。
「こうしてここにきたのは何故だ? 私たちを、助けてくれるつもりだったのだろう?」
ルノの問いは、願いが籠められている。そうであって、ほしいという。が、その問いにもシアングは答えずに、金色に光る目を細めた。
「答えてくれ!」
搾り出すようにルノが叫ぶ。シアングはつと暗闇を振り返り、他の兵士たちの気配が遠いことを確認する。
「仮にも追われてるなら無闇に叫んだりするなよ」
「どうせこの雨だ。それに、私たちが逃げるところはこの門しかない。」
「屁理屈を言うやつになったな、ルノ」
「答えになっていない……!」
「……。」
ルノの声が揺らいだ。シアングはひょいと肩をすくめると、どくんどくんと波打つ空を見上げ、ぽつりと呟いた。
「雨の日だった。」
「……え?」
「あの時も、今夜みたいに大雨の日だった。まあ上の世界だし、空はただ雲に埋もれていたあの夜に──」
シアングの声は雨の音にかき消されてしまいそうだ。どこか崩れそうな、ウツロな声。
「オレは、妹を殺したんだ」
「な──なんだって……?」
カラカラに乾いたルノの声が、濡れた空気を通り抜ける。
「シアングの──ルナリアは、人間に殺されたんじゃ」
トアンが呟くと、シアングは首を振った。
「ルナリアを殺そうとした人間ごと、オレが殺したんだよトアン」
空を見上げていたシアングが前を向く。その金の瞳に宿っているのは憎しみでも悲しみでも怒りでも、なんでもなかった。
「……折角だ。ルノ、どうしてオレがずうっとお前の傍にいたか教えてやるよ。」
「……え?」
ルノの手が、トアンが伸ばした手を掴む。──震えている。ルノも、そして、トアンも。
ほんの数時間前、トアンはトトにいったあの言葉を必死で思い出した。優しかった。強かった。頼りになった。──仲間。
「エアスリクにずっと留まって、オレはずっとお前の隣にいたよな。あれ、お前を守るためとかそんなんじゃねーんだ。オレは命令で、お前をずっと『監視』してたんだよ。エアスリクに生まれた禁忌の子。それがどれだけの危険性をもっているか。利用できるのか。闇の魔力は受け継いだのか──」
暗い金の瞳が、爬虫類の瞳にトアンには感じられた。
「監視を続けて、やがてお前を巡って旅が始まった。オレはお前を守っただろう。死なれちゃ困ったからな。ところが旅を続けるうちに、お前ではなく、お前の双子の妹が本当は真の闇の魔力を継いでいた。」
シアングは淡々と続け、ルノの表情をみてため息をつく。それはルノを心配してのものではないとトアンにはわかった。メンドクサイ、彼はそういう代わりにため息をついたのだ。
「……お前が好きだった優しいシアングなんて、ホントはただの作り物なんだよ」
「…………嘘だ」
ルノの瞳から零れたのは、涙か雨かわからない。しかしルノはトアンの腕を痛いほど握り締め、震える声で否定をした。
「嘘だ」
「オレはお前たちと別れたあと、ベルサリオに戻って報告をした。その結果、お前はどうやら雷鳴竜にとって邪魔な存在になると判断された。エアスリクが石化したことはオレはよくしらねーが、お前はノコノコとここまでやってきた。」
手間が省けたよ。
「……、うそだ」
「……。はは、」
シアングは口の端を持ち上げて笑い、腰の剣をスラリと抜いた。剣は禍々しい光を放ちながら、その切っ先をルノに向ける。
「これでもまだ、嘘だ、なんて言ってくれるのか」
「──ッ」
ルノは片手で顔を覆った。小さな嗚咽は雨の音に消され、容赦ない雨粒さえもルノを追い詰めた。
「……シアング」
呆然とトアンが呟く。
「オレたち、仲間でしょ?」
「……。」
「ルノさんとだって、ずっと友達だったんでしょう?]
「……いいや?」
シアングはそういうや否や、剣を振り翳した。その途端、トアンとルノの身体はトトに引っ張られ、門を抜ける。橋を渡るのではなく、橋の架かった深い谷に、トトはトアンとルノをしっかりと抱きかかえたまま身を躍らせた。
「海鳴の指輪よ──!」
ぐんぐんと近づいてくる水面に向かってトトが叫ぶ。谷底の水はその声に呼応するように吹き上がり、トアンたちを包み込んだ──……
「シアング様!」
漸く追いついた兵隊長が、ゼイゼイと息をしながらシアングの隣に立った。がちゃがちゃと街に響いていた鎧の音が静まっていく。
「あの三人は……?」
「逃げられた。」
シアングは土砂降りの空を見上げたまま、兵隊長を見ずに答える。
「……シアング様」
「わかってる。罰は受ける。──先、戻っててくれるか」
「は」
男はくるりと踵を返すと、石畳の街の暗闇の中を走っていく。直ぐに大勢の足音が聞こえたから、近辺まできていた兵士たちも城に引き上げていくのだろう。
シアングは一人、空を見上げ続ける。身体はすっかり雨に体温を奪われていた。
「──寒いな」
大粒の雨がシアングの瞳に落ちた。瞬きすると、頬の上をゆっくりと滑っていく。──それは、まるで。
「……ルノ……」
──まるで、涙のように。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます