第7話 生きながら、行きながら。





 ──待ってた。




『必ず帰ってくるから』

 俺も一緒に行く! 俺だってもう、戦えるんだ!

『……いい子にしてるんだぞ』

 嫌だよ、嫌だ、行かないで。

『ダメだ。……お前はここで、あの子を守っててほしいんだ。お前がいなくなったらあの子はどうなる? お兄ちゃんだろ?』

 ……うん。

『大丈夫だよ。オレたちが約束破るわけないだろ』

 ……。わかった。待ってる。約束だよ。だから、

『必ず、帰るから』

 待ってる。──いい子にして、ずっと待ってる。


(最後に見たのは、二人の後ろ姿と、やけに眩しい太陽だった。……約束した。でもそれなのに、二人は帰ってこなかった)

 手を伸ばしても、遠ざかる二人には決して届かない。


 そんなこと、わかってる。

 ──ずっと待ってたから……。




「!」

 漆黒に塗りつぶされた世界で、トアンは素早く周囲を見渡した。視界に焚き火が飛び込んできた途端、胸を覆っていた不安がしぼんでいくのがわかった。

「……今の、何の夢だろう」

 ──つた。

「あれ?」

 毛布を握り締めた手に、水滴が落ちた。雨か、と思ったが違う。──涙だ。

「あれ……どうしたんだろ」

 はは、と一人苦笑しながら涙を拭った。怖い夢や不安な夢を見ると、泣きながら目を覚ますことは多々あった。──今回も、きっとそうだろう。

 涙を拭ううちに頭が落ち着いてきて、トアンは改めて周りを見渡した。

(ええと……そうだ。)


 フロステルダにやってきて、もう五日経っている。アールローアにはいなかった強い魔物たちとの幾度にわたる戦闘で、トアンたちは疲労困憊していた。そんなトアンたちを見かねた運の女神の微笑みが、商人の馬車とめぐり合わせてくれたのだ。

 馬車、といっても、アールローアの馬とは少し違う、柔らかな体毛に覆われた四足の獣が引く車で、手綱を取る商人は若い男だった。だがその若い男性もただの人ではなく、ぴんとたった獣の耳を持った魔族だ。──シンカやリクのような。

 男性は自分もベルサリオに商品を仕入れにいくのだといって、疲れ果てていたトアンたちを快く拾ってくれた。……しっかりと運賃は取られたが。まあ、大した額ではなかったし、アールローアと通貨が同じということが分かったので問題はない。

 ベルサリオへの道のりは、かなり楽なものになった。昼間は通り過ぎる景色──といっても殆ど森しかないが──を落ち着いて眺めることもできるし、夜は商人が魔物避けの結界を張ってくれるので焚き火にゆっくりと当ることができる。元居た世界とあまり変わらない森の姿に、トアンは熟睡を誘われ、ルノとトトもまた安らかな寝息を立てている。──それなのに。

(変な夢だ)

 目の前には、明日にはベルサリオにつくと商人から聞いて安堵の笑みを浮かべていたルノが眠っている。


(オレも寝ないと──あれ?)

 漸く、焚き火の傍で番をするといっていたトトの姿がないことを知る。夜空を見上げればまだ夜明けまで時間はありそうだ。

(……どうせ寝れないんだ。トトさんを探しに行こう)

 もしかしたら、彼もまた不思議な夢を見たのかもしれない。生まれて初めて、すぐ傍にいる夢幻道士の存在にトアンは、俺もです、といって欲しかった。




 トトの姿は直ぐに見つかった。結界内の、一番端っこの、本当にギリギリなところに立つ木にもたれ掛っていた。

 良かった、起きている。

「トトさ……!」

 だがしかしトアンの声は、すぐに停止する。──トトが何か喋っているのだ。なんとなく無意識に、トアンは聞き耳を立てていた。

(誰もいないのに……?)

「……明日には、ベルサリオに着くって」

 優しく語り掛けるトトの声は、到底独り言とは思えない。

「会いにきたんだよ、俺」

「ぴゅい」

(ユーリ?)

 トトの言葉に同意するように、ユーリが小さく囀る。どうやらトトの会話の相手はユーリだったようだ。

「殆ど幸運の話だけどさ。……ベルサリオに雷鳴竜の拠点があるといいな。そうしたら、『兄ちゃん』に会えるよ」

「ぴゅるるる」

「……君も、トアンさんの姿を見ただろ」

「ぴゅい」

「全然『そんな風』には見えなかった。──変わっちゃった理由を探さなきゃ、キークさんに申し訳がないけど……。」

「ぴゅい……」

 ごし、猫が擦るようにユーリが頭をトトの足に擦り付ける。途端に曇っていたトトの表情が笑みに変わった。

「ああ、ごめん」

「ぴゅ」

「……寒いだろ? おいで」

 トトの膝の上に飛び乗ると、ユーリはくるりと丸くなってしまった。トトはその毛並みを優しく撫でながら、夜明け前の空を見上げる。

「一緒に来てくれてありがとうな」

「ぴゅい」

「おやすみ、コガネ」


 トアンは物音を立てないようにそっとその場を離れた。眠っていた場所まで戻ると、とりあえず寒さから逃れるために毛布を被る。頭まで被っても、その頭の回転を止めることはできなかった。

(『兄ちゃん』? コガネ? 『そんな風』って──何?)

 盗み聞きしてしまった後ろめたさから、面と向かって問うことができない。

(トトさん──あなたは一体、何者なの?)


 それすらも、問うことはできなかった。


────────


 ベルサリオは雷鳴竜の城があると、商人の男が教えてくれた。むしろ逆に、今更ながら確かめるように問いかけたトアンたちをみて、あんたたちはそんなことも知らないのかい、という顔をしていたから、雷鳴竜がいるのは確実なのだろう。

 トアンは、焔城や深水城のような城を想像していた。焔城ほど寂しく、深水城のようにたくさんの召使いに囲まれた城。──それなのに。

「じゃ、ここでお別れだな」

「あ、ありがとうございます」

 ここまで乗せてもらって、かなり助けてもらった商人との別れの挨拶もうわの空になってしまった。商人は気にせずに、一礼して人ごみの中に消えていく。──そう、人ごみだ。

「すごいヒトですね」

 大きな門を潜り、きょろきょろと興味深げに辺りを見渡しながらトトが言う。トアンはそれに何とか頷いて同意すると、ルノを見た。ルノもトアンを戸惑ったような目で見返す。

「……驚いた」

「オレも」

「シアングはこんなこと、一言も言っていなかった──……」

 トアンたちの前に広がるのは、石畳でできた大きな街。様々な人──ヒトがごった返す市場、色とりどりのレンガで丈夫に建てられた家。そして目の前の大通りを直線の先に、捻じ曲がった、奇妙なトグロのような漆黒の城が聳え立っている。その円の形をした街の周りには、高い壁が街を守るように囲っていた。

 ここは、王都ベルサリオ。

 ──雷鳴竜の王国である。



「こんな大きな、『国』だったなんて……。シアングは会ってくれるだろうか」

 城に続く道を歩きながらルノが呟く。彼の直ぐ隣をすれ違う人々は皆普通の人間の姿はしていない。魔族だ。ルノはまだいいとして、トアンとトトは少し浮いているかと思われたが、上の『人間』たちとは違い、魔族は外見なんて殆ど気にしないようだ。彼等自身が獣の耳だったり角だったり尾だったり鱗だったりをもち、同じような種族は少ない。だからトアンとトトも、ちょっとばかりつるりとした種族、としか見られていないのかもしれなかった。

「大丈夫だよ」

 とルノを励ますものの、トアンもあまり自信がない。案の定城の門の前は謁見を求める人々が長蛇の列を作っており、城への道のりは遠そうだ。

「うわあ……宿取ってきたほうが良かったかなあ」

「う……」

「大丈夫じゃないですか?」

 一番身長の高いトトが、目を細めていった。

「門番の横に沢山のヒトがいます。あのヒトたちが謁見を求めているヒトたちの希望や願いを王の代わりに果たしているようですよ」

 トトの言葉が終わらないうちに、するすると列は動き出した。丁度、トアンの横を謁見を終えたらしい若いカップルと思われる魔族が通り過ぎた。彼等は「眠る前にホットミルクを飲むと良く眠れるんだって。これで不眠症が治るね」といって笑いながら行った。その次に通った老夫婦は、「半身浴は身体にいいらしい」といいながら歩いていく。──どうやら、この列の殆どはあまり深刻な願いで謁見を求めているわけではないらしい。気軽に相談をしにきていたようだ。

「なんか随分親しまれてるんだなあ……」

 トアンが思わず呟くと、ルノも頷いた。

「人がいいのかもしれないな」

 そう話しているうちにトアンたちはどんどん前に進み、あと一組で門番の男の元にいける。どうやら門番の男に簡単に用件を告げるとその横にならぶ其々の専門家のところに案内され、そこでしっかりした相談をするシステムになっているようだ。トアンたちの前にいる女性は、門番に子供にピーマンをどうやって食べさせたらいいかと相談し、一番左から二番目に立つ、料理人の格好をした男へと案内された。──どうやら、アイディア料理を伝授してもらうようだ。

「では、次の方」

 門番というよりは学者のような、眼鏡をかけた青年が言う。トアンは一歩進みで、青年の前にたった。

「おや、人間か。珍しい」

 青年はトアンを人間だと見抜き、しかし何も動揺せずに続けた。やはり、外見による差別は魔族にはないようだ。

「あ、あの」

「どうした、用件を言え」

「それが……その、雷鳴竜にあわせて欲しいんです」

「何?」

 ぴく、神経質そうな眉毛があがる。

「……雷鳴竜様は現在、とても多忙に過ごしておられる。そもそも雷鳴竜様に謁見を求める者はとても多いのだ。だから、こうやって城のものが代わりに対応している」

「でも、大事な用なんです!」

 トアンたちの後ろにならんでいる男が咳払いした。──遅い、ということなのだろう。しかし青年の口調は丁寧に続けられた。

「そうだろう。此処に来るものは、他人からみたらどうであれ重要な用件を抱えてやってくる。特別扱いはできない」

「そんな……」

 引き下がろうとしないトアンの肩を、そっとルノが掴む。その表情は暗く、首を横に振っていた。無理だ。瞳が告げる。諦めきれないトアンはもう一度門番を見た。

「悪いな。──来月先まで予定は埋まっておられる。雷鳴竜様に無理をさせるわけには」

「わ!」

「まあ確かに特別扱いはするなとは言ったけども、俺は可愛い子を悲しませろとは言ってない。第一、こんなに可愛い氷魔の子と話ができるのはいい息抜きになる」

 突如聞こえた低い声とルノの悲鳴にトアンが振り返ると、一人の長身の男がルノを横抱きにして立っていた。黒紫色の髪の毛が猛禽類のような金の瞳にかかり、尖った耳には金のピアスが並んで光っている。金糸の刺繍がされたマントと上等そうな布で作られたズボン、そして、褐色の肌。

 この人だ、とトアンは直感で感じ取る。

「王!」

「ラゼル、お前の仕事ぶりには感謝する。ま、ちょっと休憩だ。この三人を城にいれてやる」

 そういうなり、男はルノを抱えたまま頑丈そうな扉を開けて城の中に入っていってしまった。その場に取り残されたトアンとトトは顔を見合わせ、それから城の中に駆け込んだ。


「お帰りなさいませ雷鳴竜様」

「おう」

 ルノを抱えたまま男は大股でずんずんと城の中を歩いていく。足も長い上に早足で大股。トアンとトトは小走りになりながら二人を追う。通り過ぎるメイドや執事、それとトアンにはよくわからない制服の者たちが、男とすれ違うたび立ち止まって頭を下げた。

「ふえー、綺麗ですね」

 トトが城を見渡して呟いた。トアンも同感だった。焔城とは違い、この城はシンデレラが憧れたパーティーをいつやっても大丈夫そうな、煌びやかな内装だ。エントランスの上には眩いばかりに輝くシャンデリア、大理石の柱。足元にはビロードの絨毯が敷き詰められ、窓枠は黄金でできている。

 男がたどり着いた部屋は、先程の城内よりも優雅で威厳に満ちていた。段差の低い階段の先にある玉座までたどり着くと、漸く男はしゃがみ込んでルノを降ろす。それから自分は玉座に座り、面白そうにトアンたちを見渡した。

「悪いね、頭の固い門番で。我がベルサリオに一体なんの用事かな? 特に、氷魔のお客様なんて珍しい」

 動こうかどうしようか迷っていたルノは、間近でその瞳に見抜かれて身体を強張らせる。

「ゼロリード様」

 と、入り口に控えていた一人の執事が男に耳打ちをした。男はうんうんと頷くと、執事を下がらせる。ルノはその隙に段差を降りて、トアンたちの横まで下がった。

「……やれやれ、そんなに警戒しなくていい。俺は別に、お前さんたちをどうしようって訳じゃないんだ。紹介が遅れたが、俺はゼロリード。ベルサリオの王で、現雷鳴竜だ」

 困ったように苦笑するその笑顔は、トアンたちの、特にルノの緊張を解した。ルノは今更ながらにローブをつまんで会釈をし、頭を下げる。

「……すまない、失礼をした。警戒していたわけじゃなく、この城に圧倒されていただけだ」

「ふんふん」

「王、こちらが先に名乗るべきだった。度々の非礼を許して欲しい。私はルノ。隣がトアン、トト。」

「ルノ?」

 男──ゼロリードが目を丸くして頬杖をつく。さらり、額の髪が流れてその下にある印が見え隠れした。

「エアスリクの子か」

「そうだ」

「成程──……じゃあ、お前さんは男の子だったのか」

「そう、だが?」

 ゼロリードは残念そうに、ふうとため息をついた。どうやらエアスリクの禁忌の子、ルノの存在を知っていたようだ。──しかし、ゼロリードの次の言葉は彼の品格を台無しにした。

「なあんだ。氷魔と寝れるなんて初めてだったから、是非夜伽に誘おうと思っていたのにな」

「なっ!」

 あまりの言葉にルノが顔を赤くして身を引くと、ゼロリードはからからと笑う。

「冗談だ。俺に男を抱く趣味はないが──……意外に良いとは聞く。今晩どうだいルノ?」

「お、お断りだ!」

「ははははは」

 玉座の上で爆笑している男を見て、ルノが両手で顔を覆った。呆れるやら恥ずかしいやら悔しいやら、訳がわからなくなってしまったのだろう。トアンが何か言葉を掛けようと手を伸ばすと、突然城内が騒がしくなった。閉じられている扉越しにも声が聞こえる。

「何事でしょう?」

 今の話題をケロリとした表情で聞いていたトトがゼロリードに訊ねる。全く動じていない彼を見て、トアンはますますトトが何者なのか気になった。

(どんな教育を受けてきたんだろう……)

「さっき執事から連絡があってな。どうやらアイツが帰ってきたらしい」

「アイツ?」

 ゼロリードの瞳が細められる。

「もう来るさ。──俺の息子だ」

 彼の言葉が終わらないうちに、背後の扉が開かれた。

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