第6話 覚める夢は見えない





「これからどうするんだ?」

 神殿を出てから、今更ながらの事をルノが切り出した。トアンはリュックを背負いなおし、トトは肩掛け鞄の紐を調節しながら振り返る。

「シアングがどこにいるかなんて、見当もつかないんだぞ」

 そういえばそうだったと、トアンは固まった。背中を嫌な汗が滑り落ちる。気付きたくなかったことに気付いてしまった……。

「そういえば聞いてこなかったね……」

「……トアン、顔色が悪いぞ」

「だ、大丈夫」


「……そのシアングさんっていうのは、雷鳴竜なんですよね」


 トアンとは正反対の、落ち着いた表情のトトが言った。

「そうだ」

「竜なら、焔竜と同じようにどこかに拠点があると思うんですよ」

「……そうだが……。それが何処だかは」

「あれ」

「え?」

 トトが廃墟の神殿を指差す。良く見ると壁一面に何かが描かれていて、さらに目を凝らすと、それが地図ということがわかった。

「フロステルダの地図か? ……ううむ」

「俺には読めません。ルノさん、読めますか?」

「なんとか、少しだけ」

 壁に顔を寄せてしかめっ面になるルノを見ながら、トアンも覗き込んでみた。トトと同じように、トアンにはさっぱり理解ができない言語だ。……しかし、ここが世界の中心だとして(ハルティアから真っ直ぐに降りてきたと仮定するとここはフロステルダの中心ということになる)、この場所から西に行ったところに竜の絵が描いてある。竜は何かを纏っている──これは、シアングの手に帯電していたように、雷を纏っているのかもしれない。とすると、この場所にシアングがいる?

「ルノさん、これ。この絵、竜だよね」

 その竜の下の文字はトアンにはやはり読めなかったのでルノの服を引っ張る。ルノのルビーのような紅い目が、文字の上を滑った。見る見るその顔が明るくなるのを見えて、トアンは胸が高鳴る。

「ええと……ベル、サ? リオ……鳴……の……。後は掠れていて読めなくなっている……。恐らく、ここはベルサリオというところで、雷鳴竜の拠点だろうな」

「ここにシアングがいるってことかな」

「……きっと。」

 そう呟いたルノの顔に、少なからずの希望が籠められていることにトアンは気付いた。が、それに触れずに良かった、という。

「さてと、結構あやふやな情報だが西を目指そう」

「うん! ……トトさん?」

「あ、すいません」

 いつの間にか地面にしゃがみ込んでいたトトが顔を上げた。また体調が悪くなったのかとトアンは心配をしたが、そういうわけではなさそうだ。

「ぴゅい」

 と、小鳥が囀るような声とともに、トトの懐から小さな小動物が飛び出してきた。それはトトの肩を蹴って、トアンの肩をさらに蹴り、ルノの肩の上にちょこりと座る。──トトはこの動物の様子を見ていたようだ。

「うわ! な、なんだ!?」

「ああ、すいませんルノさん。……ユーリ、戻っておいで」

「ぴゅいー」

 ユーリと呼ばれた金色の体毛の動物は動かない。ルノが恐る恐る手を伸ばして触れると、ぴゅ、と短く鳴いた。大人しい。

「ルノさんが気に入ったみたいです」

「……おお、ふわふわしてる……。ユーリ、というのか。見たこともないな」

「そうですよね……。」

 笑って言うトトの顔に影が射したのを、トアンの瞳は見逃さなかった。しかし。

「トトさん」

「何ですか?」

 トアンを真っ直ぐに見つめるトトの表情は、今はもう、裏表のない笑顔で。

(やられた)

 どうやらこのトトという人物の心理を探るのは容易ではない、と知る。チラチラと尻尾を見せるのに、それなのにうまく誤魔化されてしまう。

 ──別に彼の心を探る必要はないとわかっているのだが、不意にそんな難しいことを考えた自分がおかしかった。

「……ううん、何でも」

「? ユーリ、魔物が出るかもしれないから危ないよ。戻っておいで」

「ぴゅい」

 とん、再びトアンの肩を経由してトトの元に戻ると、ユーリはその懐に潜り込んでしまった。ルノの表情に、残念そうなものが浮かぶ。

「よく懐いているんだな」

「ええ」

「私もそういう可愛らしい動物に好かれたいな……。なんという種類だ?」

「わからないんです」

「何?」

「俺も調べたんですけど、ユーリは何処の図鑑にも載ってないんです。……唯一、このユーリだけが存在する一個体なのかもしれません」

 そうだ、といわんばかりに、ふさふさとした尻尾がトトの懐からはみ出した。トトは何食わぬ顔でそれを服の中に押し込んで、め、と呟く。

「ふうん」

 まだ諦めきれない様子のルノを見てトトが苦笑する。

「ユーリを貸してあげますよ。首に巻きつかれると温かいんですけど、俺に動物のえりまきの趣味はないですから」

「本当か」

「ええ。それに、ユーリもルノさんが好きみたいですから。そうだろう?」

「ぴゅるるるる」

 本当に小鳥のような声がトトの懐から聞こえた。まるで、同意するように。

「返事をしたぞ。賢いんだな」

 ルノが両手を組んだ。──その瞬間。

「ぴゅ!」

 ユーリが鋭い声で一声鳴き、トトの懐から顔を出す。その声を聞いたトトが腰の剣に手をやり、さっと辺りを見渡した。

「トアンさん、ルノさん! 魔物がいます!」

「え?」

 唐突なことにトアンは戸惑い、だが素直に杖を構えるルノを見て自分も剣に手を回した。鞘から引き抜くと赤い光が目を焼く。──赤い月千一夜。その輝きは、一年経っても色あせていない。

「ユーリは魔物の存在を嗅ぎ分けるのが得意なんです」

「成程」

 トアンとルノは妙に納得し、思わず感嘆の声を上げた。しかし、魔物は何処だろう? トトの鋭い群青色の瞳が周囲を睨みつけている。

(オレも……探さなきゃ)


『後ろだ』


(……え?)

 不意に、さらりとした声が耳を撫でた。反射的に振り返ると、背後の木陰で光る二対の赤い目が見える。


「居た!」

 しゃん、トアンが月千一夜を振り翳すと赤い光の粒子が零れた。叫ぶと同時に走り出し、赤い目に向かって剣を一閃させる。

「キイイィ!」

 耳障りな声を上げ、二対の瞳が左右に散った。トアンは迷わず右を選んで剣を再び振るう。──ザシュ、肉を斬り裂く感触。ぞわりと肌が粟立つのと同時に痛みに耐えかねた魔物が飛び出してきた。それは、狼の頭部を持った人間の形──獣人だ。魔族に近い外見を持ちながら、知能は獣。性質が悪いのは、その手に持った武器を扱う知性と体力。

「アールローアでは見たことないけど……」

 ごく、血に濡れた瞳と対峙しながらトアンは息を呑む。トアンの住んでいたアールローアでは、獣人のような力の強い魔物は殆ど見かけない。それだけ、このフロステルダに満ちる魔力が強いのだろう。

 もう一体も魔物はどこに行ったのだろうとは考えたが、首を回す余裕はない。──トトに任せるしかない。

「ガァ!」

 獣人が唸りを上げながら飛び掛ってきた。グローブでその手に持った錆びたナイフを何とか弾き、懐に踏み込んで剣を振り上げる。先程より強く深く、その毛に覆われた身体に剣が刺さった。ぶちぶちという嫌な音を立てながら剣は進み、その胴体を縦一文字に斬り裂く。

 ドッと生暖かい血がトアンの顔に掛かり、嫌悪感が増した。人に近い、獣の血。

(……やっぱり、殺すのは、嫌だな)

 自分の戦闘能力は確実に上がっていた。一年前の別れ以来月千一夜は使っていないが、剣の練習は怠ってはいなかった。

(……矛盾はしているけど。)

「大丈夫か、トアン」

 と、頬に冷たい指先を感じた。ルノだ。

「大丈夫だよ」

「血が」

「これは、返り血だから。」

「……そうか。お前は、強くなったな」

 ルノの指先が血を拭ってくれた。その光景は穢れないモノが穢れていくようで、トアンは目を背けたかったが、ルノの優しさがささくれた心を癒してくれる気がした。

「私なんて、まだ氷の魔法が使えないのに」

「精霊は……一年間なんともなかったの?」

「ああ。良く分からないんだが」

 指先だけでは足りないと感じたのか、ルノのハンカチが今度は押し当てられる。

「よし、綺麗になった」

「あ、ありがとう」

「いや」

「……そうだ、トトさんは?」

「はい?」

「うわ!」

 突然直ぐ隣で聞こえた返事に、トアンは驚いて声を上げる。視線をやれば、トトはにこにこと微笑んでいた。

「トトさん、魔物は」

「あっちですよ」

 整った指先が草むらを指す。トアンが見逃した左に逃げた獣人が、すっぱりと首を落とされて転がっていた。──慌ててトトに視線を戻すが、彼の白い上着はちっとも汚れていない。


「トアンも強かったが、トトもものすごく強かったぞ」

 驚いて目を見張るトアンに、ルノがそっと告げた。

「一瞬で斬って、終わったんだ」

「そんな……」

 是非自分も彼の戦いを見ておくべきだったとトアンは後悔する。少しは自分は強くなった気でいたが、まだまだ上は遠かったと思い知った。トトはトアンと同じ片手剣なのに、速く、そして鮮やかなようだ。首という部分を斬り落としておきながら、返り血一つ浴びていないなんて。

「すごいなあ」

「もう一体きますよ」

「え」

「ほら、あそこ」

 何気ない口調でトトは告げ、闇の奥で光る三つの赤い光を指した。──先程よりその光の位置は高い。

「グルルルル……」

「あの二匹のボスみたいですね」

「ぴゅい」

 トトの言葉に応えるようにユーリが鳴く。

 のそ、非常にゆっくりとした動作でそのモノは闇から這い出してきた。──その背丈は先程の獣人の二倍はあろうかという巨体で、手には重そうな棍棒を持っている。にょっきりと凶悪そうな牙が並び、顔は狼というよりは猪に似ていた。

「ルノさん、下がって」

「あ、ああ」

 トアンがルノを下がらせ、剣を構える。トトもその横に並ぶが剣は鞘の中だ。トトの視線が、トアンの構えをなぞる。

「トトさん?」

「あ、すいません」

 不審な声でトアンが問うても、トトの『観察』するような視線は変わらず、剣も抜かない。

(……オレの様子を窺ってる?)

 できれば戦闘の後にしてほしいのだが、トトの視線は真剣なものだ。やめてくれと言い出せず、トアンは小声で呻く。

「ガアアア!」

 ずん、地面を低くならしながら獣人が進み出た。と、突然獣人が素早く回りこんでその手──妙に長い、アンバランスな──をぶんと振り上げ、その棍棒が真っ直ぐにルノに向かって振り下ろされる。

「ルノさん!」

「わ!」

 咄嗟にトアンがその身体を突き飛ばすも、標的を逃した棍棒がぐるりと方向を変えてトアンの頭を狙っている!

「しま、」

「トアン!」

 ルノの悲鳴が森に響いた。トアンは何とか膝を折って、無理な姿勢で棍棒の一薙ぎをかわす。が、その棍棒は風の抵抗などないように再び方向を変え、トアンの背中を直撃した。

「うわ……ッ!」

「トアンさん!」

「トアン!」

 背骨が折られたのではないかというほどの衝撃に、トアンは地面に叩き付けられた後も起き上がることができなかった。息がうまく吸えない。

「ルノさん、トアンさんをお願いします」

「わかっている! ──トト、一人で大丈夫なのか?」

「ええ」

 言葉も紡げず、身動きも取れないトアンの背中にルノの手が当てられた。途端に痛みが安らいでいく。トアンはうつ伏せになった姿勢のまま目だけ動かし、トトの姿を見た。

 ざわり。

 風が吹いて、インクブルーの髪の毛を散らす。



 トトが腰の剣を抜く。鏡のように磨き上げられた剣がきんと光った。

「グ……」

 思わず後ずさりする獣人を追うことはせず、その場でトトが剣を振り上げる。ふわ、周囲を柔らかな風が取り巻き、そしてそのまま刃を絡め上げていく。

「疾風撃!」

 叫ぶと同時にトトは剣を振った。離れた間合いなのに大気が鋭く研ぎ澄まされ、刀身に宿った風が間合いを斬り裂いた! ひゅん、風が通りすぎたあと、一拍置いてから獣人の首がどすんと地面に落ちる。

(すごいや)

 痛みに顔をしかめながら、トアンはそう心の中で呟いた。

(オレと同じなのに、全然違う──……)



「大丈夫ですか」

 剣を鞘に収めるとトトはトアンの直ぐ傍に跪いた。その表情は出会ったときと同じ、幼さを残す少年のモノ。

「う、うん──……ルノさん、有難う」

「これぐらいしかできないから」

「ううん、凄く楽になったよ」

「そうか」

 ほっとした表情のルノがトアンの背から手を離す。彼の治癒魔法のお陰で、背中は殆ど痛まなくなっていた。トアンは身を起こすと地面に座り込み、トトと視線を合わせる。

「……すいません」

「え?」

「俺、もたもたしてないでさっさと戦うべきでした。トアンさんの怪我は、俺の所為です」

「ち、違うよ! オレがどんくさかっただけだよ」

「すいません」

「トトさんの所為じゃないって。……それより、今の風がトトさんの魔法?」

 その言葉にトトは一拍置いて、そっと視線を泳がせてから頷いた。

「はい」

「すごいね。オレ、魔法なんて使えないから」

「その分、俺に夢幻道士の力は殆どないんですけどね」

 きん、彼の胸元で金の鎖が揺れる。

「それでも」

「……さて、そろそろ行きましょうか? いつまでも此処でしゃがんでるわけには行きませんよね」

 トトは立ち上がると、ひょいとルノの荷物を持ち上げた。

「トト!」

「ルノさんの体力が尽きたら大変ですからね」

「……バカにするな。私はそんなにヤワではないんだぞ」

「わかってます。でも、俺に治癒魔法は使えませんし」

 こんなことくらいしかできませんし。そういってトトは笑う。その幼さを残す笑みに押し切られ、ルノは杖だけ手に持つと荷物を彼に預けることにした。

「トアンさんのも持ちますよ」

「お、オレは平気だよ」

「でも」

「背負うだけだし。トトさんが疲れちゃうよ」

 まだ重い身体を起し、トアンはリュックを背負いなおす。トトはまだ何か言いたそうにしていたが、やがてありがとうございます、といって笑った。

「では、ベルサリオを目指そう」

 ルノの言葉にトアンとトトは頷くと、深い森を歩き出した。トアンは歩きながら空を見上げる。──水に満ちた、不思議な空を。



 ──一路、西へ。

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