第5話 万華鏡の中の世界
「……それで、今に至る。どうだ、わかったか」
「はい」
「そうか」
そういってルノは安心したように笑った。
焔城にジャスミンと馬車を置いてもらい、あの時と同じようにテュテュリスの使い魔によってトアンたちはハルティアを目指していた。トアン、ルノ、トトの順番で使い魔に乗って空を飛んでいるのだが、ルノはすっかりトトが気に入ったようだ。疑っていたのはほんの最初だけで、今は今までの旅、今回の旅の始まりのきっかけをすっかりトトに話していた。
ルノが気に入った理由とは恐らく、トトと話が合うからだろう。トアンたちの仲間の中で一番知識があったルノは、それを自由にぶつけ、語り合うことはしなかった。
それがどうだろう。トトという人物は、優しげな顔をしている癖に頭が良い。勉強をしていたといのは本当のようで、魔法やうんちく、どうでもいい無駄知識までルノと対等に話ができた。とくに無駄知識の分野では遙かにルノを越え、ルノは関心していた。
何故そんなに沢山のことを知っているんだ? と聞けば、好奇心と探究心が強い性格なんです、トトは自分のことをそう言う。
必然的にトアンは一人っきりなのだが、別に不満を感じなかった。寂しくないといえば別だが。何故だろう、漠然と『トトに新しい知識を渡すことが優先すべきこと』に思えていたのだ。
(変な話だけど)
「じゃあルノさんは、今は氷の魔法は使えないんですね?」
「そうだ」
「光の治癒魔法は見たことあるんですけどね。反魔法か……見てみたいです」
「……あれを見る機会が訪れないことを願おう」
一瞬怖い顔をしてから、ふふ、ルノが笑った。つられてトトも笑う。
「トアンさんは夢幻道士か……」
自分の話題が出たので、トアンは肩越しに振り返った。トトと目が合う。群青色の瞳が優しく細められた。
「そうです」
「敬語はやめてくださいって言いましたよね、俺」
「……普通、トトさんの方が年上なんだから、オレが敬語使うべきなんじゃないでしょうか」
「トトは、歳はいくつだ」
「十八です。……俺があなたたちに敬語を使うのは、キークさんから話も聞いてますし、尊敬してるからですよ。」
「はあ」
「ね。だから俺には、普通に喋ってください」
「はあ……うん、わかった」
いまいちこの事については納得できないのだが、トアンは素直に頷いておいた。
「夢幻道士って魔力は感じられないって本当ですか?」
「え? ああ、そうで──そうだよ。オレは全然感知できない。……でも例外もあるみたいなんだ」
「例外?」
トトの頭にハテナマークが浮かぶ。
「うん。オレの兄さんがそうなんだけど」
「レインさんが?」
トトの反応があまりに早かったことに、トアンは一瞬途惑った。兄としか言っていないのに、何故彼はレインの名前を?
──ああ、そうか。旅の話をするとき、ルノさんが教えたんだ。
「そう、だよ」
「例外って、どういうことですか?」
「うん、母さんの魂が一回入ったことで、元々母さんの器に作られた身体が反応して魔力が宿ったみたいなんだ。血華術っていう、ちょっと特殊な魔法が使えるんだよ」
「そうなんですか……」
熱心に頷くトトを見て、トアンは続けた。
「オレは全く使えない。その代わり、兄さんより夢幻道士の力は強いみたい」
「ふうん……どうやら俺も、その例外みたいですね」
「何?」
前後で会話するトアンとトトを見比べ、話を聞いていたルノが首をかしげた。しかしトアンは、ああ、やっぱりか、と思っただけだ。
「驚かないな、トアン」
「うーん……」
「トアンさんは気付きました? 夢幻道士には、互いに互いを感知できるようですね」
「うん……なんとなくだけど、トトさんから夢幻道士の気配がしたんだ」
「例外ということは、お前も魔法が使えるのか?」
トアンの言葉に、トトが頷く。それを見てルノが問うと、トトはもう一度頷いた。
「使えます。剣と一緒に使うのが得意なんですけど──戦闘になれば見せますよ」
「それを見る機会が訪れないことを願おう」
先程と似たような言葉で返すと、トトが笑った。ルノもにこりと笑う。
「トトさんも戦ってくれるの?」
「ええ。同行すると言った手前、ずっと後ろにいるのは格好悪いし情けないでしょう? 何かできるだけの力があるのに、何にもしないのはダメなヤツだって先生が──……」
笑いながら喋っていたトトが突然口元を押さえ、口ごもった。
「先生? 誰だ?」
「あ、あの、えっと……」
「口元を押さえて──酔ったのか?」
「あ、ああ、はい」
「大丈夫? もうすぐ着くよ」
「はい……」
ぱたり、トトが後ろ向きに身体を倒す。
「そういえばルノさんは平気なの?」
「ふん、バカにするな。私がこの一年間、雲上でちゃんと歩き回っていたんだぞ」
「高所恐怖症は治ったんだ」
「は、とは? トアン、五十文字以内に述べろ」
暗黙の了解で、ダウンしたトトはそっとしておくことにし、トアンとルノは他愛もない話をしながら大樹が目前と迫ってくるのを眺めていた。
──しかし、うやむやになってしまっても、トアンの耳にはトトの『先生』という言葉が響いて離れなかった。
────────
やがて雲の海を抜け、緑の大樹が聳え立つのが確認できた。あの時の状況と今の状況の違いが、トアンの胸をちくりと刺す。
(あのときは……もう、別れの直ぐ傍だったのに)
見上げた大樹の先は──見えない。より分厚い雲が覆っている。
(あの向こうにチェリカがいるんだ。……いつか、絶対会いに行く。もちろん君を元に戻す方法を見つけて。……君がいなくなったこの世界で、一年間、オレは身動きができなかった。あんまりにも遠すぎたから。でもこうやって空にいると、はっきりと思い出せるよ)
『空を見上げればそこにチェリカはいるから』
自信たっぷりにいえた、自分の言葉。笑った彼女の顔。細い肩。──額への、口付け。
ごうごうという風の音と共に、使い魔の鳥は高度を下げ始めた。トアンは後ろを振り向き、何か考えごとをしているのであろうルノの顔を見る。
(ルノさんだって、シアングに会えるんだ)
突然すぎた別れと、唐突過ぎる再会。
なんだかとても愉快なことに感じられたトアンは、近づいてくる地上に目を向けた。
「おや」
トアンたちが地上に降り立つと、小さな小屋からティーカップを持ったエルフが出てきた。その美しい顔に、突然の来訪者を面白がっている色が隠しきれてない。手にしたカップからレモンとはちみつの匂いがふんわりと漂っている。──レモネードだろう。
ハルティアの周りはしんと冷えた空気と、そして変わらずに澄み切った空気がさらさらと流れていた。まさに聖域。その言葉が相応しい。
「シルル、久しいな」
ルノがローブの端をつまんで優雅──とは言い切れない、ぎこちないが礼儀正しい礼をすると、シルルはレモネードを一口飲んでから、うん、と頷いた。
「空の子。扉を使わずに降りてきたのか」
「そうだ。……いけないことだったのか?」
「そんな決まりなど私は知らない。でも、ここにくればお茶とクッキーがあったのに。クランだってそれ目当てで扉で降りてきてたんだ。……私だってたまにはヒト恋しくて、なにか会話を楽しみたいと思っていたのにな。」
空の住人は私を退屈で押しつぶすつもりなのかな、とにやにや笑いながらシルルが言った。
「す、すまない」
思わずルノが謝ると、
「いいや気にするな。本当に退屈だったんだ──それで、何のようだ? まさか本当に茶を飲みにきたわけではあるまい」
トアンとルノの顔を見渡してシルルが問う。
「フロステルダに行きたいんだ」
「下に?」
「ああ」
「わかった。竪琴を取ってくるからそこで待って──おや?」
余計な詮索はしない立場(元来メンドクサイ事は気にしない性質だとトアンは思ったのだが)にいるシルルは、小屋の方を見て声を上げた。
「お前、何をしている?」
どうやらシルルは小屋の傍にしゃがみ込んでいるトトを不思議に思ったようだ。トアンとルノがトトの様子を見ようと首を伸ばすと、彼は小屋の傍にある小さな──本当に小さな、そして稚拙な──木を地面に刺しただけの、何かの印を見ていた。その印の前にはシルルが手にしている者と同じカップが置かれている。中には、レモネード。
「それが何かわかるのか」
「わかります。悲しみが伝わってきます」
「シルル、これは?」
「墓だ」
「墓!?」
「そうだ」
なんでもないようにシルルは告げ、トトの隣に腰を降ろした。トアンとルノは顔を見合わせ、同じようにしゃがみ込む。──シルルの淡白さに、ルノの方が驚いていた。
「墓、とは、誰の?」
「……。」
「あ、すまない! 無神経に……!」
「いや、構わない。」
やはりシルルは微笑みながら、そっと答えた。変な話だが、その感情の波の立たなさにルノは感心する。
「これだけ長く生きてると、そう辛いことでもないんだ。……知っているか? 勇者フロウの話を」
「知ってます」
トアンが答えると、シルルは頷いた。
「私の存在とこの樹が、伝説を事実だと告げているだろう? 伝説は事実なのだ。多少、捻じ曲がってしまったところもあるが。……私が人間に恋をしたから、全てが始まった。この墓は、その人間のものだ」
道理で、とトアンは妙に納得した。この木の朽ち方は十年や二十年ではできないだろう。
「その刺してあるモノはな、あいつの剣の鞘なんだよ。一応私が魔法で保護をしたが……」
トアンの考えを読んだようにシルルが言った。この古びた木のように見えたものは、鞘にコケが生し、ツルが絡み、そして大気の息吹でゆっくりと形を変えていったものだったのだ。
「……こんなに、朽ちてしまった。」
ふ、と息を零し、シルルがそっと鞘を指でなぞる。
「あいつの名前が掘ってあるのだが、もう読めないな。……私も、あいつの名前を忘れてしまった」
「そんな」
「人の子、我々の長い生の記憶に、お前たちは残れないんだ。全て、忘れてしまう」
鞘から指を離し、シルルはトアンの頬をそっとなぞって、それから立ち上がった。
「さて、昔話は終わりだ。すぐにフロステルダに運んでやる」
今の思い出を忘れ去ったように言って、シルルが歩き出す。
「辛くはなくても、悲しいんでしょう」
そのトトの言葉にシルルの足が止まった。
「覚えていられなかったことが。この人と一緒にいられなかったことが。……忘れたくなかったから、あなたがこのお墓を作ったんでしょう? レモネードを淹れてあげてるんですよね?」
「……お前は、恐ろしい目を持っているな」
シルルが振り替える。その顔に、先程までの表情はなかった。瞳の中に、ぽつんと悲しみが浮いている。
「そうだよ。……でも、残念なことにあいつの好物がレモネードだったかは覚えていなくて、私の好物を淹れているんだよ。あいつは嫌いだったかもしれないが」
「そうですかね」
トトも立ち上がって、ふっと微笑んだ。
「……俺の知り合いに、エルフにとても詳しい人がいました。一緒に生活してたらしいんです。教えてもらったんですが、本来エルフは、酸味の強いもの──レモンが嫌いなんですって」
「……」
シルルの瞳が僅かに見開かれた。
「あなたは、この人の好物ごと愛していた。それは忘れていない。これからもきっと、忘れませんよ」
「……そうだったの、か」
手にしたカップに口付けをし、シルルが目を細めた。
「礼を言うよ、賢い人の子。」
シルルが小屋に入っていくと、ルノがトトの服を引っ張って声をかけた。
「トト。お前、ただの学生か?」
「え?」
「エルフの好みなんて殆ど文献に載ってないぞ。それに、エルフに詳しい人物などとどうやって知り合ったんだ?」
ルノの瞳は好奇心にキラキラと輝いていた。トアンもその気持ちはよくわかる。しかし、そう問われたトトの顔が一瞬ハッとして、さっと青ざめて、それから言葉を捜すように目を泳がせる様子を見ると、なんだか彼が気の毒に思えたのだ。
「ええと……うん……」
トトの顔に、ルノの好奇心を満たしてやりたいけれども、こればかりは言えないのだという苦い色が浮かんだ。トアンと目が合うと、助けを求めるように群青色の瞳が揺れる。トアンはふっと苦笑を返し、ルノの手を引いた。
「ルノさん、シルルが来たよ」
「む」
トアンの言葉にルノが振り返ると、タルチルクがもっていた竪琴を持ったシルルが退屈そうに泉の辺でしゃがみ込んでいる。
「そうだな。トト、後で教えてくれ」
「はあ……」
困ったような笑いを浮かべてから、トトがトアンをもう一度見た。助かりました、その柔らかい笑顔がそう告げている。
「人の子たちよ。もういいか」
「うん。頼んだぞシルル」
「では……」
ぽろろん、弾かれるような音が静かな湖面に響く。トアンたちを透明な泡が包み込み、それはふんわりと水面まで浮いて、泉に沈み始めた。
トアンは土壇場で酸素の心配をしたのだが泡の中は快適で、シルルも平然と見送っているし、大丈夫なのだろう。──きっと。
徐々に見えなくなっていく地上に、トアンはなんとなく不安を覚え、視線を下に向けた。漆黒の世界が、そこには待っていた──……
ばしゃん。
永遠に続くとも思われた闇は唐突に終わった。闇の中でトアンたちは何も会話を交わさなかったから、あんなに時間が長く感じられたのかもしれない。
闇になれた目に光が染みる。トアンは何度か瞬きした。足元の感覚が、泡ではなく硬い地面に変わっている。
「ここがフロステルダ……」
トトの感心したような声にトアンは目を擦り、ゆっくりと開いた。
辺りは古い神殿のようだ。──廃墟といってもいいだろう。折れた水晶の柱が地面に倒れ、生き物の気配がまったくない。それほど広さはない様で、トアンたちが立っているところ──祭壇のようだ──から階段を降りて直ぐのところにアーチ状の門があった。
「空が……」
ルノが声を上げる。トアンも天井を見上げ、息を呑んだ。崩れた天井からは空が見えるのだが──……
「水だ」
そう、本来青い空が広がっているべきそこには、水がゆったりと揺れていた。まるで海が自分の上に広がっていて、今にも押し潰そうと流れ落ちてきそうだと、トアンは思う。良く良く見ると、波は立っていなく、水の──海の底に透明な膜をはって包んだものを覗いているようだ。しかもその『空』には、トアンの居たアールローアと同じように太陽と思しき光が照らし、見上げる水の『空』は何処までも澄み、明るい。
「怖いな」
再び、ルノが圧倒された声で呟く。
「押し潰されそうだね」
「……トアン、同じことを考えていたのか」
「ルノさんも?」
「うん……。情けないが私は泳ぐ事が得意ではないからな」
どこかずれた観点で怖いという感情の原因を言って、ルノが足元に視線をやった。トアンもつられる。慣れた硬い地面が、今見上げた『空』の存在を疑わしくする。もう一度見上げようと思ったがやめておいた。不安は余計に募るだろうし──この世界に住む人々にとっては普通の『空』なのだろうから不安に思う必要はないのだが──見上げっぱなしで首も少し疲れた。そういうことにして、トアンは『空』を見ずに隣のトトを見る。彼は、真っ直ぐに『空』を見上げていた。
「トトさん」
「はい」
トトの目は、『空』を見続けている。
「首、疲れない?」
「大丈夫です。──綺麗な空ですね」
そのトトの言葉にトアンは目を丸くした。
(綺麗? 全然考えてなかったけど、ここは『異世界』だ。不安は感じないのかな?)
「怖く……怖くないの?」
「はい、ちっとも。トアンさんは怖いんですか」
トアンは否定しなかった。
「魚の魚影とか見えたら面白そう。……そうやって考えれば、少しは怖くなくなりますよ」
「本当に?」
魚の影など見えたら、まさしくここが海底で、その圧力にいつ膜が破られるかわからないという不安に駆られたトアンだが、トトは笑っていた。その表情に、不安なんてものはちっとも浮かんでない。
「綺麗です、本当に。」
そういうと彼は視線をトアンとルノに向けて、二人を安心させるように肩を叩いた。
「行きましょう。」
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