第4話 少年の心と千の空

 一年ぶりに訪れる焔城は、ちっとも変わっていなかった。その、お化け屋敷のような少し恐ろしい概観は、一年前の埃を被った記憶とどこを照らし合わせてもぴったりと一致する。それはとても気持ちのいいパズルをしているようだ。

「懐かしい」

 トアンは目を細める。門を抜けて、大きな扉が近づいてくる。

「この庭の手入れは、リクがやっているんだろうな」

 庭園を見渡したルノが呟く言葉に、トアンも同意する。テュテュリスの正確では、この庭は恐ろしく適当なデザインに染まり、すぐ飽きられて三日経って、そのうち燃やされてしまうだろう。……飽きる、というより、彼女と普通の人間は時間の感覚が違うから、彼女にとっては何故こんなに早く草が乱れるのかわからないのかもしれない。……というのは全て、トアンの独断と偏見による想像だ。ほとんど当っているかもしれないが。


 この焔城には、主であるテュテュリスと、その騎士であるリクという青年が住んでいる。騎士といっても、竜は人間に対して自分の身くらい簡単に守れるくらいの力がある。しかしリクは精神面と私生活においては騎士というのに相応しい人物だ。──保護者のような存在なのだが。

 一年前、トアンたちはテュテュリスに何度も助けられた。──竜というのは、本来人間と精霊の間に立つ存在なのだが、トアンが出会った二人の竜は価値観がまるで違っていた。深水竜であるヴァイズは精霊を重視し、テュテュリスは人間を重視する。それは彼女がもとはただの人間で、アークやアリシアといった彼女の人間性をつつく人物との出会いがあったからであろう。とにかく、テュテュリスはトアンたちの旅を支えてくれた。それなのにトアンはテュテュリスが女性だと知ったのは、旅が終わる直前だった。

 ──リクが、テュテュリスに淡い恋心を抱いていることはトアンは知っていた。

(この一年で、少しは進展したのかな)

 そう考えて、トアンは少し笑い、ルノに怪訝な顔をされながらも扉を押した。



「こら、そんなに急いで食べると焼けどするぞ」

「す、すいません」

 テュテュリスは頬杖をついて、楽しそうに目の前の少年を眺めていた。昨日の夕方、何気なく散歩に出たテュテュリスは草原に倒れる少年を見つけ、城に連れ帰った。今朝、漸く目を覚ました少年にリクがきのこのリゾットを作ってやると、よほど腹がすいていたのか少年は夢中で食べ始めたのだ。

「粉チーズはそこにあるからのう、好きなだけかけるといい」

「ありがとうございます」

 少年が頭を下げる。インクブルーの髪が揺れるのをみて、テュテュリスは金の瞳を細めた。

「うまいか?」

「はい、とても」

「そうじゃろう。この城の料理はかなり腕のいい料理人が作っているからのう」

「そうみたいですね」

 スプーンを持ったまま、少年が笑う。きらり、胸元で金の鎖のネックレスが煌いた。



「のう、お主」

「はい?」

「そのネックレス、どこのものだ?」

「……これですか」

 少年はスプーンを置き、胸元のネックレスと手繰った。しゃら、小さな音とともにそれは揺れ、その音で確認するかのように少年はそれをしまう。

「わしの見る限り、それは雷──」

「もらったんです」

「む?」

「これは、俺の大事な友達にもらったものなんです」

 少年は笑みを浮かべた。これ以上この話にテュテュリスが触れないように、やんわりとした拒絶だった。

 しかしテュテュリスの目には、それはどこか寂しそうな笑みに見える。

「ふむ……まあ、よい。あまりにも美しすぎてな、目が留まったのじゃ」

「ありがとうございます」

 そういうと、少年は再びリゾットを食べ始めた。頬杖をついたままテュテュリスはそれを眺める。

(この少年の気配──……妙じゃのう。『ここにあって、ここにない』ようじゃ。……微妙なブレが見える。それに、あのネックレスは雷鳴竜の財宝の一つではないじゃろうか。うーむ、不思議じゃのう)

 ぼんやりと考えながら見守っていると、少年の皿はものすごい勢いで減っていく。

「お代わりがいるかのう」

「いいんですか?」

「一杯や二杯、たいして変わらん。どうじゃ、いるのか?」

「……お願いしたいです」

 照れ笑いをしながら少年が皿を手に取り、立ち上がる。自分で盛りに行く、ということだろう。テュテュリスは身を乗り出して少年を席に座らせると、首を回した。

「リク、お代わり。……ええと、お主、名前はまだ聞いておらんかったのう。」

「トトです」

「そうか。トトはまだまだ食えるそうじゃよ」

「はいはい、今──あれ」

 厨房から新しい皿を持って飛び出してきたリクが反応し、皿を置くと踵を返した。

「何処へ行く?」

「お客さんみたいです」

 だれじゃい、微妙な時間にとテュテュリスが首を傾げる後ろで、少年の手が一瞬強張る。



「あれ!?」

 扉を開けたリクは目を丸くした。目の前に立っていたのは、なんて懐かしいことだろう。トアン・ラージンとルノだった。

「どうしたんスか、二人とも」

「お久しぶりです」

「リク、私たちは一刻も早くテュテュリスに会いたいんだ。テュテュリスは何処だ?」

「ええと、食堂ですけど……案内します。」

「すまない」

 何がなんだかよく分からなかったが、とにかくリクは二人を城に入れ、陽の光が差し込む廊下を歩き出した。






 ここで、失敗してはいけない。




 自分は、何が何でも旅に同行し、その旅路の果てにあるものを見る必要がある。十二年前、自分の無力さが悔しかった。十年間、自分の無力さが憎かった。

 今は違う。今の自分は、あの時の幼い子供ではない。


「ぴゅい」

 まるで小鳥の囀りのような声を上げて、少年の服の中から小さな動物が飛び出してきた。金色の毛並みに白い飾り毛。まるでリスのような身のこなしで、その小さな動物は少年の肩を登ってきた。

「大丈夫だよ、『コガネ』」

「ぴゅいいん」

 コガネと呼ばれた動物は少年を心配するように首をかしげ、その頬に頭こ擦りつけた。


「おや、なんじゃその小さいのは」

 まだ戻ってこないリクの代わりに、三回目のお代わりを持ってきたテュテュリスが声をかけると、突然のことに少年と動物は身を竦めた。テュテュリスの接近に気がつかなかったようだ。

「すまんのう、驚かせたか」

「いえ……こいつは、俺の友達です」

「ほう……こっちにこい」

 テュテュリスが手を伸ばすと、動物はテュテュリスの手に迷わず飛び乗る。そのままその首周りに身体を巻きつけると、襟巻きのようにまるくなってしまった。

「かっ可愛いのう! トト。こやつの名前はなんじゃ?」

「えっと……ユーリです。ユーリ」

「ユーリか。ふふ、温かいのう」

 すっかり上機嫌になっているテュテュリスを見て少年──トトはふっと笑みを浮かべ、三杯目のリゾットに粉チーズをたっぷりとかけた。




「来るなら手紙で行って下さいよ。なんにも用意してませんよ」

「すいません。少し、急だったもので」

 トアンは、どうしても早足になる歩調をなんとか抑えながらリクに答えた。

「リゾットと……ええと、あとパンと、あ、イチゴのジャム、もう食えたかな」

「いいんですよ、リクさん。オレたち、食事を食べにきたわけじゃなくて」

「そうだ、お構いなく」

 トアンに続きルノまで慣れない言葉を使って遠慮をするのだが、リクはどうにかして大至急、この小さな客人の腹を満たす方法を考えているようだ。こそり、困った表情のルノがトアンに耳打ちする。

「そういえば私たち、此処に来るたびに食事をご馳走になっていたな。……今回もそうだと思われているみたいだ」

「そうだね……」

 考え込むリクの後ろで、今度はトアンが耳打ちを返す。

「食堂にいるテュテュリスに会いたいっていったのも、お腹減ってるって勘違いされた原因かも」

「そうか……」

 そうしているうちに漸く食堂に着き、リクは二人の背を押した。

「トアン君、ルノさん。とりあえず入って待っててください。今何か作りますから」

「はあ……で、では折角だから……」

「テュテュリス、トアン君とルノさんが着ましたよ」


────────






「……石化?」

 ルノの話を聞いたテュテュリスは、たっぷり沈黙してから聞き返した。トアンとルノの前にはリクが出してくれた紅茶がゆっくりと湯気をあげ、レモンの匂いが鼻をくすぐる。

「氷ついたわけではないのか?」

「……私も、てっきり氷の精霊の仕業かと思ったんだ。この一年間何もなかったし──けれど、どんなに動揺していたって、石と氷の違いくらいわかる」

「そうじゃろうな。ふむ……犯人の目処は、なしか」

 テュテュリスはセミロングほどの長さになった黒髪を指でいじった。一年前、最後にあったテュテュリスの髪はショートカットだったのだが、この一年で随分伸びたようだ。

「犯人は誰とか、そういうことはいいんだ。それより石化の解除の方法が知りたい」

「……わしだって、わかっていたら先にそれを教えるよ」

「……え?」

 嫌な予感に、ルノの声が震えた。無理もない。ここまでテュテュリスなら何か知っている、という考えに支えられていたのだ。

「単刀直入に言うと、わしにはわからない」

「そんな!」

 じゃあチェリカはどうなるんだ、とトアンが抗議の声を上げた。

「……正直、ヒトを、エアスリクの魔法耐性が強いヒトを石化する方法なんて、わしには見当もつかないのじゃ。アリスやミルキィでも無理じゃろうな」

「……そんな」

 がっくりとルノの肩が落ちるのを見て、テュテュリスは慌てて付け足した。

「まだ、諦めろとはいっておらんよ。──そうじゃ、フロステルダじゃ! あそこにはほにゃらら卿という人体に対する呪いや魔法を研究してる者がおるという。かつては氷魔一族の傍に屋敷を構え、あくどいことをしていたようじゃがの。セフィラスとクランキスによって心を入れ替え、以後は熱心な研究者になったらしい」

 かなり重要な部分が曖昧になっている情報だが、ルノが顔をあげるのには十分だった。──情報ではない。ルノの心を刺激したのは、フロステルダ、という言葉だとトアンはわかっていた。


 フロステルダ。──シアングの、いる世界。


 テュテュリスもそれが分かっているようで、うんうんと頷きながら続けた。

「フロステルダにはシアングがいるんじゃろう。その研究者の足取りを調べるのに、まずはシアングの協力を仰ぐとよいじゃろうな。なにしろ、あやつは──……」

「行く! 行きましょう、ルノさん!」

「な、何じゃトアン」

「テュテュリス、どうやって行けばいいの?」

「う、うむ。フロステルダとのゲートはこの世界に無数にあるが──一番確実なのは、ハルティアの泉から行くべきじゃな」

 呆気に取られるテュテュリスの前でトアンがルノの手を握ると、ルノがやっと頷いてくれた。──シアングに会いたかっただろうに、彼に圧し掛かる全てがそれを制限してしまっていたのだろうとトアンは思う。今だって、治療法を探すという口実がなければルノは首を振らなかっただろう。

 不確かな情報だが、先が見えてきた。ルノも笑みを浮かべて、安心したように紅茶を飲んでいる。──彼は普段、レモンティーは飲まないはずなのに。

 ルノのほんのちょっとした動揺が可笑しくてトアンが笑うと、漸く全てを理解したのだろうテュテュリスも喉を震わせて笑った。

「決まりじゃな」

「うん、ありがとうテュテュリス。」

「いやいや、わしは何もしておらん。一緒に旅に同行してやりたいがの、領域を侵すことになってしまうからのう」

 ふうとため息をつきながら、テュテュリスは自分の紅茶を飲む。トアンもそれを見て、冷め始めたカップを手に取った。濁りのないその水面を何気なく見ると、なにもしていないのに波紋が生まれた。

(……?)

 ゆらり、一瞬水面に何かが映る。だがそれをトアンが認識する前に再び波紋が起き、像は消えた。

(なんだ、今の)

 目を凝らし、もう一度水面を見たトアンの顔に影が掛かった。何か、と思って顔を上げると、一人の少年がトアンを真っ直ぐに覗き込んでいた。


「──トアン・ラージンさんですね」


 水面に、一人の少年の幼い顔が浮かんだのを、トアンは見ていなかった。だから気がつかなかった。──それが、目の前の少年の、昔の姿だということに。


「え?」

 疑問ではなく確信を込めた問いかけに、トアンは眉を寄せた。トアンはこの少年に会うのは、今が初めてのはずだ。

「トアンさんですね」

 もう一度念を押すように問われ、とりあえず頷くトアンである。助けを求めるようにルノを見るとルノは首を傾げているし、テュテュリスも驚いたように少年を見ていた。

「なんじゃ、トト。知り合いか」

 テュテュリスが言う。──少年の名は、トトというらしい。

 トアンは今更ながら、少年の姿を見た。歳は十七、八くらいだ。少なくとも自分よりは年上。まだあどけなさが残る、少年と青年の狭間のようだ。インクブルーの髪と強い意志を湛えた真っ直ぐな群青色の瞳、腰には一振りの剣。胸元には金の鎖のネックレスが光り、服に隠れて少ししか見えないが、ネックレスには指輪のようなものが通っている。

(兄さんの指輪の付け方みたいだ)

 首から下げるなんて、サイズが合わないのかな。

「知り合いでは、ないです。俺、トトっていいます。突然すいません」

 ぺこりとトトが頭を下げる。年上の少年にそうしてもらうのになんだが居心地の悪さを感じ、トアンも立ち上がって頭を下げた。

「あ、いえ……気にしないでください」

「ありがとうございます」

「トトさん、どうして、オレの名前を知ってるんですか?」

「あなたのお父さんに、教えてもらったんです」

「父さんに?」

 トアンは素直に驚いた。このトトという人物は、父と親しいのだろうか。

「キークさんには色々お世話になって、それで教えてもらったんです。俺、今学校の授業で精霊のことを調べてるんですけど……それで、キークさんが、俺の勉強をのためにトアンさんを探して同行したらいいと言ってくれて。それで、『あなたがここに来る事を知って』待ってたんです」

「……オレが、焔城にくることを知ってた?」

 妙な言い方にトアンが眉を寄せると、トトが慌てて弁明した。

「あ、あの、占ってもらったというか」

「ああ、夢幻道士の力?」

「は、はい。」

「そっかぁ……ヴァリンさんにもできるんだし、父さんだってできてもおかしくないよな……」

 トアンは一人でなんとなく納得した。あの父の能力はどこまでできるかわからないからだ。──予知ができるなら、アリシアのことも知ることができたのではないかという疑問は頭の隅にそっと置いておいた。

「……キークさんではなく、占い師の方に教えてもらったんです」

 と、トアンの頭の隅に何重にも包まれて隠されようとした質問にトトが笑いながら答えてくれた。

(よくわからないけど、うん、成程。)

「同行だって?」

 ルノが口を挟む。トトの表情が真剣な──どこか必死な──ものに変わり、ぺこりと頭を下げる。

「ご迷惑な話だとは思います。でも、俺、あなたたちの旅についていきたいんです」

「何?」

「お願いします」

「……お前は、私たちの旅の目的を、全て理解しているのか?」

 先程の話をしていたときトトの姿はなかった。僅かな疑いを声に滲ませて、ルノが問う。

「言いたくはないが、お前が犯人と何の繋がりがないとは言い切れない。そうでなくても──私の故郷は、あまり他言できるものではないんだ」

「……。信じてもらえないのもわかってます。旅の目的もよくわかってません。無理に聞こうとも思ってません。疑いを解くことはできないけど……それでも、俺は一緒に行きたいんです」

 頭を下げたままのトトの姿に、ルノがカップを置いて傍に寄った。それから、トアンの方に、任せてくれと頷く。

「……顔をあげろ」

 年下の少年の命令にも関わらず、素直にトトは顔をあげた。

「きっと、お前はそんな奴じゃないな」

「いえ……」

「こんなに綺麗な目をしてるんだ。疑って悪かった」

「はあ」

「正直お前の言っていることはムチャクチャだが……どうあっても旅に同行したいようだな。なあ、トアン?」

 そうトアンに振ったルノの顔は、優しく笑っていた。生まれたばかりの子馬の目を見たときを思い出した、と言って。

 トアンもトトの目を見た、その──瞬間。


 ぐらりと頭の中が揺れた。足の先から何かが這い上がってきた。嫌悪ではなく親しみのそれは、トアンの脳裏を突き抜けて拡散する。


「……トアン?」

 心配そうなルノの声にハッとし、トアンはなんでもないと手を振る。

(今の感覚──)



 ああ、彼もそうだったのか。



「オレも賛成。──よろしくお願いします、トトさん」

 ぱっとトトの表情が明るくなる。その瞳が嬉しそうに細められる瞬間、群青色の目は紫に染まった。

 こうして、三人目の仲間が今回の旅に加入した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る