第3話 流した涙、一滴。
トアンと、ルノ。
たった二人になってしまった旅の仲間だったが、旅は順調だった。ルノは氷の魔法は使えないままだったが回復ができるし、トアンの剣技だって鈍っていない。しかも馬車に乗っている間は魔物が襲ってくることは殆どない。時折ジャスミンを休ませ小休憩を少し取っただけで、あとはひたすら馬車を走らせる。リコの村はとうに過ぎ去り、港町ルトカスィまでやってきていた。
町の門の前で馬車から降りると、潮の香りと活気に溢れる港へと歩んでいった。
「ええと……焔城にはどうやっていくんだっけ」
数々の巨大な船を見渡し、トアンがふと呟く。
「……ハルティアで私たちと別れたあと、ジャスミンを向かえに焔城に戻ったのだろう? それから、あの村に戻ったんじゃないのか?」
「うん、そうなんだけど……あの時はもう、なんにも考えてなかったからさ。覚えてないんだよ」
へへ、と頼りない笑いを浮かべ、トアンはルノを見る。ルノは少し目を丸くしてから、彼にしては珍しく、同じく頼りない笑みを返した。
──正直のところ、ルノは疲れていた。
本来扉で繋がっているエアスリクとハルティアのあるこの中間の世界。しかし、チェリカがかつてそうしたように、扉は使わなかった。
ルノは無我夢中で崖から飛び降り、雲も風もきって落下中の、身体の内部が持ち上がるような嫌な感覚を忘れるほど必死に、『トアンの元へ』と祈り続けていた。そして無事に彼の元へ辿りついたわけだが長い落下と集中は酷い疲労となってルノに圧し掛かり、挙句の果てに昨夜は徹夜。こうしてジャスミンにもたれながら歩いていても、トアンが懸命に行き先を船乗りに尋ねていても、意識は潮風に運ばれて眠りに落ちそうだった。
(眠い)
昨日はまったく感じなかった眠気が、今更圧し掛かってきている。
(……眠い。)
「……さん」
(……ああ、瞼が重い……。)
「ルノさん!」
「!」
トアンの大きな声にはっとして目を見開く。
「大丈夫?」
「あ、す、すまない……」
「それよりほら、アクエさんだよ、海賊船の。焔城に行ってくれるって」
沈みかけていた意識は一気に浮上し、ルノは紅い瞳を瞬いた。トアンの隣に居た少年の存在に今更気付いたが、彼は気にした様子はなく、目を細めて栗色の髪を掻きあげる。
「久しぶりだな、トアン、ルノ」
「……ええと、アクエリアスだったな」
「うん、そう。……悪魔だなんて言って、ごめんな? 結局謝れないままお前等と別れちまったけど……今会えたから良かったァ。」
日に焼けた肌を輝かせてアクエは笑うと、そっとルノに握手を求めた。ルノも応じる。
「別に、気にしていないさ。あの時はお前もお前で大変だったんだろう」
「そうだけど、さ」
アクエリアスはケラケラと笑い声をあげて、重ねた手を離した。
「そういやさあ、何でお前等二人っきりなの? 喧嘩でもした?」
「!」
明るい口調で問われ、ルノはぐっと言葉を詰まらせる。助け舟を出すようにトアンが口を開くが視線でそれを制し、ルノはやんわりと切り出した。
「喧嘩はしていない。少し、事情がな」
「ふうん。お前等仲良かったからって気になったけど……俺、聞かないほうが良かったな」
ごめんなあ、そう先に言われるとどうもできない。とりあえず、ルノは何とか笑みを作って気にするなと告げた。
「そっそれよりアクエさん、お願いします」
「お、任せな。何々、あの時の礼で船賃はまけてやるから。乗れよ、もうでるぜ」
船の上をマストの白が眩しく包み、船員が忙しなく動いていた。出港ギリギリだったようで、運が良かったとトアンは一息つく。案内をしてくれるアクエの後ろ姿を見失いように早歩きになった。
「お前等の部屋はこっち。……大丈夫、海賊が襲ってこない限り、俺たちが迎え撃つ必要ないから。」
態々そんな説明をするアクエの言葉に、迎え撃つという部分を聞いてトアンは苦笑する。どうやら海賊船エラトステネスは健在のようだ。
「ルーガさんは?」
「今はちょっと療養中だ。だから俺が、今の船長」
「へえ……」
「ルノ、船酔いしそうだったら潮風にあたりな」
「大丈夫だ」
案内された部屋はベッドが二つとソファが並んだ簡素な部屋だった。窓から、水面が近い海が見える。
「飯、こっちに持ってくるよ。ゆっくり休め」
そういうなりアクエはルノをベッドに突き飛ばす。ルノが抗議の声を上げようとする前に毛布をかぶせ、トアンの荷物をソファに放り投げた。
「アクエ!」
「眠いんだろう、お前」
「……」
「言っただろう、ゆっくり休めって。トアンはどうする、寝るか?」
テキパキと動き、カーテンを閉めながら問うアクエに、トアンは慌てて首を振った。
「ありがとう。でも、少し船の中を探検したいな」
「構わないぜ。……俺はついてられないけど、迷うなよ?」
ばたん、扉が閉められる。アクエがいなくなると部屋の中には静寂が訪れた。
「……嵐のような奴だったな」
毛布の隙間からルノが言う。
「一年前は、もう少し違っていた気がする。……船長になったといっていたから、責任感が芽生えたんだろうか」
「うん……びっくりしたけどね。」
トアンが笑うと、ルノが欠伸交じりの笑い声をあげる。
「トアンは寝ないのか? お前も徹夜だっただろう?」
「逆に目が冴えちゃって。ちょっと見てくるね」
「了解だ……」
ルノのむにゃむにゃとした返事を聞くと、トアンはそっと部屋の扉を閉めた。
「さて、どこへいこうかな」
操縦室なんていったら邪魔になるのは分かっているし、積荷を見に行っても変な誤解を招いてしまうかもしれない。甲板は船員が走り回っている。
「……皆忙しそうだ」
当たり前の感想を呟いてから、走り回る船員の顔を見る。見覚えのある人物がちらほら見えるが、まったく知らないものもいる。ただ、確かなのは皆一様にアクエの指示を待ち、それに従っていることだ。
「すごいなあアクエさん……」
たかが一年、されど一年。彼は確実に成長をし、一歩一歩『大人』という存在に近づいている。……しかし自分はどうだろう?
「……まいったなあ……ん?」
ふっと苦笑し、なんとなくマストを見上げる。高い見張り台を見上げるだけでも目がくらみそうだ。──真っ白なマストに、赤がはためいている。
(誰かいる)
ただの赤ではなく、それはワインのような、上品な赤。マントかなにかだろう。周囲を見渡し、船員が見張り台に殆ど関心なさそうだと確信が持てると、トアンは梯子に手をかけた。
上にいくごとに風は強まり、トアンは思わず身震いした。ちらりと下を見て、……後悔。見なければよかった。
「も、もうちょっともうちょっと……」
自分にそう言い聞かせながら腕を動かす。──何とか登りきり、身体を見張り台の上へ押し上げる。そして顔をあげ──息をのんだ。
上品な赤は、思ったとおりマントだった。上半身をすっぽりと包み込む長さだが、後ろが長い。マントがひらひらと揺れるのにつられるように、『少女』の黒髪のツインテールもゆっくりと揺れた。彼女はトアンに背中を向けていて、遙か遠くの海を見ているようだった。
「何か用か?」
「!」
振り返らずに、『少女』はトアンに言う。突然のことに驚いたトアンは言葉を見つけられず突っ立っていると、少女が再び口を開いた。
「何か用があるんじゃないのか」
声は、とても幼い。身長もとても小さい。──まだ、十歳やそこら、といった印象だ。それなのに、少女の口調は大人びている。
「い、いや……別に用は、ないけど。下から見て、君のマントが気になって……」
「それのためだけに、あんなに青い顔をしながら梯子を上ってきたのか」
「……見てたの?」
「もちろん」
くす、少女の背中が笑った。
「本当に用はないのか?」
くるり、少女が振り返る。ツインテールが揺れた。
「ないよ……あれ?」
トアンは手を振ったが、少女の顔を見てふとなにかを感じ取る。──どこかで見たことがあるかもしれない。
「……君、名前は? オレ、君に会った事ある?」
少女はトアンの言葉に目を丸くした。それから額に人差し指を当てて何か考え込むようにし──ゆっくりと目を開けた。
少女の瞳は、少し緑がかった深い水色だ。──トアンはそれに、違和感を覚える。
「……一度に二つも聞くな。それから、名を尋ねる前に自ら名乗れ」
「ごめん。オレは、トアン・ラージン。君は?」
「スピカ。」
少女の名は、スピカ。……トアンは頭の中を引っ掻き回したがそんな名前の人物にあったことはない。思い違いだろうか。
「それから、私はお前に会ったことはない。……恐らく『誰か』と混合してしまったのであろう」
スピカはふっくらとした唇を尖らせてそういうと、トアンから海に視線を戻した。
機嫌を損ねてしまったのだろうかとトアンは焦るが、その横顔を見るうち、彼女が何か悲しんでいるのではないかと思った。何故だろう。別に少女は泣いてはいないし苦情も言わない。それでも何故か、ふと思ったのだ。
「スピカは、焔城へなにしにいくの?」
「……え?」
言われてから初めて気付いたように、スピカは目を丸くしてトアンを見た。
「だってこの船、焔城に行くんだよ」
「……あ、そ、そうだった。いや、私は別に焔城に行こうと思っているわけではないんだ」
「え?」
「……行きたいのは山々なんだがな。まあ、私には目的はないんだ。放浪みたいなものだな」
「そんなに小さいのに?」
「……悪いか?」
「い、いや悪くないよ。……オレ、下に戻るね」
とりあえず一声掛けてみたものの、少女の目には海しか映っていない。
(会ったことがあると思うんだけどなあ……)
心のなかでぼやきながら、トアンは再び非常に怖い思いをしながら梯子を降りた。
「レム」
トアンが遠ざかったのを確認すると、スピカは小声でそう呟いた。と、彼女の隣に光が収束し、一人のヒトのシルエットを作り出す。輪郭は朧で、ただヒトの形をしているものだが、スピカは恐れた様子を見せずに続けた。
「トアンに会った」
『……そう』
影が答える。
「私のことを、『どこかで見たかも』と言っていたよ。……それは、ママと重ねているのかな」
『そうだろうね。君の黒髪は、彼女そっくりだから』
スピカはそっと自分のツインテールを撫で、ため息をついた。
「……私には、あの少年がとても『アレ』と同一人物とは思えない」
『そうだろう。この時代の彼は、まだ『アレ』の片鱗すら感じさせない、純粋で無邪気な少年だ」
「そのトアンが何故、だな。……トトは無事に着いたか?」
『ああ。今焔城に向かっているようだ。トアンたちと出会うのも、そう遠くはないだろうね』
「……ならば、心配はいらないな。私は港へ帰る。レグルスが泣いているだろうから」
『分かった』
ふ、風に散るようにヒトの形をしたものが消滅していくのを見届け、スピカは目を閉じる。するとどうだろう、その身体も見る見るうちに光の中へ消えていった。──完全に消える前、スピカは目を開いて甲板を見た。そこには、船員に指示を出すアクエが居る。
「……パパの弟なのに、ちっとも似ていないな」
その一言だけ呟くと、彼女の姿は跡形もなく消え去った──……。
結局スピカに出会った後何処にもいけず、トアンは部屋に宛がわれた戻ってきた。出てきたときと同じようにゆっくりドアをあけ、中に入る。ルノはベッドの上でぐっすり寝ているようだ。
「……暇だな」
ぽつりと呟き、鞄の中にしまっておいた本を出す。書きかけのそれに再び旅が始まったことを書こうと本を開くと、そこには丁寧な字で、
『またよろしく頼む』
と書いてあった。
「ルノさん……。」
あまりにも可愛らしい主張にトアンは笑い、ぺらりとページを捲る。羽ペンのインクがぼたりと垂れたが気にならなかった。
ほんの一日と、数時間。それだけなのに、書くべきことは多かった。今までのことを書き出し終わり、トアンは背伸びする。窓から見える海面は暗い。首をまわすと、上空の空も暗くなっていくところだった。
(もうこんなに暗くなってる……ルノさん、起きないな)
ちらりと眠るルノに視線を移す。なんとなく、のつもりだったが一度張り付いた視線は剥がれなかった。その寝顔があまりにも美しかったから。シーツに広がる銀糸が、ランプの明かりにキラキラと反射している。
思わずトアンはルノのベッドの傍にいき、まじまじと彼の寝顔を除きこんだ。
「飯持ってきたけ──」
タイミングが悪いにも程がある。
勢い良く扉を開けたアクエはトアンを見て凍りつき、それからそそくさと回れ右をした。
「──ど、ああ、なんか邪魔だったな」
「い、いや、誤解ですから! ご飯ありがとうございます! いただきます!」
「え、いいよ……」
「何で引いてるんですか!」
「だって寝顔見入ってるヤツみたら誰だって引くっての」
アクエは顔を背けるが、トアンの顔が呆然としていくのを見るとぷっと吹き出した。
「ごめん、からかいすぎた。」
「……オレも悪いですから」
「ほら、飯くって元気だせよ」
そういうなり、アクエは廊下から銀のカートを部屋に引き込んだ。カートには、色とりどりの野菜のサラダとメインである魚のムニエル、それからふっくらとしたパンがバスケットに入って積まれている。
昨日からろくな食事を取っていないことを思い出し、トアンは腹を押さえた。
アクエはそんなトアンの様子を見て笑い、ベッドサイドの折りたたみのテーブルを引き出して料理をならべていく。
「そうだ。船の見学は楽しかった? どこ見に行ったんだ?」
「え?」
「いやさ、操舵室かなって思ったけどいなかったから」
「見張り台に登ってたんだ。あ、ありがとう」
「ルノは起きてからでいいよな。トアン、用意してやってくれ」
「任せて」
すっかり料理が乗ったテーブルの前に椅子を引いていき、それから良く冷えた水の入ったグラスを受け取る。
「見張り台か。景色はいいだろうが、つまんなかっただろ」
「アクエはずっと海を見てるからそう思うんだよ。オレは凄くキレイだって思ったよ? 昇り降りが怖かったけどね」
「それは良かった」
「うん、あ、スピカにも会えたし」
「……スピカ?」
部屋から出て行こうとしたアクエの足が止まり、怪訝そうに振り返る。
「誰だよそれ」
「ほら、ワイン色のマントに、黒髪のツインテールの女の子。──あ、そうだ。あの子テュテュリスに似てるんだ」
首を傾げるアクエに対し、見張り台の上に居た少女の容姿を説明しているトアンの頭に、それは電撃のように突然光った。
あの少女は、アヤタナの国で見たテュテュリスの幼い子供の姿に似ている。最も、テュテュリスの方が中性的で、少女とも少年とも言える顔をしていたのだが。スピカはテュテュリスとは違い、瞳も切れ目ではなく、アーモンドのような丸みを帯びていた。顔も中性的ではなく一目で少女とわかる顔立ちだった。
「……何のことだか良くわからないんだけど」
「あ、ごめん」
「とりあえず言っておくけど」
アクエが少し不機嫌そうな声で続ける。
「今回、お前等以外の客は乗せてない。船員にもスピカなんて名前のヤツはいない。第一、女はいない。」
「……え?」
そんな馬鹿な。自分はあの少女と会話もしたのだ。
しかしそんなトアンの思いをはねつけるようにアクエは言う。
「あんまり言いたくないけど。……幽霊でも見たんじゃないか。船の上では、少なくない話らしいし」
それを告げると、アクエは部屋から出て行ってしまった。パタンという虚しい音がやけに大きく聞こえる。
「……幽霊だって?」
あれほど鮮明な存在感を放っていたのに?
──しかし、スピカなんて少女はこの船にはいない……?
思考を巡らすトアンの頭は、大きな音で抗議した胃袋によってピタリと停止した。
翌日の夕方、海賊船エラトステネスは焔城近辺の桟橋に着いた。船酔いでぐったりしているルノを支えながらタラップを渡り、トアンはアクエに礼をする。アクエはいい、気にするなといって笑ってくれた。
トアンは、スピカのことはあまりふかく考えないことにした。彼女は幽霊なんかではないと感じていたけれど、ならば何故、あの場所にあの少女がいたのか説明ができない。ルノに話してみてもルノはわからないと言っていたから、そこで思考をピタリととめた。自分より知識があるルノがわからない、といっているなら、いくら自分が考えてもわかるはずはないのだと。
「それじゃあな!」
錨が上げられ、少しずつ船が遠ざかっていく。アクエが身を乗り出して手を振ってくれた。
「ありがとうアクエさん!」
「いいってことだ」
ルノもトアンに続いて何か言おうとしたが、体調が万全ではないのだろう。手を振るだけに止めていた。その様子を見てアクエが笑う。
「そうだ、いつかシアングに会ったらさ、また顔見せろって言っておいて!」
「!」
アクエの笑い声に、ルノの身体が硬直する。幸いかアクエはそれに気付かず、それきり顔を引っ込めてしまった。──もう、見えない。
「……ルノさん?」
「……。」
「ルノさん、大丈夫?」
「──、あ。ああ。すまない」
「どうしたの?」
「……いや、な。あの船はシアングがいたんだろう? ──……少し、寂しいなと思って」
ふふ、そういってルノは笑ったがその笑みは深い悲しみが滲んでいた。トアンはふと、自分とルノがなんだかとても似ているように思えた。──自分も、チェリカを思い出して、寂しいという感情で心を揺さ振られたから。
「──よし、さあ、行くぞトアン」
ルノがそう切り替えたが、トアンはまだ浮かない気分だ。
「ルノさん……」
「なんだその湿った顔は。カビが生えるぞ」
「……チェリカにも似たようなこと言われたよ。オレの髪を見てアオカビって」
「そうか? ふふふ」
漸く二人は笑いあうと、焔城への草原へ足を踏み入れた。
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