第2話 夢の続き



「……ありがとう。」

 とりあえずお茶を出してやると、ルノはそれを両手で受け取って深々と礼をした。さらりと銀髪がその肩をすべり、ランプの光の中で淡く光る。


『トアン、助けてくれ!』

 そういうなり気を失ってしまったルノはつい先程目を覚まし、動揺した様子でトアンの家を見回し、そこにトアンの姿を見つけると漸く落ち着いてくれた。

 薄暗い明かりの下で見るルノの姿は、一年前に別れたときとあまり変わっていない。頬に影を落とす睫毛も、紅い輝きをもつ瞳も、少女のような愛らしい顔も。変化といえば、短くなった銀髪がほんの少しだけ長くなっていることだろう。身長も殆ど変わっていない。もしかしたら、まったく伸びていないのかもしれなかった。

「ここは、トアンの家なんだな」

「うん。そういえば、来るのは初めてだよね」

 旅の仲間でトアンの家に足を踏み入れたのは、同じ村であったウィルと、ルノと同じように天井をぶち破いて落下してきたチェリカだけだ。

 ルノは本が散乱した机の上や、様々な伝説が記された資料の紙の束を興味深げに見渡して、それから手に持ったカップの紅茶に視線を落とした。トアンからは見えないが、恐らく赤く澄んだ水面に映る自分とにらめっこをしているのだろう。

「……それよりルノさん、一体何があったの?」

 ゆっくりとした口調でトアンが問うと、ルノの瞳が伏せられた。

 できるなら自分が落ち着いてから話して欲しい。が、しかしトアンは先程みた夢の所為で心の奥がざわざわと蠢いているのを抑えるのに必死だった。

「教えてルノさん」

「……。私にも良くわからないんだが……だが、いつもどおりだった」

 そんなトアンの様子に気付いたのだろう、ルノが顔を曇らせながら少しずつ語りだした。

「お前と別れてからずっと、チェリカの様子はずっと変だったんだ。でもそれも、この一年ずっとだったから日常になっていた。先程も、ほんの先程まで……気分転換のつもりだった。仕事の息抜きとして、私とチェリカは、庭に出たんだ……」

 ルノの語尾が震えた。

「いつもどおりの庭だった。それが、突然……チェリカが私を突き飛ばして、気がついたら──」

「……石になって、いた?」

「──!」

 トアンの問いに、ルノの見開かれた瞳から零れた一滴の涙が、それを肯定していた。

「そうだ──しかし、何故、それを」

「夢を見たんだ。チェリカが落ちてきたときと同じように、ね。」

「夢を……?」

「うん。ルノさんがくる、ほんの少し前に。」

「……そうか。」

 ルノの視線は再び紅茶の海に沈んでしまった。トアンは予想していた嫌な願いが当ってしまい、ルノの手前こっそりとため息をつく。

 しかし正直なところ、自分を頼ってくれたのはとても嬉しかった。エアスリクとこの地上との距離をこの一年間ずうっとかみ締めていたのだ。──時々、もう、会えないかと思って落ち込んでいた。

「……紅茶、ミルクいれた方がいい?」

 ルノの心境を変えようとしたトアンの試みにルノはついと目線をあわせ、

「ストレートのままで構わな……いや、お願いしよう」

 と、途中で気付いてくれて、やんわりした微笑みを向けてくれた。

 トアンも笑みを返し、ほっそりとした指に抱かれたカップを受け取って、温めたミルクを注ぎながら頭の中を動かす。


 本当にこの一年間、トアンの時間は止まっていた。

 仲間たちと旅をした記憶を、本の中の物語を自分が勘違いしたものかと疑ったことも少なくはない。これが現実、あの旅は夢。時折来る兄や親友からの手紙がなければ、トアンはとっくに動かない時間だけが現実かと思い込んでいただろう。


「トアン」

 僅かに焦ったルノの声にはっと我に返ると、丁度なみなみと盛り上がったミルクティーが零れていくところだった。

掌の上を温かな液体が流れ落ちていく感覚にトアンは事態を把握し、右手で注いでいたミルクのポットを置くとタオルで拭い、零れないように慎重にルノに渡す。

「ご、ごめん」

「いや……ふふ、変わっていないな」

「え?」

 受け取ったカップに軽く口をつけ、ルノが笑う。カップの中で笑い声が反響し、トアンは漸く、久しぶりに友人に会えた実感を持った。恐らく、ルノもそう感じてくれたのだろう。

「お前のそういう、間抜けなところだ」

「ま、間抜けかなあ、オレ」

 よっこいしょと向かいの木の椅子に腰掛け、トアンは首を傾げる。ルノの笑い声はまったく不快ではなかった。つられて、トアンも笑う。

 と、トアンは先程のルノの言い方に疑問をもった。

「それはまあ置いといても、オレ、他のところも全然変わってないよ?」

「変わったさ」

「どこらへんが?」

「背も少し伸びたな。それに、声が少し低くなった」

「……。そういうルノさんはちっとも変わってないね」

「悪かったな」

 ルノは懐かしそうに目を細め、それから落ち着いた声でトアンに言った。


「さて、これからどうしたものか」





────────


「ジャスミン、久しいな!」

 馬小屋から出してやった黒い雌馬にルノが笑いかける。トアンはそれを微笑みながら見送って、奥から馬車の荷台を出そうとする。

「そうか、あれからトアンが面倒を見ていたのか……」

「うん。でも、すごいいい子だからさ。全然世話ってほどのことしてないんだよ……よっと」

 少々一人で運ぶには辛いものの、ルノに手伝わせるわけにはいくまい。一人でなんとか運び出し、荷台に積もった埃に息を吹きかける。

「……一年分の埃だな」

 ジャスミンを撫でながらルノが呟く。以前はあまり意識しなかったが、今のトアンと目線を合わせるために随分首の角度を気にしているようだ。上下にルノが首を動かして、少し変な感じだな、と言う。

 トアンは目線とほんの少し首を下げるだけなので以前と殆ど大差がないのだが、それは黙っておいた。


 これからのことについて、トアンたちは一晩頭を働かせた。トアンは石化の解除方法も、そもそも人が石化するための条件なんてまったくわからないので、本の海にもぐることにした。この家にはキークがアリシアの蘇生のために集めた様々な本が残っている。石化の治療だってあるかもしれない。ルノも一緒になって本と格闘し、しかし結局、朝日が来る頃疲れた顔を見合わせることになった。

 ──何も、手がかりが見つからなかった。


 しかし諦めるわけにはいかない。トアンは父に助言を乞おうとしたが連絡方法がわからず、とりあえず顔を洗うことにしたのだ。頭をリセットするのには冷たい水ほど相応しいものはない。

 ルノはトアンを見送ってから、そっとトアンの机の上に積まれた紙の束を見た。自分は同じものを見たことがある──そう、チェリカの机と同じだ。まさかと思い、そっとその紙を持ち上げてみる。驚いたことに、内容もチェリカのものと同じだった。──チェリカへの、手紙だ。チェリカはトアンへの手紙を書いていた。

(トアン……そうか、お前をこの一年は苦しめてしまったようだな)

 これには何も言うまい、とルノは首を振り、何事もなかったように手紙を元に戻した。盗み見なんてして悪かったと、心の中で詫びて。

 ──と。

 ひらり、とルノの目に留まるように、目の前で一枚の紙が舞った。

(いけない、これも戻しておかないと……)

 そうは思いつつも、目は文面を走ってしまう。

(……──! これは!)

 ルノはその紙を握り絞め、洗面所にいったトアンの後を追った。

「トアン! 聞いてくれ!」



 ──見つけたのは、テュテュリスとの手紙だった。

 文面は日常のことやなにか面白いことが書いてあるのだが、問題はそこではない。差出人が重要なのだ。

 テュテュリスは、焔竜。竜とは精霊と人間を繋ぐ存在。そして、その頭脳の中にはとてつもない量の情報が詰まっている。

 ならば、テュテュリスに助けを求めてみよう、というルノの案に、藁にも縋るような思いでトアンは頷いた。



そして、再び旅立ちの用意をしていたのだ。

 もとよりルノは身一つに近い格好なので、詰め込むのはトアンの荷物だけだ。食料と、剣と、地図と、あと何を持っていこうかと家の中を見渡し──大事なものを忘れるところだったと机の上の紙に埋まっていた本を引っ張り出す。

(終わり、なんて書かなくて良かった。……不謹慎だけど)

 ふっと苦笑を浮かべ、それをリュックにつめてしまうとトアンは家の鍵をかけた。

 かちりという小さな音を聞き届けてからグローブを手に嵌め、待ちくたびれて頬杖をついていたルノを振り返る。

「お待たせ」

「もういいのか」

「うん、あとは買えばいいし」

 馬車に飛び乗って手綱を握る。こうしてトアンたちは焔城へ向けて出発した。以前は賑やかだった馬車が今は二人きり。隣に座るルノの顔が少し寂しそうに見えたトアンは、かける言葉に迷って結局なにもいえなかった。

(チェリカ、待ってて。絶対助けてあげるから──)

 見上げた空に、エアスリクが見えることはないとわかりきっているのに。





 すう、突然身体に重力を感じた。先程までの圧迫感、そして続いて訪れた浮遊感が消えると同時にだ。それから光を感じ、暖かな光が肌を撫でると少年はそれが太陽の光だと知る。冷たい風も感じた。

 ゆっくりと目をあけ、辺りを見渡す。群青色の目に映ったのはまだ春になったばかりの青い草原だった。何故それが分かったかといえばまだ周りの山には雪が残っているし、先程から感じている風が冷たいからだ。広い草原の向こうに、古い城が見えた。

「……成功したのかな」

 少年は一人心地で呟いて、さわさわと音を奏でる草原を歩き出した。インクブルーの髪が風に遊ばれる。

「うん、きっと成功したんだ。ってことは、あの城が焔城か」

 立ち止まって、少年は目を細めた。無意識に首元を手が探る。繊細な金の鎖のネックレスとそれに通された指輪に指が触れると、安堵の表情を浮かべた。

「……絶対、助けるんだ」

 少年は顔を引き締め、再び歩き出す。

 

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