第3話 薬師さん、結婚しよう

「休んでくれアプロ」


 周囲の安全を確かめた後、エーリッヒはアプロに命令を下した。


「へへっ、その命令を待ってたぜ御主人ごすずん


 アプロはゆっくりと歩いて草原の木陰に身を横たえる。


 エーリッヒはその黒髪の女性をまるで異国の姫君のように大切に抱き上げて、アプロから降りた。


 アプロの鞍に縛り付けていたリュックから毛布を取り出し、彼女の身体を包み、草原にゆっくりと寝かせる。


「お姉さん、お姉さん大丈夫か?」


 何度か声をかけられると女性の大きな瞳に光が戻ってくる。


「言葉、通じるんですね。それにその紫の瞳は……」


「良かった生きてた! ああ、俺の親父が西方の人なんだ。それに今は騎狼族ヴーアミも西方の人間と貿易するからな」


「そうでしたか……良かった。お話できる相手で。騎狼族ヴーアミはもっと恐ろしい人々だと伺ってましたから」


「おうおう美人のねーちゃん相手だからって良い格好してるぜうちのごす


「ちょっと黙れ駄犬!」


「わぅーん(笑)」


「やめろよぉ!」


「あ、あの! 狩人さん!?」


 毛布を羽織った黒髪の女性は二人の漫才に割って入る。


「はいごめんなさいうちの相棒が馬鹿犬で!」


「ああいえ……こ、こちらこそ大きな声を出してごめんなさい……でもその、どうしても聞かせていただきたいことが有って……」


「どうしたのお姉さん?」


「――――私、誰ですか?」


「えっ?」


「マジかよねーちゃん」


「ええと……マジです。狼さん」


 エーリッヒとアプロは二人で顔を見合わせる。


 続いて二人は毛布を羽織っている女性と顔を見合わせる。


「なあお姉さん。何か特技とか有るか?」


「一応、薬師を生業としていた覚えはあります。狩人さん相手にも商売をしていたお陰で貴方を見た時ピンと来たのですもの。でもそれだけでは何処から来たかなんて分かるわけが――――」


「あんたがどこから来たかなんてどうでも良い。お姉さん、俺と一緒にチャンの氏族の旅団キャンプに帰ろう! 西方人にも優しい良い所だ。きっとあんたも気に入る!」


「それは、そのつまり……私のことを知っている人が居るかもしれないということでしょうか?」


「あんたが誰かは大事なことじゃない! きっとこの出会いは氏神様トーテムの思し召しだ。烏色の髮の薬師さん、俺の嫁になってくれ!」


 エーリッヒは特に恥じらう様子も無く言い放った。


「おいおい駄目だわうちの御主人ごすずん


 アプロは駄目だこりゃという顔で溜息をつく。


「えっ、えっ……えええええ!?」


 一方、女性は顔を赤く染めて口元を手で抑える。


「どうしたお姉さん? 俺はもう十四だぜ? そろそろ嫁さん連れ帰ってお袋とか弟達を安心させないとさ。あ、もしかしてもう恋人居たのか? だったら悪かったな忘れてくれ。帰り道は送るから道を教えてくれると……」


「い、いえそうではないのですが……」


 騎狼族ヴーアミと西方の人間では結婚を始めとする様々な物事への価値観が違う。


 生まれたこの方狩りと音楽のことにしか興味の無かった草原育ちのエーリッヒにはそこら辺の事情が理解できていないのだ。


 アプロは主の無作法に呆れ、彼をたしなめようと思った。


 だがその時だ。


「なあ御主ごすず――――」


「……まあ、嫌ではないのですが。そういう場合はもう少し時間をかけるのが西方でのマナーですよ」


「ん!?」


 思わぬ返答が女性から返ってきた。


「えっ、そうなのお姉さん?」


「当たり前です。まあ郷に入れば郷に従えと言いますし私もとやかく申し上げるつもりはありません。時に紫の瞳の狩人さん、貴方のお名前は?」


 今度は女性に呆れ顔を見せるアプロであった。


 二人はそんなアプロの七面相など気付かずに話を進めていく。


「そうなの? ごめんな! 俺はエーリッヒ! エーリッヒ・チャン! チャンの氏族の生まれで、父親の名前は同じエーリッヒ! 母親の名前はユミルだ! 家には乳馬ウバが十頭と果羊バロメッツが百頭くらい居るぞ!」


「そうですか。つまり裕福だから生活に心配するなという意味ですね。分かります。私の名前ですが、今は無いので好きに呼んでもらって構いません。とりあえず服が欲しいので用立てて頂けますか?」


「分かった! 今すぐ狼煙で行商を呼ぶよ!」


 そう言ってエーリッヒは手近な枝を折って積み重ね、アプロの鞍に括りつけた小さな袋から乾燥させた粉末を上から振りかけて父の形見のライターで火を点ける。


 騎狼族ヴーアミの使う狼煙は文字通り狼の糞を燃やす。多量に含まれたリンが燃焼温度を上げ、煙を高くまっすぐ上げてくれるのだ。


 ちなみにこの時に出る悪臭には獣避けの効果も有る。


「おい、良いのかよねーちゃん?」


 黒髪の女性はすっかり血色も良くなっており、アプロの問に先ほどの様子からは考えられないくらいの元気の良い笑顔で頷く。


「勿論です。少し歳の差が有るのが気になりますが、私の趣味としてはそういうのも有りですから。騎狼族ヴーアミがどうなのかは知りませんが、生物学的に男性と女性では十年程寿命に差が有ると言われています。そう考えるとむしろ丁度いいかもしれませんね」


「問題点そこなのか!?」


「アプロ! この人何か頭良さそうなこと言っているぞ! これは間違いなく良い嫁さんになる――――あいてっ!?」


 女性はエーリッヒの額を指で思い切り弾く。


「そういう物言いは西方のマナーでは無礼にあたります。他の方が仰るなら文化の違いとして気にしませんが、私の旦那として貴方にはきっちりしていただかないと」


「はーい……えへへ」


 だらし無く笑うエーリッヒ。先ほどまでの死闘で見せていた鬼気迫る表情を返せ、そう叫びたくなったアプロであった。


 そんな姿を見たらご両親がどんな顔を……とも言おうか迷ったが、父はともかく母親は普通に喜びそうなのでこれも諦めた。


 結果として狼らしからぬ非常に複雑で情けない笑みを浮かべていることしかできなくなったアプロなのであった。


「さて、そんなことより名前をどうにかしないと。何か良い案は有りますかエーリッヒ?」


「名前!? うん……西から来たことだし、ナライさんでどうかな?」


「ナライ? どういう意味でしょう」


「俺達の言葉で“西から吹く風”という意味があります」


「成る程……分かりました。では今から私はナライと名乗りましょう。では改めてよろしくお願いします二人共」


「こちらこそよろしくお願いしますナライさん!」


「ナライ、と呼び捨てにして下さい」


「よろしくナライ!」


「ええ、長い付き合いになることを望みます。ところで狼さん」


 急に自分に話が振られたアプロはビクリと身を震わす。


「な、なんだ?」


「エーリッヒの実家というのは何処にあるのですか?」


「ああ……今の季節ならここからしばらく西に行けばチャンの氏族の旅団キャンプは有るんじゃねえかなあ」


「そうだな。今だったら龍泉もその方角に移動している筈だよ」


「龍泉?」


「西にも有るだろ? 龍骸みたいなものだよ。この大草原を駆け巡り、西方のオアシスみたいに周囲に恵みを与えてくれる命の泉さ」


「そんなものが……良いでしょう。分かりました。分かりましたとも。ともかく行き先は決まりです。私が服を手に入れたら行きましょう! 西へ! ゴー! ゴーウエストゴー!」


「やったー里帰りだー!」


「どうしよう……ユミルさんになんて説明すれば良いんだ俺……」


 盛り上がる二人を他所に頭を抱えるアプロなのであった。


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