魔奏の射手~龍骸都市異伝~
海野しぃる
第1話 大草原の小さな狩人
古今東西、狩りには幾つかの鉄則がある。
『獲物が来るまで静かに待つこと』
『群れている獲物を狙うな』
『狩りの前には、必ず龍血を飲め』
遥か西の砂漠でも、この東の果てのザルの大草原でも、不思議なことにこういった掟は変わらない。
この狩人の掟に従い、一人の少年と一匹の狼が木立に紛れて獲物を静かに待っていた。
「……あっ」
「今、腹が鳴ったぞ
待てなかった。
「うるさいうるさい! なんだよその西方の砂兎って!」
紫の瞳の少年、エーリッヒ・チャンは顔を真赤にして隣に座る大きな狼の頭を小突く。
「俺は今朝から何も食ってないんだ。お前が勝手に干し肉を全部食っちゃうから! こんなことならさっき射った苔鹿でも食べて満足しておけば良かった……」
「はっはっは、まあ少し待てよ
蒼き巨狼アプロはそう言って声を忍ばせて笑う。
知らない人間から見れば剥き出しになった牙が実に恐ろしいが、エーリッヒにそんな様子は一切無い。
なぜならエーリッヒは
彼等は自らの相棒である騎狼と共に育ち、その背にまたがって獲物を追いかけ、この生命という生命が喰らい合うザルの大草原で生きているのだ。
相棒の騎狼は彼等にとって自分の半身にも等しい。
「畜生……で、どうだ。他の獣の匂いは?」
「近づいてきているぞ。もう少しだ」
今彼等が行っている狩りは釣り野伏せと呼ばれる
苔鹿と呼ばれる鹿の一種を殺し、草原の真ん中に放っておく。するとその血の匂いで引き寄せられた獣が現れるのでそれを狩る。
「多すぎると食いきれないから、できれば一体だけ来てくれると良いんだけど……」
「弱気な事を言うなよ
この狩猟法では複数体の獣が現れると、それを争い合わせて弱った獲物から狩ることもある。
そして、この時最後まで生き残った獲物を
これは多くの獣、獣魔、獣機が跋扈するこの魔境ザル草原だからこそ発展した特殊な猟法である。
「分かったよアプロ。今日もバッチリ狩ってやるから見てろよな……アプロ?」
エーリッヒの決意に満ちた眼差しを見ることなく、アプロは遠い空の方を眺めている。
「……あー、決意表明をしてくれたのは嬉しいんだがな。不味いぞ
「どうした?」
「西の方から
「ここは矢も通らない毛皮を持つ
「む……
「良いニュースは?」
「
「悪いニュースは?」
「さっきから
アプロがそう言った瞬間、エーリッヒの目は空の彼方に踊る影を捉える。
「――――あいつか!」
鼓膜を直接引っ掻くような、生命の全てが持つ生存本能にその恐怖を訴えかけるような、奇っ怪で非生物的な狂った鳴き声。
獣とも、獣魔とも、獣機とも違う。鼻を突く名状しがたき悪臭。
黄色い嘴、竪琴のような翼、黒く艶めく羽、そして紅に染まった瞳。
そして10mを超える巨体にも関わらず、優秀な騎狼であるアプロにすらギリギリまでその存在は感じ取れなかった神出鬼没ぶり。
エーリッヒはそんな自然界の法則を超えた存在を知っている。
「オーゼイユ! 親父の仇!」
怪鳥王オーゼイユ。
「焦るなよ
「分かっている。いつも通り、確実に」
エーリッヒはアプロの背中の鞍に飛び乗ると、自らの装備を確認する。
霧を操る獣魔、
片や同じく
服は
そして矢筒の中には昨日作ったばかりの矢がざっと三十本。
いずれも手入れは完璧だ。
仕上げとして、エーリッヒは懐にしまっていた
腐った果実臭と乳の香りが入り交じる乳白色の液体。
するとエーリッヒの身体の奥がカッと熱くなった。
「行くぞ、
龍と狼を混ぜたようなその異様な外見は
「応ッ! 準備完了だ!」
一人と一匹は大草原を吹き抜ける深緑の疾風の如く駈け出した。
魔鳥、死すべしと。
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