魔奏の射手~龍骸都市異伝~

海野しぃる

第1話 大草原の小さな狩人

 古今東西、狩りには幾つかの鉄則がある。


『獲物が来るまで静かに待つこと』


『群れている獲物を狙うな』


『狩りの前には、必ず龍血を飲め』


 遥か西の砂漠でも、この東の果てのザルの大草原でも、不思議なことにこういった掟は変わらない。


 この狩人の掟に従い、一人の少年と一匹の狼が木立に紛れて獲物を静かに待っていた。


「……あっ」


「今、腹が鳴ったぞ御主人ごすずん。西方に居る砂兎が相手なら一発で気づかれて逃げられていたな」


 待てなかった。


「うるさいうるさい! なんだよその西方の砂兎って!」


 紫の瞳の少年、エーリッヒ・チャンは顔を真赤にして隣に座る大きな狼の頭を小突く。


「俺は今朝から何も食ってないんだ。お前が勝手に干し肉を全部食っちゃうから! こんなことならさっき射った苔鹿でも食べて満足しておけば良かった……」


「はっはっは、まあ少し待てよ御主人ごすずん。確かに育ち盛りの十四歳じゃ我慢できないのも分かるけれど、慌てる狩人は獲物が少ないって言うぜ」


 蒼き巨狼アプロはそう言って声を忍ばせて笑う。


 知らない人間から見れば剥き出しになった牙が実に恐ろしいが、エーリッヒにそんな様子は一切無い。


 なぜならエーリッヒは騎狼族ヴーアミのチャン氏族の一員として、幼き日からこの草原で狼と共に育った生粋の狩人だからだ。


 彼等は自らの相棒である騎狼と共に育ち、その背にまたがって獲物を追いかけ、この生命という生命が喰らい合うザルの大草原で生きているのだ。


 相棒の騎狼は彼等にとって自分の半身にも等しい。


「畜生……で、どうだ。他の獣の匂いは?」


「近づいてきているぞ。もう少しだ」


 今彼等が行っている狩りは釣り野伏せと呼ばれる騎狼族ヴーアミ伝統の狩猟法だ。


 苔鹿と呼ばれる鹿の一種を殺し、草原の真ん中に放っておく。するとその血の匂いで引き寄せられた獣が現れるのでそれを狩る。


「多すぎると食いきれないから、できれば一体だけ来てくれると良いんだけど……」


「弱気な事を言うなよごす。俺みたいに一杯食ってでっかくなるんだぞ」


 この狩猟法では複数体の獣が現れると、それを争い合わせて弱った獲物から狩ることもある。


 そして、この時最後まで生き残った獲物を騎狼族ヴーアミは至上の馳走として珍重する。


 これは多くの獣、獣魔、獣機が跋扈するこの魔境ザル草原だからこそ発展した特殊な猟法である。


「分かったよアプロ。今日もバッチリ狩ってやるから見てろよな……アプロ?」


 エーリッヒの決意に満ちた眼差しを見ることなく、アプロは遠い空の方を眺めている。


「……あー、決意表明をしてくれたのは嬉しいんだがな。不味いぞ御主人ごすずん


「どうした?」


「西の方から隊商キャラバンが来てる。贅沢そうな食料と薬臭い匂いがプンプンするぜ。恐らく騎狼族ヴーアミじゃないぞ」


「ここは矢も通らない毛皮を持つ樫猪オークの縄張りだ。騎狼が居ないとすぐに襲われるぞ」


「む……御主人ごすずん、いきなりだが良いニュースと悪いニュースが有る」


「良いニュースは?」


隊商キャラバンの連中は樫猪オークの心配をする必要が無い」


「悪いニュースは?」


「さっきから樫猪オークの匂いがどんどん離れている。まあ、要するに何かもっと不味いものが来てるぞ」


 アプロがそう言った瞬間、エーリッヒの目は空の彼方に踊る影を捉える。


「――――あいつか!」


 鼓膜を直接引っ掻くような、生命の全てが持つ生存本能にその恐怖を訴えかけるような、奇っ怪で非生物的な狂った鳴き声。


 獣とも、獣魔とも、獣機とも違う。鼻を突く名状しがたき悪臭。


 黄色い嘴、竪琴のような翼、黒く艶めく羽、そして紅に染まった瞳。


 そして10mを超える巨体にも関わらず、優秀な騎狼であるアプロにすらギリギリまでその存在は感じ取れなかった神出鬼没ぶり。


 エーリッヒはそんな自然界の法則を超えた存在を知っている。


「オーゼイユ! 親父の仇!」


 怪鳥王オーゼイユ。騎狼族ヴーアミの生ける伝承。奴を殺す為にエーリッヒは生まれ育ったチャンの氏族を抜けだしたのだ。


「焦るなよごす、死ぬぞ」


「分かっている。いつも通り、確実に」


 エーリッヒはアプロの背中の鞍に飛び乗ると、自らの装備を確認する。


 霧を操る獣魔、霧麒麟マキリの革を使った若草色の馬頭琴。


 片や同じく霧麒麟マキリの尾毛と樫猪オークの骨を使った弓。


 服は鳴獅子メイリオと呼ばれる獣魔の革から作った深緑色の狩旗袍チコイデール。これは音を吸収して隠密活動を行う手助けになる。


 そして矢筒の中には昨日作ったばかりの矢がざっと三十本。


 いずれも手入れは完璧だ。


 仕上げとして、エーリッヒは懐にしまっていた乳馬ウバの革袋を開けた。


 腐った果実臭と乳の香りが入り交じる乳白色の液体。龍の蒼血ブルー・ブラッドを一口あおる。


 するとエーリッヒの身体の奥がカッと熱くなった。


「行くぞ、ごす。オーゼイユは隊商キャラバンを狙ってる!」


 龍の蒼血ブルー・ブラッドを飲んだエーリッヒの顔にうっすらと白い獣毛が生える。瞳は爬虫類の如く鋭くなり、犬歯は鋭く伸びる。


 龍と狼を混ぜたようなその異様な外見は騎狼族ヴーアミが龍血を摂取した時の特徴だ。


「応ッ! 準備完了だ!」


 一人と一匹は大草原を吹き抜ける深緑の疾風の如く駈け出した。


 魔鳥、死すべしと。

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