最終章 ⑪『逃せない一瞬』

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 赤い空間はさらに濃密になっていた。今は世界のすべてが血に満ちたように赤く輝きだしていた。


 その空間の中心に若君と藤原君がいた。


 二人は二メートルほどの距離で、お互いに腰を落とし、来たるべき瞬間に向けて殺気と力を限界まで研ぎすませていた。


「若……君……!」

 あたしは叫ぶ。

「藤……原……君!」

 吉永さんが叫んでいるのを感じる。


 若君と藤原君はお互いをにらんだまま動かない。


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 と、なにがきっかけだったのか、二人が同時に動きだした。


 しじまの時の中、二人はお互いに向かって一歩を踏み出した。踏み出しながら剣をお互いに向けて繰り出す。


 若君の長剣が銀色の輝きを放ち、この粘りつく空間の中、凍りついた時間さえも切り裂いて、藤原君に向かって伸びてゆく。


 一方の藤原君は、突き刺すようにしてまっすぐ剣を繰り出した。その鋭い先端は弾丸のようにまっすぐ若君の喉元めがけて延びてゆく。


 二人ともがブルブルと腕を震わせ、歯を食いしばり、渾身の力を込めて、剣を繰り出す。出だしのスピードは完全に互角。


 だがそこから若君の剣がスピードを増した。すでに限界まで引き延ばされた時間の中、剣はゆっくりとだが確実にスピードを増して伸びていった。


 藤原君の突き出した剣はまだ半分。この空間の中では若君には遠く及ばない。


 そして若君は自分の喉元に伸びてくる剣先を冷たく見つめたまま、一気に刀を振り抜いた。剣が真横から藤原君のお腹にめり込んでいった。


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 その瞬間……


 あたしの目の前を吉永さんが走り抜けた。


 誰よりも速く、この粘りつく空間をものともせず、ただただ藤原君を見つめ、その目に涙をにじませて走っていった。


 そのとき、あたしは彼女のピンと伸ばした手の中に、あの印を見つけた。


 この空間の中でならなんとかなるかも……


 てか、これしか方法はない!

 

 ゆっくりと動く標的なら、銃を手に押しつけられるはずだ!


 問題は、あたしがこの『しじまの時』の中を歩けるかどうかだ。たぶん吉永さんのスピードは若君よりも速い。そんな人相手に追いつけるかどうか……


 ええぃっ!考えるな!


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 足に力を入れる。

 やっぱりビクともしなかった……


 足がすごく重い。手も重い。

 集中する。力を集中する。

 走る。イメージしながら、集中する。


 まだ動かない。

 あたしの足は走り出さない。


 たぶん足だけじゃだめなんだ。

 全身の筋肉に耳を澄ます。

 そこに力を流し込む。

 あたしのありったけの力を流し込む。


 そしてあたしは走り出す。

 しじまの時の中をゆっくりと走り出す。


 目の前を通り過ぎた吉永さんのすぐ後ろ。

 彼女が走るのと同じように走る。


 吉永さんが走ってゆく。


 もっと集中しなきゃ。


 もっと速く走るイメージ。


 もっと速く!

 もっともっと速く!


 大きく胸を反ると、スピードが増した。

 あと三歩……


 大きく足を降りあげるとまた追いついた。

 あと二歩分……



 さらに大きく足をふりあげる。

 とたんに……


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 ブチッ、と足のどこかでゴムが切れたような音がした。


ブチッ、ブチブチッ、バツン


 さらに音が続いた。足と、肩と、背中の方から音が響いてきた。そして痛みが洪水のように全身を包む。その痛みはあまりに圧倒的で視界がフラッシュをたいたように真っ白に染まる。


 両足がしびれ、ガクンと力が抜けてしまい、転びそうになる。それでもなんとか一歩を踏み出して耐える。


 そう、あと一歩。


 あたしはしびれた足を動かす。またブチブチとすごい音がしたけど、無視する。とにかく走ることに集中する。またものすごい痛みがあたしを襲う。


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 あと一歩。

 ここでがんばるしかない。

 ここが逃せない一瞬だから。


 あたしは一歩を踏み出す。吉永さんの顔の真横に並ぶ。吉永さんはあたしを見ていない。彼女はまっすぐ藤原君を見ている。


 その藤原君はもう目の前にいる。地面に倒れている。その背後に、最後のとどめを刺そうと、刀を振りあげている若君がいる。


 吉永さんが藤原君に手を伸ばした。手を伸ばしながら、藤原君の名を呼んだ。


「フ……ジ……ワ……ラ……」


 

 あたしは最後の力を振り絞る。


 飛ぶようにして最後の一歩を踏み切り、一瞬吉永さんを追い越す。そのまま体はすうーっと漂って彼女の伸ばした手の方へ。

 空中で体を横にむけ、握りしめた拳銃をのばしてゆく。やっぱり手もブチブチとイヤな音を立てた。

 それでもこれが最後と思ってガマンする。拳銃を構え、吉永さんの手のひらにピタリと銃口を押し当てる。


 そしてあたしは引き金を引く。


 今度は一瞬もためらわず……


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