最終章 ⑩『最後の勝負』
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あたしは走り出していた。
しじまの時が晴れた瞬間、あたしたちの周りにいた群集も吹き飛んでいた。もちろん二人の鎧武者の兄弟と神父さんのおかげだ。一瞬、視界が広く開けて、走ってゆく吉永さんの背中がはっきりと見えた。
「見つけた!」
自分の声がそのときになってようやく届いた。そのまま立ち上がり、吉永さんを追って走り出す。
「さっちゃん!」
マーちゃんの声があたしを追いかけてくるが、あたしは振り返らずに走り続ける。
「見つけたの!あたしがなんとかする!」
「なんとかって?」
「とにかくなんとかする!」
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群集が立ち上がりかけている中を、飛び跳ねるようにしてとにかく走る。あたしをつかもうとする手をよけ、突き出してくる剣をかわし、吉永さんの背中だけを見つめてとにかく走る。
「待って!」
彼女が待つわけないのについ叫んでしまう。
「吉永さん!待って!」
無駄だとわかっているけど、やっぱり呼びかける。吉永さんもまた群衆の隙間を抜け、ぐんぐんスピードを上げて走ってゆく。
そこであたしは思い出す。たしか吉永さんは陸上の選手だったのだ。たしか県大会かなにかで入賞してたはず。てことは……追いつけっこないじゃん!
吉永さんは走るにつれて背筋がまっすぐになり、手の先をぴんと揃え、すごく美しいフォームになって、風を切って走ってゆく。長い髪を後ろになびかせたその姿は見とれるほどに美しい。
一方のあたしは我流のがむしゃらな走り方で追いかける。拳をにぎりしめ、背を丸め、つんのめるようにして走る。心臓がバクバク鳴って、血があり得ないほど流れてて、頭が痛くなってくる。それでも不思議と離されていない。むしろ少しづつ差を詰めている。
「待って、吉永さん!待って!」
吉永さんの背中ははっきりと見えている。てか、だんだんと追いついてきた。
あれ?あたし走るのこんなに早かったっけ?
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一方、藤原君と若君の戦いもまた大詰めをむかえていた。
藤原君は左手一本で刀を握り、若君相手に高速の剣を何度も打ち込んだ。
若君は無言でその刀を受け止め、受け流し、わずかに生じた隙をみつけては反撃の太刀を打ち込む。だが藤原君も片手の剣でやすやすとその攻撃をはじき返している。
二人の交わす剣は風を生み、そのスピードはさらに速さを増し、金属同士のぶつかり合う音が早鐘のように響きわたる。
その戦いの中、藤原君の髪の房が飛び、若君の頬が切れ、二人の全身に無数の切り傷が生まれ、パッと血が飛び散る。それでも二人は切りあいをやめない。いっそう激しさを増してお互いに切りつけあう。
「片手にしてはやるものだな」
「これでも守護者だからな」
「それでも見事じゃ。ここまでとはな……」
若君はそれからパッと後ろに飛び、間合いを取った。そのまま自然な動きで、刀を鞘に納め、スッと腰を落とした。
「はっ!なんのつもりだよ!」
藤原君はその隙を見逃さず、切りかかろうと太刀をあげた。だが、切りかかる直前、急に逃げるように後ろに飛んだ。
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「ほぅ……ワシの間合いを見切ったか……」
若君は左手に鞘に入った剣をつかみ、右手をツカにふれるかふれないかのところで浮かせている。
「……わかったぜ、居合いだな!」
藤原君は端正な顔に興奮をにじませた。
「ああ。ともにしじまの時を歩む者同士、最後は剣速で決着をつけるほかあるまい」
「あんた、いいよ。最高だよ。なんかドラマチックじゃねぇか、俺もそういうの嫌いじゃないしよ。いいぜ、やろうぜ!」
「どらまちっく、とはなんじゃ?」
若君はまじめな顔でそう聞いた。けっこう細かいことが気になる人なのだ。
「芝居がかってるってことさ」
「なら最初からそう言えばよいものを」
若君はさらに腰を落とし、右手をツカにかけた。その全身にみるみる殺気が渦巻いてゆく。対する藤原君もまた若君のように腰を落とし、刀を低く水平に構え、その剣先を若君に向けた。藤原君の呼吸がぴたりと止まった。こちらはとても静かな殺気。
「実に見事じゃ、藤原よ」
若君も鋭く息を吐いた。渦巻いていた殺気がぴたりと止まり、澄んだ水のように何の気配もしなくなった。
そして再び『しじまの時』が二人を中心にゆっくりと広がっていった。二人とも動いていないけれど、それはかつてなく濃密に、世界を赤く赤く染めていった……
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そしてあたしもまた、若君と共鳴するようにしじまの時の中に放り込まれた。空気そのものが絡みついて体が重くなり、走る姿勢のまま、全く動けなくなった。
吉永さんは赤く染まった空間の中を、汗のきらめきを残してゆっくりと走っている。その口元には微笑が浮かび、うつろだった目には光が戻りかけているように見える。と、彼女は突然止まった。
……なに?……どう……したの?……
それからくるりと振り返った。あたしはいきなり真正面から彼女に向き合った。でも彼女の目はあたしのことを見ていなかった。あたしの背後のさらに向こう、若君と戦う藤原君をみつめていた。
「……ふ……じ……わ……ら……く……んっ!」
彼女がそう話すのが口の動きでわかった。びっくりしたような表情、怯えた表情だった。
……なにが……起こって……いるの?
あたしは首を動かそうとした。首を動かして背後を、若君と藤原君のことを見ようとした。かなりの力がいることだけど、今はとにかくそれを確かめなくちゃ……
あたしはとにかく首に力を入れて振り返った。一度やってコツは覚えてる。力を集中して、一気に解き放つ。やった!首はゆっくりと動いていった。
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