最終章 ⑨『大詰め』

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「なかなか考えたではないか。女を使うとはちと姑息ではあるが……」

 腹に剣を刺されたままなのに、若君は平然とゲンジ君にそういった。


「勝たなきゃ、無意味だから……」

 ゲンジ君は平然と答えた。

「まぁここは戦場だからな。この時代にもおまえのようなやつがいてうれしいぞ」

「俺もそうだ……」


 それから若君は素手で刀をつかみ、どうやったのか刀を折った。パキンときれいな音がして、半分はななちゃんのお母さんに、半分は若君の腹の中に残った。


「それでもな……」

 若君は腹に刺さった剣も抜かず、背筋を伸ばして仁王立ちになった。

「……


 若君はナナちゃんのお母さんから突き出た刀をがっちりとつかんで持ち上げた。そして下から突き上げるようにして肩当てを食らわせた。ナナちゃんのお母さんだけではなく、刀をつかんでいたゲンジ君までもが、その瞬間フワリと宙に浮き上がる。


「爺ッ!十兵衛!最後の勝負じゃ!」

 若君が吠えた。

「しっかとついてまいれっ!」


 


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 すべての動きが急激に緩やかになった。


 押し寄せていた群衆は静止画像のようにぴたりと止まり、降りあげた刀は彫像のように動かなくなった。戦場にあふれていた雄叫びと喧噪は完全に消え、完璧な静寂が世界に満ちた。


「……これは……」

 あたしはすべてを知覚していたけれど、体はやっぱり動かなかった。まるで写真の中に閉じこめられたみたい。

 それから空気がねっとりと粘りつき、世界全体が赤く染まっていった。まるで


「……しじまの時……だ……」

 あたしの顔の前スレスレに剣の先があった。でもそれは完全に止まっていた。神父さんもマーちゃんも変なポーズで彫像のように固まっている。


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 そのしじまの時の中で、いくつかの彫像がゆっくりと動き出すのが見えた。


 一つは若君、それからその傍らにいる二人の鎧武者。その三人が赤い空間の中をゆっくりと動き出していた。


 それからあたしのすぐそばにいる鎧武者の兄弟、彼らもまたゆっくりと立ち上がろうと動き出していた。


 まだいる。空中に浮かび上がったゲンジ君もまた動いていた。ただ空中にいるので何ともならないみたいだった。


 さらに群衆の向こうにもう二人。凍り付いた人混みの中を縫うようにしてゆっくりと動いている姿が見えた。金色の髪の藤原君、その手につながれた吉永さん。


「……見……つ……け……た……!」

 吉永さんはこの空間の中、急に藤原君の手をほどき走り出した。這うでもなく、手をつくでもなく、二本の足で走りだした。ちょうど若君から逃げようとするように。


 そして藤原君は顔をゆがめ、きっぱりと振り返ると、吉永さんとは逆の方向、若君の方へと動き出した。群衆の一人から銀色の刀を取り上げ、向かい風に逆らうようにして、ずんずんと若君に向かってまっすぐ歩いてゆく。その瞳は憎悪をたたえ、決意をたたえ、ピタリと若君だけを見ていた。


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 若君もまたスッと腰を落とし、スリ足でしじまの時を歩きだした。


 空中に浮かび上がったゲンジ君を見上げながらゆっくりと刀をあげてゆく。


 ゲンジ君はその動きを目で追っていた。なんとか刀をよけようと手足をもがき、それからナナちゃんのお母さんに刺さっている、折れた刀を引き抜いた。


「……宙にいては……無駄……なのじゃ……」

 若君は大きくふりあげた刀を、ゲンジ君に向けて切りつけた。銀色の剣は半円の軌道を描き、ゲンジ君がガードした刀をさらに半分に折り、そのままスッとゲンジ君の腹にめりこんでいった。

「……動くことかなわぬ……最後に……ぬかったな……」


 声は聞こえないはずなんだけど、若君がそうつぶやくのがわかった。ゲンジ君が口からゴボッと血を吐いた。その血はゆっくりと空中に向かって延びてゆく。


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 若君はそれを見届けることもなく、そのままくるりと藤原君に向き直った。


 だが若君の前にはまだ無数の刀の草原があった。銀の刀を持った群衆がぐるりと取り巻き、今まさに襲いかかろうとしていた。藤原君はさらにその向こうから、群衆を突き飛ばしながら若君に向かって歩いてくる。


「覚悟せい!」

 若君もまた刀の大波に向かって歩き出す。腰を屈め、時の波に逆らうようにして、目の前の刀の波を群集ごと薙払い、突き出された剣が刺さるのもかまわず右に左に大剣を打ちふるい、まっすぐ藤原君に突き進んでゆく。


 若君に従う二人の武者もまた、若君と同じく刀が刺さるのもかまわず、両手の剣を右に左に凪いで無理矢理道をこじ開けてゆく。


 そして突然、しじまの時が晴れた。


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 轟音が世界に戻り、ゲンジ君はきりもみしながら吹き飛んでいき、若君を取り囲んでいた群集は、磁力に反発するように吹き飛んでいった。


 駐車場の真ん中に、がらんとした広場のような空間が出現した。


 そこには若君と、二人の鎧武者と、藤原君の四人だけが立っていた。


 藤原君は刀をゆったりと肩にかけ、涼しい顔で若君を見つめている。


 若君は荒い息を吐き、全身に折れた刃を突き刺したまま、藤原君を睨みつけた。


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「……若君……」

 二人の鎧武者がそこでがっくりとひざを折った。二人ともハリネズミのように刃が突き刺さり、両手に持った剣は折れ、鎧の隙間からはドボドボと血が流れていた。


「もう限界じゃ……」

 おじいさんの方の鎧武者がそういった。

「ちと数が多すぎましたな……」

 もう一人の鎧武者も完全に座り込んだ。


「おう。あとはワシにまかせろ。大任ご苦労であった」

 答えた若君もまた傷だらけだったのだが、まるでそんな風には見えなかった。そこには静かな威厳があり、領主としての風格が全身から発散していた。


「さて、いよいよ大詰めじゃな」

 若君は刀の先を藤原君に向けた。


「ああ。最高の夜になったぜ」

 藤原君もまた若君に刀を向けた。

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