最終章 ②『吉永静香』

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「行こうか……」とマーちゃん。

「うん。行こう」とあたし。


 それからマーちゃんは再びあの拳銃をバックから取り出した。今度はバックをその場に残し、拳銃だけを持っていく。


「それ、あと二発しか残ってないよね。ごめんね、へんなところで使っちゃって」

「いいよ。どっちにしても、使わないことが大事でしょ?」

「そうだったね……そうだよね!」

「そうだよ!」


 いよいよ最後の大勝負だ。


 これからどうなるかは分からないけど、とにかく誰も殺したり、殺されたりしないように、なんとかいい解決方法を探さなくちゃならない。


 あたしたちは吉永さんの個室に向かって歩き出す。あたしが先頭、マーちゃんが銃を構えて続く。吉永さんの個室が廊下の一番奥に見えている。その扉は静かに閉じられたまま、あたしたちがくるのを待ちかまえている。

 あたしたちは廊下の壁際を慎重に歩く。個室の扉から吸血鬼が急に襲いかかってくるのではないかと恐れながら、あたりに目を配りつつ、聞き耳を立て、一歩一歩、吉永さんの部屋へと歩いてゆく。


 やがてプレートに『吉永静香』の文字がはっきりと見えてきた。


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 あの部屋の中にヤカタがいる……

 吸血鬼となった吉永さんがいる……


 吉永さんはまだ寝ているかもしれない。

 それともあの扉を開けた瞬間に殺されるかもしれない。


 ひょっとしたら若君が来て全部解決してくれるかもしれない。

 いや、若君は間に合わないかもしれない。


 とにかく今はあたしが何とかしなきゃ。

 でもあたしは何も出来ないかもしれない。


 だってあたしに吉永さんが撃てるのかな?

 それでも、あたしは……あたしが……あたしだけが……あたししか……


 頭の中でいろんな思考が高速で回転する。

 希望や不安が嵐のように頭をかけ巡る。


 と、不意に心が透き通る。


――それでもあたしに出来ることをやるだけだ――


 そう。あたしにしかできないことをやるだけだ。いつだってそうだ。出来ないことはどうせ出来ない。だからせめて出来ることだけは最後までやるんだ。そこまでやれば絶対後悔しないというところまで。

 だって後悔だけはぜったいしたくないから。


 心が決まればもう迷いはない。

 あとは行動あるのみだ。


 


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 吉永さんの個室の扉。

 白い金属のスライド扉。


 扉をゆっくりと開く。

 夕暮れのオレンジがどっとあたしたちを包み込む。


 白いベッドが窓際に一つ。。真っ白いパジャマ姿。長く伸びた髪がシーツいっぱいにふんわりと広がっている。


「吉永さん……」


 あたしはベッドの吉永さんに呼びかける。でも吉永さんは無言だ。あたしは吉永さんの枕元まで歩いてゆく。窓が開いていて、涼しい風が吹き込んでくる。吉永さんは静かに目を閉じたまま、死んだように眠っている。あの日と同じように。


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 あたしの右目からなぜか涙がこぼれ落ちる。理由はよく分からない。右手でそれをぬぐって、吉永さんの近くにひざまづく。彼女の体に契約の印、丸い赤い刺青のようなものを捜す。ふと思いついて、彼女の左手をそっと手に取る。


 冷たくて小さな手。その手をゆっくりと開く。その手のひらに、一円玉より少し小さいを見つける。真っ赤に塗られた赤い入れ墨。でもよく見ると、その円は小さな線や模様がびっしりと書き込まれたものだと気がつく。


「あった。

 それは若君と同じ模様。かなり小さいけれど同じ物だ。


「やっぱり彼女がヤカタだったのね」

 マーちゃんもその模様を見つめる。

「マーちゃん、銃を貸してくれる?」


 あたしは少し振り返ってマーちゃんに手を伸ばす。マーちゃんは小さくうなずいて、あたしの手に銀色の銃を乗せた。それは冷たくてずっしりと重い。


「……この大きさなら、この銃で消せると思うんだ……」


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 あたしは立ち上がり、拳銃の劇鉄をガチャリと引き起こす。シリンダーが回転して、新しい弾丸がセットされる。

 吸血鬼にダメージを与える特製の弾丸だ。この弾丸なら……


「……この印が完璧に消えれば、きっとみんなが元通りになるはず……」


 吉永さんの手を開き、ベッドの上に置く。それからちょっとだけ窓の外を眺める。ちょうど夕日が目にはいる。太陽はわずかだけれど、まだ山の稜線の上にある。大丈夫。間に合った。吉永さんはまだ眠っている。


「……ごめんね、吉永さん、痛いだろうけど、我慢してね……」


 吉永さんの手のひらに拳銃の銃口を押しつける。赤い印は大きめの銃口にすっぽりと隠れる。うん。これなら一瞬で全て消せる。左手は大けがになるだろうけど、死ぬようなことにはならないはずだ。


 それからちょっと持つ手をずらし、銃を握り直し、引き金に指を絡める。


 


 あたしは大きく息を吸い込み、そして引き金を引いた。


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