十二章 ⑦『小早川先生』

   ✚


 職員室の中もまたひどい有様だった。あちこちに血の跡が盛大に飛び散り、机はひっくりかえり、本やらファイル、あと大量の紙が床に散らばっていた。窓ガラスは割れたままで、吹き込んだ風が血のくっついた紙をパタパタとはためかせている。


「――やっぱりくると思ってたよ――」


 その声は職員室の奥の方から聞こえてきた。少し暗くなった隅の方、そこに小早川先生がいた。いつものように寝癖の付いた頭、くしゃくしゃのスーツと白い靴下。ただ今日だけはマスクをつけていなかった。


「……二人一緒だとは思わなかったがね」

 小早川先生はゆっくりと立ち上がった。そのままフラフラとした足取りで、明るい空間の中に足を踏み入れる。


「……小早川先生……」

 後ずさりしそうになる気持ちを抑えて、あたしは踏みとどまった。


   ✚


「……こんなことはもうやめてください!」

「やめる?こんなこと?」

 先生はそこで立ち止まった。それからニッコリと笑った。その唇の隙間から二本の牙が……あれ?


 

 ないの?なんで?


「どうも誤解しているようだね、これは私のしたことじゃないよ」

 小早川先生はそう言うと、近くに転がってたイスをひっくりかえして座った。そしてポケットからタバコを出して火をつけた。職員室は禁煙なのに。

「ま、君たちも座りなさい」


 なんだか意外な成り行きになってきてしまった。てか、どうして小早川先生がヤカタじゃないの?祟られてもいないし。

 なんで?じゃあヤカタっていったい誰よ?


   ✚


「あの……」とあたし。そう言いつつ、マーちゃんと二人、倒れたイスを戻して並んで座った。先生からちょっと離れたところ。まだ油断はできない。


「ま、いずれ来るとは思っていたんだ。話を聞きに来たんだろ?」

「はぁ、まぁ」とマーちゃん。


「そうだろう。では聞きなさい。この町にはずっと奇妙な伝説が残っていてね、君たちみたいな若い世代では知らないかもしれないが、少し上の世代まではずっと大事に語り継がれてきた話があるんだ。

 それはの話でね、その侍はいろいろな時代のいろいろな話、さらに文献の中に何度も登場するんだ。もちろん私も最初はそれを一種の英雄伝記と考えていた」


 小早川先生はいきなり熱く語りだした。


「私もこの町の生まれでね、大好きな祖父からよくその話を聞いたものだったよ。それからわたしはこの不死の侍の伝説を調べるようになった。それは調べれば調べるほど、史実と一致していった。

 まぁつまり事実だったわけだ。だがさすがに不死の人間がいるというのだけは信じられなかった。ただ宇都宮一族の中で代々似たタイプの英雄が次々と現れて、それがまるで同一人物のように語られたと、そう考えていた」


   ✚


 先生はタバコ片手にさらに熱く語る。今回ばかりは授業みたいに眠くならない。実際、先生の話し方は楽しくて、あたしたちは身を乗り出して聞き入った。


「調べを進めるうちに、この伝説には二つの鍵があることがわかった。一つ目の鍵は、内羽さん、あなたの一族の存在だ。あなたの一族はどういう理由か、代々宇都宮一族に仕えてきた」

 先生はタバコを挟んだ指先をあたしに向けた。


「それから二つ目の鍵があの教会。メイさん、あなたの教会だね。あの教会は宇都宮一族の後ろ盾で建立されている。この教会はキリスト教の布教が認められない時代にあっても、常に宇都宮一族の庇護の元にあった」

 今度はマーちゃんを指さして語った。


「この二つの鍵が、伝説が事実であることを証明する鍵になると考えていたのだが、こればかりは調べようがなかった。ま、今はその理由もはっきりと分かったがね」


 小早川先生は床でタバコの火を消し、ゆったりとイスの背にもたれかかった。

 かなりうれしそうな、落ち着いた表情をしている。


   ✚


「わたしはね、とても満足しているんだ。これまで調べてきたことの真相がすべて明らかになったからね。誰も信じなかったことを、これ以上ない形で証明することができた。誰の目にも明らかな形でね」


 つまり小早川先生はヤカタではなかったけれど、黒幕であることにかわりはなかったというわけだ。全てはこの人の研究から始まっていたというわけだ。それを思うと胸の中に怒りがモクモクと沸き上がり、冷たく固まっていく感じがした。


「だから覚悟はできてる。君たちはそれぞれの一族を代表して私を殺しに来たんだろ?わかっている。これだけのことをしたんだからな。抵抗はしない。やりたまえ」


 小早川先生はマーちゃんの銃を見つめてそう言った。言うとおり全く抵抗する気はないみたいだ。


「あたしたち、先生を殺しに来たんじゃありません」

 あたしはそう言った。

「誰も殺すつもりなんてありません。ただこの状況を何とかしたいと思ってるだけなんです。そのためにヤカタを探してるんです」


   ✚


「ヤカタ……?初耳だなその言葉は……なんだいそれは?」

 先生はポケットから手帳を取り出した。そういう態度にイライラがつのる。それはマーちゃんも同じだったらしい。マーちゃんがイライラと告げた。


「オリジナルの吸血鬼のことです。先生が誰かに、吸血鬼になる方法を教えたんじゃないですか?」

「へぇー、それをヤカタって呼ぶのか……なるほど……おヤカタ様ってことかな?なるほど、興味深いな……でもヤカタなんて探してどうするつもりなんだ?相手は不死身なんだろ?倒す方法なんてないだろう?」

 先生はそう言ってすぐに額を叩いた。

「あぁ、そうかぁ。わかったぞ!一族の秘密があるんだな?そうなんだろ?なぁ、教えてくれよ……」


 先生のその楽しそうな話し方に、あたしの頭の中で糸がプツンと切れた。我慢の糸。堪忍袋の緒。呼び方は何でもいいけど、とにかくあたしはブチ切れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る