十二章 ⑤『いったいなにがあったの?』
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「おがえり……さづぎ……」
父さんがマスクの奥からそう言った。マスクでくぐもっているのはわかるけど、声が明らかに変だ。しゃべり方もなんだかロボットみたいに聞こえる。
やっぱり……疑念が確信に変わってゆく。
「まーぢゃんと一緒だっだのね」
母さんの声も変だ。いつでも明るくて、元気な母さんだったのに……
「……いったいなにがあったの?……」
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あたしはそうつぶやいていた。こうなってしまったら返事なんてあるはずもないのに……と思っていたら、父さんが答えた。
「いや父ざん、インフルエンザにががっで」
は?
と、急にボタンばあちゃんがマスクをはぎ取った。
「まったく情けない。医者の不養生とはよく言ったもんじゃ。こんなときだというのに風邪なんぞひきおって」
ボタンばあちゃんはいつものボタンばあちゃんだった。
ということは、みんな風邪引いてるだけ?
「おばあぢゃん、風邪じゃありまぜんよ。インフルエンザでずっで……ズズッ」
父さんはひどい鼻声だ。でもそれだけだった。なんかホッとしすぎて、急に力が抜けてしまった。拍子抜けもいいとこ。
「ざづぎも気をづけなざいよ。父ざんの持っでぎたインフルエンザ、ぞうどうタチが悪いみだいだがら……ケホケホッ」
母さんもそう言ってせき込み、辛そうにのどを押さえた。
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「みんな風邪ひいたの?」
「だがら……インフルエンザだっで……」
考えてみたら、父さんとボタンばあちゃんは内羽一族の直系なのだから、噛まれても吸血鬼にはならないのだ。それに今は太陽も出てるし。
「そっかぁ……なんだ。それならよかった」
「ぢっどもよぐないですよ。父ざんの看病しでだら、があざんまでうつっちゃって……熱は下がらないじ……のどばばれるし……ふぅぅ」
母さんは本当に辛そうだった。
でもまぁとにかくなんともなくてよかった。が、一つだけ問題が残っていた。
「それで新兵衛はどこに行ったの?学校?」
答えてくれたのはボタンばあちゃん。
「それがな、新ちゃんも出かけたまま帰ってこないんじゃ」
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「え?一人で出かけたの?」
「ああ。夕べ、女の子から電話がかかってきてな、剣道着を着て、竹刀を持って出かけていったんじゃ。それからずっと連絡もないし、もう心配で心配で……」
ボタンばあちゃんはすごく新兵衛をかわいがっていたから、その心配ぶりもすごかった。なんか泣きそうになっている。
「きっと大丈夫だよ。まだ道場にいるんじゃないかな?あたしもこれから学校に行くから、捜してくるよ」
あたしがそう言うとボタンばあちゃんも安心したようだった。でも、そう言ったあたしは不安がモクモクと膨らんできた。たぶん呼び出したのは菜々子ちゃんだろう。一晩帰ってこなかったとなると、襲われたに違いない。新兵衛も内羽の直系だから、吸血鬼になることはないけど、血を大量に吸われたら命そのものが危険だ。
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「ぞーいえば……学校ば休校になっだっで、小早川ゼンゼーがら連絡ぎでだわよ」
と、またすごい鼻声で母さんが言った。
「小早川先生から?」
「ぞう、今朝直接電話が来たのよ。なんか生徒さんがほとんど来でないぞうよ」
あたしはマーちゃんをふりかえった。
マーちゃんがゆっくりとうなずいた。
「わかった。とにかくあたし出かけてくるね。それから、家の戸締まりはちゃんとしてよ。誰か来ても絶対入れちゃだめだよ」
「わがっでるざ。うづしちゃ大変だがらな。今日はみんな家がら出ないがら大丈夫」
なんか誤解があるようだけど、まぁ基本的にはあってるからヨシにしよう。
「うん。ならいいの。行こうマーちゃん」
「ええ。あの、みなさんお大事に」
マーちゃんはぺこりと頭を下げ、それからあたしたちは足早に居間を後にした。
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