十一章 ⑦『若君の過去』

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「……ワシがまだ領主になって間もない頃の話だ。隣国の領主、上条ツネマサの軍勢が近隣諸国と同盟を結び、圧倒的な兵力でわが領地に攻め込んできたのじゃ。


 ひどい負け戦じゃった。もとより我が領地は盆地。数で囲まれれば防ぎようもなかった。ワシらは一夜にして完全に囲まれてしまった。昼夜を分かたず弓矢が降り注ぎ、敵の騎馬隊は波のように幾度も押し寄せた。


 家臣が次々と倒れ、農民までもが次々と殺されていった。降伏の道は最初から絶たれ、生き延びるすべも全て絶たれていた。


 それでも戦いは三昼夜に及んだ。もちろんワシも戦った。昼も夜も、刀が折れ、矢がつき、騎馬もなくなり、食料がつきても、戦い続けた。


 だが勝てる見込みはまるでなかった。最後にはワシだけが、ワシ一人だけが戦場に残っていた。だがそのワシも死んだも同じだった。もはや刀は折れ、家臣も領民もほとんど残っていなかった」


 若君は少しあたしを見た。でもその目は過去を見ていたのだろう、なんだか空っぽな感じがした。


。いまでもそう思うことがある」


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「その夜、マリア・メイという異人の娘が戦場に忍び込んできた。異国から流れ着いた娘で、我が領地で暮らすようになった娘だ。


 ワシらは友人同士でな。彼女は異国に伝わる技術をいろいろと教えてくれ、ワシはその見返りに教会を建て、彼女の布教活動を許可した。もっともそれが戦の原因の一つになったのだがな。


 ともかくマリアはワシの元にやってきた。そのとき、ワシは戦場でたった一人、地面に横たわり月を眺めておった。今宵が最後の月と思うてな。


 彼女は大きな古い本を持っていた。それから彼女はワシの折れた剣を手にとると、本を見ながら地面に血で線を描き始めた。時折死体に剣を突き刺し、新たに流れ出た血で線をつないでおった。ワシは立ち上がることもできず、横たわったままずっとその光景を眺めていた」


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 あたしの頭にもその時の光景がひらめく。死体だけが延々と横たわる血塗れの戦場、その真ん中で一人横たわる若君、頭上には静かに月が輝いている。

 その月明かりの下、たぶんマーちゃんによく似たマリアが、大きな本を片手に、折れた剣で地面に図形を描いている。

 彼女の持っている本は、教会で見たあの大きな本だろう。

 若君は静かに横たわりその全てを不思議な気持ちで眺めている……

 

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「やがてマリアはワシの元に戻ってきた。マリアは問うた。生きたいか?と」

 若君は窓の外の月を見上げた。


「ワシは生きたかった。領民の仇をとってやりたかった。家臣を殺した上条を打ちのめしてやりたかった。だからワシはそう言った。彼女もまたうなずいた。我らの思いは同じだった。マリアもまた家族同然の信徒たちを皆殺しにされたのだ」

 月を見上げながらゆっくりと言葉をつなぐ。


「彼女はワシに力を与えると告げた。忌まわしくも強大な力を。それはとても罪深いことで、人としての道からそれることだと。もちろんそれでもかまわなかった……」

 若君はフッと息を吐いた。


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「マリアはうなずくと、折れた剣を降りあげ、いきなりワシの胸を突き刺した。驚く暇もなかった。おそらく、ワシはその時に一度死んだのじゃ……」


 あたしもまた剣で刺されたみたいにビクリと震えてしまった。


「だがワシは再び目覚めた。。ワシは目覚め、地面に描かれていた血の紋様が跡形もなく消えているのに気がついた。そして同じ紋様がワシの体に赤く刻まれているのを知った」


 若君はそこまで言うと口を閉じ、胸に刻まれた印を少し触った。


「……そうして吸血鬼になったんですね?」

 あたしは言葉を継いだ。


「そういうことじゃ」


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