十一章 ⑥『契約の印』
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「さつき、怯えることはない……ワシのカラダをよく見てくれ」
マ……このハンサムさんは!大胆なことをさらりと言ってのけた。
「もう見ました!だから早く服を着てください!」
「これとおなじモノを見たことはないか?」
「あるわけないじゃないですか!」
男の人の裸なんて見たことない。ま、父さんとじいちゃんと新兵衛を除いてだけど。ちなみに父さんはガリガリ、じいちゃんはシワシワ、弟はプヨプヨだ。
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「あのなぁ……ちゃんと見たのか?」
「見ましたよ、ちゃんと。だから早く服を着てくださいよ」
「仕方ないな」
若君がそうつぶやくと同時に、あたしの目がグイッと無理矢理開かれた。若君が指先であたしの瞼を開いていた。そしてあたしの目の前には、また若君の裸の胸が迫っていた。
キャー!と悲鳴を上げる前にあたしは気がついた。それは若君の胸に描かれた赤い入れ墨のようなモノだった。
「なんですか、コレ?」
それは胸から腹にかけて描かれた不思議な紋様だった。心臓を中心にしてお盆ほどの大きさの円がある。その円の中には見たこともない文字や模様が複雑なパターンで刻まれ、さらにその円を取り囲むように、魔法陣のような三角の線と奇妙な文字が、なにかの設計図のようにきっちりと引かれていた。どの文字も小さく、線は細く、ほとんど隙間なくびっしりと書き込まれている。
「これは契約の印じゃ……」
若君は自分の体から目を背けるようにしてそう答えた。
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「ケイヤクのイン?」
「ああ……魔術を刻んだ印なのじゃ」
「あの、つまり、これが吸血鬼の『目印』ということなんですか?」
「メジルシ……というわけでもないんだがのぅ……まぁ、とにかくだ。これと同じ印を持つ者を知らぬか?見たことはないか?」
あたしはすぐに首を横に振った。見たことも聞いたこともない。この町でそんな入れ墨の人がいたら、絶対噂になっているはず。なにせ小さくて退屈な町だから、プライバシーなんてないも同然だ。
「もう一人の奴も、これと同じ印を刻んでおるはずなのじゃ。まぁ同じ大きさとは限らん。おそらくはもっと小さいはずじゃ。どうじゃ、本当に心当たりはないか?とくと思い出してみよ」
「うーん……やっぱりないですよ。だいたい入れ墨なんかしてる人、このあたりにはそうそういないです。それはもっと東京とか、そういう都会の話ですから」
「とーきよー?とかい?」
若君は不思議そうな顔だ。日本語なんだけど、時代的にアウトなのか……
「あー、江戸のことです。そういう大きな町だったら、ってことですよ。こんな田舎の町じゃなくて」
「そうか……しかしだな、それを突き止めんかぎり、この騒ぎは静まらんのだ。ヤカタを見つけぬ限り、犠牲者も増える。なんとしても早急に見つけねばならんのだ」
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「あの、質問なんですけど、そのヤカタっていうのは、なんなんですか?」
たしか若君は藤原君を見逃す条件に、ヤカタを燃やせと言っていた。普通なら家のことだと思うんだけど、藤原君の話では若君もまたヤカタだということだった。
「おまえたちの言う、吸血鬼のことじゃ。もう少し正確に言えば、この契約の印を刻まれた者のことをヤカタと呼んでおる」
「つまり、オリジナルのバンパイアってことですか?」
「おりじなる?ばんぱいあ?」
あー、そうだった。
「つまり、吸血鬼の……母親、うーん、ミナモトみたいな存在ということですよね?」
「まさにそれじゃ!なかなかうまいことを言うではないか。まさにその通りじゃ」
「ということは、その印を刻めば、誰でも吸血鬼になれるということなんですか?」
「基本的にはそうじゃが、ちと違う。まずこの印はそもそも肌に刻むものではない。入れ墨ではないのだ」
若君はそう言って大きくため息をついた。まるで出来の悪い生徒を相手にする先生のように。
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「この印はもともと、地面に人の血で描かれたものじゃ。この紋様と文字が魔界との契約の証になっておって、この印を通して魔界の力をその身に取り込むのだそうだ」
だそうだ……つまり若君は自分から吸血鬼になったのではない、ということなのかな?また疑問が出てきたが、今はとにかく若君の話を最後まで聞くことにする。
「描かれる契約の印が大きいほど、それだけ魔界から流れ込む力が大きくなる。しかしそれにはそれだけ大量の血と、多くの犠牲、つまり生け贄が必要になるのじゃ」
若君はずっと淡々とした様子で話している。まるで人事のように淡々と。
「このワシの印は……三千人あまりの、ワシの領民の血をもって描かれたものじゃ」
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……サンゼンニン……って、三千人?……そんなにたくさん?あまりにすごい数だ。そういう時代だったのかもしれないけど、それが当たり前の世界だったのかもしれないけど、あたしはその数に頭がくらくらする。
それが若君の命令で行われたのなら……自分が永遠の命を手に入れるために、三千もの人の命を犠牲にしたのなら……。
だが若君は、急にうつむいてしまった。そして刀を胸元に引き寄せた。まるでなにかの支えが必要なように。
「……少し話をせねばならんな……昔の話じゃ、ずっとずっと昔の、ワシがまだ人であった頃の話じゃ……」
若君は苦しそうに話を始めた。
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