十一章 ⑤『い、いけませんわ、若君』

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「さて、では!」

 若君は気分を変えようというのか、明るい感じで手をパンとたたいた。さらにその手を何度か揉んだ。さ、楽しい食事の時間にしようか!てな感じで。


 でもあたしは心臓がドキリとする。食事されるのはあたしの方だから。でもそれも一瞬。もう覚悟はできてるし。


「わかってます。どうぞ」

「感謝するぞ、さつき」

 若君はあたしの左手をそっと取った。それから右手を肩のあたりに添えた。そのままあたしをたぐり寄せるようにして、あたしの肩に顔を近づけてくる。若君の顔は本当にきれいだ。今こんな瞬間でもしみじみそう思う。若君が口を開き、牙をむく。


 でもその寸前にあたしは顔を逸らす。二本の牙が肩に柔らかく突き刺さり、筋肉の中に埋まってゆく。またあの甘い痛みが広がって頭の中が真っ白になる。


 そして血が吸われる。あたしの体内から血がなくなっていくのが分かる。ゴクゴクと若君の喉が音をたてるのが聞こえる。牙がわずかに動いて血管を切り裂き、また痛みが広がる。若君はまだ飲んでいる。ゴクゴクとむさぼるように、肩に唇を押しつけてくる。


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 今回はかなりおなかが空いているみたい。そしてあたしからどんどんと血の気がなくなってゆく。なにか急に体の力が抜けだし、手足が痺れ始める。視界が薄れて、音が小さくなって、感覚そのものが遠のいて行く。


「……若君……そんなに吸ったら……」

 あたしは急に意識が混濁する。あたしは若君を見る。若君はあたしの肩に顔を埋めて夢中で血を吸っている。


「……もう……やめて……」

 若君は聞いてない。聞こえなくなっているみたいだ。あたしは最後の力を振り絞って弱々しく叫ぶ。


「……やめて……あたしを殺さないで……」

 そこで若君がハッと顔を上げた。ひどく驚いた顔。何かを思い出したような顔。狼狽して、悲しそうで、それでもとても美しい顔。それがゆっくりと黒く塗りつぶされていく。


 あ、これは、また、貧血だな……


 それとも今回は死ぬのかな?


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 目ざめたのは真夜中だった。天井の小さな窓から満月が上っているのが見えた。部屋の中は月の光だけでけっこう明るい。見知らぬ窓、見知らぬカーテン、いつもと違うベッド……そして傍らに若君が座っていた。


「気づいたか?」

「ええ。あの、ついててくれたんですか?」

「むろんじゃ。すまんな、また吸いすぎてしまった」


「へへ。いいんですよ」

 あたしは力なく笑った。若君があんまりにも心配そうな表情で、あんまりにも必死な様子だったからだ。若君がこんな表情を浮かべるなんて思いもよらなかった。


「それより若君、力は戻りましたか?」

「ああ、すっかりな。おまえのおかげじゃ」

「ならよかったです」

「やはり具合が悪いのか?」

 あたしは自分の体に聞いてみた。そうでもなかった。眠ったせいか、頭もすっきりして、体もエネルギー満タンな感じ。


「ヘーキです」

 あたしはベッドからむくりと起きた。


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「いや、まだそのままでよい」

 若君はベッドから降りようとしたあたしを止めた。なんかすごく優しい。こういう小さなことでホロッとだまされちゃいそう。でもあたしは壁に背を預け、おとなしく座りなおした。


「実はな、おまえに見てほしいものがあるのじゃ」

 若君はいつになく、真剣な様子であたしの目をのぞき込んだ。青白い月明かりが若君の顔を柔らかく照らしている。すっきりとした目、でもその瞳には黒く強い意志がみなぎっている。うーん、やっぱりかっこいい。油断するとつい見とれてしまう。


「どうした?」

「い、いいえ!なんでもありません!なんでしょう?」

「まったくとぼけた奴じゃ……まぁそれはよい。とにかく見てほしいのじゃ……なんというか、その、ワシの本当の姿をな……」


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 若君はそう言うと、おもむろに日本刀を壁に立てかけた。それから胸に手をやり、ボロボロになったキモノを引きちぎるようにして胸元をはだけた。中から現れたのは灰のように真っ白な皮膚、胸の筋肉はくっきりと盛り上がり、腹筋は完璧に割れて……

 というところで、あたしは目を覆った。これは中学生の女子には刺激が強すぎた。


「ちょっ、ちょっと。いきなりなにしてるんですか!」

 両手で目を覆い隠し、さらにくるっと背中を向けた。


「目を逸らさないでくれ、さつき。どうしてもおまえに見てほしいのだ」

 若君の優しい柔らかな声が耳元で聞こえ、その手があたしの肩に掛かった。そのまま若君の方へくるりと向かされる。でも顔を隠した両手は離さない。ちゃんと目もつぶってる。それでも、若君がじっと見つめてきているのが感じられる。


「怖がらなくともよい。目を開けてくれ」

 あたしの両手首を若君の手が包み込んで、扉を開くようにゆっくりと力を込めてくる。また若君のかっこいい胸板が目に飛び込んできて……

 キャー!


「い、いけませんわ、若君」

 言葉遣いも暴走を始めてる。


 まさにパニック!

 さつきちゃん、ピーンチ!

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