十章 ⑦『生きるか死ぬかの大問題』
✚
避難はあっと言う間に完了した。教会の中に残ったのはあたしと若君の二人だけ。
「さつき、おまえも行け」
若君は静かにそう言った。
「いやです」
あたしも静かに答えた。
「そうか……まぁ、そう言うだろうと思った」
若君は口の端で少し笑った。それからステージ横の扉をベンチで塞いだ。
「まぁ、見せるようなものではないからな。だがな、さつき。おまえも見ぬ方がよいと思うぞ。心に残る」
「そのことなんですけど……」
あたしはおずおずと切り出した。
✚
「まさか、この期におよんで、誰も殺すな、などと申すのではあるまいな?」
先に言われてしまった。でもあたしの本心はやっぱりそうだった。誰も死んでほしくないし、若君に誰も殺してほしくない。でも、さすがに怒り出すだろう。若君からすれば当たり前だ。それに家臣のあたしの言うことを聞く理由もないのだし……
それでもあたしはコクンとうなずいた。
「でないと、血は飲ませぬと?」
またコクンとうなずいた。
若君はあたしをじっと見下ろしている。
「ふむ。それは困るな…ワシにとっては大問題じゃ。生きるか死ぬか、のな」
若君はふぅーと大きく息を吐いて、それから笑った。
こんな時だというのに、とても穏やかで、ステキな笑顔だった。
「まったく困った家臣を持ったものじゃ」
「すみません」
「まぁよい。出来るところまで付きおうてやろう。どうせ地獄は煮えたぎっておる。さぁ、その扉を開けよ!」
あたしは大きくうなずくと正面扉まで走っていき、大きなかんぬきをはずした。同時に巨大な扉がギィィと不気味な音を立て、ゆっくりと開いていった。
✚
「まさか、そっちから開けてくれるとはな」
藤原君が左手一本で扉を押し開けながら、教会の中に入ってきた。逆立てた金髪はいつもと同じ。青ざめた肌には、返り血が点々と付いたまま。鋭い鼻、薄い唇、切れ長の目は相変わらずだ。
……チチチ……チチチ……
そして藤原君の背後には、四天王が影のように付き従っていた。ゲンジ君とマザキ君が両脇、さらにその両脇にアラガワ君とクサナギ君が一線に並んでいる。四人は銀色の目を輝かせ、唇をめくりあげて不気味な鳴き声をあげた。
……チチチ……チチチ……
「キサマら、よもやワシに盾つくつもりではあるまいな?」
若君はゆっくりと中央通路に立ちふさがり、静かに告げた。青い月がその美しい顔を照らしていた。彫像のような美しさ……それがかえって凄みを添えている。
「あんたこそ自分の状況が分かってんの?」
と藤原君。どうやらしゃべれるのは彼だけみたいだ。四天王はすっかり獣みたいになって、唸ったり身体を揺らせている。
「無駄口はよせ。ワシは怒っておる。もはや手加減はせぬぞ」
若君が刀を寄せ、親指で鯉口を切った。
✚
――パチリ――
藤原君はその音に足を止めた。二人の距離は十メートルあまり、その空間に高圧電流のような殺気が充満していく。
そしてあたしは扉のところから壁際へとそっとあとずさる。ここにあたしの入る隙間はない。
「確かに、あんたにはスピードもパワーもある。だが俺たちは五人だ。作戦だってある。どうみてもあんたに勝ち目はないぜ」
「おまえがなにを言っておるかよう分からんが……ワシをあなどらぬがよいぞ」
若君はスラリと日本刀を抜いた。波面が月光を浴びて静かに光った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます