九章 ⑤『若君の復活』

   ✚


「マーちゃん!」

 あたしはその寸前にかけだした。だが目の前に藤原君が出現し、あたしは藤原君の手の中に抱き止められてしまった。


「おまえの相手は俺だぜ」

 がっちりと肩を捕まれ、地面から持ち上げられてしまった。


 藤原君はそう言ってニタリと笑った。ゆっくりと口を開くと、二本の鋭い牙が伸びていた。


殿?」

 なんで知ってるの?なにを知ってるの?どこまで知ってるの?こんな時だというのに、あたしの頭はそんなことを考える。そして藤原君の目をのぞき込み、ことを確信する。


「そうさ、おまえはずっと俺の食料になるんだよ。永遠にな」

 その言葉を聞いて、あたしの頭の中が真っ白になり、全ての思考が消え、ただ恐怖の感情だけがあたしの心の全てになる。


 そしてあたしは悲鳴を上げた。


 ただただ悲鳴を上げた。


   ✚


――その時だった。


ガン!


 金属音が大きく響いた。


 その音は体育館の開かれた扉の向こう、風の舞う校庭のさらに向こう、校庭の隅にポツンと見える小さなプレハブの用具室から響いてきた。


 その音が全てを止めた。


 あたしの悲鳴が自然に止まり、マーちゃんの悲鳴が消え、藤原君と四天王は音のする方にぐるりと首を向けて動きを止めた。


ドカン!


 さらに大きな金属音が響き、用具室の金属の扉が、紙のようにひしゃげて吹っ飛んでいった。金属の板は校庭の砂の上でくるくると回り、ドスンと落ちて止まった。


 やっとだ。


 


   ✚


 だがなかなか若君は出てこなかった。

 みんながそっちを向いてるんだけど、若君はまだ現れない。

 ただ風だけが校庭の砂の上を流れていた。


 やがて用具室の中から、黒いスーツ姿の人影がゆらりと姿を現した。表に出て、最後の夕陽にまぶしそうに手をかざし、それからこちらに顔を向けた。


ドン!


 と殺気の固まりのようなものが、まともに吹き付けてきた。それはあたしに向けられたものじゃないはずだけど、一瞬で体がすくみ、恐ろしさに涙がにじんだ。


 そして人影が消えた。


   ✚


 そして次の瞬間、


ガン!


 目の前から藤原君の姿が消えた。


 その瞬間、藤原君の顔にコブシがめり込むのが見えて、その勢いのままに壁に向かって吹き飛んでいくのが見えた。


 遅れてきた突風があたしの体を包み込んだ。

 そのつむじ風の中から若君が立ち上がった。


 長い髪を風に揺らせ、ひたむきな視線であたしをじっと見つめていた。殴った藤原君には目もくれず、ただただあたしを見つめている。


   ✚


「若君……助けに来てくれたんですね」

 そう言おうとする前に、若君はわずかに顔を寄せてきた。まるで優しくキスでもするみたいに。


「……さつき……」

 腰のあたりに若君の手がふわりと巻かれた。まるで抱き寄せるみたいに。


 そして、

「……受け身をとれよ……」

 ささやくような若君の声が聞こえた。まるで愛の告白をするように。


 ドクン。

 うれしさに心臓が跳ねた。


「若君……」


 そう続けようとしたとき、

 あたしの体はガクンと揺れた。


   ✚


 なにをどうやったのか?

 なんでこうなったのか?


 あたしの体は後ろ向きに、すごい速さで空中へと投げ出された。まるで重力などないみたいに、床から一メートルくらいの高さを、床と平行に滑るように飛んでいた。


 なに?……これ?


 若君の姿があっと言う間に遠ざかっていった。藤原君が壁にたたきつけられてぐったりしているのが見えた。マーちゃんはまだ四天王に囲まれている。


 だがその全てがぐんぐん遠ざかっていく。

 つまり、これって?


 ……投げられたのだ!若君に投げられたのだ!

 モノみたいに放り投げられたのだ!


 そうか!だから受け身をとれと……

 そうだ、受け身!


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る