九章 ②『マーちゃんと藤原君』

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 藤原君の手が急に離れた。


 目の前で、藤原君がよろよろと後退した。それから足をもつれさせて、ストンと地面にしゃがみ込んだ。黒い制服のジャケットからのぞいたワイシャツの腹に、みるみる赤いシミが広がった。


「なんだよ、これ?」

 藤原君はお腹に手を当て、手のひらについた血のシミを呆然と眺めた。

「なんだよ、それ?」

 あたしも背後のマーちゃんを振り返った。マーちゃんは両手で銃を構えていた。吸血鬼退治のあの銀色の大きな銃。その銃全体から真っ白い煙がボワッと立ちのぼっていた。


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!」


 マーちゃんの手は震えていた。でもその目はピタリと藤原君を睨みつけていた。

「おまえなんか……」

 マーちゃんはもう一度、撃鉄を親指で引き上げた。ガチリ、と金属がかみ合う音が響き、シリンダーが回って次の弾丸がセットされる。


「……おまえなんか、死んじゃえ!」

 マーちゃんはあたしを押し退けて一歩前に踏みだし、伸ばした手をグイッと藤原君に向けた。


「……だ、だめだよ、マーちゃん!」

 気づくとあたしはそう言っていた。なにがだめなのか自分でもわからないまま、そう叫んでいた。


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 でもマーちゃんの耳にあたしの言葉は届いていなかった。マーちゃんには藤原君しか、吸血鬼しか見えていなかった。


「……死んじゃえ、吸血鬼!」

 マーちゃんはしゃがみ込んでいる藤原君を足下に見下ろし、その銃を藤原君の顔に向けた。

「……死ね……死ね……死ねぇぇぇ!」


!」


 再び、ドン!と銃声がはじけた。


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 パッと土煙があがった。


 藤原君は瞬間に一メートルほどを移動し、やはり地面にしゃがみ込んでいた。苦しそうに肩で息をしながらも、マーちゃんをにらみつけている。


 マーちゃんは再び撃鉄を起こし、藤原君に銃口を向けた。それから一メートルをツカツカと歩き、藤原君を見下ろし、今度はその頭に銃を突きつけた。


「……やめて……マーちゃん……だめだよ」

「さっちゃん、こうしないとだめなんだよ。相手は吸血鬼なんだよ」

「……それでもだめだよ……藤原君なんだよ、殺しちゃだめ……」


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 その言葉がマーちゃんの呪縛を解いた。マーちゃんは我に帰った。あたしを振り向き、急に両目から涙をポロポロとこぼした。


!」

「わかってる。わかってるよ。だから、今は逃げよう。ね?マーちゃん」

「でも……でもさ……」


 マーちゃんは藤原君を振り返った。それからあたしを見て、こくんとうなずいた。

「わかった。行こ」


 それから校門の方に向かって二人で走り出した。一度だけちらりと振り返ると、藤原君はまだしゃがんだままだった。

 

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 あたしたちはもつれる足を必死に動かし、何度も転びそうになりながら、とにかく校庭を全力で走った。


 校門の鉄製のゲートはわずかに開いていた。ゲートを抜ければ学校の外だ。と、その影から一人の男がゆらりと姿を現した。

 しまった。まだ残ってたんだ。そう思ったのは一瞬。その男の人は、警察官の制服を着ていた。


「おまわりさん!助けてください!」

 助かった。その安堵感で全身がとろけそうになる。しかもその警官は剣道場の師範だった人。たしか……たしか……北岡さん!


「北岡さん!学校が襲われてるんです!」

 と、あたしの手がグイと後ろに引かれ、急ブレーキのようにあたしの体もガクンと止まった。マーちゃんだった。マーちゃんはあたしの手を掴み、肩で大きく息をしている。


「待って、さっちゃん」

「どしたの?」

「あの人、サツコのお父さんでしょ?」

「そうだよ、警察の人だよ。助けてもらおうよ」


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……チチチ……


 北岡さんの口から妙な舌打ちが聞こえてきた。聞き覚えのあるあの音。頭からザッと血が落ちていく。


……チチチ……


 北岡さんは無言のまま、一歩を踏みだし、ホルスターからピストルを抜き出した。それを不思議そうに目の前にかざし、それから銃口をこっちに向けた。


 考えるまでもない。あたしたちはクルリと振り返ると、また学校に向かって校庭を走っていった。

 背後でドンと銃声が響いたが、とにかくがむしゃらに走った。


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 校庭の真ん中ではまだ藤原君がしゃがんだままだった。もちろん近づくつもりはない。でもどこへ逃げたらいいかわからない。


「どうしよう?」走りながらマーちゃん。

「……えっと……校舎はだめだし……」


 と、正面に見えている校舎の窓が、内側からはじけ飛ぶように一斉に割れた。


パン!パン!パン!パン!


 一階から四階までのすべての窓がほとんど同時に、爆発したみたいに、次々とガラスを吐き出した。そして開いた口から、黒い影が次々と飛び出し、校庭の上に降り立った。


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 吸血鬼たちだった。食事が終わったのだ。彼らはその場に並んで立ち、あたしたちをじっと眺めている。


「どうしよう?」

「どうしようって、どうしよう?」


 逃げ込める場所は……ぐるりと校庭を見渡す。校舎はだめ、校庭には藤原君、背後には吸血鬼の警察官。どこにも逃げ場なんて……いや、あった。体育館!


「さっちゃん、体育館!」


 マーちゃんも同じ結論だった。すぐに方向を変え、校庭を横切って、体育館に向かって走った。幸い、体育館の扉はわずかに開いていた。

 飛び込むようにしてその隙間に体を入れると、すぐに二人で扉を閉めた。


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