八章 ⑥『若君、車に乗る』

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 芳子ばあちゃんはなかなか現れない。あたしはなんとなく不安な気持ちで時計を見た。これじゃ完璧遅刻ペースだ。


「そういえば、」とあたし。

「なんじゃ?まだあるのか?」

 と少しうんざりしたように若君。でも聞くなら今だな、という気がしてた。若君が弱っているうちに。


「あたし、昨日もおとといも、若君をお迎えにいったんですよ」

「そうか……」

「どこに行ってたんですか?」

 そう聞くと、若君は丘の方を見上げた。ちょうどマーちゃんの教会がある方向。


「旧い友に逢いにいっておったのだ……」

「友?友達ですか?」


 って、まだ生きてる人がいるの?

 てか、それって吸血鬼仲間?

 そんなあたしの心を読んだのか、若君はフッと微笑を浮かべた。



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 と、そこで道の向こうに土煙が見えた。それから低くとどろくエンジンの音。その土煙を従えて、黒塗りのベンツが近づいてくる。


「あ、芳子ばあちゃんが来た」

 あたしは木陰から出て、芳子ばあちゃんに手を振った。ベンツはあたしの目の前でピタリと止まった。

「ごめんなさいね、遅くなっちゃった」


 その芳子ばあちゃんの姿を見て、あたしはなんとなく凍り付く。芳子ばあちゃんはサングラスをかけ、手には革のグローブをはめていた。これは芳子ばあちゃんが本気の運転をするときの格好だったのだ。


「さ、早く乗って」

「あ、うん。若君!急いでください。これに乗って行きます」


 若君が近づいてきた。不思議そうにベンツを見ている。まぁ、若君からすれば魔術の固まりみたいなものだろう。

 しかしそんなことにかまっている暇はなかった。遅刻でもしたらますます目立ってしまう。それでなくても目立つのに。


「若君、こちらです」

 あたしはささっとドアを開け、若君を押し込み、シートベルトを巻き付けた。

「さつき、これはいったい……」


 あたしも助手席に座り、シートベルトを巻いた。カチリ。ロックの音が響くと同時に、エンジンがホウコウをあげ、ベンツは猛然とダッシュした。


「ヒッ」

 後ろで若君が短く悲鳴を上げるのが聞こえたが、聞こえなかったことにした。


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 ベンツは田舎道をすごいスピードで疾走した。バックミラーには土煙しか見えない。スピードメーターは怖くて見れなかった。


「心配しなくても大丈夫よ、ちゃんと間に合うから」

 芳子ばあちゃんは路面にヒタリと目を向けたまま、相変わらず柔らかに話した。だがその手は小刻みにギアを操り、両足でアクセルとブレーキを刻んでいる。


 黄色信号に猛然とつっこみ、ドリフトしながらカーブを曲がり、中学校の前まで来ると、閉まろうとしていた鉄の門扉をすり抜けるようにして通過した。そして最後に派手なスピンを決めて止まった。タイヤから黒い煙がもうもうと立ちのぼった。


「ぎりぎりセーフね」

 芳子ばあちゃんがサングラスをとって、にこやかにほほえんだ。

「うん、ありがと、芳子ばあちゃん」

「さ、教室に急いで」


 車から降り、後ろの席のドアを開ける。若君は乗り込んだ姿勢のまま、ぴくりとも動いていないようだった。


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「着きましたよ、若君」

 あたしがそう声をかけると、若君は放心したようにうなずいた。


「このような……恐ろしい魔術は……」

 ふと校舎を見上げると、生徒たちが窓から身を乗り出してこっちを見ていた。


 結局派手な登場になってしまった。


「ほぅ。ずいぶんと大勢の子供がおるのだな」

 それから若君はベンツから降り立ち、スックと背を伸ばし、ぐるりと学校を見渡した。新兵衛の剣道教室はいつも夜だったから、昼間の学校は初めてだ。


 学校中がざわめいている感じだった。これだけ派手にベンツで登場したのだ。無理もない。てか、すでに頭が痛くなってきた……


 と、芳子ばあちゃんが運転席から身を乗りだして言った。

「さつきちゃん、若君さんのこと、ちゃんと先生にお断りしてね」

「うん、わかった」

「じゃ、あたしはもう行くわね」

「ありがとう、芳子ばあちゃん」


 芳子おばあちゃんは小粋にクラクションを鳴らしてから、ゆっくりと学校を去っていった。

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