六章 ⑧『マザキ君』

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「よう、なにやってんだよ?こんなとこで」

 突然、背後から声が聞こえた。今度は男の声。少ししわがれたような声だった。


 またもや心臓に冷水が流れ込み、あたしたちは恐怖に縛られた。ゆっくりと振り返る。が、玄関の扉は閉じたまま。そこには誰もいなかった。


「だめだぜ、こんなとこ、うろついてちゃ」

 今度は上から声がして、あたしたちは声の方を見上げた。家の二階部分。ベランダの手すりをつかんで、あたしたちを見下ろしている男がいた。


「お兄ちゃん!」

 ナナちゃんがうれしそうな声を上げた。それはたしかにマザキ君だった。カマキリを思わせるヒョロリと長い体型。でも貧弱な感じではない。なにかものすごく固い針金で作られたような雰囲気だ。今は詰め襟の学生服姿で、いつものように右手でナイフをジャキジャキとまわしている。


「菜々子さっさと帰ってこい」

「うん!」


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 走りだそうとしたナナちゃんの手をあたしはとっさにつかんだ。ナナちゃんが不思議そうにあたしを見上げた。

 彼女にしてみれば『お兄ちゃんが帰ってきたから、問題はすべて片づいた。なのにどうして止めるの?』というところなのだろう。


「マザキ君、だよね?」

 あたしは彼を見上げてそう聞いた。


「なんだよ、おまえら?」

 マザキ君は手すりにもたれ掛かり、あたしたちを見下ろした。


「なんだよマーガレットか。それと、おまえも同じクラスだったな、たしか……内羽?」


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「そうよ。マザキ君、ちょっと話したいことがあるの、降りてきてよ」


 それを言ったのはあたし。だって彼も吸血鬼になってるかもしれないからだ。だが学生服のつめ襟は閉められててその首元は見えないし、この距離だと口に牙があるのかもわからない。ただ昼の光の中に出てきているし、話し方も普通なのは確かだった。

 それでも、今、家の中に戻るのは危険だ。


「俺はおまえたちに用はない。菜々子、さっさと家に入れ」

 ナナちゃんはあたしを見上げ、それからベランダの兄を見上げた。そしてあたしの方にぺこりと頭を下げると、つないだ手をふりほどいて、家に向かってかけだした。


「待って、ナナちゃん!」

 が、ナナちゃんは止まらなかった。途中でクルリと振り返り、

「ありがとう、お姉ちゃんたち!もうお兄ちゃんがいるから大丈夫!」


 そう言い残して、再び家の中へと戻ってしまった。


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 あたしたちは雨の中、二人取り残されてしまった。


 これでいいのかな?

 このままにしていいのかな?


 いいはずがなかった。でも、どうにもならなかった。それともこれは逃げてるだけなのかな?言い訳なのかな?たぶんマーちゃんも同じことを考えてたはず。だから二人で雨の中に立ち尽くしてた。


「おまえらな、勝手にひとんちに入ってんじゃねぇぞ」

 マザキ君が警告するように上からそう言って、あたしたちに背を向けた。


「待って!マザキ君!」

 マーちゃんが呼び止めた。マザキ君はガラス戸に手をかけて一瞬止まった。


「……お願いだからナナちゃんを守ってあげて!マザキ君しか頼れないの!」

 するとマザキ君はもう一度手すりまで戻ってきて、あたしたちを見下ろしながらこう言った。


「大丈夫さ。おまえたちが心配することはなんもねぇよ。だからさっさと帰れ。

 

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