六章 ⑧『マザキ君』
✚
「よう、なにやってんだよ?こんなとこで」
突然、背後から声が聞こえた。今度は男の声。少ししわがれたような声だった。
またもや心臓に冷水が流れ込み、あたしたちは恐怖に縛られた。ゆっくりと振り返る。が、玄関の扉は閉じたまま。そこには誰もいなかった。
「だめだぜ、こんなとこ、うろついてちゃ」
今度は上から声がして、あたしたちは声の方を見上げた。家の二階部分。ベランダの手すりをつかんで、あたしたちを見下ろしている男がいた。
「お兄ちゃん!」
ナナちゃんがうれしそうな声を上げた。それはたしかにマザキ君だった。カマキリを思わせるヒョロリと長い体型。でも貧弱な感じではない。なにかものすごく固い針金で作られたような雰囲気だ。今は詰め襟の学生服姿で、いつものように右手でナイフをジャキジャキとまわしている。
「菜々子さっさと帰ってこい」
「うん!」
✚
走りだそうとしたナナちゃんの手をあたしはとっさにつかんだ。ナナちゃんが不思議そうにあたしを見上げた。
彼女にしてみれば『お兄ちゃんが帰ってきたから、問題はすべて片づいた。なのにどうして止めるの?』というところなのだろう。
「マザキ君、だよね?」
あたしは彼を見上げてそう聞いた。
「なんだよ、おまえら?」
マザキ君は手すりにもたれ掛かり、あたしたちを見下ろした。
「なんだよマーガレットか。それと、おまえも同じクラスだったな、たしか……内羽?」
✚
「そうよ。マザキ君、ちょっと話したいことがあるの、降りてきてよ」
それを言ったのはあたし。だって彼も吸血鬼になってるかもしれないからだ。だが学生服のつめ襟は閉められててその首元は見えないし、この距離だと口に牙があるのかもわからない。ただ昼の光の中に出てきているし、話し方も普通なのは確かだった。
それでも、今、家の中に戻るのは危険だ。
「俺はおまえたちに用はない。菜々子、さっさと家に入れ」
ナナちゃんはあたしを見上げ、それからベランダの兄を見上げた。そしてあたしの方にぺこりと頭を下げると、つないだ手をふりほどいて、家に向かってかけだした。
「待って、ナナちゃん!」
が、ナナちゃんは止まらなかった。途中でクルリと振り返り、
「ありがとう、お姉ちゃんたち!もうお兄ちゃんがいるから大丈夫!」
そう言い残して、再び家の中へと戻ってしまった。
✚
あたしたちは雨の中、二人取り残されてしまった。
これでいいのかな?
このままにしていいのかな?
いいはずがなかった。でも、どうにもならなかった。それともこれは逃げてるだけなのかな?言い訳なのかな?たぶんマーちゃんも同じことを考えてたはず。だから二人で雨の中に立ち尽くしてた。
「おまえらな、勝手にひとんちに入ってんじゃねぇぞ」
マザキ君が警告するように上からそう言って、あたしたちに背を向けた。
「待って!マザキ君!」
マーちゃんが呼び止めた。マザキ君はガラス戸に手をかけて一瞬止まった。
「……お願いだからナナちゃんを守ってあげて!マザキ君しか頼れないの!」
するとマザキ君はもう一度手すりまで戻ってきて、あたしたちを見下ろしながらこう言った。
「大丈夫さ。おまえたちが心配することはなんもねぇよ。だからさっさと帰れ。二度とここにはくんな」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます