六章 ⑦『バスターズ撤退』
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あたしたちはお互いに体を寄せあい、抱き合うようにして入り口から飛び出した。
まぁここまではよかった。しかしここからがいただけなかった。
あたしたちが飛び出した瞬間、ナナちゃんがバケツの水をザァーっと流した。もちろんナナちゃんは悪くない。段取りどおりにやっただけだ。
しかし、あたしたちはこのことをすっかり忘れていた。マーちゃんが流れる水に足を滑らせた。完全に両足が宙に浮き、後頭部から廊下に倒れた。ゴツンともののすごい音がした。ヘルメットをつけていなければ死んでいたかもしれない、そういう転び方だった。
そしてあたしもまたマーちゃんの巻き添えになって、もつれるように転んだ。でもあたしの方はしたたかに腰を打っただけですんだ。そりゃ涙がでるくらい痛かったけど、今は痛みよりも恐怖があたしを支配していた。
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「大丈夫?」
とマーちゃんをみたが、マーちゃんは見事に気絶していた。ナナちゃんがすぐに寝室のドアをバタンと締め、滑り込むようにして隣にきた。そして心配そうにマーちゃんの顔をのぞき込んだ。
「ごめんね、おねえちゃん、あたし……」
「大丈夫。とにかく今は逃げよう」
あたしはぐったりとしたマーちゃんの体に手を回した。いや、持ち上がるわけないか……と思ったが、マーちゃんは思ったよりもずっと軽かった。まるで小鳥みたいに軽かった。
これなら大丈夫。それでそのまま持ち上げ、肩に担いだ。
「行こう」
あたしはマーちゃんを担いだまま、階段を小走りに下りていった。
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とりあえず居間まで後退した。ソファにマーちゃんを寝かせて、すぐに階段の下に戻った。ナナちゃんのお母さんが降りてくるかもしれない。そう思ってドキドキしていたのだが、寝室の扉は沈黙したままだった。
誰かが降りてくる気配も、音も、影もない。
どれくらいそこで息を殺していたか。やってこないと確信してから、あたしはマーちゃんのところに戻った。
「んー……あたたた」
マーちゃんが起きあがったところだった。ヘルメットを脱ぎ、首をさすっている。
「大丈夫、マーちゃん?」
「うん。ちょっと首が痛いけど…平気」
「よかった」
本当にホッとした。
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「さっちゃんが運んでくれたの?」
「まぁね。火事場の馬鹿力ってやつね、それにマーちゃん、すごく軽かったし」
「ありがと。でもびっくりしたね」
「そうだね。それでどうする、これから?」
「ね、お姉ちゃん、お母さんどうだったの?やっぱり吸血鬼になってたの?」
ナナちゃんがきいた。
あたしはなんと答えていいか分からなかった。心配そうな顔をしているナナちゃんにかける言葉が見つからなかったのだ。
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「残念だけど、そうみたい」
マーちゃんがそう言った。
ナナちゃんはいきなり顔をくしゃっと寄せ、それから泣き出した。あたしが隣に座っていたからナナちゃんの肩を抱くと、ナナちゃんはしがみつくようにしてあたしの胸で泣いた。
ジャージにナナちゃんの暖かい涙がぐっしょりと染み込んでいった。
「ねぇ、マーちゃん……」
ナナちゃんはまだ泣いていたが、今はあまりのんびり構えてもいられない。
「……とりあえず、お父さんに連絡した方がいいんじゃない?神父さんに」
「そうね。確認はできたし。ねぇナナちゃん、お姉ちゃんと一緒に教会に行こう」
ナナちゃんはあたしの胸に顔をうずめたまま、コクンとうなずいた。
「ちょっと待ってて」
それからマーちゃんは持ってきた物を、すべてをリュックサックに詰め込んだ。
「さっちゃんはナナちゃんをお願い」
「うん。まかして」
それから何度も後ろを振り返りながら、廊下を抜け、ようやく玄関の扉を開いた。
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外に出たところで、ようやく胸の中に安堵感がじわじわとにじんできた。外は雨が降り出していて、昼間とは思えないくらいに暗くなっていた。それでもあたしたちにはものすごく明るく見えた。神様に感謝したいくらいに明るかった。
あたしたちはすぐにびしょぬれになってしまったが、生きて帰れたといううれしさが、生命があるという感動が、あたしたちの全身をキラキラと包み込んでいた。
だが、そんな気分も一瞬でしかなかった。
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