五章 ⑤『マーちゃんの話』
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「ちょっと待ってね」
部屋はかなり薄暗くなっていた。でも電気はつかないから、あたしは机の上のろうそくに火を灯した。小さな炎がふんわりと部屋を照らし、二人の影が壁に踊った。そしてあたしはベッドのへり、マーちゃんの真正面に座った。
「なんか、すごい雰囲気でるね」
と、マーちゃん。
「今、ちょっと電気が壊れててさ」
「でも、ちょうどいいかな」
マーちゃんは急にあたしをじっと見つめた。きれいな目。やっぱり超のつく美人さんだ。なんかドキッとしてしまう。
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「これから話すことは、とても信じられないような話だと思うんだけど、ふざけてるわけでも何でもなくて、ほんとに、その、あたしが信じてる話なの」
「うん、わかった。ちゃんと聞く」
ちゃんと両手を揃えて、背筋を伸ばす。
「ありがと。あたし、さっちゃんのそういうところ、すごく信頼してるんだ」
「親友だもん。当然でしょ」
ロウソクが瞬く。薄暗い部屋の中、向かい合って座る二人の少女。お互いに見つめあい、お互いの友情を深く感じている。
状況説明するなら、こんな感じかな。
そしてマーちゃんは少し息を吸い込むと、ゆっくりと話しはじめた。
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「家の教会に来ている女の子で『菜々子ちゃん』って女の子がいるの。今、小学五年生で、新兵衛ちゃんと同じ学校に通ってると思うんだけど」
ん?その名前は聞いたことがあるな。菜々子ちゃん……五年生……そうだ、新兵衛の剣道のライバルの子だ。背の高い子。
「それって、ひょっとして、マザキ君の妹の子?」
マーちゃんはちょっとびっくりした。
「そう!でも、なんで、さっちゃん知ってるの?」
「新兵衛と同じ剣道教室に通ってて、ちょっと挨拶したことがあるの。最近だけど」
「そっか。なるほどね。でさ、その菜々子ちゃんは毎週日曜日にお母さんとウチの教会にきてるのね。でも昨日、とつぜん、一人であたしのところに来たの」
あたしは黙ってうなずいた。
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「菜々子ちゃんが言うにはね、お母さんの様子が、三日くらい前から、急におかしくなったんだって」
「おかしく?」
「うん。そう言ってた。まずね、家中の窓をふさぎだしたんだって。カーテンはもちろんなんだけど、それだけじゃなくて窓ガラスに段ボールとかまで貼って完全に塞いでるんだって。
それから雨戸とかも閉めきっちゃって、とにかく部屋に全く明かりが入らないようにしてるんだって」
確かに妙な行動だ。とくに窓を塞いだっていうところが。そこまでするのは、何か執念みたいなものを感じる。
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「それにね、菜々子ちゃんがいくら話しかけてもぜんぜん返事してくれないんだって。菜々子ちゃんも最初は何か怒ってるのかな?って思ってたみたいなんだけど、どうも様子が違うんだって。
なんにも聞こえてないみたいで、いつもボーッとしてて、それになんかチチチ、チチチって鳥みたいにずーっとつぶやいてるんだって」
あたしはその様子を想像してみる。かなり不気味だ。
「それでもね、ご飯とかはちゃんと作ってくれるんだって。洗濯もするし、掃除もしてくれるんだけど、その間もとにかくボーッとしてて、なにを話しかけてもなんにも答えてくれないんだって。まるでロボットみたいなんだって」
あたしはまた黙ってうなずく。いったいこの話はどこへ行くんだろう?
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「かなりおかしい感じ、だよね」
「でしょ。しかもね、菜々子ちゃんのお母さん、昼間はほとんど眠ってるらしいのよ。菜々子ちゃんは昼間学校に行ってるから絶対ってわけじゃないみたいなんだけど、それでもほとんど部屋に閉じこもってるらしいんだって。
学校から帰った時には姿を見せないんだけど、剣道教室から帰ってくる頃になって、やっと部屋から出てくるんだって」
「それって、やっぱり具合が悪いってことじゃないの?」
「それがね、ちょっと違うのよ。まだ妙なことがあるの」
「妙なこと?」
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「うん。ここのところずっと、出てくる料理が一緒なんだって。それまではいつも毎日違うご飯を作ってくれてたのに、その三日前の晩から、鳥の唐揚げしか作らなくなったんだって」
「それってやっぱり、ロボットみたいに?」
「そ。まさしくそれ。たぶんだけど、その変化が起こる前の、その最後の日の生活を、ただただ繰り返してるだけなのよ。ま、ここはあたしの推理なんだけど」
「なるほど。でもなんか合ってる気がする」
「でしょ。菜々子ちゃん、すごくおびえてるの。お母さんね、菜々子ちゃんにご飯を作っても、自分は食べないで菜々子ちゃんが食べ終わるまでずっと見てるんだって。
話しかけても何も答えてくれないし、ご飯を食べ終わると、茶碗を洗って、また部屋に戻っちゃうんだって。しかも今度は中から鍵をかけて朝まで絶対に出てこないんだって」
それって、まるで吸血鬼の話みたいだ……
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それから二人の間に沈黙の川が流れた。あたしは菜々子ちゃんの状況をもう一度想像し、頭の中で整理してみた。マーちゃんはそれを黙って待っている。
うん。状況はわかった。
「それで、マーちゃんの推理だと、どうなるの?」
あたしが聞くと、マーちゃんは再びメガネをかけた。メガネのガラスにロウソクの炎が反射してオレンジに染まった。マーちゃんの瞳が全く見えなくなる。
「それを話す前に、最後のピースが一つ残ってるの」
「最後のピース?」
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「そう。その三日前から、菜々子ちゃんのお母さんがね、首にスカーフを巻くようになったんだって。そんな格好これまでしたことないのに、急につけるようになったんだって。それもいつも同じ真っ赤なスカーフ」
「首を隠してる。そういうことかな?」
マーちゃんは重々しくうなずいた。あたしたちが同じ結論にたどり着こうとしているのを確信するように。
「それにね、昨日、菜々子ちゃん、お母さんの口に見たらしいのよ……」
マーちゃんは静かに告げた。そしてジッとあたしのことを見つめてきた。最後のパズルのピースを二人の指で置くために。
「何を?」
あたしも一呼吸してから答える。
「……キバ」
二人の間で風もないのに炎が揺れた。
「キバ……」
「そう、キバ。菜々子ちゃんもチラッと見ただけらしいんだけど断言してた。もちろん今までお母さんには牙なんてなかった。あたしだって何回も会ってるから知ってる。でもね、今は、お母さんには牙が生えているそうよ。猫みたいな鋭い牙がね」
マーちゃんはそこで大きく息を吐いた。とりあえず話したいこと、話すべきことは全て話した。残っているのは、この話の核心、そして推理の結果だけだった。
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