五章 ②『父さんの想い』

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「ところで、さつき……」


 父さんはいすに腰掛けた。それからちょっとイスを斜めに向け、ボールペンをカチカチといじりだした。


「おまえ、あれからだな、そのぅ、あの人に、吸われたのか?」

 父さんは目を合わさず、なんとも言いづらそうにそう言った。しかし答えづらいのはあたしも一緒だった。なんだか血を吸われたことが、とても恥ずかしいことのように感じられるのだ。


「うん、昨日。少しね」

「調子は悪くならなかったか?」

「うん。へーき」


「そっか。それならよかった」

 そこで、ばあちゃんがじいちゃんになにか囁き、それから二人はそっと部屋を出ていった。あたしは急に父さんと二人きりになってしまった。

 なにこの展開?


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「若君さんのことだけどな……」

「うん」


「オレは信じてなかったんだよ。昔、聞いたことはあったけど、まさか本当にいるとは思ってなかったんだ。だってそうだろ?吸血鬼なんてさ。おまえだってびっくりしたろ?」

「うん。まぁね」


「それで最近になって、父さんから改めてそのことを聞かされた。というか聞いたんだ。その、若君さんがずっと生きてることとか、吸血鬼みたいなもんだってこととか。それでお前が若君さんに血を飲ませなきゃならないってことも聞いた」


 父さんはなにも映っていないパソコン画面をみつめ、ボールペンをカチカチとならしている。でもあたしの目は見ていない。


「父さんによれば、オレは内羽の当主でその役目を果たさなきゃならないそうだ」


 父さんはクルリとイスを回転させ、あたしのことを正面から見た。


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「でもだな、そういう昔の約束みたいなものを守る必要性って言うのは、正直よく分からない。理解できないって言うのかな」


 父さんがなにを言いたいのか、いまいちよく分からない。でもなにか大事なことを、心の中をきちんと話そうとしているのは伝わってくる。


「それになんといっても、お前はオレのかわいい娘だ。だからいくら偉い人の命令だって、そんなことをさせるのは嫌だった。なにか危険があるかもしれないしな」


「うん。わかってる」

 父さんが優しい人だというのは分かってるよ。大丈夫、ちゃんと分かってる。


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「でもな、あの人のことも考えてみたんだ。あの若君さんはお前の血を飲まないと死んでしまう。それはもうあの人の体質みたいなもので、どうにもならないことなら、やっぱり助けてあげるべきじゃないかって。でもお前がつらいのも分かってるし、オレとしては……」


 あたしは父さんの言葉をさえぎった。


「うん。ありがと。大丈夫。それにね、あたしも父さんと同じ理由で決めたの。だから今はあの人をみんなで助けてあげればいいのかな、ってそんな風に思ってる」


 父さんはその言葉を聞いて、とてもうれしそうにほほえんでくれた。まるでまぶしいものを見たように目を細め、あたしをほめてくれるように見つめていた。


「えらいな、さつき」

「そんなでもないよ」


 静かな病院の診察室。朝の光がふんわりと、グレーの事務机やイスを照らしている。その中で父さんと向かい合い、お互いに不器用にほほえみあった。


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「ところで、今日も味噌ラーメン食ってくだろ?」


 父さんが雰囲気を変えようと陽気に言った。それにしてもこの人はどんだけラーメンが好きなんだろ。


「今日はパス。おじいちゃんたちとランチ食べる約束してんの」

「なんだよ、オレ楽しみにしてたんだぜ。予約までしたんだぞ」

「はい、それ嘘。ねぇそれより父さん」

「なんだ?」


 あたしは吉永さんのことを聞こうとしていた。できればお見舞いをしたかったのだ。吉永さんとはまともに話したことはなかったけれど、今はなんとなく親近感みたいなものを感じ始めていた。なぜだかよく分からないんだけど。


「吉永さんのことなんだけど、あたしお見舞いしてもいいかな?」

「たしか同じ学年だったな。ま、吉永君に断っておけばいいんじゃないかな。ちょっと連絡してみよう」

 父さんはさっそく携帯電話をとりだすと、吉永さんに連絡してくれた。あたしのことを少し話し、うんうんとうなづく。


「オッケーだ。今迎えに来てくれるから一緒にいくといい」

「ありがと」

「吉永さんな、少しずつだけどよくなってるんだぞ。すぐに意識を取り戻すわけじゃないけど、もう少しって気がするんだ」


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 しばらくして吉永さんのお兄さんが現れて、二人で病室に向かった。彼女が入院しているのは最上階の一番端の個室。そこまで並んで歩いてゆく。


「ありがとうございます。妹も喜びます」

 吉永さんは歩きながらそう言った。


「そんな、こっちこそ押し掛けちゃったみたいですみません」

「そんなことないです。妹の目が覚めたら、どうか友達になってやってください」

「はい」


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 その吉永静香さんは光のたっぷりと降り注ぐ病室の中、体のあちこちにチューブやコードをつけたまま静かに眠っていた。真っ白のベッド、花瓶に植えられた色とりどりの花、静かに眠る彼女は白雪姫のようだった。


 そう言えば静香さんの髪はずいぶんと伸びていた。記憶の中の彼女は男の子みたいなショートカットだったのだが、今は肩よりも長くなっている。こうしてみると、こっちの方がずっと似合うみたい。


「静香さん、すごくよくなってきているそうですね。父から聞きました」

 とあたし。


「ええ。すぐに、っていうわけにはいかないみたいですけど。でもこれまでずいぶん長い間待ってましたから、ようやく希望が出てきたみたいで、なんていうか、すごくよかったな、ってそう思ってます」


 そう言っている間にも、静香さんの指がわずかに動いた。その唇はうっすらとピンクに染まり、その目は今にも開きそうに見えた。ただ肌だけは異様に白く見えた。若君に負けないくらい真っ白に。


「ここまで来たら、焦らずにゆっくり待つつもりです」

 吉永さんはそう言って、花瓶の水を代えようとサイドボードに近づいた。そこで何かを見つけ、うめくようにつぶやいた。


「あいつ、また来たのか……」


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