四章 ⑥『勝負の行方』

   ✚


「イヤァッ!」


 北岡師範は竹刀を素早く振りあげ、一気に若君に打ち下ろした。竹刀が空気を切り裂く音がビュッと響く。まさに電光石火の早業だった。


バキッ!


 だがその渾身の一刀は、若君の左手一本でやすやすと真横にはじかれた。若君はそのままの勢いで竹刀を振りあげ、今度は師範の面にまっすぐ振りおろす。


「くっ!」

 師範は寸前に面を傾け、かろうじて直撃を避けた。だが若君の竹刀が左肩にズシンと打ちつけられる。師範はすぐさま、間合いを取ろうと後退し、それと同時に再び剣を構えようと剣先を持ち上げた。

 だが――


!」


 若君は退く間を与えず、一気に踏み込んだ。振りおろす竹刀に右手を添え、師範の籠手こてにまともに打ちこんだ。その剛力に師範の手から竹刀がたたき落とされる。


 沈黙。音のないどよめきが広がる。


「勝負あったな」

 若君は竹刀の先を師範の喉元に向けた。


 強い……。それは誰の目にも明らかだった。あたしですらその圧倒的な強さが分かった。まるで子供と大人の戦いのようだった。


   ✚


「あの人、凄いね……」

 ミナミちゃんが声を漏らした。


「ホント!あんな凄いの初めて見た!」

 コハルちゃんはすっかり興奮している。


「まるで別格ね」

 サツコちゃんは少し残念そうだ。お父さんが負けたせいだろう。それもあんな負け方じゃしかたない。若君もなにもあそこまでしなくてもいいのに。


   ✚


 それから師範は飛んでいった竹刀を拾った。

 それを腰に収め、静かに頭を下げた。


「ありがとうございました」

「打ちこみは悪くなかった。だが隙が多い。その隙がどこからくるか分かるか?」

 若君は静かに聞いた。


「命のやりとり、その自覚ですか?」

 師範はうつむいた面の下から答えた。


「それもある。だがおぬしに足らんのはどん欲さじゃ。戦い方は汚くてもかまわんのだ。勝負においては、勝つこと以外に価値はないはず。おぬしには本来その心があるはずだ。それを無理に押さえることはないのだぞ」


 若君は竹刀を肩に乗せ、師範を見下ろしながら偉そうにそう告げた。そんな言い方しなくてもいいのに。

 と、思ったら師範はパッと顔を上げた。


   ✚


「そこまで見通しておられましたか……」

「我らは武人じゃ。剣をあわせれば互いの心の内が分かる。そうじゃろ?」


「ご指導ありがとうございました」

 師範は再び深々と頭を下げた。


「うむ。いい試合じゃったぞ、師範殿」

「そんな。師範だなんてお恥ずかしい」


「謙遜することはない。ワシが認めたのだ」


 若君がにっこりと手をさしのべると、二人は熱い握手を交わしたのだった。


   ✚


 それから北岡師範と若君は、一緒に剣の稽古を見てまわった。

 若君はとても楽しそうに子供たちに指導していた。その姿はかなり意外だった。なんというか、普通の人のように見えたのだ。


「あの人、俺の師匠なんだぜ」


 新兵衛はあちこちでそう言い回っていた。そして若君が他の子を指導するたびに、がっかりしていた。特にライバルの菜々子ちゃんを指導しているときは、そっちに気を取られて北岡師範に怒られたりしていた。


 だがあたしにとって問題はあの三人組だった。ミナミとコハルとサツコの三人組。


 サツコは別だったけれど、あとの二人は、なにかと若君と話したがり、隙あらば腕に抱きつこうとしていた。サツコにしても、いっつも若君の方をボーっと眺めていた。そして時間が空くと三人であたしのところにやってきて、若君のことをいろいろと聞き出そうとするのだった。


 この三人を相手にいつまでごまかしきれるのか、あたしには自信がなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る