四章 ⑥『勝負の行方』
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「イヤァッ!」
北岡師範は竹刀を素早く振りあげ、一気に若君に打ち下ろした。竹刀が空気を切り裂く音がビュッと響く。まさに電光石火の早業だった。
バキッ!
だがその渾身の一刀は、若君の左手一本でやすやすと真横にはじかれた。若君はそのままの勢いで竹刀を振りあげ、今度は師範の面にまっすぐ振りおろす。
「くっ!」
師範は寸前に面を傾け、かろうじて直撃を避けた。だが若君の竹刀が左肩にズシンと打ちつけられる。師範はすぐさま、間合いを取ろうと後退し、それと同時に再び剣を構えようと剣先を持ち上げた。
だが――
「遅いッ!」
若君は退く間を与えず、一気に踏み込んだ。振りおろす竹刀に右手を添え、師範の
沈黙。音のないどよめきが広がる。
「勝負あったな」
若君は竹刀の先を師範の喉元に向けた。
強い……。それは誰の目にも明らかだった。あたしですらその圧倒的な強さが分かった。まるで子供と大人の戦いのようだった。
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「あの人、凄いね……」
ミナミちゃんが声を漏らした。
「ホント!あんな凄いの初めて見た!」
コハルちゃんはすっかり興奮している。
「まるで別格ね」
サツコちゃんは少し残念そうだ。お父さんが負けたせいだろう。それもあんな負け方じゃしかたない。若君もなにもあそこまでしなくてもいいのに。
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それから師範は飛んでいった竹刀を拾った。
それを腰に収め、静かに頭を下げた。
「ありがとうございました」
「打ちこみは悪くなかった。だが隙が多い。その隙がどこからくるか分かるか?」
若君は静かに聞いた。
「命のやりとり、その自覚ですか?」
師範はうつむいた面の下から答えた。
「それもある。だがおぬしに足らんのはどん欲さじゃ。戦い方は汚くてもかまわんのだ。勝負においては、勝つこと以外に価値はないはず。おぬしには本来その心があるはずだ。それを無理に押さえることはないのだぞ」
若君は竹刀を肩に乗せ、師範を見下ろしながら偉そうにそう告げた。そんな言い方しなくてもいいのに。
と、思ったら師範はパッと顔を上げた。
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「そこまで見通しておられましたか……」
「我らは武人じゃ。剣をあわせれば互いの心の内が分かる。そうじゃろ?」
「ご指導ありがとうございました」
師範は再び深々と頭を下げた。
「うむ。いい試合じゃったぞ、師範殿」
「そんな。師範だなんてお恥ずかしい」
「謙遜することはない。ワシが認めたのだ」
若君がにっこりと手をさしのべると、二人は熱い握手を交わしたのだった。
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それから北岡師範と若君は、一緒に剣の稽古を見てまわった。
若君はとても楽しそうに子供たちに指導していた。その姿はかなり意外だった。なんというか、普通の人のように見えたのだ。
「あの人、俺の師匠なんだぜ」
新兵衛はあちこちでそう言い回っていた。そして若君が他の子を指導するたびに、がっかりしていた。特にライバルの菜々子ちゃんを指導しているときは、そっちに気を取られて北岡師範に怒られたりしていた。
だがあたしにとって問題はあの三人組だった。ミナミとコハルとサツコの三人組。
サツコは別だったけれど、あとの二人は、なにかと若君と話したがり、隙あらば腕に抱きつこうとしていた。サツコにしても、いっつも若君の方をボーっと眺めていた。そして時間が空くと三人であたしのところにやってきて、若君のことをいろいろと聞き出そうとするのだった。
この三人を相手にいつまでごまかしきれるのか、あたしには自信がなかった。
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