三章 ⑥『銘刀の切れ味』

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バリン!


 いきなりガラスが破裂する音が響いた。


 ボタンばあちゃんたちの背後、そこに消えた若君が出現していた。まさに一瞬の出来事。ばあちゃんたちはまだ背後に若君がいることにも気づいていない。ただその音に驚いて一斉に肩をすくめた。


 そして若君は老人たちの背後で、彫像のように日本刀をまっすぐ上に突き出していた。その広い肩に透明なガラスの薄片がパラパラと、雪のように落ちてきた。


?」


 若君は静かに聞いた。日本刀の先が玄関前の天井に付いた電球を突き刺していた。 


「は、はいぃ」

 驚いて背後を振り返る老人たち。


「気づかなかったかもしらぬが、おまえたちの背後に偽りの陽光が光っておった」

 若君はゆっくりと刀をおろし、クルリと回した。その刀身が月光を浴びて青く輝き、それからするりと鞘に吸い込まれた。


「どうやら魔術師がかぎつけたようじゃ。気をつけるがよいぞ」


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 これが吸血鬼の特殊能力『』か。

 あたしはすごいものを見てしまった。


 吸血鬼が霧や無数のコウモリに姿を変えるというのは聞いたことがあったけど、テレポーテーション能力まであったのだ。


 やっぱり普通の人間なんかじゃない。


 吸血鬼って本当にいるものなんだなぁ……世界にはまだ知らないことがあるんだなぁ……しみじみとそんな風に思っていた。


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「あ、あのぅ、若君様」

 と、そこでおじいちゃんがおそるおそる声をかけた。


「なんじゃ?」

「そのぅ、たいへん申し上げにくいのですが……それはですな、電気というもので、魔術ではないのです」

 おじいちゃんは若君を見上げ、申し訳なさそうに説明した。すると若君はじいちゃんを見下ろし、すぐさま言った。

「馬鹿を申せ。あれは魔術じゃ。夜を昼に変えるものが、魔術でなくて何だというのじゃ!」


「それは…そのぅ」

 じいちゃんはなにも言えなくなって、芳子ばあちゃんに目で助けを求めた。おじいちゃんはいつもそう。困るとすぐ芳子ばあちゃんに頼る。そして芳子ばあちゃんはいつものように、穏やかなしかし決然とした態度でおじいちゃんの代わりに説明した。


「若君様、まずは落ち着いて聞いて下さい。あれは電球という、電気の力ではたらく道具なんです。現代では、科学の力でいろいろと便利な道具が発明されておりましてね……」

 芳子ばあちゃんがそこまで説明したとき、


!」 


 突然若君が腰を落とし、刀の柄に手をかけた。そこに突然発生した得体の知れない緊張感。身動きすれば死んでしまうようなビリビリとした静寂。これが殺気だ。初めてでもそれが分かる。みんなの顔が一瞬で青ざめ、あたしも体が硬直したように動けなくなった。


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 それにしても、おばあちゃんがこんなこと言ったくらいで殺すつもりなの?ただ説明しただけなのに。そんな横暴なことが許されるの?いったい何様のつもりなのよ!答えは『殿様のつもり』なんだろうけど、だからって老人に刃物を向けるなんて……

「静かに……奴がいる……扉の向こう……魔術師じゃ」

 若君は緊張感をたたえ、油断なく刀のつばに親指を乗せたまま、玄関扉を睨みつけている。


 そっかおばあちゃんじゃなかったんだ。だがホッとする余裕もない。若君の全身に静かに緊張感が満ちてゆき、そばにいるあたしまでなんだか怖くなってきた。なんとなく『妖魔の襲撃』みたいな雰囲気だ。


 って、家の中に妖魔?魔術師?


「待って若君!」思わずあたしは叫んだ。

「さがっておれ、さつき!」負けずに叫び返す若君。


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 緊張の一瞬。みんなの目は玄関扉へ。


 そしてガラリと引き戸が開かれた。


「どうかしたんですか? なんかすごい音が聞こえましたけど」


 現れたのはお父さんだった。もちろん妖魔でも魔術師でもない。あわてて出てきたのか、ご飯茶碗をもったままだった。そして父さんは一瞬で場の緊張感をそぎ落とし、のほほんとした空気に染めあげた。これは一種の才能なのかもしれない。


「なんじゃ、清兵衛か……」

 若君は緊張を解き、まっすぐに立った。


「あれ、若君さん、帰ってたんですか」

 それから『しまった』という顔をした。


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「なんじゃ?」

「その、すみません、こんな格好で」

 父さんはズボンにワイシャツのままだった。


「そのことなら気にせずともよい。現代はそのようなヨウフクというものを着るのだろう。さつきから聞いたぞ」


「そうですか。それは良かった。では、早いところ家の中に入って下さい。食事の用意ができてますから。ん?コレじゃ暗いな」

 父さんは玄関横のスイッチに手を伸ばした。それは廊下の電気をつけるスイッチ。


 それに気づいたのは若君をのぞく全員。


「あ、ちょっと待って……」

 届かないのにみんなで手を伸ばす。

「なにをですか?」

 父さんはそういいながらパチッとスイッチをいれた。


 その瞬間、玄関に光がどっとあふれた。廊下のすべての電球に、こうこうと明かりが灯った。若君の言う『夜を昼に変える偽りの陽光』その大洪水だった。


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 そして、姿


パン!パンパンパン!


 廊下の明かりが奥に向かって順番に消えていった。若君の姿は全く見えない。電球がひとりでに破裂していくように見える。


「わ、若君を止めねば」

 じいちゃんが走り出そうして、急に座り込んだ。痛そうに腰を押さえている。

「あだだだ。

 急にそんなことを言い出す。なんであたしなのよ。


「ほれ、さつき、急がんか」ボタンばあちゃんがなぜかあたしをせかす。

「さつきちゃん、お願いね」芳子ばあちゃんまでそう言い出した。


 どうやら洋服の一件で、あたしが若君の教育係になってしまったようだ。だが迷っている暇はない。このままでは家がめちゃくちゃにされてしまう。


「やってみる!」

 あたしは若君を追って走り出した。

 

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 若君は廊下の中ほど、ちょうど居間の扉の前、刀を手にしたまま、大きく肩で息をしていた。


「さつき、無事だったか?」

 その言い方が妙にかっこいい。まったく安全なのに、なんかすごくピンチだったような気がしてくる。


「はい。大丈夫です。あの、若君、説明しますから、とにかく刀をしまって下さい」

「なにを説明することがあるというのだ?」

 そういいつつも刀を鞘に納めた。


「それはですね」

 その時だった。

「姉ちゃんなんかあったの?」

 居間の扉を開いて新兵衛が現れた。


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 これまた最悪のタイミング。


 同時に居間からドッとばかりに光があふれた。


 エアコンの冷たい風がそよそよとふきよせ、テレビからはにぎやかな話し声とめまぐるしく変わる映像の洪水が押し寄せた。


 まさに静かな夜とは別の世界。


 


「な……」

 若君の目が大きく開かれた。

 ほとんどパニック状態。それか恐慌状態。


「あ、どうも初めまして、若君さん」

 新兵衛はなんとも軽い調子で挨拶した。新兵衛は教室帰りの剣道着姿、右手にはやはりご飯茶碗を持っていた。


「そうか……おもしろい……」

 ぼそりと若君。しかしその唇のはしに獰猛な笑みがちらりとのぞいた。


「うわ、それ、本物の刀ですか?」

 新兵衛は若君の様子に気づかず、うっとりと日本刀に見とれている。

「……無論じゃ。銘刀の切れ味を見せてやる」


 新兵衛の目の前から若君の姿が消えた。

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